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なぜ親は子供に「なぜ」と問わないのか

親子の会話で「なぜ」がありません。 「なぜ」という言葉はとても大事だと思います。 相手を理解しようという姿勢がそこに見えます。 親がそうしないと、子供も「なぜ」親が機嫌が悪いのか苦しんでいるのかと 理解しようとはしないのではないでしょうか。それともそれは、ただやさしくない 親思いでないからでしょうか。 「なぜ」ふさぎこんでいるのか「なぜ」無愛想なのか「なぜ」お父さんが嫌いなのか、「なぜ」部活動に入らないのか「なぜ」外見に注意を払わないのか、そう問うてくれてもよかったはずです。「なぜ」を発することが皆無といってもいい親子関係でしたし、今もそうです。 たとえばだいぶ昔のことですが、高校時代に理系に行くのか文系に行くのか迷って時期があって、結局無理して理系にして、大学に入ったはいいが詮理系向きではないので挫折して中退したということがあったのですが、そのとき「なぜ理系にするの」というような「探り」が親からあれば、当時の屈折した心理を説明できたのだろうと思います。 それで、失敗を回避できたかもしれない。 そんな例はいろいろあると思います。なぜ親は「なぜ」を子供に問わないのでしょう。

noname#32495
noname#32495

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  • ベストアンサー
  • hakobulu
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回答No.3

◇ >「なぜ」という言葉はとても大事だと思います。 相手を理解しようという姿勢がそこに見えます。 親がそうしないと、子供も「なぜ」親が機嫌が悪いのか苦しんでいるのかと 理解しようとはしないのではないでしょうか。 :まさしくその通りで、論理的帰結と言えるでしょう。 >なぜ親は「なぜ」を子供に問わないのでしょう。 :色々な意味で「怖い」からでしょう。 ◇ 子供の主体性を尊重しているというのは詭弁です。逃げている上に嘘をついているわけです。 親は子供に対して適切な環境を準備する義務があります。 無論一生に渡って、ということではありません。 子供に自力で生きていく肉体と精神が備わる段階までで十分であろうと思います。 この全くの「無抵抗な存在」としての時代に親から存分の愛や庇護を享受できなかった場合、子供としては「親といえどそういうものなのだ。」 つまり、心底から頼ることはできず、親といっても一人の人間である以上自分が一番なのだという記憶を無意識深く刷り込ませざるをえないわけです。 幼い時に得た親に対する信頼感は一生保持されるだろうと私は思います。 なぜなら、本当に必要な時に親は自分を助けてくれるし、自分が親にとって間違いなく大事なものなのだという実感を得ることができるからです。 本当の親である必要はありませんが、このような精神的な後ろだてがあって初めて人は自ら自立への道を踏み出せるように思います。 ◇ そういう意味で、bossambaさんは自立するのに人一倍苦労するかもしれません。 まして今は、自立している状態とはとても言えないことがご質問の内容から窺われます。 ただ、先に述べてきたようにそれは明らかに「親のせい」といって差し支えないと私は判断します。 仮に、あなたが確固とした自我の殻を築き始めてから親に優しくされたとしても、それはまやかしであって単なるおためごかしに過ぎないことをあなたはすぐに見抜いたことでしょう。 では、親はあなたを嫌いだったのかといえば、それもまた違うと思います。 ただ、冒頭述べたように「怖かった」ということではないかと思います。 別の言葉で言えば、あなたに対して自信がなかった、ということでしょう。 ◇ 本当に愛する者に対する正しい愛情表現の仕方を知らない。 これは不幸なことの一つに含まれるかもしれません。 しかし親も、その親から同様の育てられ方をしてきたのだと推測できます。 恐らくは、そのまた親も同様に・・・。 愛され方を知らないから正しく愛せない。 どうして良いかわからなかったのではないでしょうか。 ただ、出来る限りのことを精一杯やるしかなかった、ということでしょう、 そして、出来ることといえば、自信のない自らの考えを大事な子供の人生における決定的な局面でひたすら隠し続けることだったのではないでしょうか。 その替わり、得てしてこういう方はどうでもいいことに対しては、その埋め合わせをしようとでもするかのように過剰なほどの自己主張をするものです。 ですから、そういう親は優しくなかったといって責められるべきではないでしょう。 責めうるとすれば「なぜ、そんなに臆病なのか」ということになるでしょうが、それとても子供のためとひたすら思い込んでいた結果だとすればどこまで責めることが可能か定かではないような気もします。 この構図から脱却しなければ、多分bossambaさんも同じことを身内や他者に繰り返すことになるでしょう。 そこに「連鎖」はあってもbossambaさん自身の「自立した個」の影響は殆んど痕跡を残さないはずです。 前項で、今の時点では自立していることにはならないと申し上げたのはこのような意味からです。 この連鎖を断ち切ってbossambaさん自身の個をスタートさせるためには、親も一人の人間であるという単純な事実を認める必要があります。 生んだ以上育てるのは義務でもありますから、育ててもらったなどとありきたりな恩を感じたりする必要はありません。 人一人が世の中で生きていくのは大変なことです。 その上、自分という子供まで背負って良くやってきたものだなあ、というぐらいの「対等の人間としての評価」を与えるべきだということです。 これは事実を事実として認めるという単純な作業です。 そこから先、親に対してどのような感覚を持つのか。 それでもなお殺したいほど憎む人もいるでしょうし、そうでないかもしれない。 それはまさに人それぞれと言うしかないことであろうと思われます。

