• ベストアンサー

文法と訳読を中心とした英語学習の問題点

中学校の英語の教科書も昔と比べると随分変わっていますね。会話を主体とした文章が大幅に増えています。しかし、文法と和訳を中心とした方法は相変わらず変わっておらず、このスタンスは大学までずうっと一貫していますよね。私が高校の時は、次のレッスンの新出単語を辞書で調べるのが宿題に出されたものです。 そこで質問ですが、文法と訳読を中心とした英語学習のメリットは何でしょうか?また、どのような問題点がありますか?

noname#29158
noname#29158
  • 英語
  • 回答数5
  • ありがとう数5

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#47281
noname#47281
回答No.3

メリットとしては、難しい文献も短期間の学習で一応読めるようになることです。しかし、このメリットを享受できるのは英語よりもむしろ大学の第二外国語のフランス語やドイツ語で実感できると思います。ただ、現行の学校の教え方は中学生が初めての外国語である英語を覚えるのには、理屈っぽ過ぎるし、逆に効率が悪いような気がします。 文法はある程度は大切ですが、学校で教えるのは無駄な部分もあるような気がします。例えば不定詞の用法の分類とか、動詞と助動詞の区別などです。これらは言語学者の間でも意見が分かれており、参考書によっても記述が異なったりします。また、5文型というのも 中にはSVOかSVCか識別しにくいものあり、これを無理に区別するのもあまり意味がないような気がします。 文法と訳読中心の欠点は genmai59さんが挙げられた他に、英語を介して他の外国語を学習する場合です。例えば、英語を介してスペイン語を学ぶ場合、スペイン語の文章を一旦英訳してから更に和訳することになるので、非常に遠回りになり、意味のズレも拡大して甚だ効率が悪くなることです。勿論 これには英会話だけの練習でも歯が立ちませんけどね。まあ、普通は日本語で書かれたスペイン語の本で勉強しますけどね。でも、マイナーな言語などは 日本語で書かれた学習書が存在しないか、あっても使い物にならない場合は どうしても英語を介して学習せざるを得なくなります。 あと、高校の英語になると扱う題材も抽象的なものが多くなりますが、 身近で易しく具体的な内容のもの訳さないで感覚的に意味を捉えるトレーニングが重要です。 しかし、何と言っても公立の中学校では英語の時間が足りません。英語の授業が週3コマということは実質的には2コマしかないのですから。 英語は毎日欠かさず学習してこそ身に付くものです。

noname#29158
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >このメリットを享受できるのは英語よりもむしろ大学の第二外国語のフランス語やドイツ語で実感できると思います。 中学生というのが微妙ですね。小さな子供に教えるような方法では小さな子供に劣るし、かといって、理屈ずくめの教え方では多くの落伍者を出す割には得意な生徒でさえ十分にコミュニケーションが取れないんですから。

その他の回答 (4)

  • go_urn
  • ベストアンサー率57% (938/1643)
回答No.5

こんにちは。  文法+訳読についてみなさんのお考えが聞けて参考になりました。これはどこかイデオロギー的な論争を引き起こしがちなものですが、脱イデオロギー時代ですから、ある人たちにとっては文法+訳読が有用だし、ある人たちにとっては弊害がある、というふうに、棲み分けによって、お互いの立場を尊重するようになってほしいものだと願っています。  ある中国人の方達は、一言半句の日本語も知らずに成田に降り立ち、2~3年のうちに(コミュニケーション上の)日本語をかなりものにしてしまいます。そういう人たちには、 文法+訳読なんて必要ないでしょう。  しかし一方、別に英米人とコミュニケーション取るのも面倒くさいし、どうしても必要に迫られたらカタコトでしのげればいい、それよりは、新聞や、関心領域の本の英語が読めたほうが役に立つと感じている人たちもいます。そういう方たちにとっては、文法+訳読は、まあオーソドックスな方法だと思います。この英語はどういう意味なの?と、日本人同士で相談しあうときも、文法+訳読方式は普遍的な力を持っていますよね。  ただ、しばしば指摘されるように、学校文法が、枝葉末節にこだわったり、現実の英語の変化についていっていなかったり、という短所は広く認められるようになってきていると思います。  最終的には、英語を使って何らかの益があればこそ、各自営々と努力しているわけで、文法+訳読方式派は、それなりの根拠を持っているわけですから、それはそれでいいのですが、全員に押しつける部分が日本社会に根深く残っていて、それが反撥を呼ぶんだと考えています。

noname#29158
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • moguyan
  • ベストアンサー率56% (106/189)
回答No.4

