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真理とはなんですか?
最近になって頻繁に思い出される言葉があります。「真理」とは何ですか?「真理」はあるのですか?それによって人間は生きていけるのですか?若い時期には理解したと思っていた言葉ですが、近頃はだんだん薄れていく気がしています。その言葉を使って懸命に友人達と議論していた時期もありましたが、老齢になった今は、再び、「真理」という言葉が気になっています。年甲斐も無いことです。どなたか適切に教えていただけませんか?
- akaruisora
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>真理とはなんですか? 真理とは・・・,「数学の定理」以外には無いと,私は考えています. 「数学の定理」とは,例えば,「ピタゴラスの定理」があります.この「ピタゴラスの定理」は,絶対的な定理で,人類の中で誰一人として,異議を唱えられる人間は居ません. >それによって人間は生きていけるのですか? 「数学の定理」としての真理を追求して一生を過ごす人は,現代でも沢山います. 「数学の定理」の追求 = 真理の追求 = それによって生きていける. と言うことになります. 「数学の定理」こそが絶対的な真理で,これには誰も異議を唱えられません. 「哲学」や「物理学」の真理は,今現在は真理であると思われていても,ある日,突然,真理でなくなる場合が,よくあります. しかし,「数学の定理」は,そうではありません.誰も否定する事の出来ない絶対的な真理です. その真理を探して,今,この瞬間にも苦闘している人間が山ほど居るのです.そして,それによって生きています.
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- epsz30
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>真理とは何ですか? 物事の原理・真実といったものです。 >真理はあるのですか? 何事も原理・真実は存在します。 それを知り得るかどうかはその時々の状況・個人差によります。 例えば、「ニワトリが先か卵が先か」という質問について 質問者はどちらが先だと考えるでしょう? ニワトリが居なければ、卵も出来ませんし、 卵の時期が無ければニワトリも存在しません。 この様な問題の答えが所謂「真理」となります。 真理としての答えとしては、 ニワトリが先でも卵が先でもなく、 ニワトリが存在する前の段階、つまり、動物が卵を産むようになる前まで時代(進化)を遡り、 細胞分裂によって個体を増やす状況下まで巻戻し、 卵を産む様になるまでは、成熟した個体(親)が自分の体を分裂させて個体を増やした、 という結論を元に、「親が先」という答えを導き出すしかありません。 つまり、「ニワトリと卵」という状況ではどちらが先とも言えない事なので、 「問題そのものに大きな矛盾がある」という事なのですが、 そういう難解な部分にでも必ず解決する糸口、「真理」が存在します。 難しく考えるのではなく、「真理とは原理とか真実」だと軽く解釈しておきましょう。 言葉だけでこじつけると、「ニワトリが先か卵が先か」というように 戸惑う原因となってしまいます。
- kelbow
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真理が正しいかどうかは解らない 死んだ時に後悔する又は納得するもの 真理と云う言葉に乗じて、満足を得ようとするもの
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最近哲学的なこと(自分なりの真理)をかなり考えています。 自我とか大我とか自覚とか責任とか悪意とか偽善とか・・・自分なりの真理を見つけようと半年以上考えてきて、何回挫折しそうになったかわかりません。とりあえず見つけようと頑張ってきたのですが、見つかったと思ったら矛盾点を発見したり、いろんな状況や場合を考えてるうちにわけわからなくなったりで、未だに見つかりません。 何故これほど見つけたいのかというと、物心ついたころからイメージでアニメを見たりマンガを組み合わせてストーリーを考えて遊ぶのが大好きで、学校の登下校中もほぼこういうこと考えていました。 いじめられたり辛いことがあってもこういうことを考えて楽しんでまぎらわしてた気もします。 高3の夏までずっとこうで、その時期にうつ気味になって学校をやめました。 それ以来自分が考えてこなかったことをかなり実感しました。しかし言葉というものは様々な見方ができる上に、反対の意味があるのも多くて、とてもしんどくなりました。 それで今もまた挫折しそうになってます。 ただでさえ勉強のモチベーションややる気について悩みまくってる時期に、真理についても悩んでしまって死にたいくらい辛いと思ったこともあります。 自分なりの真理を見つけないと外に出ても失敗しそうでしょうがないんです。このままだと高3の夏までの状況と変わらないと思います・・。 自分が気づいてないこととか多すぎてそうで不安で、もうどうしたらいいかわかりません。 もしかしたら人間としての基礎がないからこんなに悩んでるのかもしれません。 同じような経験をした方、どうやって乗り越えたかアドバイスください・・。 よろしくお願いします。
