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ジョルジ ルカーチについて
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- ghostbuster
- ベストアンサー率81% (422/520)
わたしたちは文学というと小説のことを自動的に考えますが、小説が文学の主流になったのは19世紀以降のこと。18世紀までは文学というと、社会のなかで価値を認められた文字表現の総体、哲学、歴史、随筆、書簡、詩などを指していました。 いっぽうで散文で書かれた物語は古くからあったわけですが、18世紀あたりから広く読まれるようになってきます。 この小説というジャンルが勃興してきた時期は、フランスでもアメリカでも革命が起こり、中産階級が力を得た時代でもある。つまり、小説というジャンルは、近代という時代と密接な結びつきがあったわけです。 詳しくはルカーチの『小説の理論』をお読みいただくのが一番良いのですが、ルカーチはこうした大きな社会的文脈のなかで文学をとらえます。 叙事詩という形式が完成したのはギリシャ時代です。 当時のひとびとは、叙事詩は伝説上・歴史上の英雄を詩として描き、同時にそれを語りました(当時は書かれたものを読むというのは一般的ではなかった)。その英雄は、たんに個人であるばかりでなく、重大で危機的な局面にあった民族全体の性格や理想を同時にうたったものでもあった。 ルカーチが一貫してもんだいにするのは、「世界の全体性」ということです。 ギリシャ時代であれば、叙事詩という形式を通して、当時の人々が単にそれを聞いて楽しむだけではなく、歴史的な出来事、社会制度、風俗などを、ある英雄の行動を通して知ることができた。 つまり叙事詩を通して、世界の一員であることが可能だった、とします。 ところが近代に入って、哲学の方面では「自我」ということが大きなもんだいになってきます。中世のころまでは哲学の中心的な課題は「神」だったのですが、徐々に「個人の内面」ということが重要になってくる。 > 世界が神から見捨てられ とは、つまり近代に入って、ひとびとの関心が、「神」から「自我」、つまり、個人の内面に移っていったことを指します。 ルカーチの言葉を借りれば、人間にとって、「世界は全体性が失われ」た状態に移行していくのです。 それでも、ひとびとはまだ、全体性への試行を失っていない。そういうとき、叙事詩に代わるものとして、小説がその試行の場として選ばれる。 それが「小説は神に見捨てられた世界の叙事詩」という言葉であらわされているわけです。
- kokutetsu
- ベストアンサー率26% (233/880)
小説を読んだからと言って、神様に救われるということはないけど、それでも人はこの世のあらゆることを叙事詩のように描こうとしたり、また、それを読もうとする。それが人間だ、という意味でしょうか?
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