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何時代の人とまで会話が通じる?

eroero1919の回答

  • eroero1919
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回答No.8

私もkamehameha1941さんが幕末生まれの人の言葉を理解したのではなく、幕末生まれの方がkamehameha1941さんが理解できるような言い方をしたに一票です。 厳密に言えば、いつの時代までさかのぼれるかは「わからない」というしかありません。エジソン以前は、我々は音を記録する手段を持たなかったのですから。明治初期の人たちがどんな言葉で会話をしていたかももう分からないのです。 ただ、幕末のときには歌舞伎の台詞がもう当時の人々には理解できなかったそうです。つまり、その頃にはもうあの独特の台詞回しは様式美になっていたってことですね。しかし、そもそもは歌舞伎も「現代劇」として始まったわけです。当時は、別に気取った台詞回しじゃなかったってことですよね。 kamehameha1941さんがある程度の年代の方ならご存知でしょうが、今「新派」なんてもう古典の領域ですよね。でもそもそもは「慣習に囚われない新しい劇を作ろう」として立ち上げられたのが新派です。 言葉というのは現在進行形で変わっていきます。80歳以上の高齢な方と話すと「あぁ、美しい日本語だなあ」と思うことがあります。けれども、もうそんな美しい話し言葉を使う人は60歳でもいません。今の人に「お前は本当に五ン合徳利だね」といっても意味は通じないでしょう。逆に若い人が「こないだ女紹介してもらったんだけどさあ、それがホント理想どおりのツンデレたんでヤベエと思ったんたんだけどQBKでダメダメだったよ」といわれてもちんぷんかんぷんです。 もう「ら」抜き言葉は文句をつける人もいなくなってしまいましたよね。 日本ではほとんど知られていないフランス映画で、ジャン・レノが主演をしているんですが、中世の騎士が現代にタイムスリップする話があります。そこで中世の騎士様は現代フランス人がみんな「オーケー」というのに面食らいます。そうです、オーケーは英語なのです。それで、そのうち中世の騎士様はそれを面白がって「オッ、ケッ」といいます。ラストシーンは中世に舞い戻った騎士が「オッ、ケッ」というところで終ります。 おそらく私たちが江戸時代や明治時代にタイムスリップしても同じことが起きるでしょう。言語としては基本同じでも、単語の意味や言い回しが全く違うので実は意味は通じないと思われます。 「あそこのラーメン、ちょうヤバイよ」と今の若い人がいったらそれは「あそこのラーメン、とてもおいしいよ」という意味だそうです。でも私には「あそこのラーメン、すごくまずいよ」としか聞こえません。 例えば江戸時代の人と恋愛談義はできません。恋愛という言葉が明治になって「love」の訳語として作られた言葉だからです。「恋愛の話をしましょうよ」といっても「恋愛」という言葉が通じないのです。 だから21世紀日本人がどこまで通じるかというと、戦争のあたりがひとつのターニングポイントになるでしょう。戦後、外来語が入ってきましたから。戦前生まれの人は「戦後日本語」というのが話せる人だと考えるほうが自然だと思います。もうひとつは大正時代で区切りがあるかもしれません。そして、明治維新前後で日本語は全く違うでしょう。現代の日本語は大げさにいうと森鴎外や夏目漱石らによって作られた新しい言葉といってもいいかもしれません。幕末以前は、たぶん半分以下しか通じないような気がします。古典落語も、ほとんど明治から大正の頃に今の形で完成されたそうですから。

noname#24488
質問者

お礼

>私もkamehameha1941さんが幕末生まれの人の言葉を理解したのではなく、幕末生まれの方がkamehameha1941さんが理解できるような言い方をしたに一票です。・・・  私もこのご意見には同意します。ただ、80年くらい前の年代の人と何の支障もなく、会話できたということが重要だと思います。  ここから、あの幕末爺さんも自分より100年以上前の江戸中期の人とは結構無理なくしゃべれるんではないかと想像したりしています。  江戸時代になると鎖国であり、文明開化以降のような新用語の出現も少なく、人の移動もあまりないでしょうから、言葉の変化によるロス率も少なく、結構江戸初期くらいまではなんとか通じるんじゃないかと、推測してみました。  私も戦前生まれですが、仰せの通り完全な戦後派です。しかし、父母は明治生まれですし、戦前の日本人がしゃべっていた言葉は、初期のトーキー映画(昭和の初め頃)を見ればわかりますが、今の若い人が見てもほとんど100%理解できるんじゃないでしょうか。  仰せの通り、森鴎外にしても夏目漱石にしても口語の小説を書き始めました。小説の書き方としては画期的なことだと思いますが、当時の教養人のしゃべり言葉を基準に書いたものだと理解しています。  まあ、こっちのいうことを100%昔の人に理解させようと思ったら、仰せの通り少し世代が変わるともう無理ですね。  しかし、こちらができるだけ難しい言葉を使わないようにすれば、そこそこ昔まで通じるような気がしたもんですから、質問させてもらいました。  丁寧な長文のご回答ありがとうございました。  

noname#24488
質問者

補足

 お礼の項に書き洩らしましたので、歌舞伎の件について一言。  歌舞伎 現代劇→様式化→独特の台詞回し については100%賛成します。  ただ、幕末の人が理解できなかったのは、実際の話し方と違った台詞回しになているため、面くらい、理解しにくかったのではないかと想像しています。  バスガイドや葬儀屋の司会を見てもわかりますように、同じ台詞を毎回しゃべっていますと、独特のリズムと抑揚が付いてまいります。歌舞伎の場合はそれに動作が付いているため、動きに合わせた台詞回しになってきますので、普通のしゃべり言葉とはますます乖離し、初めて聞くと「わからん」ということになったんじゃないかと思いますが。  そういうことで、私は回答者さんとは逆に、普通にしゃべれば「通じる」という方向に解釈してしまいました。  なお、これは反論とかそういうものではありません。  解釈の仕方でいろいろ違った結果が出ます、私のは我田引水かもしれません。  丁寧で立派なご回答には感謝します。

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