解決済みの質問
ANo.#9です。
思うところがありましたのでもう一度別の観点から書かせていただきます。
現在日本の仏教は大乗仏教的思想と上座部仏教的思想が混在しています。
大乗仏教的思想とは、釈尊の教えを利用して衆生を救済することを目的にしたもので、宗教といってしまってもいいと思います。
悟りを開く云々よりは仏教を通じて苦しんでいる一般大衆を精神的に導いたり救済したりすることが重要なわけです。こういった側面はまさしく宗教ですね。
もちろん僧侶個人レベルでは悟りを開くことも大切ですけど。
日本の仏教の場合、一般人の仏教徒のほとんどは経典の内容を勉強したりせずお経をなにかの呪文かお祈りくらいにしか考えておらず、なんか唱えたり坊さんに拝んでもらえば救われるだろう、といったある意味神頼み、仏頼みに近いスタンスであると思います。
これは日本の仏教が一般大衆に対しては大乗仏教としての側面が強いからだと思います。
一方、上座部仏教系では修行者個人の悟りを開くことを上位の目的としています。
こちらでは自分を悟りの高みへ導くために、さまざまな方法で修行をおこないます。修行のなかには肉体や精神を鍛える修行もあれば経典に書かれている内容を検証したり禅問答をおこなったりするような思想や考え方を鍛える(洗練させる)ものもあります。
禅問答を含めた上座部仏教的な考え方や思考法の鍛錬は哲学に近いものがあると思います。
人はなぜ苦しむのか、とか個人の欲望はどこからくるのか、と言ったことを神頼みにせず、徹底的に考え抜くわけですから。
ただ最終的な目的は悟りを開く(論理的な真理を得るのではなく、感性レベルで煩悩から開放される)ことである以上純粋な哲学とも言えないとは思いますが。
どんな仏教宗派も大乗仏教的な要素と上座部仏教的な要素が混じっているのでどの宗派はこっち、とは明言できませんし、同じ宗派によって僧侶個人でもまた、違ってくると思います。
日本の場合、修行僧にとっては仏教は哲学的側面を持つ思想大系であり、一般人の仏教徒にとっては宗教であると分類できるかもしれません。
ようするにあなたが仏教を哲学として利用すれば哲学になりますし、宗教として利用すれば宗教として使えます。
以上、とある仏教系学校出身のくせに神仏への信仰心皆無な人間の頭でっかちな回答ではありますが何かの参考になれば幸いです。
投稿日時 - 2006-12-30 13:01:55
お礼
>あなたが仏教を哲学として利用すれば哲学になりますし、宗教として利用すれば宗教として使えます。
なるほど、そういう見方もあるわけですね。
とても参考になりました。
詳しい説明によるご回答ありがとうございました!
投稿日時 - 2007-01-03 07:22:02
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ベストアンサー以外の回答(12件中 1~5件目)
こんにちは、疑問はつきませんね。
さてご質問の件ですが、私もこういった件に関しては素人なので、満足のいく回答になるとは思いませんが。
哲学=いかに生きるべきか
宗教=死後幸福になるためには
と、個人的には考えています。仏教も元々は、いかに生きるべきかを扱う学問だったと聞いています。それが有るときから、死後の世界をその範疇に取り入れたところから、「宗教」になったと聞きます。
死後の幸福を求めるためには、現世をきちんと生きる事が大切、ということで、「いかに生きるべきか」とつながってるくる所はありますが。
儒教を取り上げていらっしゃる方もいますが、儒教は「怪神乱力を語らず」という論語の中の一文が有るため、宗教にはなっていないと思います。中国で宗教的なものを担うのは、「道教」あたりが、死後の世界のことを担当しています。
素人の愚にもつかない意見でした。
投稿日時 - 2006-12-30 13:17:34
お礼
>仏教も元々は、いかに生きるべきかを扱う学問だったと聞いています。それが有るときから、死後の世界をその範疇に取り入れたところから、「宗教」になったと聞きます。
そうだったんですか、初めて知りました。
ご回答どうもありがとうございました!
投稿日時 - 2007-01-03 07:09:05
ちょっと違った視点から。
哲学は、「真実」について個人的に論証する行為。
その思想を、組織的に他者に広める行為は伴わない。(書物による発表や大学の講義程度か)
宗教は、「真実」について組織的に追求する行為。
その思想を、組織的に他者に広める行為が伴う。(お寺、教会、神社などでの説教や、布教活動)
そう考えると、仏教は宗教ですね。
キリスト・イスラム教と仏教の一番大きな違いは、前者は「神による救い」を求めるのに対し、後者は「悟りによる自らの解放」である事でしょうか。
そういった意味では、キリスト・イスラム教よりは哲学的ではあるかもしれません。
ただ、現実は仏陀をはじめ様々な仏を神格化しているし、「神仏」というように土着の神々や伝説上の人物などと融合してるしで、より宗教色が強いでしょうね。
まぁ、キリスト教も「聖人」と称して、神格化してますけどね。
投稿日時 - 2006-12-30 02:27:44
お礼
やはり、仏教は宗教に近いのですかね。
ご回答どうもありがとうございました!
