• 締切済み

ジョルジ ルカーチについて

「小説は神に見捨てられた世界の叙事詩」とありますが具体的にどのような意味なのでしょうか?

  • jony3
  • お礼率50% (1/2)

みんなの回答

回答No.2

わたしたちは文学というと小説のことを自動的に考えますが、小説が文学の主流になったのは19世紀以降のこと。18世紀までは文学というと、社会のなかで価値を認められた文字表現の総体、哲学、歴史、随筆、書簡、詩などを指していました。 いっぽうで散文で書かれた物語は古くからあったわけですが、18世紀あたりから広く読まれるようになってきます。 この小説というジャンルが勃興してきた時期は、フランスでもアメリカでも革命が起こり、中産階級が力を得た時代でもある。つまり、小説というジャンルは、近代という時代と密接な結びつきがあったわけです。 詳しくはルカーチの『小説の理論』をお読みいただくのが一番良いのですが、ルカーチはこうした大きな社会的文脈のなかで文学をとらえます。 叙事詩という形式が完成したのはギリシャ時代です。 当時のひとびとは、叙事詩は伝説上・歴史上の英雄を詩として描き、同時にそれを語りました(当時は書かれたものを読むというのは一般的ではなかった)。その英雄は、たんに個人であるばかりでなく、重大で危機的な局面にあった民族全体の性格や理想を同時にうたったものでもあった。 ルカーチが一貫してもんだいにするのは、「世界の全体性」ということです。 ギリシャ時代であれば、叙事詩という形式を通して、当時の人々が単にそれを聞いて楽しむだけではなく、歴史的な出来事、社会制度、風俗などを、ある英雄の行動を通して知ることができた。 つまり叙事詩を通して、世界の一員であることが可能だった、とします。 ところが近代に入って、哲学の方面では「自我」ということが大きなもんだいになってきます。中世のころまでは哲学の中心的な課題は「神」だったのですが、徐々に「個人の内面」ということが重要になってくる。 > 世界が神から見捨てられ とは、つまり近代に入って、ひとびとの関心が、「神」から「自我」、つまり、個人の内面に移っていったことを指します。 ルカーチの言葉を借りれば、人間にとって、「世界は全体性が失われ」た状態に移行していくのです。 それでも、ひとびとはまだ、全体性への試行を失っていない。そういうとき、叙事詩に代わるものとして、小説がその試行の場として選ばれる。 それが「小説は神に見捨てられた世界の叙事詩」という言葉であらわされているわけです。

  • kokutetsu
  • ベストアンサー率26% (233/880)
回答No.1

小説を読んだからと言って、神様に救われるということはないけど、それでも人はこの世のあらゆることを叙事詩のように描こうとしたり、また、それを読もうとする。それが人間だ、という意味でしょうか?

jony3
質問者

お礼

とても参考になりました。ありがとうございました。

関連するQ&A

  • アリストテレース

    ギリシャ文学における叙事詩とは? 叙事詩とはナニか? おねがいします!教えてください!!

  • 日本人は叙情的な民族ですが、なぜ優れた叙情詩はあるけれど、叙事詩がない

    日本人は叙情的な民族ですが、なぜ優れた叙情詩はあるけれど、叙事詩がないのですか? あと外国の代表的な叙事詩を教えてください。

  • 散文詩と小説の違いについて

    私は今、中学生なのですが、国語で授業で詩について勉強しています。 そこで、疑問を持ったのですが、外国人の作った詩はリフレインが続いていたりしてとっても長いですよね。詩と小説の境目はどこにあるのでしょうか。もしかして、外国では散文詩と小説の区別がなかったりするんですか? 特に、音楽で出てきたヴォルフガング・ゲーテのドイツ歌曲=リート「魔王」なんかになると、どこか詩なんだと叫びたくなってしまいます。ちゃんとストーリーがあるし、叙情詩ではなく叙事詩といったような趣きがあるのですが……「古池や」とか「雨にも負けず」が詩だというのが普通だった私にとって、理解しがたい点です。

  • 国語の質問です!!

    世界の始まりのとき ぼくはそこにいなかった まだ ミジンコやプランクトンさえ なっていなかった 大きなガスの塊りが ぐるぐると回っているうちに いつか地球という星ができ 火と水がぶつかり合って やがてひとつぶの命が生まれ それが ぼくの始まり 今から何十億年か そんな 遠い昔からの約束のように 今 ぼくが ぼくという形になって ここにいる ふしぎだ という文章なのですが、どれが当てはまるのかわかりません! 定型詩、自由詩、散文詩、文語詩、口語詩、叙情詩、叙景詩、叙事詩 もし、よければ、当てはまるもの全部と、意味〔理由〕を教えてください!!

