• 締切済み

エクスタシーを哲学する。

●いつでも どこでも 生理中でも 妊娠してても 授乳してても  人間は交わることを続けます。そんな性交における絶頂(エクスタシー)とは  人間にとっていったい何なのでしょう?保健体育的なご回答ではなく哲学的な  みなさんの考察を教えてください。  わたしのエクスタシーの考察  ●わたしがおんなであることの認識は まわりから言葉でおんなであることを  認識させられたわけですが。ものごころついた頃には既に性器は赤ちゃんを産む  大切なところだからキレイにするようにという概念があり。男の子と違う部分である  という認識があり おしっこがでるはずかしい部分であるという認識がありました。  実はおんなという認識はその見せてはいけない大切なはずかしい性器を隠そうとする  意識の表層であることに気付くのです。そして本当のおんなは性器そのものである  ことにも気が付きました。性器をかわいがることはそのまま 自分のおんなへの  語りかけであり 性器はおんなであることをめくるめく快感という回答で  応えてくれるのです。おんなは性器のいたるところにちりばめられていて  階段をのぼるように そのおんなを確認していきます。  そしてエクスタシーがおとずれるのです。それは おんなの核心が幸せに  同化する瞬間であり 生きている証であり 理由であり 根拠なのです。

みんなの回答

回答No.8

40代♀です。 ここまできてようやくこの質問に私も面と向かっていることを感じています。 性交におけるエクスタシーとは何か。 肉体と精神と両方で無いと得られないものと考えます、いや、感じます。 好きという気持ちだけで良いかなあというのも違うし。 かといって肉体だけでもダメです。 もちろん性交における興味が一致した相手という制限も加わります。 そのうえで、精神と肉体の両方が極限状態で一致したときにのみもたらされる至福の一瞬のことを指すと思います。 そのためには、、。 日常を絡めた状態での性交では起きにくい現象です。 単なるオスとメスになり。 共にエクスタシーを得ることに没頭して。 その作業の結果至ることのできる瞬間です。 まだそれほどこの瞬間に到達出来て無い私。 今後一体死ぬまでに何回至ることができるのか。 考えると焦ります。 もっと達したいです。 純粋にそう思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#2441
noname#2441
回答No.7

こんばんはchihokoさん 山登りにたとえると一歩一歩危険を感じながら難所が多い山ほど頂上にたどり着いたときの達成感は素晴らしい。 地上を見下ろしたときの景色はなんともすばらしい。 壁が高いほど満足度は高い。 P.S. chihokoさん皆さんが待っています。 chihoを慕いて 空蝉の 心  みんなのアイドルchihokoさんへ!  

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kokoro34
  • ベストアンサー率12% (1/8)
回答No.6

こんにちは。これは回答になっていないのですが、 私がおもったことです。というか、感想です。 最初、エッチだぁ…と思いました。ぶっちゃけ。(笑) でも確かに、「性」って、一言でまとめてしまう事ができない、 深いものだと思いました。 私の、浅はかな知識の中では 男は求めてきても女はしっかり状況を把握し、それから 要求を受けるにしろ断るにしろしなくてはいけない、と考えていました。 それだけ、でした。ま、教え込まれた知識ですけど。 たとえば、よくありがちな、未成年どうしで、まだ経済面でも未熟なのに 子供作って、結局、おろすとかの現状のことからですが。 その状況に対して私は「おい…女しっかりしろよー!!損すんのは(体のめんで)女の方よ!」というかんじでした。(これは教え込まれてません・笑) でもそれだけが「性」ではないのかもしれませんね。 なんかよく伝えられないのですが、 何かを、悟りました…(笑) エッチだ、エッチだといって そういうことに触れさせないことによって起こる「性」の問題は 取り返しのつかない結果になる…。 これは半分は私の考えでも残りの半分は教え込まれた知識。 それは生きるうえで大事な最低限の知識であって、 今回感じた「性」についての考えは、 生きる上で必ずしも必要でないかもしれないけれど でも、重要で、それがあるからこそ 生きていることなのかもしれないということです。

chihoko
質問者

お礼

●そうですね 性はとても奥が深いです。  わたしの本当にエッチになる姿は 主人は知りません。  同年代の男達にも 見せません。  ずっと上の方か ずっと下の方に わたしの獣を見せます。  わたしがメスの獣になることが 男達を本当のオスの獣にします。  本当のオスの獣が わたしにエクスタシーをつれてくるのです。  メスの獣になるのは 一つの倒錯です。わたしの場合 年齢の差という  してはならない状況に身を投じることが 倒錯への入り口になっている  ということなのでしょう。  ご回答ありがとうございました。

chihoko
質問者

補足

●ごめんなさい 倒錯というあやふやな表現で逃げてしまいました。  熟考しました。倒錯ではなくそれは わたしの本性です たぶん。  わたしは 自分のナマの本性を見てもらいたいし 晒したいのです。  そうすることで 癒しとエクスタシーを得たいのです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • nyozegamon
  • ベストアンサー率45% (895/1969)
回答No.5