noname#32495
質問者

お礼

「怖かった」との言葉尻を父から聞いたことがあります。 本心から出た言葉なのでしょう。 「何で元気がないんだ」 「家の中にいるのがつらいから」 こういう私の心を直視する勇気はなかったのかもしれませんし、直視しようという意思もどっかに行ってしまったのでしょうか。 私の主体性をという言い方もします。 それが嘘とまでは思いませんが、子供の心を落ち着かせられないような主体性の尊重にどんな意味があるのかと常に問わずにいられませんでした。 人生にとっての心の核になるような「後ろ盾」の存在感が本当は大事なのでしょう。私はそれが甘えではないかと思ったのですが、そういう考え方もあるのだと思うと、そういうものを満たされている人いない人が入り混じって生きているこの世の中、不公平の一端がまた見える気がします。 愛情表現に不器用なのです、両親とも。 あるいは私にそれを受ける感受性がない、反応がよくない。突き詰めれば、話に聞く限り育った家庭環境には不遇な人たちです。親の愛情にも不遇な人たちです。母親は成績優秀進学校で一人だけ経済的な事情から就職しました。父親はまた経済的に大学が卒業できず、大企業で高卒の惨めさを味わい続けました。しかし、後に独立して経済的に成功しました。母親は父親の酒の付き合いや(配属が営業なので不運が続きましたね)それに派生する酒癖の悪さ、親戚との不和、そして何より私の状態のことで悩み続けつつという日々でした。 人生の大事な局面で自分の判断を隠す。臆病とは何者なのでしょう。 これがまだ実感できないところです。 私が理系の地方の大学(結局家がいやだったのでという理由が大きいのですが)に行ったのですが、そのときに一泊旅行でもついでにしようかというので入学式の前後に家族旅行したのですが、私は「果たしてこの選択肢でよかったのか」とふさぎこんでいた。が、母親は生活のこまごましたことを並べ立てる。 「あんた、これでいいの。引き返してもいいんだよ」 「家がいやならなんとか考えよう、地方のほんとに関心ない学部なんていって何になる」 とまでいってほしいとは思いませんが、暗い顔から何かを読み取ってもらえないのかと、洗濯のしかたでなく買い物のしかたでなく、感じたものです。 親を個と認める。なかなか理屈ではわかりそうにありませんね。

その他の回答 (9)

noname#31063
noname#31063
回答No.10

心理学カテで一番知能が低い(IQ80)という自負があるNO6ですが、 回答者さんはどなたもしっかりした方ばかりです(微笑)。 それにbossambaさんもとてもしっかりしておられます(微笑)。 完ぺき主義なんじゃないでしょうか? 社会性も結婚も子育ても適当が上手くいくものですよ。 アホになれるほうが生きるのが楽です。 いっそポカーンとしていて気がついたら、 チビが乳にぶら下がっておるではないか(笑) ぐらいでいいです?。 私は人生も折り返し地点にある年齢なのですが、 今から大学受験するのもありよねっていう人間です。 好きなことには忠実になりたいから。 親が子供に「なぜ」と問わないのかは、 親が処世訓に長けた人物であっても、 哲学的センスがないからでしょうね。 心理学的には、 親子であっても共有感は破綻している。 遠慮がちに気を使った結果である。 親は子供より世間様に対して恥ずかしくないでいる、 むしろ立派と言われたいのが優先しているから。 つまりみんな不器用なだけで、 悪意からではない。 だと思います。

noname#32495
質問者

お礼

「なぜ」と問わないなんていう言い方がまどろっこしいと思いました。要するに「気遣い」をするかしないかということなんで、そのための準備としてという意味かなと考えています。 考えてもうまくいくもんじゃないですよね。私も落ち着いたらカルチャーしたいと思います。 哲学的センスというものが文学的センスと置き換わってもいいかと思います。情緒でしょうかね。そういうバランスが大事なんでしょうが。世間様の方ばかり向いていると、身近にいる人間の心持に無頓着になっていくのでしょうかね。世間は事務、身近には文学(哀れみ)を持っていきたいものですが、親になる日が来る確率は低いようです。

回答No.9

>今回もいつも心に張り付いている私にとっては根本的な、人生を左右した疑問なのです。だから、すっきりしたいさせてもらいたいという思い まあ、そんなふうに思い詰めていらっしゃるかということで再度です。 でもね、ここまで来たら、すっきりさせるのは結局、御自分の力でなければならず、しかも永久に無理かもしれません。 >「なぜ」と経済的な焦りと関係あるでしょうか。 それはあると思いますよ。社会の出来事を見て御覧なさいな。親子でも金銭の問題が絡むと殺し合いです。その前には、さんざん「なぜ」「どうして、お前は」そういった怒号が飛び交ったことでしょうよ。 「金持ちケンカせず」というのは本当だと思います。取り敢えず金銭が潤沢であれば他のことには甘くなったりするものです。 逆に経済状態が苦しければ親だって一日も早く子に独立してもらいたい、あわよくばラクもさせてもらいたいから、それにあたっての失敗は避けたい、ということで自然、口やかましくもなりましょう。 >子供時代は親への不信感が大きくなってしまったという歴史があるわけです。つまり私の「心」など親にとっては問題ではないのだ、私の考えること思うことは所詮ガキの遠吠えに過ぎないのだ それは私にしたって同じ事。 詰まりは貴方、親御さんに一個の自立した人間として扱ってもらえなかった、そしてそれは今に至っても、そうなのであるということが御不満の理由なのではないですか? ガキがガキ扱いされても致しかたないこと。敢えて、そうしない見識の人だっていますけれど。 過ぎた事をほじくり返して 「だから、こうなるの!」 と叫び続けて一生終わるつもりでしょうか? 問題は今、現在じゃないのですか? 貴方が過ぎにし過去を、くちゃくちゃ思い返し続けるというのは取りも直さず、今現在も同じ状況下にあるからなのでしょう? なるほど過去は現在と切り離せない。 事態はちっとも変わっていない。 なぜなんだ! それは昔、あの頃…この繰り返し。繰り返しになってるとしたら、「ほじくり返す」のが解決策ではないということの証拠です。違いますか? >親の干渉が少なかったから迷っている状態が続いている やれやれ、このサイトで 「親に干渉され私の主体性を踏みにじったから人生大失敗した!」 と嘆いている人もいましたっけ。 求職中とのこと。とにかく頑張ってください。 「主体性尊重」などではなく「まともに取り合ってはくれなかった」ということなのでしたら まず、「今の」貴方をマトモな大人として扱ってもらうように持っていかなければなりません。 ガキのままで大人扱いを要求したって無理、自分という一個の人間と真正面から向き合ってもらいたいなら、そうさせるだけの力、実績が必要です。 それが貴方がた親子の現実でしょ?違いますか? そして方向性を少しでも変化させたいと御望みでしたら、それは相手方に期待し続けるのではなく、自分の力にかかっている、そういう親子関係なのであり、そういう時期に、とっくになってしまっている、ということなのだと感じられるんですが。 ボヤキ癖がついてるようだと実際、仕事を始めても厳しいと思いますよ。