 いわゆる文法訳読法という教授法はかなり昔からあり、現在の中高大の英語授業のかなり多くの部分を占めていると思います。以前大学の先生から聞いた文法訳読法の長所と短所をまとめておきます。 <長所> 1.言語を体系的に学ぶことができる  外国語を学ぶのに文法を無視してしまうと能率が悪くなります。赤ちゃんが言葉を学ぶのとは違いますから、最小の努力で最大の効果をあげるためには文法を体系的に学ぶ必要があります。 2.教師は必ずしもその言語に堪能でなくてよい  英語が堪能な人しか英語教師になれないのであればとても数が足りません。 3.一度に多人数を教えることができる  会話学校で40人のクラスのところがあるでしょうか。この教授法ならマイクさえあれば100人でも200人でも教えることができます。 4.論理的分析力を養うことができる  これは数学を勉強するのと同じ目的です。文法自体がひとつの論理ですし、特に大学入試などは文章の論理構成を分析できる力がないと読めない長文問題が多いです。 5.日本語の力を鍛えることができる  「外国語を知らない者は母国語をも知らない」とはだれが言った言葉か忘れましたが、けだし至言です。 <短所> 1.いわゆる実用性にかける  会話というものをほとんど教えませんので、例えば中高大と10年も英語を勉強していて、簡単なあいさつもできない、などと非難されることがあります。 2.音声が無視されがちである  言語の成り立ちから考えて、まず音声がありそれから文字のはずですが、文字情報がほとんど中心になってしまいます。しかしこの点は近年だいぶ改善されてきました。 3.学習が退屈で単調になりやすい  早い話が文法訳読法というのは漢文を読むのに似ていますので、座学の特徴である退屈で単調という傾向があります。

noname#29158
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 揚げ足を取るつもりはないんですが、敢えてmoguyanさんが挙げられた長所に反論させていただきます。お気を悪くされないようにお願いします。 >言語を体系的に学ぶことができる myrtille55さんも仰っているように、このメリットを享受できるのは 大学の2外のフランス語やドイツ語ですよね。日本語の文法さえおぼつかない状態で外国語である英語の文法を機関銃のように浴びても辟易するだけですよね。 >教師は必ずしもその言語に堪能でなくてよい 本来はそういう教師に英語を教える資格はないのでは?現状では仕方ないにしても、改善すべきでしょうね。 >一度に多人数を教えることができる 本来は英語は少人数で教えないと高い効果が望めないんですよね。一度に多人数というなら、テレビで授業することも可能ですよね。 >論理的分析力を養うことができる 数学と同次元で考えることに無理があるようです。 >日本語の力を鍛えることができる 現状の教え方では不十分でしょう。確かに外国語を理解する為の日本語力を鍛えることで、他の外国語を学ぶにも大きな足掛かりになりますが、学校の英語の和訳の日本語は美しい日本語を壊しているような印象を受けます。

  • genmai59
  • ベストアンサー率45% (1214/2675)
回答No.2

文法は、外国人として英語を理解するためには必要なものです。訳読…というよりも精読は、やはり英語の構造を理解するためには必要なもので、一定量はやらないと、会話も多読もまともにできるようにはならないでしょう。文法も精読もやらずに英会話練習だけをしても、単語単位の文章や決まり切った言い回しを使ったワンパターンの日常会話ができるようになるだけで、複雑な内容を議論したりできるようにはならないと思います。 ただし、文法と訳読だけの英語学習は、実際に使うトレーニング量が足りないために、実際に会話などで使いこなせるようにはなりません。読解も、時間をかけておぼろげに意味がわかるようになるだけで、本当の意味で「読める」ようになるにはならないと思います。 文法と訳読中心の学習の最大の欠点は、常に日本語におきかえて理解しようとするために、本当の意味を理解できないことです。ある英単語の意味を日本語で覚えても、もとの英単語の意味と置き換えた日本語の意味が完全に一致することはありません。例えば日本では緑色の信号をなぜ青信号というのだという話がありますが、日本語の「あお」は、もともと青みがかった緑を含みます。最近ではやや感覚が変わってきていますが、「葉が青々と茂った」という表現は、誰も疑問に思わずに使っていますよね。ところが英語では青は青で、「葉がblueできれいだ」と言えば、おかしいのじゃないかと思わるでしょう。 文法と訳読のもうひとつの欠点は、理解するスピードが極端に遅いので、会話はまったく成り立たないし、実用的な速度で読めないことです。それから、音に対する学習量が少ないために、いわゆるカタカナ英語しか身に付かず、聞き取れない、話しても通じないという問題も発生します。 ただ、実用的な英語力を身につけるためには、現在の英語の授業だけではとても足りないと思います。毎日何時間かの宿題をこなすようにしなければ、どんなに授業内容を改善しても、学校卒業時に英語を使えるようにはならないでしょう。でも、授業の中でトレーニング方法を教えて、そういうトレーニングが必要なんだと指導すれば、もう少し改善されるとは思うのですが。教師全体に、そういうトレーニングが必要だという認識があまり普及していないのと、こなさなければいけない内容が多すぎて、手がつけられないのじゃないでしょうか。

