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現実であることを確かめるには?

starfloraの回答

  • starflora
  • ベストアンサー率61% (647/1050)
回答No.6

    No.5 の人が、SFによく出てくる面白い例を出してくれましたので、最初予定していた回答よりも、より精密な(複雑な)回答になります。     まず、質問者が使っている「証明できますか?」という言葉は何を意味しているのか、ということを考えねばなりません。「証明」というのを厳密に考えるとのは、論理学と公理論的数学理論です。前者は古くはアリストテレスの体系があり、後者は、エウクレイデスの体系(幾何学原論)があります。スピノーザは、その主著『エティカ』において、数学的に厳密に証明された哲学体系であるとして、エウクレイデスの体系に外形を真似て本を書いています。つまり、「無定義概念(用語)」「公理」「公準」を最初に提示し、それから「定理」の「証明」を次々に提示して行きます。     この場合、「無定義概念」とは何か、「公理」「公準」とは何かを考える必要があるでしょう。エウクレイデスの体系だと、例えば、無定義概念は、「線」です。線とは「何か」、それは万人にとって自明であるとしています。「線」だと思っているものが、本当に「線」であるかどうか、どうすれば証明できるか? という問いは、この公理系では意味がありません。「線」とは何かが自明的に了解できなければ、そもそも話が始まらないのです。また、公理は、これはエクレイデスにあったかどうか知りませんが、「平行でない二直線は、必ず交点を一つ持つ」というようなものが考えられます。この「公理命題」は、どうやって証明できるのか? できないというより、この体系のなかでは、それは、証明されることなく「自明の真理」なのです。従って、公理に疑問を抱いても、意味がないことになります。エウクレイデスの「平行線公理」は、修正されましたが、あの公理は、三次元空間が、第四の次元において、曲がりがない場合は、成立するのです。     と、前置きが長くなりましたが、「証明できますか?」という問いに対しては、それを証明できるほどに、世界や形而上学の理論は公理化されていたかという疑問が起こります。公理化されていないはずですから、そういう意味では、「証明できません」。     しかし、この問いの命題は、無定義概念乃至公理の位置に来る、「自明命題」なのです。どういう意味で、自明命題なのか、「説明」によって、「証明する」ことは可能だと思います。     そこで、「夢」とは何か、「いま生きていること」とは何か、ということを吟味して考えねばなりません。「いま生きていること」の状態は、「夢」と対比的に、「覚醒状態・覚醒意識」と呼びましょう。覚醒状態と夢の状態は違うと云えるか? これは云えます。或る程度「自明的」なことです。覚醒状態での知覚、視覚や聴覚が捉える映像、世界の像を考えてみられることです。それは、「夢の状態で経験する知覚」とは、相当に異質なものであることが、自明的に分かるはずです。     また、「夢」には、浅さと深さがあります。非常に深い夢は、普通、目覚めても思い出すことができません。また、「夢のない熟睡状態」があります。夢は、覚醒状態に近づくことがあり、その反対の場合もあります。「半覚醒夢」というのは、半分ぐらい覚醒していて、夢を見ていると自覚しつつ見る夢です。他方、「白昼夢」というのは、目覚めているはずなのですが、何時の間にか、覚醒水準が低下し、夢のイメージのなかでまどろんでいる状態です。     ここで、「夢」と「覚醒状態」は連続していると言っても、覚醒状態に近づくと、意識は、夢を見ていることに「気づきます」。先に述べた、覚醒状態で経験する知覚や思考は、非常に明晰で、夢のなかの知覚や思考とは明らかに質が異なります。一生、夢を見ている人の場合、夢が夢だと分からない可能性がありますが、覚醒水準を持つ人は、夢と覚醒状態が、自明的に異なる状態だと分かります。     従って、「いま生きていること」は、覚醒状態での存在であり、「夢」の存在とは、自明的に別のものなのです。     しかし、疑問があるでしょう。夢から覚めると、「いまの覚醒状態」になる。