投稿日時 - 2007-01-03 05:47:53
>諸行無常という言葉はエントロピーの増大の概念に近いもの
エントロピーの増大というのは熱いものと冷たいものを一所においとけば熱いものは冷たくなり冷たいものは熱くなり同じ温度になる。この時二つの物体の持つ熱エネルギーの和は最初の状態<=後の状態、となる単純な法則です。
宇宙にある存在はそれぞれ独自の物理的、あるいは化学的なエネルギーを持っています。たまたま現在の状態がエネルギー的に比較的安定しているから今の状態にあるわけですね。でもそのエネルギーは常に安定化しようとして物体としてのありようはどんどん変化していきます。この場合の安定化は物理的な意味での安定化なので日常用法での安定とは違う意味ですが。
そして安定化した存在も、別の存在にエネルギーを与えられた結果また不安定な状態に変化していきます。
まあ、ようはどんな存在もエネルギーを持って存在している以上物理的、あるいは化学的な性質の変化をせずにはいられない、ということです。
それが諸行無常と似ているかな、ということです。
投稿日時 - 2006-12-26 11:01:30
お礼
>どんな存在もエネルギーを持って存在している以上物理的、あるいは化学的な性質の変化をせずにはいられない
確かにそうですね。
エントロピーの増大の概念と諸行無常は似ている気がしてきました。
詳しい説明による補足回答どうもありがとうございました!
投稿日時 - 2006-12-28 14:57:23
仏教そのものを哲学というカテゴリーにいれるべきかはわかりませんが宗派によってはかなり古代インド哲学の影響を受けているのは確かだと思います。
例えば般若心経の「色即是空、空即是色」という言葉は「色形あるものは実体がなく、実体がないものは実体がないからこそ色形をもって出現するのだ」といった意味ですが、ようするに目の前にあるように見えるものは脳が五感を通じて受けた刺激をもとに生化学的に構成したヴァーチャルリアリティに過ぎない、みたいな意味なんですよね。これって現在の認知学(脳がどのように物事を認識しているかを考える科学)なんかの考え方ととてもよく似ているし、ほかにも、苦しいときは素直に苦しがれば気楽なものだ、という考え方とか、「認識していないものは存在していないも同じ」とかは認知学と生活における智恵に近いですね。諸行無常という言葉はエントロピーの増大の概念に近いものがあります。
このように仏教の教えには古代インド人が世界の真理を会得するために考え出した様々な思考実験的な教えが入り混じっているんですよね。
仏教=哲学は間違いかもしれませんが仏教の経典の中に古代インドの哲学的思想が散りばめられていることは確かだと思います。
ちなみに釈尊自体は仏教という宗教的組織を作ることには反対していたそうですね。形骸化した教えは真理をゆがます、と考えていたらしいです。だから現在に残る仏教は弟子たちが釈尊の死後勝手に作ったものなのでどこまで釈尊の教えを伝えているかは疑問が残りますね。
投稿日時 - 2006-12-25 19:23:26
補足
>諸行無常という言葉はエントロピーの増大の概念に近いもの
よく意味が分からないので、補足して頂けないでしょうか?
どうかよろしくお願い致します!
投稿日時 - 2006-12-25 22:27:57
お礼
>どこまで釈尊の教えを伝えているかは疑問
私も、それは以前から疑問に思っていました。
とても詳しい説明によるご回答どうもありがとうございました!
投稿日時 - 2006-12-25 22:43:34
仏教は哲学であるというのは、ある一面正しいと思います。
その一面とは、自分を律するためのモノ(道徳・戒律)をどこに求めるかということです。
しばらく現代的な感覚とは別の次元の話になります。
紀元前の世界では、まだ一神教が確立しておらず、ユダヤ人はともかく、その他の民族では、多神教的な考え方のほうが多数派を占めていました。
多神教はそのままでは、道徳律としては力不足です。現代日本の道徳が、キリスト教国のように目に見えて筋が通っていないのもそのせいです。
この時代にギリシャで哲学が生まれます。これはギリシャ神話の神々を援用するだけでは、社会の規範・道徳を制御しきれなくなり、人間自身が他に規律を求めたからです。
中国にも似たような状況があります。中国には儒教のほかにオリジナルな宗教はありません。
しかし、儒教の中身を見れば分かるように、あれはどちらかというと宗教ではなく、人間の本質を言葉で表そう努力している哲学だと言えます。
さて、仏教ですが、その基本となるのは釈迦の教えです。これを最初に持ってくると、仏教は哲学であるといっていいと思います。
その点で、唯一神を信仰している人々の考え方は明白です。「神の言葉」だけが宗教なのですから。
しかし、わたしたち日本人は、未だに多神教の神々の世界で暮らしています。キリスト教を宗教と認め、神社でお参りし、仏教で他界します。この点で、宗教という定義と哲学という定義が、「自分を律する道徳律・戒律」の中で交差しあい、融合してしまうのです。
よく、日本人には哲学が無いといわれます。同時に日本人には宗教もないと言われます。
しかし、自分を律する道徳を持たない社会がうまく機能するわけがありません。
ですから、日本人的な視点に立つ限り、仏教は限りなく宗教よりに見えます。
しかし、神の言葉でなく、釈迦という人間が語った言葉であるという点を抽出すれば、これは明らかに哲学です。(アリストテレスなどと同じです)
その後、現代社会に至るまで、仏教はいろいろなものを取り入れて、宗教的な色彩を強めながら、生き残ってきましたので、現代の仏教的なもの(東大寺から公明党、チベタン仏教まで全部)をすべて取り入れれば、宗教システムとしかいいようがないのだと思います。
投稿日時 - 2006-12-22 16:05:06
お礼
とても詳しい説明によるご回答どうもありがとうございました!
投稿日時 - 2006-12-24 20:53:52