• ベストアンサー

江戸時代の丁銀の不思議

江戸時代の貨幣で、丁銀なるものがあります。 時代劇で見て、その不思議なる形を不審におもい調べたのですが、形や重さが一定しない貨幣のようです。 http://homepage3.nifty.com/harupii/cyomame.htm どうしてこんな不思議な貨幣が流通したのでしょうか? 大きさ、形、価値が一定であってはじめて貨幣の意味があると思うのですが。 またなまこ形のものはいびつで、非常に重そうですね。 どうしてこんなへんな形に鋳造したのでしょうか? 中世以降の海外でもこんな特殊な貨幣がありますか? よろしくお願いします。

  • 歴史
  • 回答数2
  • ありがとう数0

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

丁銀、豆板銀というのはいまのお金のように1個いくら、1枚いくらというのではなく、秤量貨幣で何匁でいくらというように重量で価値が決まりました。 もともと江戸時代以前は金銀は重量で計って取引していましたが小判などが出るにつれて金については1枚いくらというようになりましたが、銀はそのまま重量での取引だったので1枚いくらという銀貨幣は幕末近くまで出ませんでした。 丁銀はそのままの形でも流通しましたが、場合によっては切断して使うこともできました。また端数が足りないときのために小粒の銀貨の豆板銀もあり、これらを組み合わせて必要な価値にあわせました。

その他の回答 (1)

  • ipa222
  • ベストアンサー率20% (903/4455)
回答No.2

天秤で量って使っていました。 おつりは、それを切って渡していたこともあったようですね。 現在は、お金というと、抽象的な価値観ですが、金本位制度の時代までは、貴重な物質というものが貨幣でした。 米もそうでしたね。 海外と交易するようになって、世界と共通の重量の金貨をつくりました。

関連するQ&A

  • 江戸期秤量貨幣の形の不規則性の理由

    江戸時代の秤量貨幣(丁銀や豆板銀)は,なぜ,小判のように整った形をしていないのでしょうか。 教えてください。

  • 丁銀・なまこ銀

    江戸時代の丁銀・なまこ銀って秤で計らないといけないお金でしたっけ?

  • 江戸時代の農民は何を食べていたのか

    以前、読んだ本の中に書かれていたことです。 (題名や著者名は忘れてしまっています) 「江戸時代の多くの農民(小作)は滅多に米を食べることは出来ずに稗や粟などの雑穀を食べていたとされている。しかしながら、日本全国で生産された米の総量から算出すると酒や味噌などで消費される米の分を差し引きしても、当時の総人口2000~3000万人が主食として食べるのに十分な量があったはずである。」 ということでした。確かに米は貨幣の代わりに売買・流通していても、貨幣なら保存できても米はいつまでも保存は出来ないでしょう。腐って捨てる位なら小作農民もそれなりに(月に数回程度は)食べて消費していてもおかしくないと思います。 江戸時代の米は最終的にはどのように消費されていたのでしょうか。

  • 江戸時代の金持ちの娯楽と悪徳商人

    時代劇をみていると,定番で登場するのが,悪徳商人です。 かねがね不思議なのですが,江戸時代にそこまでしてお金をもうけて,どのような楽しみがあったのでしょうか。 今なら,お金があればやれることが山ほどありますが,あの時代の楽しみというと,芸者遊びくらいしか思いつきません。 そこで質問です。 (1)江戸時代に,本当にあのような悪徳商人がたくさんいたのですか? (2)江戸時代のお金持ちの娯楽にはどのようなものがあったのですか? 教えてください。

  • 江戸期

    江戸時代の秤量貨幣(銀貨:丁銀や豆板銀)は,なぜ,金貨である小判のように整った形をしていないのでしょうか。 教えてください。

  • 鳥追いの娘(江戸時代)

    昔、時代劇(江戸時代)を見ていて不思議に思ったので質問させて頂きます。 鳥追いの娘が登場します。 美しく人気があるという設定でした。 評判をきいた人が、殿様に献上?しようとします。 殿様は、娘が美しいので気に入ります。 しかし、娘が鳥追いということをすぐに知り、逆上し、娘を殺害します。 そして、「鳥追いの娘なんぞを寄こしやがって」と激昂します。 ここで質問です。 鳥追いの娘は、道行く人からは人気があるのですが(現在でいう芸能人みたいなものですよね?)、 なぜ殿さまは、鳥追いであるということを嫌うのでしょうか?

  • 江戸時代、なぜ大坂は銀本位制だった?

     つい先ほどまでは何も考えずに江戸時代、江戸の経済は金本位制 大坂の経済は銀本位制と頭に入れていました。  でも疑問が湧きました。  当時、大坂は日本一の経済都市です。世界に先駆けて信用取引や 先物取引を始めた所。とすると江戸よりも商取引の規模も大きく自然、 銀よりも価値の高い金を貨幣の中心にしようと動きがなかったのでしょう? 先ほどテレビ番組の「銀二貫」で主人公たちが二貫の銀を重そうに持って いる。もし金貨(大判・小判)なら少ない量で同じ価値を表したはずですよね (すみません計算が苦手で)。  経済規模が大きくなるほど価値の高い金属を貨幣としついに 金属を離れた信用で紙幣が、さらにPCなどの電子信号で取引 されるのが流れのはず。  と書きながらふと仮説が浮かびました。  江戸は将軍と大名中心の都市、ですからお金のやりとりは 今で言う政府の公的な財源なので動く高も大きくまた立派な 金貨(大判・小判)を必要とした。もちろん庶民にとっては滅多に 拝めないお金に違いないけれど。対して大坂は公的な存在はほぼ 皆無でお金のやりとりは日常の商取引でお金のやりとりは銀貨の 方が使いやすかった。のではないか?  長くなってすみません。この件についてどなたかご教示くだされば 感謝です。もちろん僕のような勝手な私見をのべていただくのも 大歓迎です。宜しくお願いします。

  • 質の悪い貨幣が流通すると物価が上がる理由

    こんばんは。 今日日本史の勉強をしていたら、江戸時代末期の開国後の日本で『金が国外に流出し、質の悪い貨幣が流通した結果、物価の上昇を招いた』というような記述があったのですが、まず質の悪い貨幣とはどういうものですか、またなぜ質の悪い貨幣が流通すると物価が上がるのでしょうか?? よくわからないので、どなたか教えてください。お願いします。

  • 日本史についてですが、

    日本史についてですが、 江戸時代末期、農民にも貨幣が流通しはじめたころ、 農民が納める年貢の量が低下したのはなぜですか? 日本史に詳しい方、お願いします!

  • 日本の通貨の近代化

    お世話になります。江戸時代の貨幣というのは金、銀、銅などを材質にしていて、それ自体が商品として価値のあるものだったと思います。もし、金、銀、銅の含有量がさがれば貨幣の価値もさがりインフレになりました。では、日本では、いつから現在のような貨幣そのものには価値がないような紙幣や通貨を使うようになったのですか。また、そのさい、その紙幣はすんなり流通したのですか。政府はどういう努力をしたのですか。