noname#32495
質問者

お礼

へんな恩着せがましいような口調でコメントするのはやめてもらえませんか。説教されようと別にかまいませんが、人間的な優しさを感じませんよ。私が気に食わないのはかまいませんが、いやいやコメントしたものを読まされる気にもなってください。 だいたい金銭が絡んだ問題ではありません。 履き違えてますよ。 心が荒れている面がありましょう。私よりよっぽど余裕のないでも何とかやってきたという自負もありましょう。しかしそれはここでは関係ないのではないでしょうか。ガキの遠吠えを問題視しないとおっしゃっていることでよくわかりますよ。辛かったでしょうに。 今現在も問題でしょうが、過去も問題であるという考えを否定するのはまたいたずらな前向き主義です。わたしはこの後ろ向きな質問で帰ってきたコメントに救われてるんですから。 とにかく気持ちを落ち着かせてください。頼みます。 議論にもなりません。 今の状態で一人前と扱われているか否かなんていうことは問題にしていないのです。 荒れた文章にはお互い得るところはありませんよ。

noname#185865
noname#185865
回答No.8

ほかの方々の回答とそのお礼を読んで感じたことを書かせていただきます。 >「なぜ」という言葉はとても大事だと思います。 >相手を理解しようという姿勢がそこに見えます。 しかし質問者さまのご両親は質問者さまに対して「なぜ」と問いかけてくれたことが無い。 質問者さまの心を受け止めてはくれなかったし、今でもそうだと思っていらっしゃるのですね。 ご両親が自分に対してもっと理解ある態度を示してくれていたら今とは違う人生であったかもしれないとも思っていらっしゃる。 親子であっても心から理解し合うのは至難の業です。 私自身、親とは価値観があまりに違っていたので、高校卒業後は進学、就職、結婚、すべて自分の意思で決定しました。 親には事後承諾の形です。 自分の子どもに対しては相談にはのりますが、どちらかというとうるさがられています。 関心を持ちつつ、干渉しすぎず、子どもとちょうど良い距離を保つことは本当に難しいことです。 ご自身の大学進学で選択肢を誤ったとのことですが、そのことでお母さまを責めるのはちょっと違うように感じます。 この年代の方だと大学を出ていない方が多いでしょう。 私のときも(30年ほど前です)大学出の女は嫁にいけないなどと反対されました。 私よりおそらく年配のお母さまに「理系より文系のほうが云々」という言葉を期待するほうが酷なように思います。 >母親は(略)、そして何より私の状態のことで悩み続けつつという日々でした。 ということは少なくともお母さまは質問者さまのことを常に気遣っていたのではないですか? お父さまは…そうですね、ご自分の仕事で精一杯だったのかもしれませんね。 苦労してご自分の人生を切り開いてきた方なので、自分の息子が「なぜ」と聞いて欲しがっていることに理解がおよばなかった可能性もあります。 あるいはそれを聞いてしまうと自分のこれまでの生き方が否定されてしまうようで「怖かった」のでしょう。 子どもの気持ちに寄り添い、理解し、子どもが悩んでいるとき常に最良のアドヴァイスを授けることの出来る親であれば最高ですが、それはなかなかできることではありません。 そうできる程の度量のない親だと子どもに責められるのも辛いものです。 質問者さまはいま再びご自身の人生の岐路に立たれて何か悩みをお持ちなのでしょう。 「あの時親が『なぜ』と聞いていてくれさえいたらいま自分はこんなことで悩む必要はないのに」 そんな思いがどこかにあるように感じます。 自分に共感してくれる人が欲しい。 自分に共感してくれる人がいたら今の悩みから抜け出せる。 今はきっとそんな状態なのでしょう。 でも親だけにそれを期待するのもどんなものでしょう。 また共感さえ得られればすべては解決するものなのでしょうか。 親に理解されることだけを望むのではなく、親を理解することも学ぶべき時期に来ていると思うのです。 そしてまた親とだけ向き合うだけの人間関係ではなく、ほかの人間関係も作っていくべきではないでしょうか。 質問の答えになっていなくて申し訳ありません。

noname#32495
質問者

お礼

親御さんとの関係で苦労なされたんですね。 子供さんの相談にのって上げているということ、それがうるさがられても、結局は感謝の念を沸かせることになるのではないでしょうか。 理系文系というのはたとえです。そういう例もあったと。良心はそれなりに(というか日々そればかりだったでしょう)私の心配で生きてきたといってもいいでしょう。問題は交わり方というか、方法論でしょうかと思います。気持ちの持ちようかと。 なかなか一筋縄ではいかないもので、お互いが不覚にも傷つけあっているわけです。 果たして人生やり直せるんだろうかと、いっそあきらめたほうがまともなんじゃないだろうかと、迷いつつ暮らしています。 親への理解と他の人間関係の模索、おっしゃるとおりそれが解決策でしょう。

