- ベストアンサー
真理
fuckin-lovegunの回答
- fuckin-lovegun
- ベストアンサー率30% (47/153)
こんにちは。 真理を知るものはいるのでしょうか? また真理を見たものはいるのでしょうか? 真理を知らないから探求があって, 吟味し,苦心する。 見たことのないもの。 存在するかどうか不確定なもの。 しかし,森羅万象万物には真理があると思う。 それは本質と言い換えてもいいでしょう。 つまりその物事において, 小さなものから大きなものまでの取捨選択があり, それを何億と積み重ねて行く中での, 最善といいますか, その理にかなった道を選んで 行くこと。 そこに真理=本質というようなものが存在するはずです。 だだし,それは結末にだけ存在しえるものでもなくて, その過程に現れるものかもしれない。 数あるパターンの中の道や考えを選ぶこと, それはその人においての輝かしい人間的本質を垣間見ることができるのではないか? 私の言うことは矛盾である。 矛盾であるが,その矛盾は架空の矛盾ではない。 厳然たる,聡明な矛盾。相互的成長のある同時性。 真理について知っているものは真理について語らないだろう。 真理について知らなければ,望めば良いだろう。 ただし「もし知っているなら、知る必要もない」ということは起こりえないはずで, 知っているものは知っているからこそ知る必要に迫られるはずなのではないでしょうか?知るが故のモノ。 本当に面白い質問ですね。参考になれば幸いです。
関連するQ&A
- 「真理はわれらを自由にする」では社会は真理か?
真理とは ありのまま誤りなく認識されたことのあり方 と Wikipedia にはあった。しかし我々の目には ありのまま に認識する能力は はたして有るのだろうか。この世界には 可視光以外にも 色々な光が明滅を繰り返しているのだ。 この視覚に於いて既に 我々が ありのままを認識できない事 を物語っているではないか。ああ 何という能力の至らなさ。 では我々の社会は 偽の上に造られた事になる。 そこで問いたいのです。偽の上に造られた社会に於いて 偽の上に造られた真理が 何を以て我々を自由にする事が できるのか? さっぱりです (。・ω・)
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- ヨーロッパ人の真理論は成っていない
ヨーロッパ人の真理論は成っていない。という見解を示して問います。 ▲ (ヰキぺ:真理) ~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%90%86 § 1 西洋哲学における真理論 真理とは何か、についての研究を真理論という。以下に代表的な説を挙げる。 (1) 真理の対応説(correspondent theory of truth):「思惟」と「事物」(羅:res、レス)が一致ないし対応していることが真理であるとする。 アリストテレス、トマス・アクィナス、イマヌエル・カント、カール・マルクス、バートランド・ラッセル、前期ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、アルフレッド・タルスキ、カール・ポパー (2) 真理の整合説:他の命題と整合的な認識が真理であるとする。公理的で演繹的な真理観。 中期プラトン、ライプニッツ、スピノザ、ヘーゲル (3) 真理の明証説:意識に対して明証的に現れるものを真理とみる。 ルネ・デカルト、エトムント・フッサール (4) 真理の実用説(有用説):生にとって有効・実用的な認識を真理であるとする。 フリードリヒ・ニーチェ、ウィリアム・ジェイムズ (5) 真理の合意説:合意された認識を真理であるとする。 チャールズ・サンダース・パース、ユルゲン・ハーバーマス (6) 真理の定義不可能説:命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は定義不可能であるという立場。 フレーゲ (7) 真理の余剰説(redundancy theory of truth):命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は無用な余剰であるとする。 フランク・ラムゼイ (8) 規約主義:真理はその言語体系における規約に依存するという立場。 アンリ・ポアンカレ、デュエム、オットー・ノイラート ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (あ) ▲ (2) 真理の整合説:他の命題と整合的な認識が真理であるとする。公理的で演繹的な真理観。 ☆ にちなんで言うとすれば 大前提を《公理》ではなく 《想定》とするとよいのだ。経験合理性を超えた絶対的な整合性の世界――それは 人間には分かるか分からないかが分からない――を 真理として想定しますよと。 (い) 《イデア》では ダメである。いや 真理と想定したものを《イデア》と名づけただけなら よいのである。つまり イデアなる絶対真理の世界からこの仮象の経験世界のものごとを《演繹》して来ては ダメである。絶対と相対とが――人間の思考において/によって――つながったことに成ってしまう。 (う) 経験合理性による《整合性》だけでは ダメなのである。なぜなら想定によれば 真理は そのような・人間に理解しうる整合性から自由であるのだから。善悪の彼岸であり 或る意味で人間の判定する真偽をも超えている。 (え) ▲ (2) 真理の整合説:他の命題と整合的な認識が真理であるとする。 ☆ だから これはマチガイである。《いくつかの命題》を 経験世界において並列させても それらから真理は自由であるのだから。 (お) 言いかえると 経験事象にかんしてさまざまな認識をおこない命題として提出する。その命題の真偽がどうかという問題は 相対的な真実を問うている。絶対としての真理ではない。 (か) まづ 《事実》について人は認識する。