noname#29158
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >例えば日本では緑色の信号をなぜ青信号というのだという話がありますが、 信号の青も最初は「緑」だったんですが、みんなが「青」と言うようになり「青」が正式になったそうです。そして、色も徐々にgreenからblueに近い色に変わっているそうです。 ですから、英語は日本語と結び付けるより視覚的にイメージするのが重要でよね。blueは海や空の色で、greenは葉の色というように。

回答No.1

大学生の女です。 中学・高校のときは私も文法ばかりつめこみの勉強に嫌気がさし、「国語はいちいち文法など考えなくてもできるのだから、英語もフィーリングでできるはず!」ということでまじめにやっていませんでしたが、やっぱり無理でした。 大学に入り、これでは不味いと思って文法を一から勉強したところ、驚くほど文が正確に読めるようになりました。 よく考えてみれば中学や高校でやる英語の時間なんて合計したら大したことはなく、私が日本語を話している時間の何十分、下手をすれば何百分の一なんですよね。フィーリングは経験がものを言うので、中学や高校でやっただけでは凡人にはそんなもの身につくはずもなかったんです。だから結局は幼児と違って記憶力は無くても、知能があるなら文法を先にやった方が早いんだと思います。 ただしこれは「文を読む」ことには強いですが、やっぱり「話す」ことには向かないですね。私も論文は読めても、外国人さんと話すとしどろもどろです。現在必死で勉強中です(笑) 話すのはとっさに単語と文を組み立てなければならないので、かなりの反復が必要になります。でもこれは中学や高校の英語の授業でやるには時間数が足りないので、何も身につかない英会話より、多少読み書きが出来たほうがましだと考えると、現在の文法・訳読中心の授業形態は仕方ないとのだ思います。

noname#29158
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

関連するQ&A

  • 文法、訳読、作文は英語学習の3本柱?

    文法、訳読、作文は英語学習の3本柱? こんにちは。1週間ほど前、朝日新聞で英語学習について 大津由紀夫氏が英語学習では 文法、訳読、作文が3本柱になるようなことを言っていました。大津由紀夫と言えば、小学校からの英語教育の導入にも頑として反対している 似非学者です。 しかし、大津由紀夫氏の主張には大きな疑問があります。これは 私たちが学校で習う英語の典型的なスタイルであり、大昔の日本人が漢文を読んだ時とあまり変らないことです。そして、この方法は一部の秀才タイプが論文を英語で読んだり書いたりする目的に限定すれば 極めて合理的ですが、一般的にニーズには不向きだということです。 そこで質問です。 英語学習では 文法、訳読、作文の3本柱こそ重要だと思いますか?

  • 文法と訳読を中心とした英語教育のメリット

    日本の英語教育は文法と訳読が中心ですよね。中学では勿論 簡単な文から始まりますが、大学でも文法を中心としたスタンスは貫いていますよね。こういう教え方では英語が使えるようにならないという批判も多く聞かれます。しかし、メリットもあるはずですよね。あるとすれば、どんなメリットが挙げられるでしょうか?

  • 日本の英語教育はどうして文法と訳読に偏っているのか?

    こんにちは。日本の英語教育は文法と訳読に偏っています。これはよく批判されることですよね。でもこういう学習法って、私たちにとって最初の外国語である英語を覚えるにはむしろ効率が悪いような気がします。例えば、「仮定法」なんて言うのは概念的にはそんなに難しくないのに、わざとややこしくしているような印象を受けます。 そこで質問ですが、日本の英語教育はどうして 文法と訳読に偏っているのでしょうか? また、現状の教育のどこを具体的に変えれば、もっとよくなるでしょうか?