回答No.7

>なぜ親は「なぜ」を子供に問わないのでしょう。 なぜと言われましても、それを問わない親のほうが一般的には珍しいんじゃないかと思うんですが。。。 >話に聞く限り育った家庭環境には不遇な人たちです。親の愛情にも不遇な人たちです。母親は成績優秀~ うちの場合も両親共に過酷な生い立ちを背負った人たちでしたが(そして私も)御質問者が仰るような程度では驚きもしません。人に言えないような、もっと凄まじい過去をくぐって来て、そして、それに比例するかのように自己主張の激しい、もちろん私に対しても「なぜ」「どうして、お前は」を連発し自分たちの主張に有言無言を問わず従わせようとしました。(口では二言目には「お前の気持ちが大事」なんて言ってましたがね) 貴方の親御さんは、そうであったのでしょう。うちの場合は、こうでした。 他のかたがたの御回答や御質問者の御返事を拝見して、どうやら「無関心」なのかな、という感じも最初は受けましたが >「怖かった」との言葉尻を父から聞いたことがあります。本心から出た言葉なのでしょう。 これもまた聞き捨てならない感じがします。 そして貴方御自身、親御さんのその意味深な一言に対し「なぜ」、と背景を探ろうとはなさらなかったのでしょうか。 親がそんなふうだから自分も影響されて同じようなことになってしまった、というのでは親だけを責めることはできませんよ。というか疑問を持つことすらないはずです。 うちの場合「なぜ」と発するときは殆んどの場合、自分の意向に反するゆえ、自分の都合に合うように「矯正」するべし、との意志とセットでした。 或いは何も問わずに、ただ黙って見詰めるだけだったりもしましたが必ずしも理解してくれているわけでもなくて勝手に解釈して 「やれやれ、ほんにコイツは」 と思っていることが多かったようです。 親なんて、別に子のことを必ずしも分かるわけじゃないです。一心同体じゃないんですから。 「なぜ」と問いかけてもらいたいのに、という渇望と呼ぶべきほどの思いを子が抱え込んでいるということを親だから分かるはずだ、という期待も的外れかもしれません。親子と言えども所詮、誤解に誤解を重ねている「人間関係」じゃないでしょうか。 むしろ母しか、まともに頼る相手がいなかった私のほうが母の気持ちを懸命に理解しようと務めていましたし、そしていま振り返っても母が私の心情を理解するよりも私のほうが、その度合いが上だったと思えます。 「子の心、親知らず」それだけ、弱い立場の子である私は必死でしたから。 また、母に対して「なぜ」と問うことも、あまりなかったです。 父と一緒になった経緯や、わざわざ自分から火中の栗を拾うような生きかたをしてきたことに関しては質問攻めにした事もありますが(私も、とばっちりが大きかったので)でも母の辛い気持ち、悔しさ、そういう内面の動きに関しては「なぜ」を問う事もなく、ひたすら寄り添っていました。 貴方は確か、以前に「一生働かなくても困らない身の上である」と仰っていたかたじゃないかと記憶にあるのですが、もし当方の記憶違いでなければ、そうしたことも親御さんが、うちの親みたいにガツガツと干渉がましいことを言わずに済んだことの要因かもしれません。 普通、親が「なぜ」「どうして」を連発する場合、焦りの気持ちがこもっていることが多いと思うのですが、貴方の親御さんの場合は、いろんな意味で、とくに経済的な面で、のんびり構えていられる状況でもあったのかもしれません。どう転んでも、どうにかなるだろうみたいな。違いますか?違ってたら失礼。 それで貴方は、もう結構な年齢のかたではないかと推察しますが、なぜ、いまにして、ここでこうした多分に特殊なと思われるような御質問を投げかけられたのでしょうか? 私には単純に考えれば要するに子に対して関心が薄いタイプの親なのかな、或いは他のかたが仰るように本人の「主体性」尊重主義、悪く言えば「放任主義」なのだろうか、くらいにしか思えませんでしたが、結局のところ >「怖かった」との言葉尻を父から聞いたことが これを御自身で追究なさるしか詮無いことではありませんか? >「なぜ私の気持ちをもっと斟酌してくれないのか」 いかにも日本人的な考えかたでもありましょうし >「何で元気がないんだ」 「家の中にいるのがつらいから」 なぜ、つらいのか尋ねられるまで黙っているべきなのでしょうか? >人生の大事な局面で自分の判断を隠す。 貴方自身は、どうだったのですか? >親を個と認める。なかなか理屈ではわかりそうにありませんね。 そうです。体得するものですよ。 まだそこまで達しておられないということでしょう。 どんな親を持つか、その用意する環境は確かに子の人生を大きく左右する、親というものは、そういう権力を持っております。 しかし、その親を持って生まれてきたことも自分の実力、分際のうちなのかもしれないです。

noname#32495
質問者

お礼

「それを問う親のほうが珍しい」ですよね。 「怖かった」という言葉に関して私が想像したのは父親が身を削って生きてきた見返りが子供を(心理的に)苦しめることになったという認識をすることに関してなんだと思います。それを許容する器量が私にはなかったということです。 お母様に「なぜ」を聞いたのですが、答えがなかったということなのでしょう。質問者が子供でなかったら説明したかもしれません。でもこの「寄り添い」という回答者様の姿勢が結局は言葉を発するベースになっているのでしょう。 ご記憶していただいて多少驚いています。 まさにおっしゃるとおりで、親の干渉が少なかったから迷っている状態が続いているという面もあります。あのときの質問も、私なりに必死だったのです。後ろめたいしみっともない、でもこのGOOからなにか引き出せるかもしれないという、一種の藁です。今回もいつも心に張り付いている私にとっては根本的な、人生を左右した疑問なのです。だから、すっきりしたいさせてもらいたいという思いです。ご回答者に頭をひっていただいて、感謝いたします。 「なぜ」と経済的な焦りと関係あるでしょうか。もっと子供のときからの問題なので、うちの場合はそういう意味合いは薄いようです。経済的な絡みではない。良心の心情に常に経済が最重要課題であったことはいえるでしょうが。そこで、「なぜ心がこうなっている」という質問心情から遠ざかっていたのでしょう。 無論、不満はぶつけたし、怒鳴ったりもしたし、いろいろやってきました。それでも私のその「心」に真っ向から受け止めるということはほとんどなかった、ないことが多すぎた、子供時代は親への不信感が大きくなってしまったという歴史があるわけです。つまり、私の「心」など親にとっては問題ではないのだ、私の考えること思うことは所詮ガキの遠吠えに過ぎないのだという認識を持ったわけです。 でもそれは違うのではないか。もっと心を大事にされてもよかったのではないかと今になっても思います。思うんだからしょうがないですよね、求職中ですけど。 私自身は親の岐路でやはり「親の主体性」に任せました。私が口出しできる分際ではないと、どうしても意識のそこにある、それはやはり同じことを繰り返しているともいえます。

