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鎌倉仏教の布教地?

親鸞や日蓮、道元などが鎌倉仏教を起こしましたが、それぞれの主な布教地がどうなっていたか、ちょっと忘れてしまったのですが、それを知りたいです。というのは作家藤本義一氏が大阪には現在でも門徒が多く、浄土真宗の平等思想と反権力思想が大阪人の平等意識・権威嫌いの土壌になったと書いていたので、それなら東京人を初め、日本人一般の権威主義は他の宗派が広がったせいなのかな?という疑問が起りました。しかし、禅は個人主義に最も近いと思うし、その曹洞禅が広がっている北海道なのに、北海道人はかなりの権威主義~長い物に巻かれろ根性だし、どうも単純には結論を出せません。取り敢えずどこの地域にどの宗派の仏教が布教定着したのか、確か学校時代には布教地図なんかも見た気がするのですが、御存知の方教えて下さい。そして、今現在でもその布教分布は変わっていないのか、そんなのも知りたいので宜しくお願いします。

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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • sanjakubo
  • ベストアンサー率44% (44/99)
回答No.3

 曹洞宗の僧侶です。一応専門家の欄にチェックを入れましたが、すべての宗派について詳しくはありません。極めて大雑把な説明しか出来ません。  まず「鎌倉仏教」もしくは「鎌倉新仏教」という言葉が誤解を生みやすいと思います。法然、栄西、日蓮、道元、親鸞、一遍といった僧侶を宗祖とする仏教教団のことを、通常そのように呼んででいます。しかし、教団と言うものがいつ成立したかという点については、それぞれの宗派によって異なります。また、それぞれの教団がいつ成立したかと言う点についても、それぞれの教団史研究者の中でもおそらく学説が分かれていると思いますす。少なくとも鎌倉時代に現在のような教団になったと言う「鎌倉仏教」の宗派は全く ないと思います。  現在の仏教系各宗派の寺院数や信者数は、最新の文化庁刊「宗教年鑑」で調べてみて下さい。 「宗教年鑑」を参考に宗派別に集計した表が載っているサイトがあったので、参考にはなると思います。分類方法にはちょっと問題があるとは思いますが。 http://members2.jcom.home.ne.jp/ar-higuchi/ojin19.html  各宗派ごとの寺院の地域ごとの具体的な分布状況については各宗派の寺院名簿等を取り寄せるか、若干古いいデータとは思いますが『全国寺院名鑑』という本(大きな図書館には置いてあると思います。)を見て調べるしかないと思います。  浄土真宗に関して言えば、現在の浄土真宗本願寺派と真宗大谷派は江戸時代初頭徳川幕府によって分離させられたものであり、親鸞在世当時の寺院数は決して多いものではなかったと思います。室町時代に蓮如(れんにょ、(1415年 - 1499年)に教団を拡大したと言われております。しかし、戦国期に一向一揆で大名と争った地域の場合、為政者によってかなり寺院が取り潰された場合も多いようです。地域的には関東北陸関西中国に多いと思います。  曹洞宗の場合、永平寺を開いた道元の頃は弟子の数も少なく、寺院の数もごくわずかでした。総持寺の開山である瑩山とその弟子峨山韶碩(がさん じょうせき)の時代に多くの弟子を輩出し全国に寺院が出来たのであるが、今日の寺院数には程遠い数でした。曹洞宗が1万以上の寺院数になるのは江戸時代以降です。 曹洞宗が多い地域としては東北関東新潟東海地方です。  北海道に関しては、松前地方の寺院を除いては大部分明治以降の創建です。浄土真宗と曹洞宗が多いと思います。  ご質問にある「布教地図」のようなものは残念ながら私は見たことがありません。そういうものが作成可能になるのは、寺社奉行を置き、寺院諸法度を定め、宗派別の寺院本末帳を作成するようになった江戸時代以降だと思います。

0123gokudo
質問者

お礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。専門家の正確な回答ありがとうございます。参考になりました。

その他の回答 (2)

  • dulatour
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回答No.2

お礼有難う御座います。 大坂の特殊性について考えているのならば、江戸時代に天領でありながら、その幕府から派遣された行政官があまりにも少なく、町人の自治に任されていたことがあるのではないでしょうか。 そのあたり、司馬遼太郎さんが書いていますね。

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.1

質問の内容とやや外れますが、江戸時代には、寺請制度があり、全ての民は何らかの宗派の寺に属さなければいけませんでした。徳川家は、元々浄土宗ですから、各地に浄土宗の寺はかなり増えたでしょう。 そのため、各宗派の特徴が、そのまま民に伝わったかは、かなり疑問です。 また、幕末から明治初年に宗派の分布地図は大きく塗り替えられました。 例えば、鹿児島(薩摩藩)では、浄土真宗が禁じられていましたが、明治初年に解禁され、それ以後、浄土真宗の宗徒が圧倒的に増えました。北海道の開拓は、各地からあったので、どの宗派がということはあまりないでしょう。 更に、宗派の地図を塗り替えたのは、明治初年の廃仏毀釈です。各地の寺院は破壊され、それが復興されたのは、大正あるいは昭和です。その時代に布教力のあった宗派が大きく勢力を伸ばしていきました。 とうことで、鎌倉時代の布教がそのまま現代に伝わっていると言うことではありません。 蛇足ですが、藤本氏が真宗の地盤があったら、大坂は自由な気風があったというのは、石山本願寺のことを言っているようですが、本願寺は、その後紀州に移され、大坂に留まった訳ではないので、なんとも言えませんね。大坂人という特殊性があるのではないのでしょうか。

0123gokudo
質問者

お礼

やっぱり、鎌倉時代の布教地がそのまま現在に伝わっているということはないんですね。北海道の道東に来たのですが、街を歩くと曹洞宗のお寺が目立つので、禅宗が広がったのかな?と思っている程度なので、厳密に調べたわけではありません。甲子園で準優勝の駒大苫小牧も禅宗系の学校だし・・・。大阪人の反権威主義と浄土真宗を結び付けるのはムリがあるかも・・・。で、回答ありがとうございました。

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