すると、「いまの覚醒状態」も実は夢だったのであり、この状態から「覚醒する」ことがあるのではないか、です。これは、ありえることだと思います。仮に、そういう高次の覚醒状態を、「高次覚醒状態」と呼べば、高次覚醒状態の経験がわたしにはありませんが、しかし、自明的に云えることがあります。高次覚醒意識であっても、「覚醒意識と夢の状態」は別であるということは自明的に真である、ということです。     比喩的に、生きてきた一生は夢のようだ、と言います。過去の記憶は、夢に近く感じられることがあります。しかし、現に生きて知覚し、思考している覚醒意識は、夢の状態意識とは異質なものです。     この区別は、高次覚醒状態に仮になってとしても維持されるはずです。チンパンジーもボノボも、同じ「猿」だといえば、そうかも知れませんが、よく見てみると、違う種類の動物です。A氏もB氏も、すけべな中年の人だということでは、同じものだ、と言ってみても、どれだけA氏とB氏が似ていても、二人は「異なる個人」です。高次覚醒状態では、「夢の状態」も「通常覚醒状態」も同じようなものだと言っても、実際には違う状態なのですから、正確には違うということになります。     従って、「いま生きていること」は、自明的に「夢ではない」のです。夢のように思えると、夢だは別です。     あるいは、魂のイデアー世界があり、そこに帰ると、「本来のわたし」が覚醒し、確認され、現実だと思っていた覚醒水準の意識の生活は、実は「幻・幻影」だったということがあるかも知れません。しかし「幻影(仮象)」と「真実在」の違いは、どこにあるのでしょうか。「いま生きていることは、仮象であり、本来の真の存在のモードがあるかも知れない」というのは、妥当だと思います。真実在、カントの言い方だと「もの自体」は我々には認識できないもので、我々が経験している一切は、主観の仮象だとも云えるのです。しかし、このことと、「いま生きていること」は「夢と同じ」は異なります。     「夢」は夢で、いま生きてある覚醒状態意識は、いまの状態であるのです。より高次の覚醒や、リアリティがあるかも知れません。しかし、それがあっても、夢と覚醒状態の区別は残るのです。     言葉の表現の問題でもあると云えるでしょう。この「覚醒現実」も夢と思える、高次覚醒状態がある、または真実在を見ることのできる魂のイデアー境位では、この覚醒現実も、夢の一種に見える。しかし、夢の一種に見えても、夢とは異なるのです。   ------------------------------------------------------     そこで、No.5 の人の述べている、「擬似現実」「仮想現実」と「現実」の違いはないではないかという問題について考えてみます。     映画を見ていると、映画のなかに引き込まれて、現実意識が失われる場合があります。しかし、これは広い意味の一種の「変成意識」であり、映画のなかで登場人物が負傷しても、痛みが伝わる訳ではありません。何かに夢中になると、通常の意識は失われます。これも広義の変成意識でしょう。意識の状態は色々なヴァリエーションがあり、覚醒意識と連続している場合もあるのですが、しかし、「明晰判断の行える覚醒意識」というのは、こういう状態として存在するのです。     ルネ・デカルトの懐疑を思い浮かべる人がいるでしょう。しかし、デカルトは、「この現実や自己」を幻影だとか、錯覚だと考えたのではありません。デカルトは、自己の哲学を築く時、疑いのない、「公理的事実」を基礎にせねばならないと考えたのです。彼の結論は、Cogito ergo Sum ですが、ここで、このラテン語は、「我は思惟する、故に、思惟する我はある」という意味だと気づかねばなりません。この命題で、デカルトは、「懐疑している・思惟している自己の存在の明晰判明性」を確認し、述べているのであって、「思惟する自己の存在」は明晰確実であるからと言って、その他のことごとが、明晰確実とはなりません。例えば、窓の外を見ると見える風景は、これは、悪魔がわたしに情景を投射して幻影を見せているのではないのか、という懐疑では、明晰判明な、思惟する自己の存在を確認したとしても、問題としてはやはり残るのです。     