noname#31063
noname#31063
回答No.6

他の回答文と共に、お礼も読ませていただきました。 それで私の直感ですが、 >人生の大事な局面で自分の判断を隠す。 臆病とは何者なのでしょう。 これがまだ実感できないところです。 これはまだ幼く非力で無抵抗だった頃の自分の声があるからと思います。 家の外で 両親が見つけて迎えに来てくれるのを、 怒られたけれど心配して慰めてくれるのを 大切な人に同じぐらいに大切にしてもらいたいのを ずっと信じて待って待って、悲しみを堪えて待っている 小さな女の子の心理が見えるのです。 私は霊感はないのですが、幼い頃の自分がまだ支配しているのです。 それがあるのかもしれませんね。 出来るだけ自分の子供には 「どうしたらいいだろう?」 「泣いてもいいよ、悲しいんだから」 「それでも○○は頑張ったんだから好きだ」 と言葉を掛けてあげるようにしています。

noname#32495
質問者

お礼

親になってみないと、親の気持ちはわからないということなのかもしれないですね。子供を持ってみて自分の「子供性」とどうむきあうのか。何分にも社会性とある程度の哲学を確立しないと、怖くて親にもなれそうにありません。

  • cian
  • ベストアンサー率10% (32/315)
回答No.5

1、自分の考えがすべて正しいと思っているから 2、自分と子供が同じ考えだと思っているから 3、(あなたの年齢では)もう自分でなんでもでる年齢であると思っているから だと思います。

noname#32495
質問者

お礼

それが昔からなんです。 12の子供がふさぎこんでも「なぜ」かを問わないわけです。 1,2はそういう面もありそうです。 要するに、子供の土俵で物事を見ようとしなかったと、その柔軟性にも努力にもかけていたといえそうです。そういうことにかまけている(ほんとは大事なんですが)余裕がなかったと、逃げ口上でなく言えているのでしょう。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.4

『なぜ雲は浮かんでるの?』 『なぜイヌはワンって鳴くの?』 『子どもってどうやって作るの?』 子どもの探究心は飽くなく、大人がタジタジの質問も連発します。 しかしこの『なぜ』『どうして』という言葉を問いかけで使う場合は『興味は満たしたいものの、自力探索をあきらめたとき』に使う言葉です。 大人になれば答えを自力探索をする手段も増えてきますし、経験で対処法も心得てきます。大人が『なぜ?なぜ?』を連呼することはほとんどないですよね?『なぜ』を使わない場合は、自分で答えを出すor興味自体を無視する場合です。 ですからあなたの言うように親が無関心である可能性もあるのかもしれません。 しかし、親や先生の『なぜ?』には特別な意味があります。 『なぜ宿題をしないの?』 『なぜウソをついたの?』 これらは本人の興味ではなく、子どもに対し自分のしたことを反芻させ理解させるためです。ですから、根本的に興味云々ではないのです。 そして子どもが大きくなってくると『いちいち干渉するな』『私の勝手だ』とこの質問に嫌悪を覚えていきます。 あなたにも反抗期はあったと思います。それを越えたら、誰かに反芻を促されるのではなく、自分でしなくてはいけません。 ふさぎこんでいる場合は親さんは聞いてもよかったと思いますが、部活動も外見も、進路も自分で目標を定めて、自分で決めるべきです。 特に『(文系を勧める意味で)なぜ理系にするの?』なんて、親が探りを入れたらケンカ確定じゃないですか。 屈折した心理に悩み迷うのが高校生の時期であって、これを放棄して親の責任に転嫁してしまうのは幼いと思いますよ。自分の選んだ道は自分で選び、親のお墨付きなど必要ありません。 質問者さんがおいくつかわかりませんが、他者への依存や同情を求めているような感じがします。 人間は一人では生きていけないとはいえ、もう少し大人にならないと自立できないような気がします。

noname#32495
質問者

お礼

私が自立できるかできないかは余計なお世話として、論旨の前半は的を得ていると思います。子供の気持ちに対して興味を失っている、あるいはそれと向き合いたくないということの表れ以外考えられません。 「反抗期」というものが私にあったのか定かでなく、もし回答者様がおっしゃるようなものでしたら違います。この質問の延長であり、「なぜ私の気持ちをもっと斟酌してくれないのか」という精神的飢餓状態がそれであったといっていいでしょう。ですので、理系文系の例も「なぜ文系にしないのか」でなく「私らはあんたがこっちにむいてると思うんだけど、あんた自身はどうなの」という意味の質問をなぜ投げかけられなかった(実際投げかけたのでしょうが、私の意識では気遣ってもらったことがなかった)のかということです。 そういう状態が強い性質を持つ子供であれば苦にしないでしょうが、生来精神的に繊細であるとか神経質であるとかいう素質を持った子供に対しては、よりどころのない不安寂寥感、人生のまえにたじろぐ恐れを作り上げることになるのではないでしょうか。 つまり、論旨の後半は私には無理(であった)ことを説いています。

  • boke-chan
  • ベストアンサー率22% (137/604)
回答No.2

なぜ あなたの親はあなたに「なぜ」と問わなかったのでしょうか? それはあなたの親に聞きましょう。 「なぜ」と聞かなくても、子供の心理を確認する方法はあるでしょ。

noname#32495
質問者

お礼

「最近時々わき腹が痛むことがあります。すぐ収まるんですがどういうことが考えられますか?」→ 「医者へ行きましょう」 なぜと聞かない以外どういう確認方法があるのです?以心伝心ですか?

