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明治時代と宇喜多
八丈島に流された宇喜多中納言秀家の子孫の一部は、明治になると東京に移り、明治6年には明治帝より約2万坪の宅地を下賜されているようです。 どうして関ヶ原から250年以上も経った明治の世に、宇喜多家(浮田家)は日の目をみることとなったのでしょうか? 秀家卿の妻・豪姫の実家・前田家が宇喜多を支援しているのはまだ分かりますが(それも江戸時代を通して八丈島に米と金子を贈り、さらに明治になっても多額の金を贈与している理由も量りかねますが・・・さすが百万石、太っ腹ですね)、どうして浮田一族は2万坪もの広大な土地を与えられたのでしょうか? ご意見を賜れれば幸甚です。
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