>聖なる愛の実態がなんなのか よくつかめません。 聖なる愛とは、いわゆるアガペーの愛です。 >愛のない性交によるエクスタシーのほうが 性器が喜んでいる感覚が強いのです。 愛のない性交の実態がなんなのか よくつかめません。 それでも、性器に対する愛はあると思われますが。 >この種の快楽が人間のバイタリティに直接結びついているように思えてなりません。 思うに、chihokoさんの性器に対する愛がバイタリティの源泉になっているのではないでしょうか?

chihoko
質問者

お礼

●アガペーの愛ですか。わたしはこの愛について語れと言われたなら  私欲を捨てて 皆でゴミを拾っているとき なんか嬉しくて  涙がでてしまうときがあるんですね。つまり 人間の素晴らしさを  垣間見ている感覚でしょうか。←これくらいしかいえません。  このアガペーの愛のエクスタシーは とてもポジティブな面があります。  嬉しくて なんでもできそうな感覚を覚えるし だれとでも友達になれそうな  気がしてきます。そして 大いなる安らぎがあります。  それに対して性交や性器によるエクスタシーは それだけで完結していて  なにも必要ないし だからどうこうしようとか どうこうなるという  感覚も感情もありません。ただただ幸せで気持ちよくてたまらない感じです。  だからわたしには 前者と後者では まるっきり感覚として違うモノなのです。  愛のない性交とは いわゆる不倫関係のそれなわけですが  性交による気持ちいいという感覚において いけないと分かっていることが  性器を気持ちよくさせてしまう その不条理に抵抗もできない自分がいて  いけないと思うきもちが性器のなかでひだになり そのひだをこすられると  気持ちがいいという ふしぎな循環のような感覚がはっきりとあることを  わたしは認識しております。男性の方はどうなのか知りませんが  これだけ下半身スキャンダルがあるということは 似たような性器と精神の  関係があるのではないでしょうか。  性器はそう言う意味で あらゆるモラルや規範や種を超えるパワーを  秘めている・・・とは わたしの持論です。  性器に対するわたしの愛はご推察の通りだとおもいます。  わたしにとってわたしの性器は いちばんのかわいいこちゃんです。  ご回答ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#2336
noname#2336
回答No.4

生きてる目的の最大級の物の一つだと思います。 人間は快楽を求める物だと思うからです。 そして、かなり大きな快楽だと思うから。 人間のどんな行動も、 (病気でない限り)最終的に自分自身の保存、 または、性的快楽を得るための手段なのだと 思います。(それらが大きな快楽であるから) それが意識的にせよ無意識的にせよです。 例えば 一見快楽とは縁遠い 昔いた(今もいるかもしれないが)苦行を行う 人々でさえ、その先に大いなる快楽があると 信じて行っていたのだと思います。 #快楽とは表現せず、「至福」とか「涅槃の境地」とか #もっと崇高な表現をしたでしょうけど。 性的快楽が核心かどうかはよく分かりません。 私は絶頂に達したことがないのでなんとも言えません。 ただ、快楽を求めて生きてるのだとは思いますし。 それが、核心であると思う。

chihoko
質問者

お礼

●こころに届くご回答ありがとうございました。  絶頂に達したことがないって どうすればそのようになるんですか?  わたしは日に3回はイカないと お昼寝できません。  快楽を求めていらっしゃるのにどうしてイクように自分を研究なさらないのか  不思議でなりません。もし 常に誰かに見られてらっしゃるのなら  一人になれる時間のある環境に 是が非でも移行するべきだと思います。  身体は 本当に有り難いものだと痛感する所以です。  イケない肉体的ハンディをお持ちなのでしょうか?  アドバイスできるかもしれませんので なぜ絶頂に達したことが無いのか  補足おねがいいたします。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • nyozegamon
  • ベストアンサー率45% (895/1969)
回答No.3