つまり、デカルトは、自分が見ているものや知覚しているもの、考えていることが、幻影だとか錯覚だとは、考えていなかったはずなのです。そういう次元の「実在」だと考えていたのです。しかし、哲学のシステムで、この懐疑の問題があり、明晰確実性の原理が必要であったので、「思惟するわたしの思惟自己は明晰判明」であるとして、「明晰判明」な事態が世界に存在することを証明して見せたのです。諸々の現象は、実は幻かも知れない……しかし、明晰な判断があり、幻や仮象は、看破される、というのが、デカルトの認識論のはずです。     そこで最初のSFによくある「仮想現実」に戻せば、こういう仮想現実は、「通常の覚醒明晰意識」とは異なるということを述べねばなりません。何故異なるかと言えば、「意識自我の統覚」は、心の様々な複雑な構造の上に成立しているもので、だからこそ、映画を見ていても、後ろから誰かにこづかれると、後ろを振り返り、その時、映画館にいたのだという認識が甦るのです。     「仮想現実」の場合、単に、感覚を投影構成すれば、それでよいという考えがあるようですが、それでは、記憶の一貫性や、心の認識と一致しないのです。感情も操作できますが、そうして造られた「擬似現実」は、あくまで擬似現実であり、覚醒して反省して考えると、どこが違うかが分かります。覚醒する経験までも、擬似現実で構成することもできます。また、生まれた時から、擬似現実の刺激で育つと、擬似現実が、覚醒意識の現実にもなる可能性があります。     人間の心の深遠な構造からすると、仮想現実と、覚醒意識現実のあいだには、明晰な差異が、反省的に考える時、出てくるのですが、仮想現実を現実2と名付け、この覚醒意識の現実を現実1と呼び、両者のあいだを往復していると、段々1と2の違いが分からなくなるということも起こり得ると思えます。仮想現実のなかで、「死」を演出することもできるのです。誰かに銃で胸を撃たれ、激痛と共に意識が薄れ、次に目覚めると、どこかの本で読んだ「霊界」とかによく似た、壮麗で雄大な不思議な世界に自分がいて、前から、不思議な人物が近寄り、「貴方は死んだのです。これから、わたしは、貴方を案内しましょう」と、頭のなかで理解できる不可解なメッセージで呼びかけて来て、その後について、非現実的な、霊界とはこういう世界だと本に書いてあったのと似たような場所を、旅しながら、「ああ、わたしは死んで霊界に来たのか」などと、考えると、「死」も作り出せることになります。     結局、言葉の定義の問題にもなってきます。比喩的な意味でない、睡眠時に見る「夢」とは何かは、覚醒意識で、自明的に把握できる訳です。夢の意識と覚醒意識の連続性を利用して、覚醒と夢の意味に、別の解釈を与える文化伝統もあるでしょう。その場合、覚醒している状態も夢の一種で、夢も覚醒状態の一種で、どちらも「実在」であるということになります。あるいは、どちらも仮象だということになるかも知れません。     つまるところ、「真実在」とは何かという形而上学的問いに収束して行くのですが、これは、あくまで問題を哲学的に考えて行くと、こうなるということです。誰も、世界の存在が存在する根拠を知っている人はいません。根拠が分からないので、この世界・宇宙は、仮象だという人の方が稀でしょう。     >今生きてることが夢じゃないと     今生きていることは、「夢」ではないでしょう。区別が付かないのなら、そもそもこのような問いが出てこないでしょう。より高次の覚醒水準、別の意識のありようがあるかも知れません。しかし、繰り返しになりますが、「覚醒意識経験」と「夢の経験」は、別です。この人生は仮象であったかも知れないでしょう。しかし、仮象は仮象として、これを、わたしたちは、「現実」と呼んでいるのです。     形而上学的問いは、理性での答えがありません。従って、質問に、「真実在」についての問いを含めている場合は、答えのないものに答えを求めていることになります。しかし、それは別個の問題として定立するなら、問いの答えは、おのずと明らかでしょう。  

meina
質問者

お礼

starfloraさん、ありがとうございます。 我思う、故に我あり。 そうですね。 そうやって私がいますから

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