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危険な浄土真宗

yukinok213の回答

回答No.19

 浄土真宗を信仰している者です。私は専門的な知識は全く持ち合わせなく、父方(浄土真宗)で乳児の頃にご縁をあわせて頂き、それ以来、家庭内でも、自らの生活でも当たり前の如く、その教えを生活の一部とし、そして大体、月に一回の割合で、知識のある方(=菩提寺などのお寺のお坊さんではなく、先達の専門的な教義により、一般信者よりももっと深い知識があり、法力を得る修行をなされた方)と一般信者で、大勢集まり教えを再確認したりなどをする集まりに参加したりする程度です。  私が、浄土真宗のご本尊・阿弥陀様の教えを教えていだたいたのを簡単に申しますと・・。  阿弥陀様へのご縁に逢う瞬間までは、私たちは前世でも今生でもどんなに小さな生き物を生きていくため、鬱憤晴らしのため・・等などの理由で、多くの生き物を殺しています。その罪が、”業”として蓄積しています。  時と場所などの環境が整った状態の瞬間に、阿弥陀様とのご縁が逢うことができます。(ご縁がなければ、その瞬間になるまで機会を待たなければなりません。人によっては、臨終の間際になってやっとご縁に逢われる方も実際におられるそうです。それだけでも来世につながるから、阿弥陀様とのご縁が切れたわけではないそうです。)  その瞬間に、今までの”業”を阿弥陀様が半分持って行ってくださり、阿弥陀様の種がご縁に逢われた方の心に宿るそうです。阿弥陀様は、ご縁に逢われた方がどんなに逃れようとしても、その人を救うためには決して握ったこの手を離さない。とも言われています。  なので、極悪非道の悪人でもそうでない人全ての人に、これからの行により、雑事や煩悩が多いある日常生活に、救われるようにヒントをいつも落としていくので、心の種を育てていきなさい。(このことを阿弥陀様のお力で救うこと=他力本願と言うことを簡単に教わりました。)と、日常生活と最初に申した知識の深い方の説法を聞いて、信者の方を交えて、みんなで教えについて、分からないことを話し合い、再確認することなどが、修行の場であり、一番大切なことだそうです。  これらの(特に極悪非道の悪人が救われる云々の部分。)一番分かりやすい例・・・というか、理屈で言っても余計混乱してしまわれるかと思いますので・・、そのようなことを扱った古典文学があります。それは・・・。『蜘蛛の糸(芥川龍之介)』です。一応その作品について載っているURLを淹れて置きますので、ご参照ください。  長文を失礼致しました。ただ浄土真宗というのを、誤解なさらないように、私の経験などからなるだけ正しく説明させて頂きました。ただどの宗派でもあることですが、私のようなことを教えとして教えないなどのところもございますので、私のがすべて正しいとは申すことはできません。本当の浄土真宗はこういうものだと、簡単にお心の片隅にとどめる程度でお分かりいただければ、幸いです。  

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%98%E8%9B%9B%E3%81%AE%E7%B3%B8
pas26
質問者

お礼

参考URLと詳しいご回答どうもありがとうございました!

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    毎回、お答えしていただいてありがとうございます。 今回も、お答えいただけると嬉しいです。 今回は、正直自分でも気分はいいものではないですが・・、 お答えいただけると嬉しいです。 悪いことをしたら、地獄へ、いいことをしたら天国へ行くという認識が 世の中にはありますが、実際は良い事しようと悪いことをしようと、 行く場所は天国、極楽浄土とでもいいますが、実際そこに行けるわけではなく みんな地獄へ行くんですね。  仏教では~なんて言葉も調べたら出てきました。 生まれながらに、私たちは色んな罪を犯しています。 だから、良いことをたくさんしても、まるで意味がないように感じます。 とても気分は悪いです。抱えて生きていかなきゃいけない訳ですから・・。 辛いです。救いようがないです。 とても不安しかありません。どう生きていけばいいんですか。