性交における絶頂(エクスタシー)の考察 性器は性なる器。 聖愛は聖なる愛。 エクスタシー、それは、聖なる愛が確信に目覚め、 快感の責任を性器に転嫁することなく、 幸せの導火線に点火する瞬間なのです。

chihoko
質問者

お礼

●わたしには よくわからない表現をされてらっしゃいます。  聖なる愛の実態がなんなのか よくつかめません。  けれどもわたしの場合 愛ある性交によるエクスタシーと  愛のない性交によるエクスタシーと比べてみると  どちらも すばらしいものなのですが  愛のない性交によるエクスタシーのほうが 性器が喜んでいる感覚が強いのです。  この種の快楽が 人間のバイタリティに直接結びついているように思えて  なりません。  ご回答ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • taro1121
  • ベストアンサー率43% (178/409)
回答No.2

あなたはすでに答えを持っていて、その答えに近い人がいないかどうか確認したいだけではないでしょうか。性器と生殖とエクスタシーを全て一緒にして見つめるのは間違いではないが、一緒にしてみているという事を忘れてはいけない。さらに愛や性もまとめて話をし始めると、それはぼやーっと見ているのと同じ状態です。エクスタシーは性だけのものではありません。性器は体組織であり足の裏も膣も同じ体。生殖は生物の証。愛はその本能の一部(理性と欲望は両方とも本能)。自分にないものを求め、他人に自分を与えるこの区別が性。「幸せ」や「生きる」といった表現はまた異なる世界。「幸せ」は幸せと思う瞬間の感情。「生きる」は死に至るまでの生命活動。論争になりそうな回答になってしまったかもしれませんね

chihoko
質問者

お礼

●いえいえ ほとんどおっしゃることは もっともだと感じました。  ただ わたしがこのスレツドで問うているのは  性交におけるエクスタシーの本質であり 汎用されるエクスタシーという  言葉ではありません。  また わたしはおんなの核心が幸せと同化する瞬間だといっているわけで  taro1121さんがおっしゃることとは なんら矛盾を感じません。  性交に於けるエクスタシーは 性器があってはじめて可能なわけで  足でそのエクスタシーを得た話は 聞いたことがありません。  また性交によるエクスタシーを超えるエクスタシーを ほかのもろもろの  エクスタシー体験で わたしは味わったことがありません。  性器という生殖にまつわる器官が 生きる上で最上の幸福感をDNAに  書き込んだ その本質・理由・根拠を哲学したいわけなのです。  そうぞ taro1121さんの深い洞察で 哲学して教えてください。  ただひとつ 理性と欲望は本能といえるものと概念といえるものに分かれる  とするのが正確ではないでしょうか?愛は本能だと わたしもおもいます。  ご回答ありがとうございました。

chihoko
質問者

補足

わたしの答えは既に質問欄に記してあります。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • sponta
  • ベストアンサー率26% (54/207)
回答No.1

性不同一障害で悩む人がいる世の中で、自らの性器の存在を鼓舞するような発言はどうかと思います。また、禁忌意識が悦楽を増加するものだとしても、そこに悦楽の本質を求めるのは浅薄だと思います。 もし、禁忌意識が悦楽の本質だとするならば、交じり合う犬たちに喜びはないのでしょうか。 ☆ 哲学とは神や超越に依存しないで人間が自らの存在を考察するという崇高な行為だと思います。 ゆえに、哲学とは、人生であり、経験であり、また肉体である。 それらのことを捨象して、哲学をせよ。というのなら、それは、まさに放談。便所のラクガキに過ぎないということになってしまいます。 教えてgooなんて、便所のラクガキよ。 と、おっしゃるのなら、それは仕方のないことですが…。 ☆ 教えてgooが素晴らしいのは、無名人のそれぞれが相互の知恵で、多くの人の困難やトラブルを解決していく。または、そういう意志がみなぎっているところです。 哲学においても、社会に何事かをなすというポジティブな意志があって、議論が交わされるべきだと考えます。 人間とは何か。いかに生きるべきか。人間にとって一番重要であるはずの命題。 学校教育ではどう生きるかではなく。どういう職業につくか。または、どういう学校に進学するから、そのことばかりで、そうした議論は希薄です。 また、道徳などといっても、既成の価値観を植えつけるだけで、人間とは何かという根本の問題の存在さえ教えようとしません。 海外の場合は宗教教育が補完しているようですが、こうした人間根本についての議論が希薄な現代日本にあって、教えてgooがこのカテゴリーを設定させているというのは、まさに慶賀といえるでしょう。 とはいえ、自らの具体的な経験を吐露するなかから、哲学するというのなら、セクシュアルな話題も重要なはず…。