これを自己表現する。その命題について まづその当人については 《明証性》があるなら 主観真実であると見なされる。――これが ▲ (3) 真理の明証説: 意識に対して明証的に現れるものを真理とみる。 ☆ であり これは 厳密な定義としては 真理ではなく 相対的な真実のことである。 (き) すなわち ここから《明証性に立つ主観真実》が その認識内容として《事実》と合っているなら それは一般に《事実認識》として認め合われる。(ただし 真理ではなく 真実である): ▲ (1) 真理の対応説(correspondent theory of truth):「思惟」と「事物」(羅:res、レス)が一致ないし対応していることが真理であるとする。 (く) そのことをもう少し具体的に細かく見てみよう。この一人のひとの主観真実が 当の事実と照らし合わせてほかの人たちによって検証される。やはり同じく自己の主観において真実として見解を同じくするなら そこでは 主観の共同化が成る。 (け) この主観共同化が 地域を超えて歴史を超えて共有されるなら――たとえば民主制なる理念など―― これは 共同主観(コモンセンス)と呼ばれる。これは 或る程度普遍的な真実であると見なされる。すなわち 次の説に相当する。(ただし 真理ではなく 真実である): ▲ (5) 真理の合意説:合意された認識を真理であるとする。 (こ) 地域や民族の文化などによってその普遍性が狭まれたなら 共同主観は 部分的な真実となる。(ただし 真理ではなく 真実である): ▲ (4) 真理の実用説(有用説):生にとって有効・実用的な認識を真理であるとする。 (さ) 民族(≒言語)文化をさらにその独自性において重く見る立ち場では この《部分真実》をさらに限定するようである。(ただし 真理ではなく 真実である): ▲ (8) 規約主義:真理はその言語体系における規約に依存するという立場。 (し) この部分真実を けっきょく一人の個人(つまりその人の主観)にまでもう一度収縮させたものが 次の見解である。われが思えば・言葉で語るならば それが《真実》である。のだから それの共同化などは 問う必要はないと。(ただし 真理ではなく 真実である): ▲ (7) 真理の余剰説(redundancy theory of truth):命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は無用な余剰であるとする。 (す) それではあまりにも独りよがりではないかと批判されたときには ふたたびのようにこの相対世界を超えて 絶対の真理の桃源郷にのがれる。: ▲ (6) 真理の定義不可能説:命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は定義不可能であるという立場。 ☆ これは《真理》を言おうとはしているのである。 つまり (あ)に戻って 真理を《非知――知り得るか知り得ないかが人間には知り得ないナゾ――》として想定すればよい地点に戻っている。 (せ) ご批判をどうぞ。賛成票をもどうぞ。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 私にとって真理とは○○である。
タイトルのままなのですが、「○○を埋めて下さい。」 真理とはなんぞや?ではなく、あなたと真理(と呼ばれるであろうもの)との関係を教えて下さい。「真理とは<気にならないもの>である」とかです。 回答スタイルは 「私にとって真理とは~~である。」でお願いします。 そのあとに、ご意見ご感想?など大歓迎です。よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- アンケート
- 哲学で真理はありますか?
結局哲学の研究の結果、真理に辿りついたものと認識されてるものはありますか? どの考えもそれを否定する意見が出てきているのですか? とんちみたいな回答が多くなりそうですが、お願いします
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 二つの真理
ヨーロッパにおける、啓示による真理と理性による真理の話で、‘なぜ真理は相対的なのか’という質問がだされました。この質問(相対的という意味も含めて)を一体どのように解釈したらよいか困ってます。何かアドバイスがあればよろしくお願いします。
- ベストアンサー
- その他(学問・教育)
- 真理とはなんですか?
最近になって頻繁に思い出される言葉があります。「真理」とは何ですか?「真理」はあるのですか?それによって人間は生きていけるのですか?若い時期には理解したと思っていた言葉ですが、近頃はだんだん薄れていく気がしています。その言葉を使って懸命に友人達と議論していた時期もありましたが、老齢になった今は、再び、「真理」という言葉が気になっています。年甲斐も無いことです。どなたか適切に教えていただけませんか?
- ベストアンサー
- その他(生活・暮らし)
- あなたが得たいくつかの真理
ひとつ興味がありましたので、アンケートに投稿しようかと思いましたが、こちらの方に投稿させていただきます。 皆さんが今まで生きてきた中で、様々に考えたり経験したりして悟った真理、これは誰にも批判を許さないと思える真理はありますか? ぜひ教えてください!よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 「不変の真理」か「普遍の真理」か
どっちなのか気になります。 「不変」は変わらないことで、変わらない真理というのもわかるし、 「普遍」はすべてのものにあてはまることで、そういう真理ともいえると思います。 ちなみに旺文社の国語辞典では「普遍の真理」、広辞苑・大辞泉・大修館の明鏡では「不変の真理」という例文が出ていました。 どっちでもいいのでしょうか?それとも、どちらかのほうがより広義での使い方ということなんでしょうか?
- 締切済み
- 日本語・現代文・国語