  • 外国語は耳から

    日本では中学からみんな英語を学習し始めます。 しかし、学校で習った英語だけで英語を話せるようになった人はいないはずです。学校で習う英語は、次に習うレッスンの新出単語を辞書で調べてノートに書くのが宿題に出されて、あとは 文法や訳読を中心としたドリル演習ですよね。教科書のスクリプト自体、中学1年生は簡単な挨拶程度の会話文ですが、2年生になると、会話は少なくなり ぎこちなくやさしくした文章の連続になります。教科書も朗読しますが、ネーティブの発音を満足に聴かないでただ繰り返すだけ、、、。そして、文章を一つ一つ丁寧過ぎるほど解析して忠実に訳読していく、、、。これでは 英語も話せないし、かといって リーディングだけ見ても直訳しかできませんし、単語も文法も分かるのに意味がピンと来ないということも往々にして起こります 私は現在、中国語を学習しているんですが、このやり方を中国語に応用したら英語以上に発音がめちゃくちゃになり失敗しますよね。漢文の延長になることも危惧されます。 そこで質問です。私も外国語は文字よりも発音を優先すべきだと切に感じているんですが、どのようなやり方が最も効果的でしょうか?一応、英語をフランス語はマスターしたんですが、文字を優先させたために かなりロスが大きかったとも思います。

  • 英語の悪い学習法

    このカテでも どうしたら英語が上達するかという質問は いやというほどありました。しかし、ここでは反面教師的な視点から、どんな学習法がよくないのか具体的に皆さんから意見を頂戴したいと思います。 先ずは、私が高校時代に英語の先生が私たちに課していた方法で今思うと、これってあんまりいい方法じゃないというものを挙げます。 その先生のやり方は、次に習うレッスンの新出単語を辞書で調べさせて ノートのページの上半分の左側に英単語と発音記号、右側に訳語を書かせ、下半分には 辞書に載っていた例文とその訳文を書くのを宿題に出していました。 もう一人の先生は、授業毎に当番を決めて、授業前に黒板に 10の単語の問題を出すものでした。単語の問題とは 主に教科書の英文から単語を拾って英語は日本語に、日本語は英語にするもので、これを 配った用紙に書かせて、その当番が採点するものでした。例えば responsibilityだったら正解は「責任」という風にです。 それで、こういう予習を宿題にする英語教師って 現在も多いんでしょうか?

  • 英語教育、文法と訳読に偏りすぎ...

    英語教育、文法と訳読に偏りすぎ... こんにちは。ありきたりのつまらない質問です。小学校からの英語教育に関しては賛否両論に分かれますが、このサイトでは どちらかと言えば、反対意見の方がやや上回るように思えます。しかし、それじゃ いっそのこと 英語なんか高校から教えればどうかと言えば、高校からでは遅いという意見が大部分です。 しかし、問題は教え方ではないでしょうか? 日本では英語は訳読と文法にウェイトを置きますが、 これは英語が日本語と全く違う言語だからですよね。その点では 日本人はヨーロッパ人が英語を学習するよりずっと難しいですよね。でも、ここで疑問に思ったんですが、訳読と文法にウェイトを置く方法は ヨーロッパ人に比べたら むしろ 殊更大きなハンディキャップを背負うんじゃないでしょうか? ヨーロッパ人は自国語の文法も小学校からキチンと教わり、また自国語の理屈をある程度英語に当てはめて考えることができますが、日本では 膨大な漢字を覚えるためでしょうか、小学校では文法にはほとんど触れず、中学でもさらりとしか習わず、皮肉なことに、挙句には 日本語よりも英語の文法に詳しくなり、日本語の構文にも英文法用語を持ち出す人もいるほどです。それに、大昔英語を学んだ人たちは一部の知識人だけで、多くは漢文の素養があり、オランダ語から英語に乗り換えた人も少なくなかったでしょうから、外国語の文章を解読することには慣れていたので、理には適っていたと思います。 そこで質問です。英語はどのように教えるのがベストだと思いますか?

