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他の宗教と比べて仏教は哲学的な面が強いと言われていますがその理由を教え

他の宗教と比べて仏教は哲学的な面が強いと言われていますがその理由を教えてください。 また仏教と哲学の違いを説明するときどういった点があるか教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • pojipoji
  • ベストアンサー率32% (53/161)
回答No.4

仏教においては、世界の創造主である梵天も相対的な地位にあり、縁起つまり原因と条件によって結果があるという範囲内の存在でしかなく、常住不変なものは存在しないつまり諸行無常であると説明されます。 絶対者の存在なり、その意思なりを否定して、正しくは彼または彼女を取り巻く環境やその時期など諸条件も含まれますが、個人の思考や行為のみによって現在及び未来は変化することが前提となります。このため思考や行為こそが重要であり、その思考や行為の結果を本人が受け取ることになります。 お釈迦様によって子宝を授かろうと自宅に呼んで接待した人の話がありましたが、お釈迦様はこの夫婦には子どもは生まれないだろうということを知って白い布を取り外させたというものでした。夫はその白い布を踏んでもらえば子が授かり、踏まなければ授からないだろうという一種の占いのようなことを行っていて、お釈迦様がそれを察知してはずさせたという話です。 ここで重要だと考えるのは、お釈迦様に子宝を授けるという能力、つまりは恩恵や罰を与えるような特別な能力を否定し、個人の結果は原因と条件によることを描いていることです。 哲学では絶対者との折り合いをつける必要がありました。絶対者は存在しないという考え方も含め、彼または彼女は絶対者との距離を決めた上で自分の考えを発展させることになります。正義とか善、死も含めて大変重要になります。 哲学で難解な論理を展開しても、それが個人の行き方にまで影響するかどうか。世界をこう見たからこのように生活するという事例にはあまり出くわしたことがない気がします。 仏教では、生活が変わらなければ意味がないわけで、たとえば仏教でいう無や空も理解できないならそれらを理屈でいろいろと想像することに意義を感じません。それよりも分かる範囲で生活の質の向上を図るほうが遥かに優れていると主張しているものと感じます。お釈迦様のお話は対機説法といわれ、聞く人の受け取る能力、時期、場合などに応じたものであったといわれています。 思考や行為をすべて言語に置き換えれるものではなく、哲学は、すがすがしさやさわやかさなど感覚に関するものもなど、生活の大きな部分を占める理性以外の部分をあまり重視していません。しかし、人間は理性以外の条件によって、同じ現実をいかようにも受けとめています。人間の生き方には、理性だけではなく、感情、反射神経などすべてが関係し影響しているものと思われます。 理性だけでは、人間を研究つくしたとはいえません。

endo12
質問者

お礼

ありがとうございます。 子宝の例がすごくわかりやすかったです。

その他の回答 (5)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.6

他の宗教と比べて仏教は哲学的な面が強いと言われていますがその理由を教えてください。 ○ どちらも真理、智恵の獲得という点では同じものです。つまり個人・個人の認識力を広げることなのですね。 また仏教と哲学の違いを説明するときどういった点があるか教えてください。 ○ 智恵の獲得により認識力を高めるためには、自身の学んだ知識をより高い認識の知識にしていかないといけないのですが、多くの場合、人は自身の知識に固まってしまうのですね。 これを打開するのが「信仰」なのですね。つまり、固まった知識の一点に「我は仏陀の教えを信じる。」と穴を開け、より高い知識、認識力を得ていくのですね。 これを「信解脱」といいますがその先に「慧解脱」があるわけです。高い認識力を得ることは、この繰り返しなのですね。 「我は仏陀の教えを信じる。」が必ずはじめにある「哲学」ですから、仏教哲学なのですね。 これは、他の哲学も同じですね。我はヘーゲルを信じるであれば、ヘーゲル哲学(ヘーゲル教)ですね。でもヘーゲルはそのようにはしなかったですけどね。 高度な哲学は読んで完全にわかるものではないのですね。信じてその考えを尊宅し、実践して始めて理解できることもあるという意味です。 仏陀の教えは、宗教としても哲学としても世界の最高位なので特別なのですね。つまり、哲学のみではなく宗教の位置を独占するほど高度な哲学ということです。 ちなみに仏教以外の宗教はほとんど、「信解脱」どまりで、その先の智慧、知識である「慧解脱」の部分がないのですね。これは、哲学を理解出来ない人のほうが遥かに多いという現実に合わせていることなのですね。まず、哲学に入る前に信じることの訓練をしなさいということですね。哲学をほとんど含まない宗教もたくさんあるということです。哲学にも大衆レベルのものもありますから、同じですね。