chihoko
質問者

お礼

>交じり合う犬たちに喜びはないのでしょうか? ●とても いいところに着眼されました。  なぜ人間がこれほどまで繁殖しているのか?そこに着目するとき  エクスタシーの果す役割の大きさを痛感するわけです。  わたしはまだ 犬とSEXした経験は ありませんので  犬に快感があるかどうかは わかりませんが。  たとえば二匹の雄犬を 子犬のときから育て上げて  成犬に育てた時 二匹の犬を同じ部屋で 離れ離れに繋いで  わたしがその二匹の犬をSEXに誘ったとしましょう。  わたしの誘いの痴態に 二匹の犬達が勃起して  わたしが交互にいききしながら その二匹の犬達と交わったなら  きっと犬に宿る感覚の幾らかを理解できるような気はいたします。  それほどに性器の理解力はすさまじく 種を超えるパワーを秘めていると  考察いたします。犬とて他種の犬と交わる禁忌性を内包しているわけで  人間の禁忌意識が悦楽と種のポテンシァルひとつであることは  普通に考えの及ぶところだと考えます。  尚 哲学とはどんな方にとっても 常に参考として語られるべきものであり  人間がこうあるべきと その生き方を限定するものではないと認識しております。  そのような意味でこのスレッドも解釈していただきたいと思います。  たぶん下半身の感覚の無い方には 無用の長物であるわけですし  すべての境遇に共通するテーマではないことも承知しております。  ただ ここは避けて通っては人間の本質が見えてこないところであり  三面記事に連なる下半身の問題を見るにつけ もっと人間は自分を知るべきだ  そのような意味合いも 含んでの設問であることをご理解ください。  ご回答ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 不思議です?????

    少しエッチな事かも知れませんが前に本で読んだ事でずっと不思議に思えている事なのですが女性が”いく”と言う快感度は男の1000万倍と読んだ事があるのですが本当なんですかね?っていうか誰が計ったのでしょう?女性は快感度が男より大きく長い。男は射精の瞬間に絶頂を味わえる訳だけど女は1度エクスタシーに達すると2度3度と味わえると聞きます。神様が女性は分娩の苦しみがあるので通常は快楽度が男より大きく長くさせてると読みましたがホントなんですかね~???でももしホントなら男として彼女に何度だって快感を味あわせたいと思うのは当たり前で果たして実際どうなんでしょう?

  • 20代後半の女です。

    私はうつ病です。 定職にも就けず、毎日家でパソコンと睨めっこしながら、面白くもない質問をしたり、上目目線の回答をして時間を過ごします。 上目目線の回答やお礼、YouTube音楽・動画の規約違反なのかどうかなんて無視して考えたこともない、通報されて削除されれば、しまったと思うくらいで、別段気にもしていない私なんです。 私も面白くない質問をしていますが、面白くない質問には『どうでもいい・どうも思わない・別に気にしない』とか書いて馬鹿にする時が最高の快感を感じるんです。 まるで、エクスタシーのような快感←こんな感覚なったことある? ブログも気まぐれで作ったので適当にしてるだけ、結婚したくても相手も見つからない、だって家でパソコンに向かって・・・どうでもいい・どうも思わない・別に気にしないって馬鹿にした回答してるのが楽しいの。 私の面白くない質問に真面目に回答してくれる馬鹿を見てるのも快感!! アンカテは便所の落書き程度だから気にしない、気にしない!みんなも同じでしょ! こんな20代後半女をどう思いますか?

  • 略奪愛  横恋慕   不倫

    質問1 略奪愛に快感を覚え、病み付きになって繰り返してしまう女の心理  教えてください。 質問2 「~~~~な人間の心理 教えてください」こういう質問の仕方を、回答者さんはどのように感じますか?

  • なぜ、男は哲学するのか?