  • dhish
  • ベストアンサー率36% (48/131)
回答No.1

親御さんはあなたの事を一人の人間としてみられているのでは? あなたの意思を尊重しているからでは?って思います。 反面、「自身の力で選択して人生を歩んで行け!」って感じで、その言葉をとらえる年代によっては「厳しい親」ともいえますよね。 その場合、突き放された方としては「無責任すぎる」って感じる事もあるでしょうね。 そう思うと、親なんだから少しは一緒に考えて欲しい!って気持ちもわかるようなきはしますけど… 「何故?」って自分と事なる考えを持った人に対して使いませんか? あなた自身が迷ったあげく、やっと見出した答えに、「何故?」を問いかける親の方が私は嫌だなぁ~。 親という立場を使い「親が考えている事が一番正しい」「あなたは間違っているわ」を問いただす為に、 「何故親の考えたような行動をしないの?」と言う言われ方をする方が良いと感じますか? 子をおもわない親はいませんよ。(いないと信じたい…) 子供を立派に一人立ちさせる為にあえて試練を課してるとしたら…? とらえ方によったら有難い親でもあるでしょう? 人生、山もあれば谷もあります。 谷の時に、あの時あのようにしておけば良かった…って誰もが思う事です。 探りを入れてもらったからって、それを素直に聞き入れるだけの余裕があなたになければ、結果同じでしょ? 又素直に聞いて、結果失敗してしまう事も起こりえるでしょ? どのルートをたどっても結果、誰かのせいにしてしまうのは寂しくありませんか? あなたの人生はあなたのもの。親の人生ではないのですよ。 迷いも失敗も必要。その経験が今後ポジティブに生き抜く為の糧となるのよ。 若いうちに経験出来るなんて素晴らしいじゃないですか。 親の言うがままのレールに乗って、いい大人になってから倍の挫折感を味わうより全然良いと思いますよ。 親は、あなたより早くこの世から消えます。 その時あなたは「探り」を入れてくれるはずの親がいない為に、今後どのように選択していったらいいか迷うでしょう。 それとも「親」の代わりを他に見つけますか? 親も一応人間です。間違った事もします。 親だから完璧とはいえません。 でも親も一生懸命生きてます。 親だってあなたと同じ不安を抱えながら良かれと思う事をポジティブに生きてるんですよ。 家族を守る為にね。 今の世は厳しいから、むか~しのように家族の会話を楽しむ時間さえもない…忘れてる方が多いですよね。 仕事=家族の生活を安定させる事だけを優先して、語らいを忘れて生きてる方も多くみられますよね。 でも、それはそれで厳しい世の中での愛の形だと思います。 なので親は、子供を一人立ちさせる為、厳しい社会を生き抜いていってもらう為に、常に課題と立ち向かわせているという事かしら。 あとは自分自身で壁にぶつかって、強くならないとね。 「何故?」を他人に期待するような甘えは、自分から切り捨てなきゃね。 親は、判断の聞かない人(幼児~義務教育ぐらいまでの人)に対しては「何故なら…」と必ず答えてきているはずよ。 親が「何故?」を問わないのはあなたを一人の人として認めている…って思えないかな?

noname#32495
質問者

お礼

問題なのは、親が私に興味をある意味興味を示さなかったと(当人にとって)とらえられるような扱いをしたということでしょう。先を読みすぎた回答のような気がします。私のはるか頭上を回答の風が通り過ぎるようです。それに親がなぜならと諭すのはまったく趣旨が違います。

noname#32495
質問者

補足

人生の課題選択などの問題より以前の、原始的な問題です。心の苦しみを悲しみを一緒に共感する親なんだろうか(実際にはそうでしょうが)?という子供の渇望感が問題だったといってもいいでしょう。

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    飲食店を経営している者です。 最近うちの店に親子連れで来られるお客様で、お子様のニンテンドーDSの所有率が 異常に高いことがすごく気になっています。 お子様は席につくなりスイッチオンで完全に没頭。 一方のご両親は全く子供たちに無関心な様子。 料理が出てきて、食べ終わったらまたスイッチオン… 私はただ料理を提供するだけの立場なので、 お客様のお子様が他のお客様に迷惑をかけない限りは何も言いません。 しかしこれで本当にいいのでしょうか? 私の目にはすごく奇異な光景に映るのです。 外食するときって、もっとみんなで会話しながらのほうが楽しくないですか? ゲームはわざわざお店でしなくても、ご自宅でもできると思うのです。 もちろん親にも言い分はあると思います。 子供は遊ぶものを持っていないと走り回ったりしてかえって周りに迷惑をかける。 その点DSほど子供をおとなしくさせるのに気の利いたシロモノはない、といったところでしょうか? 私は未婚で子供もいませんので、親としての感覚は皆無です。 こんなことを質問すれば子供を持つたくさんの親の皆様に反発されるのは覚悟の上ですが、あえてお聞きします。 DSがないと自分たちはゆっくり食事できないのでしょうか? 親と話もせずにDSに熱中している姿を見て、正直どう思われますか? また、そのことに気づいていらっしゃいますか? お子様をお持ちのお父さん、お母さん それと私と同じように感じていらっしゃる同業者の方 いろいろな方の回答お待ちしています。

  • 親がアホで、子供にそれが移り。。

     金持ち父さんという本があると思いますが 金持ちの親は、子供に勉強よりお金を稼ぐことの大切さを教えます。  それは、お金を稼ぐ方法を知っていれば どんな状況になっても生きていけるからです。  それにくらべて、うちの親ときたら、私が学校・社会でどんなひどい仕打ちを受けても放置で  多くの普通の親は、子供のために 資産を残すと思いますが、 すべて株につぎ込みパーにしてしまいました。  おまけに、連れてきた家庭教師が守銭奴で、意味のない勉強をさせてカネだけ持って逃げました。 勉学ホスト・勉学キャバクラと変わらないです。   おまけに、この手の親に限って 大病をして、子供に負荷を掛けてきます。   衣食住は恵まれていましたが、子供に生きるための知恵を まったく教えませんでした。 おかげで、大人になっても割を食うばかりです。  私よりの事より、裕福な人の親子関係 や 受け継いだ資産(知恵、先見性でもいいです)を聞きたいです。