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ヨーロッパ人の真理論は成っていない。という見解を示して問います。 ▲ (ヰキぺ:真理) ~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%90%86 § 1 西洋哲学における真理論 真理とは何か、についての研究を真理論という。以下に代表的な説を挙げる。 (1) 真理の対応説(correspondent theory of truth):「思惟」と「事物」(羅:res、レス)が一致ないし対応していることが真理であるとする。 アリストテレス、トマス・アクィナス、イマヌエル・カント、カール・マルクス、バートランド・ラッセル、前期ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、アルフレッド・タルスキ、カール・ポパー (2) 真理の整合説:他の命題と整合的な認識が真理であるとする。公理的で演繹的な真理観。 中期プラトン、ライプニッツ、スピノザ、ヘーゲル (3) 真理の明証説:意識に対して明証的に現れるものを真理とみる。 ルネ・デカルト、エトムント・フッサール (4) 真理の実用説(有用説):生にとって有効・実用的な認識を真理であるとする。 フリードリヒ・ニーチェ、ウィリアム・ジェイムズ (5) 真理の合意説:合意された認識を真理であるとする。 チャールズ・サンダース・パース、ユルゲン・ハーバーマス (6) 真理の定義不可能説:命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は定義不可能であるという立場。 フレーゲ (7) 真理の余剰説(redundancy theory of truth):命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は無用な余剰であるとする。 フランク・ラムゼイ (8) 規約主義:真理はその言語体系における規約に依存するという立場。 アンリ・ポアンカレ、デュエム、オットー・ノイラート ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (あ) ▲ (2) 真理の整合説:他の命題と整合的な認識が真理であるとする。公理的で演繹的な真理観。 ☆ にちなんで言うとすれば 大前提を《公理》ではなく 《想定》とするとよいのだ。経験合理性を超えた絶対的な整合性の世界――それは 人間には分かるか分からないかが分からない――を 真理として想定しますよと。 (い) 《イデア》では ダメである。いや 真理と想定したものを《イデア》と名づけただけなら よいのである。つまり イデアなる絶対真理の世界からこの仮象の経験世界のものごとを《演繹》して来ては ダメである。絶対と相対とが――人間の思考において/によって――つながったことに成ってしまう。 (う) 経験合理性による《整合性》だけでは ダメなのである。なぜなら想定によれば 真理は そのような・人間に理解しうる整合性から自由であるのだから。善悪の彼岸であり 或る意味で人間の判定する真偽をも超えている。 (え) ▲ (2) 真理の整合説:他の命題と整合的な認識が真理であるとする。 ☆ だから これはマチガイである。《いくつかの命題》を 経験世界において並列させても それらから真理は自由であるのだから。 (お) 言いかえると 経験事象にかんしてさまざまな認識をおこない命題として提出する。その命題の真偽がどうかという問題は 相対的な真実を問うている。絶対としての真理ではない。 (か) まづ 《事実》について人は認識する。これを自己表現する。その命題について まづその当人については 《明証性》があるなら 主観真実であると見なされる。――これが ▲ (3) 真理の明証説: 意識に対して明証的に現れるものを真理とみる。 ☆ であり これは 厳密な定義としては 真理ではなく 相対的な真実のことである。 (き) すなわち ここから《明証性に立つ主観真実》が その認識内容として《事実》と合っているなら それは一般に《事実認識》として認め合われる。(ただし 真理ではなく 真実である): ▲ (1) 真理の対応説(correspondent theory of truth):「思惟」と「事物」(羅:res、レス)が一致ないし対応していることが真理であるとする。 (く) そのことをもう少し具体的に細かく見てみよう。この一人のひとの主観真実が 当の事実と照らし合わせてほかの人たちによって検証される。やはり同じく自己の主観において真実として見解を同じくするなら そこでは 主観の共同化が成る。 (け) この主観共同化が 地域を超えて歴史を超えて共有されるなら――たとえば民主制なる理念など―― これは 共同主観(コモンセンス)と呼ばれる。これは 或る程度普遍的な真実であると見なされる。すなわち 次の説に相当する。(ただし 真理ではなく 真実である): ▲ (5) 真理の合意説:合意された認識を真理であるとする。 (こ) 地域や民族の文化などによってその普遍性が狭まれたなら 共同主観は 部分的な真実となる。(ただし 真理ではなく 真実である): ▲ (4) 真理の実用説(有用説):生にとって有効・実用的な認識を真理であるとする。 (さ) 民族(≒言語)文化をさらにその独自性において重く見る立ち場では この《部分真実》をさらに限定するようである。(ただし 真理ではなく 真実である): ▲ (8) 規約主義:真理はその言語体系における規約に依存するという立場。 (し) この部分真実を けっきょく一人の個人(つまりその人の主観)にまでもう一度収縮させたものが 次の見解である。われが思えば・言葉で語るならば それが《真実》である。のだから それの共同化などは 問う必要はないと。(ただし 真理ではなく 真実である): ▲ (7) 真理の余剰説(redundancy theory of truth):命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は無用な余剰であるとする。 (す) それではあまりにも独りよがりではないかと批判されたときには ふたたびのようにこの相対世界を超えて 絶対の真理の桃源郷にのがれる。: ▲ (6) 真理の定義不可能説:命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は定義不可能であるという立場。 ☆ これは《真理》を言おうとはしているのである。 つまり (あ)に戻って 真理を《非知――知り得るか知り得ないかが人間には知り得ないナゾ――》として想定すればよい地点に戻っている。 (せ) ご批判をどうぞ。賛成票をもどうぞ。
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