    タイトル通りの質問なら、「大脳生理学」のようなジャンルで考えることだとは思いますが、このカテに普段出入りされてる方に敢えてお聞きしたいです。 古今東西、と言っても日常、日本人にとっての哲学は「西洋哲学」とほぼ同義語のことが多いと思います。 ソクラテス・プラトン・アリストテレスの時代から、デカルト・カント・ヘーゲル、そして最近ではニーチェ・サルトルに至るまで、みな男です。 そして、おそらくここのカテを出入りしてる方も圧倒的に男が多いと思います。 昔から、なんとなくその事に対する理由としては、「男は形而上学的なことに関心があり、女は現実に興味がある。」程度にしか思わなかったのです。 しかし、だとしたらなぜ男は「形而上学的なことに思いをはせるのか?」と今更ながら素朴に考えてしまいました。 「時間とは?」 「空間とは?」 「存在とは?」。 「認識とは?」 「理性とは?」 このような事に対して思いをはせてるのは、昔から男だけのようです。 もちろん、稀にそういう女性も居るでしょうが、微々たる数の筈です。 とっさに思いつく男女の差は「性欲」のことです。 そして、性欲というとフロイトを思い出します。 フロイトは、あくまで「性欲」と「人間の行動」の関連について考察しただけで、それ自体は「哲学」でも「形而上学」でもありません。 ただ、性欲求行動と哲学的思考回路はどこかで繋がっているのかなどと考えてしまいましたが、これはあくまで思いつきです。 思いつきですので、別にフロイトや性欲との関連に限定しません。 どうして男は哲学するのか? ご意見下さい。

  • 快感指数について【男性の方】

    ゴムをつけて挿入の快感指数を100とすると、生での挿入はどのくらいになりますか? また、ゴムをつけて中出しの快感指数を100とすると、1.生で外出し、2.生で中出しは、どのくらいの数値になりますか? 2日で4回(夜2回、翌朝1回、その夜に1回)した時、性器に少しでも違和感(痛みというより圧迫感とか)ありますか? たくさん質問しましたが、分かる部分だけでも回答して頂けると幸いです。

  • 哲学における自我の話を持ち出してみました

    悪夢の葛藤は今、君たちに何を回顧させるか? 過去からの亡霊。 Primeape 〈オコリザル〉だ。 今回は自我論に関してだよ。 自我論、自我説は宗教、哲学、心理学、IT技術系、様々な分野で課題の一つとして取り組まれている。 学問というのは、一定の習熟をして全体が見渡せるような視野に立って展望できれば先生だ。 ところが、自我論は多様な学問で扱われていることが災いして、特定の高い視野から全体を展望するという事が、学問としてほぼできない。 自我とは自己の核心の研究だ。 ひとまず、人格の解説をしよう。 人には他者と共感したり、心を通わせることができる。 心理学では、客観の原型となる客体が、心理の奥底に観察されている。 客体とは自己に内包した誰か他者で、考えてみよう、他者に配慮する人間存在は、親しい他者からの助言や、社会的関係から他者への配慮を続けている。 この他人の気持ちが客体だし、欲望とは、自分の望みではなく他人の望みを預かって自分の望みと取り違えることだ。 社会性は人間の総括的資質の一つであり、このように人格が他者の影響を受けることは避けられない。 その精神の全体像の中で自己の核心を自我というのだ。 さて、仏教における無我、日本の伝統について語ろう。 無我は自我が無いという意味ではない。 人格として総括した「我」という自己のうち、他者の影響などを取り払って、安定した自己の本質、すなわち自我を仏性という特別な言い回しで表現して、我=人格を構成する要素は心惑わす煩悩であり、仏性を発見しない限り仏陀にはなれないという論調を強引に無我としたのだ。 そもそも自我という研究は何を目指しているか? 人間玉ねぎ論だ。 物資を細かく砕いた結果について、紀元前西洋哲学は原子を予言していら。 それド同一の手法で考察された、学問上の論理が自我論で、人格を砕くと自我になり、自我を砕くと霊になり、とかなんとか、どんどん細分化していく性質の論理だ。 という事はだよ、 研究しても自己の全体像からかけ離れていくという事だ。 さて、今回はPrimeapeという8年ほど前に退会した旧IDでさんざんやっていた仏教研究を久しぶりに引っ張り出しました。自分で納得していたんでわざわざ続きをすることはなかったんだけど、まとめてみると何か研究を先に続ける意見でも集まるのではないかと思って質問しました。 学問カテゴリーの研究会として、自由にご回答ください。

  • あなたにとってクリトリスとは?