  • 理系にいきたいのに、親に文系にされてしまいました

    僕は帰国生で現在高2です。高1のころ2回の進路希望調査があり、2回とも自分で理系と選び、親と話し合ったのですが、2回とも文系にさせられました。理由は「お前には英語しかないんだから英語を使った入試を考えない限り絶対許可しない」といわれました。父は英語入試は文系しかなくて理系にはないと思ってるのか。。。母は妹の進路しか見てないので母には相談できそうにないです。 クラスのみんなや友達はほとんどが理系で自分も理系にいきたいのです。僕は帰国生なので、国語は非常に苦手で理解できず、テストでも点数が取れません。それに比べて数学のテストのほうが点が取れて、内容も理解できます。僕は将来IT系の仕事に就きたくて、そのためにはどうしても理系に進む必要があるのですが、親は納得してくれません。理由もまた「お前にIT系の仕事ができるわけない」といわれました。親はIT系などは大学で勉強することをわかっていないのかと気になります。まだ2年なのですが、まだ理系に変更するチャンスはあるのでしょうか?そしてそのためにはいつも以上に数学ができるようになるのは当たり前なのでしょうか?僕は文系で高校・大学を卒業しても就きたい職業なんて何一つないので、フリーターになってしまいます。それに比べて理系なら就きたい職業はたくさんあるのに親にいきたくもない文系にされて自分の人生をめちゃめちゃにしたくありません。今年も幸い進路希望調査が後期にあります。この場合どうしたらいいのでしょうか?

  • バーゲンに子供を連れてくる親

    素朴な意見なんですが。。 バーゲンに小さな子供を連れてくる親をよく見るんですが非常に迷惑なんです。 店はバーゲンに押しかけた人たちでごったがえしているのに小さい子を抱いたまま夢中で商品を物色している母親。子供は泣きわめいてるのにおかまいなし。子供はバーゲンなんか興味ないので当然おとなしくできずに親が目の色変えてショッピングしている間そこらじゅうを駆け回る。そういう親子が何組もいて「ここは動物園か?」と思うくらいものすごい声を上げたり泣き喚いたり走り回ったりしているガキ、いえお子さんがあちこちにいて驚きました。 店員さんとかほかのお客さんもただでさえ混雑して苛立ってたりするのに子供のわめき声をきかされかなりイライラする人も多いと思います。 私としては「バーゲンに子供なんか連れてくんな!」といつも思います。 当然そういう親には親の言い分があるのでしょうし、もちろんちゃんと周りに気を使って迷惑にならないようにしている人もいるのでしょう。 「じゃああなたは子供がいる人は家にいろ、出かけるなといいたいのですか」とか「あなたも子供のときに同じように迷惑をかけたはずです」とかいうご意見がきそうなんですが、そういうことではなくただただ「なぜそこまでしてバーゲンに来たいのか?」ということが理解できないのです。そこまでしてバーゲンに来たいのでしょうか?周りが迷惑してるのがわからないんでしょうか?わかっててやってるんですか? こういう意見を言う私のほうが理解がないのでしょうか。

  • 自分の進路をわかってくれない親をどう思いますか?

    自分は将来情報系の仕事につきたいので、理系に進もうとしたのですが、親と相談したところ「お前には英語しかない+数学ができないやつには無理だ。それでもいきたいなら数学のテストでクラスのトップ5位にはいってみろ」といわれました。しかし、クラスの中では理系だけど数学が苦手なんて人たくさんいます。たしかにそれくらいのレベルでないと理系についていくのは難しいとは思います。でも周りの理系の友人は数学を難しいといってますし、テストでも平均点くらいしか取ってないそうです。それでもその友人の親はきちんと子供の進路を理解している。これに対して自分の親はみんなが難しい言う数学でトップ5に入らないと理系に進ませてくれないのをみなさんはどう思いますか? (クラスで数学が得意なんていう人いても1,2人です。自分はそこまで得意ではないですし) 僕は現在高2で文系ですが、来年の選択科目を決める時期になり、理系に進める可能性が出ているので質問しました。

  • 親を尊敬する子供は異常ではないか

    小学生以下の子供は別として ごくごくたまに親を尊敬しているという大の大人がいます。 正直全く理解不能なのですが親というのは尊敬するという対象になりうるでしょうか。 親とは目の上のこぶであり、最も厄介な他人ではあるが情によって切り離すことができない存在だと思うのです。 もしそれが可能というのは別の見方をすれば親子関係が破たんしているんじゃないでしょうか。 私が変なのか?

  • 子どもが親から引き離されている現状の改善するには?

    NHKクローズアップ現代「離婚 親と子が会えない」 小田切紀子教授のコメントを下記に載せましたが、解決するには具体的にどうしたらいいか教えてください。 ●離婚後に子どもに会えない親について >>やはり子どもに会えない親は、生きがいを失ってしまって、生きる価値が見いだせなくなって、うつ状態になってしまったり、あるいは親権を持てなくて、子どもに会えないのが母親の場合、周囲からよほどひどいことをしたんじゃないかっていうふうに思われて、精神的に追い詰められてるって、そういうことがあります。 ●親に会えない子どもについて >>やっぱり子どもは、きょうの生活があしたも続くっていう安心感の下に暮らしているわけですよね。離婚によって、それが根底から崩されるわけで、離婚が子どもを精神的にももう心理的にも経済的にも苦痛を与えると、これはもう避けられないと思うんですね。増してや離れて暮らす親と会えないと、自分は親から愛されていないんだ、もしかしたら、いらない子だったんじゃないかっていうふうに、非常に自己肯定感も低くなりますし、親からも愛されない自分なんていうのは、もう誰からも必要とされないんじゃないかって いうふうに思ってしまうこともあります。また子どもは高校、大学のころ、ちょうど青年期のころ、自分のいいところ、悪いところを知って、親とは違う自分らしさっていうものを作っていく時期なんですね。これをアイデンティティを確立するっていうふうにいいますが、そのときにはやっぱり自分のルーツである父親と母親のことを深く知って、お父さんとお母さんが自分の人格形成にどういうふうに影響を与えたのかっていうのを知ることが大事なんですけれども、それが離れて暮らす親と会えなかったりすると、非常にその自分らしさを作っていく過程で、混乱してしまう、そういうことが起こってきます。 >>やっぱり子どもは両方の両親から愛されているっていう体験が必要なわけですね。子の面会交流というのは子どもの権利で、親はそれを保障する義務があるんですね。もちろん片方の親から子どもへの暴力とか、そういうことがあった場合には、考えていかなくちゃいけませんけれども、やっぱり子どもの権利ですので、子どもがきちんと両方の親に会えるように、周りはサポートしていく必要があると思います。子どもはやっぱりいっしょに暮らす親に全面的に頼っていますので、やっぱり親の様子を見て、親の機嫌を損ねてまで、リスクを負ってまで離れて暮らす親に会いたいとは言えないことがあるので、なかなか子どもの言葉は、そのまんま額面どおり、本音と思わないほうがいいのかもしれないですね。 >>やっぱり夫婦の問題と親子の問題を切り離して考えたほうがよくて、夫、妻としては問題があったけれども、親としては、特に問題はなくて、親子関係はうまくいってた、そういう場合もあるわけですよね。ですから、この問題に関しては、離婚をしても親として、子どもに何ができるのか、子どもには何が必要なのかっていうのを考えていく必要があると思います。 連れ去り別居  追い出し別居  片親疎外PAS  面会交流拒否  親子交流断絶