  • QA107

    QA107 In the end there existed a kind of epic history of the world, as known to the Greeks, down to the death of Odysseus, when the heroic age ended. 試し訳 最後に、ギリシャ人にはよく知られているように、そこには一種の世界的な叙事詩の歴史があって、オデュッセウスの死をもって、(その時に)英雄時代は終わるのである。 質問 単語の整理です。 (1)down to the death of Odysseus;このdownは歴史的に‘下って‘の意味 でしょうか。とすれば、ここでいうepicはHeroic epicの意味になる。 そうでないとホメロス以後のepicの説明がつかない。 (2)epic historyとはthe heroic age endedと書いているので、 英雄時代の終わりは叙事詩の終わり、かつホメロスの時代の終わりでもある    とギリシャ人は思っていると考えて良いでしょうか。 (3)epic history of the worldについて   Worldの語が気になります。   世界的に(Heroic) Epicはここで終わったという意味でしょうか。   或いはこのworldは“世の叙事詩の歴史は”と訳すべきかも知れない。   この点はどうでしょうか。 (4)down toの主語はhistoryでよいでしょうか。    “,”があるので、記述順(著者の発想順)に訳して見ました。    主旨がそれてなければ良いと思いますが、自信がありません。  

  • 『バガヴァッド・ギーター』の英語訳はいつ誰が?

    [『バガヴァッド・ギーター』 (梵: भगवद्गीता, Bhagavad Gītā, [ˈbʱəɡəʋəd̪ ɡiːˈt̪aː], バガヴァド・ギーター、神の詩) はインドの宗教書の一つで、ヒンドゥー教の重要な聖典の一つである。叙事詩『マハーバーラタ』の一部であり、サンスクリットで書かれた詩編である。]とWikipediaにでていますが、それではその英語訳はいつ誰がしたのが、オーソライズされているのですか? 具体的には原子爆弾の開発者であるRobert Oppenheimer が原爆実験成功の時のことを、『バガヴァッド・ギーター』の一節を流用し"I am bocome Death, the shatters of the world." (「我は死神なり、世界の破壊者なり」)と後に回想したそうですが、I am become Death は文法的に理解し難いのですが、元々そういう文章であればそのまま理解しなければと考えています。どなたかお教えください。

  • レモン哀歌について教えてください!お願いします!

    高村光太郎さんのレモン哀歌についてわからないことがあるんですけれど教えてください。 口語詩なのか文語詩なのか。 自由詩なのか定型詩なのか。 抒情詩なのか叙事詩なのか劇詩なのか。 他にも何かあったら教えてください。お願いします・・・。

  • ブラフマンは善なのか?

    ~~~~~~~~~~~~~~ 「正しい御指摘です」と彼は言った、「しかしそれでは、ほかならぬそのこと、神々の物語についての規範とは、どのようなものなのでしょうか?」 「おそらくそれは、次のようなものであるはずだ」とぼくは言った、「神がほんとうにそうであるような性格を、つねに必ず与えなければならないこと――神を詩の中で描くのが、叙事詩にいてであろうと、抒情詩においてで あろうと、悲劇においてであろうと、いずれの場合にもね」 「そうしなければなりません」 「そうすると、いやしくも神であるからには、真に善き者であるはずであり、そしてそのとおりに語らなければならないわけだね?」 「たしかに」 プラトン 国家 第2巻 18章 379A~379B ワイド版岩波文庫 国家(上) プラトン 著 藤沢令夫 訳 159~160ページ ~~~~~~~~~~~~~~~ プラトンは神を善にしているようです。 プラトンがキリスト教に影響を与えているなら 旧約聖書の神が無理があってもキリスト教において 善になってしまうのですが、 それはともかく、インド神話 マーヤーが気になるので、ブラフマンについて、 ブラフマンは善なのでしょうか? マーヤーによって人を欺くかもしれない?

  • 洋書の価値について聞きたいです。

    私は小説が大好きです。特に遠藤周作や太宰治、谷崎潤一郎を好んで読んでいます。 さっそく本題なのですが、洋書、所謂外国小説や詩を日本人が読む価値について聞きたいです。 カフカやドストエフスキー、ランボー、ボードレールなどは読んでみたのですが、どうしてもその世界に入り込めません。 特に詩となると、読んでてなんだかとても可笑しくなってしまって、あまりに見当違いな翻訳をしているような気がしてしまい集中できません。 つまり、手紙などならまだしも、小説や詩を外国語に翻訳して、それを作品にするというのはどだい無理があるんじゃないでしょうか?作者の表現を伝えきれるのでしょうか? そういう意味で洋書の価値をお聞きしたいのですが、皆さんはどうお考えでしょうか?

  • ギルガメッシュ叙事詩はどこに?

     ギルガメッシュ叙事詩が載っている和書(出版社、 タイトル)をお教え下さい。