    あなたにとって、クリトリスってどういう存在ですか? 女性性感帯のトップに挙げられる部分ですよね。 服の上からでも直接でも、愛している人に触られると、言葉にできない悦びを感じます。 もう、「逝く」とか「昇天」とか「狂う」なんてレベルじゃない。 10以上も年上の男性と付き合っていたときのこと・・・。 もともと、クリトリスは感じ易い方でした。 前戯のベッドの中で、 彼「ここ(クリ)って何て言うの?」 私「・・・」(気持ち良い上に恥ずかしくて言えない) 彼「教えて」(執拗に言わせようとする) 私「トットちゃん」(思わず言ってしまったコトバ) 彼「◯◯子はそう言うんだ。普通には?」 私「・・・。クリトリス・・・」(ああー、恥ずかしい) 彼「日本語では?」 私「知らない」(本当に知らなかった) 彼「陰核。陰部の陰に核心の核」 私「インカク」(なんとなくエロい響きがした) 彼「男と女とどっちがエロいと思う?」 私「男。だって、とにかく女とSEXしようとするから」 彼「違うよ。女だよ」 私「どうして?」 彼「この陰核、女がSEXだけのために持っている所だから」 私「??」 彼「男のちんこと女の陰核って、生物的には同じだけど、男には仕事があるけど、女には性的快感を得る以外の役割はないんだ。」 こんな知識を与えられて、私はクリの感度が一層上がりました。 だって、【性的快感を得るだけの器官】がクリトリス。 こんなものがあるなんて、女ってエロすぎませんか? さらに、おちんちんでクリを擦られると、今までを超える快感が襲ってきてあっと言う間に逝ってしまいました。 それ以来、クリのことを「トットちゃん」と言っています。(相手が変わっても) あなたは、クリトリスにどんなエピソードがありますか? あなたは、クリトリスを何て言いますか?

  • フェラチオが好き、おかしいですか? また良い技教えて。

    22歳の女性です。2つ年上の彼氏がいます。 彼とは週1程度Hしています。  彼はとても優しく、Hも積極的ですが、いつも私の気持ちや体のことを思ってくれてしてくれます。私は彼にしっかり抱きしめてもらい、乳房を優しく揉まれ、いっぱい吸ってもらうと女に生れた喜びを深く感じます。私はどんどんエクスタシーの世界に陥ります。  私をいっぱい気持ち良くしてくれたので、私も彼を気持ち良くしてあげたい…と思い、生理の時期に彼にフェラチオしたいと提案しました。  大好きな人のモノが、私のお口の中でピクピクって大きくなると私も嬉しいです。そして絶頂に達すると彼のエキスが私のお口に広がって…。見上げると嬉しそうな彼の顔、それを見たら私は思わずきれい呑んであげたくなります。  生理の時・危険日近くは必ずしてあげますが、彼からの要求もあります。絶頂に達して出そうになると私は頭を抑えられますが、彼は優越感に浸るのでしょうか。私もそうされると彼についていきたい気持ちが増して、私もためらわずにきれいに呑んであげます。  こんな私はちょっとおかしいかなと思いつつ、彼の嬉しそうな顔を見るとずっと口に含んであげて、きれいに呑みたくなってしまいます。  男の人は、女性の口に挿入して射精するのってどんな気持ちになるのですか。男性の気持ち教えてください。女性は好き嫌いあると思いますが、好きな人、呑んであげる人はどんな気持ちでしてあげていますか。気持ちよくしてあげる技など教えてください。  私はよく分からないのですが、裏側や亀頭部分を舐めてあげると早く大きく硬くなって勢いよく口の中に広がるみたいです。

  • エクスタシーについて

    押尾学逮捕で使用されたとされるエクスタシーについてお聞きします。 1990年代半ばにラブホテルなどで平然と販売されていたハーバルエクスタシーなどとは別物ですか?

  • 顔を見ただけでどうして男と分かるのか?女と分かるのか?

    日常で何となく疑問に感じた事です。 人間は普通に道を歩いていて、顔を見ただけで「あの人は男」「あの人は女」と性別が瞬時に分かりますよね。一体これはどうしてなんでしょうか? 「男と女の見分け方」なんて誰に教えられたわけでも無いのに、人間は性別の違いを何で(どの部分でどういう風に?)認識するのでしょう? 犬や猫、鳥など他の動物だと顔を見ても雄雌の判別はつきませんよね。