  • 貧乏なら子供は作らない。それが子供のため

     いぜん、なにかの特集で、親が貧乏のため 苦しんでいる親子を見かけたのですが。。  貧乏なら子供は作らない。それが子供のためと私は考えます。 みなさんは、子供に夢を託す および 子どもとの楽しい生活を望んでいるということなんですよね?  厳しい環境で生きてきたので、私は、その環境が理解できません。  人間味がなくなっているのでしょうか?

  • 子供の将来について

     閲覧ありがとうございます 19歳の息子のことで相談させていただきます 昔から人見知りの激しい子でした。 中学に入り不登校に、でも適応教室には通っていました。 高校も2年で中退、通信高校に通い卒業 一浪し私立大学に合格 しかし本人は理系志望でしたが高校中退なので数学、理科がだめで文系に 入学式が近くなるにつれ不安だらけのようで最近になり自分は「社会不安障害」「適応障害」「対人恐怖症」だと思うと言われました 確かに私も調べるとそうだと思いました 親なのに恥ずかしいです 直ぐに心療内科に行こうと言いましたが性格なんだから病院で治るはずないと。 この性格を分っていたのになぜ子供の時に治そうとしてくれなかったんだとも言われました どうしたらいいのですか? わたしは病院に行き少しでも治らないまでも抑えることができるのでは? 薬によってなんとかと思っています 病気はいずれ欝になるかもと書いてあったので心配です どうしたらいいのですか?

  • 親への考え方。

    私は20代後半の女です。 小さい頃から割と箱入り娘で育てられたと思っています。 習い事をしたり、塾に行ったり、事あるごとに親はお金を出してくれました。そして、過保護でどこかに行く時は迎えに来たり、送って行ってくれたりという感じでした。 私が習い事の練習をしないと「お金を払ってるんだから。」とよく言われてましたが、それは当たり前かなと思います。 テストでは親が納得いく結果じゃないと機嫌が悪くなって、親の顔色を伺う事も多かったです。 お母さんは事あるごとに小言のように注意していて、お父さんが怒る時は雷が落ちるかのように凄い怒られ方をしてきました。お父さんに怒られた後とかはお母さんにフォローされた覚えはありません。母は夫1番、子ども2番の考え方だったのか、父親の顔色を伺ってたのかわかりません。 それでも、親に大切にされて育って来たと思っていました。 だけど、20代前半の時に私が結婚するとなった時に、親はその人との結婚を認めてはいたものの、なんだか納得がいかなかった様子で(仕事も申し分なかったし、性格も温厚だったし特に親に何か言った訳でもない)、お母さんは「大切に育てて来たのに、言う事も聞かないなんて、お父さんが可哀想だね。」「あんたが結婚を焦ってるからこんな事になったんでしょ。」「結局大切に育てて来てこんな結果か。」と散々な事を私に言ってました。 お父さんは「なんだか結婚式に出る気もしない。」「2人の子どもだったら頭も悪いんだろうな。」などと言ってました。 なんか、今まで自分の1番の味方で何をしても温かく見守ってくれていると思っていたから、こんな事を言われたのがショックで、親の言っている事が正しいのか、自分が正しいのか。。 なんだか、3ヶ月くらい毎日のように言われていて、考えすぎて極度のマリッジブルーになって結局結婚破談になりました。 (この頃自分の意見がはっきりしていなかった自分も悪いと今では思っています。今では親のせいにはしていません。) でも、この事がきっかけとなって、親は自分の味方ではないと思うようになりました。 自分の子どもだから自分と意見が一緒で当たり前だし、考え方が違うはずがない。今まで大切に育てて来たんだから、自分が(親が)納得いく生き方じゃないと育てた意味がない。 って思っているんだろうなと今では思っています。 今では、彼氏もいらないし、結婚するってなったら、また同じ事になるんだろうな。 今後親に頼ったとしたら「~してあげたんだから。」って言われたり、干渉され続けるのかと思うと、もう何も親に言いたくないし、頼りたくもないし、話したくないと思ってしまう事すらあります。 親は親子なんだから何かあったとしてもわかりあえると思っています。私が何か意見したら「もう少し育て方が違ったらもっと素直になったのかなー。」などと言ってきます。 私は親と子どもでも一人の人間同士なんだから考え方が違って当たり前だし、意見を言うのって当たり前の事だと思うし、言われた事にそのまま従うなんて、ただの奴隷のようなものなんじゃないかと思っています。そして、親子だからって何を言っても言い訳じゃないし、人間として私の事を尊重してないんじゃないかなとも思っています。 今は幸いな事に親とは離れて生活しており、海外に留学しにきています。 でも、たまにふと親の事を考えた時に上記の気持ちは必ず浮かんできます。 育ててもらった事、お金を出してくれた事には感謝しているんですが、20代前半までの感謝の仕方とはやっぱり違います。 自分の親だし、こんな風に思ってしまうのは自分でも悲しいけど、自分の感情が変わりません。 今後どのように考えたら良いのでしょうか。自分の親に対して、こんなことを考えてしまうのがとても残念です。