回答No.5

最古の文献として考えられている「スッタニパータ」(岩波文庫から「ブッダの言葉」として、中村 元 氏によって訳と解説が為されています)をネットで見ることができますが、 例えば、 >>> http://sugano-hp.web.infoseek.co.jp/butu/buuta0.htm 「八つの詩句の章」 での12(878-894) >>> http://sugano-hp.web.infoseek.co.jp/butu/buuta.htm#4-12 12、並ぶ応答─小篇 878 (世の学者たちは)めいめいの見解に固執して、互いに異なった執見をいだいて争い、(みずから真理への)熟達者であると称して、さまざまに論ずる。──「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不完全な人である」と。 879 かれらはこのように異なった執見をいだいて論争し、「論敵は愚者であって、真理に達した人でない」と言う。これらの人々はみな「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、これらのうちで、どの説が真理なのであろうか? (中略) 884 真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい異なった真理をほめたたえあっている。それ故にもろもろの<道の人>は同一の事を語らないのである。 885 みずから真理に達した人であると自称して語る論者たちは、何故に種々異なった真理を説くのであろうか? かれは多くの種々異なった真理を(他人から)聞いたのであるか? あるいはまたかれらは自分の思索に従っているのであろうか? (中略) 894 一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。 等を見ると、哲学的な側面が強いと感じざるを得ないと思います。

  • k_kota
  • ベストアンサー率19% (434/2186)
回答No.3

素人の発言ですので適当に読み流して下さい。 キリスト教やイスラム教は、守るべきルールが比較的明確になっている印象があります。 天国とか、そういう所に行く方法があって、それをやることで救われる。 仏教は経典はありますけど、ルールというものでは無い気がします。 悟りを開くというのがありますが、あれは具体的に何かを知ると言うことではなく、精神の有り用のような気がします。 要するに禅や経と言った道具はあるけど答えは与えられてないのです。 まあ、乏しい知識での主観的意見ですが。 哲学は考える行為自体が目的ですが、仏教では手段であって目的ではないと言うのが違いの一つのような気がします。

回答No.2

宗教の中で、我の強い遊牧地域に広がったものは、その我の強さをして社会性の枠に留めるために、一神教のカリスマによって、厳しい戒律や定期的な礼拝を強いる(イスラム教、キリスト教、ユダヤ教)。 一方、農耕(とくに集約農業の稲作)地域は、もともと集団主義的な文化(固定した地域に濃密な人口、年周期の生産)であるために、儀式宗教的な色合いが濃く(葬式や結婚式など必要な時だけ持ち出す)、多神教的な仏教(ブッダは神でもなければ神の子でもない)が広まっています(あるいはモラル的な儒教など)。 仏教の中でも、遊牧地域に広まったチベット仏教だけは、五体投地による礼拝やカイラスへの巡礼など、厳しいカセを課すものに変化していることからも、この事実がうかがわれます。

endo12
質問者

お礼

ありがとうございます。 遊牧地域や農耕地域などの地域性も関係してくるのですね。

  • 207eden
  • ベストアンサー率26% (24/92)
回答No.1

以下、完結に記します。 全てにおいて私の理屈は通じると思いませんが、概論のみ参考になれば幸いです。 分かりやすくするためにキリスト教、イスラム教を引き合いにしております。 キリスト教、イスラム教は絶対神もしくは教義の最高位の存在がああり、それらの教えを乞うこと、または従属すること安息を得る仕組みです。 一般的な仏教の解釈は自分が仏教に教えにしたがい仏となることが可能、というものです。 ここでキリスト教、イスラム教と、仏教の最大の相違は、 自身=仏(含む仏陀)が仏教的な考えです。 対して、キリスト教、イスラム教は絶対神、もしくは絶対的正義に従属する考えの宗教といえます。 さて、仏教ですが、地蔵菩薩、菩薩様など菩薩という言葉がありますね。 この菩薩とは我々同様に人間で仏教の勉強に励んでいる修行者という段階を示しています。 よくよく修行を行った方は、苦労の甲斐があって仏になれるという仕組みですが、この過程が仏教の仏教たる所以ではないかと察します。 平易な言い方で要約すると、絶対的な存在にひれ伏すことではなく、自己の現在を考え、探求し、苦心して、あるべき姿を模索するという修行の過程が仏道を探求するということです。 こういった探求の心理過程を哲学的と言うのではないでしょうか?

endo12
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはり絶対的な存在があるかないかなんですね。

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