  • 文法と訳読に偏りすぎる英語教育の弊害

    毎度くだらない質問です。 日本の英語教育って文法と訳読に偏っていますよね。 しかし、私たち自身、日本語の文法を体系的に知っていないし、知っていたとしても 英語と日本語ではあまりにも構造の違いが大きいので 対応させるには無理があります。 皮肉なことに、日本語の文法に英文法用語を持ち出す人もいるほです。 さて、例えば「どこに行くの?」は英語で “Where are you going?”であって “Where do you go?” ではありませんよね。そして「分った?」は“Have you understood? ”であって、“Did you understand”ではありません。また、「誰が旗を持つの?」は “Who will hold the flag?”であって、“Who has the flag?”ではありません。 こういうのって、現在進行形とか現在完了とかの文法で説明されても分かりにくいし、 また、訳読に頼った学習法だと 自分で少し変な英作文をしても どこが変なのか気付きにくくなると思います。 そして、文法と訳読に偏った学習法は結局は逆に遠回りしているように感じます。 メリットと言えば、同じ方法でフランス語やドイツ語を勉強した場合 短期間で荒削りながら 難しい文章を読めるようになることくらいでしょうか。 そこで質問ですが、日本の英語教育はどうして 文法と訳読の偏向から抜け出せないのでしょうか?

  • 英語の古典的な学習法の限界

    以前にも似たような質問を出したんですが、論点を改めて再度質問させて頂きます。 学校で習う英語は最初に文法を習い英文を解析し訳読するのがメインになると思います。このスタンスは中学から大学まで一貫しています。 このような方法は会話に弱いとよく言われますが、弱いのは会話だけでなく読み書きも決して得意とは言えないそうですね。一方で、文法を疎かにした人は読み書きは勿論のこと、会話もキチンと出来ないとも聞きます。 ここで一つ感じたんですが、日本人が英語を学ぶのは西洋の人がラテン語を学ぶのに似ているのではないかと似ています。例えばオランダ人を例に取れば、先ず小さな子どもが外国語を覚える要領(エレメンタリーメソッド)で英語を覚え、次に学校では会話を中心(スタンダードメソッド)にフランス語を勉強し、そして古典的な方法(クラシカルメソッド)でラテン語を学習します。 ところが、日本ではいきなりクラシカルメソッドで最初の外国語として英語を勉強しますが、果たしてこれが合理的なのか大いに疑問です。 英語を学ぶにしても、オランダ人と日本人では日本人が圧倒的に不利ですし、逆に日本語と英語とは全然違うから文法から入るのが筋道だとも聞きます。しかし、クラシカルメソッドでオランダ人と日本人が同時に英語を学習しても圧倒的に日本人が不利なのです。クラシカルメソッドの最大のメリットは短期間で文法と訳読を一通り習うことで 荒削りながらも比較的難しい文献でも辞書を片手に何とか読むことが可能になることです。それで、中学で習う英語はこのメリットが享受できずに、最初の外国語である英語と日本語とあまりの違いに戸惑いの連続で お手上げ状態になる生徒が続発してしまうのです。どちらかと言えば、エレメンタリーメッソッドの方がハンディキャップは縮まるような気もします。 そこで質問ですが、この文法と訳読を中心としたクラシカルメソッドは特に会話以外でもどういうところで弱点が露呈するでしょうか?

  • How to learn English

    こんにちは。私たちが英語を勉強する時って、学校では中学校から文法と和訳を中心に進めて行き、そのスタンスは大学に入っても一貫して続けられますよね。それで、そのような学習法ではなかなか英語が話せるようにはなりませんよね。かと言って、小さな子どものように文法の理屈は一切抜きにして覚えるのも時間がかかり効率が悪いように思います。 そこで質問ですが、どのような学習法が最も理にかなっているんでしょうか? 文法はどの程度覚えて、日本語はどの程度関与させるのか、 どのように学習を進めるのか、具体的な手順についてご教授くださいませ。

  • 初めての英語学習

    初めての英語学習 自分は今年で二十歳になりますが、いままで英語の授業には出席しても寝ているだけでした。そのため中1の時から英語の評価は常に1でした。もちろん英文法はおろか単語も全く覚えていないので曜日や数を書くこともできません。 そんな自分も英語の必要性を感じたので勉強してみようと思っているのですが、何から手をつけるのがよいでしょうか? さきほど書店に行ったものの、初心者向けの英語学習書にも数があり、結局購入せず帰ってきてしまいました。 まずは話せるようになるなどの前に基本的な文法や単語からやっていきたいと思っています。 基本文法の本と中学生向けの単語帳を買えばよいでしょうか? アドバイスよろしくお願いします。