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愛って何ですか。

愛って何ですか。アメリカ人は机に家族の写真を飾って、アイ・ラブ・ユーって良く言う割りに直ぐに離婚しますね。あれは、私は、アメリカ人は愛を厳しく考えるからああなるのじゃないかなと思います。特にキリスト教の影響で、神様の愛と男女の愛とをパラレルに考えて、男女の愛が無くなったら大変な出来事だ、離婚しかないっていうんで、直ぐ離婚というようになるのだろうと思っています。 日本人は愛をあまり真剣に考えないというか、愛がなくなっても、あ、ないな程度でないと離婚と直ぐに考えないのではないかと思います。 だから、キリスト教の愛というのは、多分相当程度はっきりしていて、それが影響を与えていると思います。そうすると、日本の元々の宗教には愛というのは、無かったのでしょうか。慈悲というのはあったのでしょうけれども。 そうすると、キリスト教の愛は、性的な愛とくっつきやすいのでしょうか。 仏教でも、チベット仏教なんかは性的な愛とくっついているのではないかと思いますけれど。 チベットでは、他に何もないから、性的なエクスタシーで宗教的な恍惚を得て、それで、解脱できたとおもっているのではないかと思いますが。 人間の間の愛でも、事実的な愛の状態を考える時は、宗教的な枠組みなどで愛というものを考えているのだと思います。 私の考えは賛同が得られそうですか。 もっとも、自分で愛って何だと考えると相手の尊重かなと思っているのですが、それは、大して自分自身に興奮をもたらすものではないですね。愛で興奮している人々って、共産主義が駄目だ、革命が無くなったと思って、愛で、宗教で崇高な自分を感じたいと思っている人々だと思うのですが、それって、社会人類学的な考えなのかしら。社会人類学的な考えって良く知らないのですが。皆様のこういった点についてのお考えを教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

キリスト教は基本的に離婚を禁止しているんです。あと、究極的には性的興奮も禁止しています。性行為は子供をつくる目的のみのために行うべきものとされ、オーラル・セックスは禁止しています。あと、体位ではバックを禁止しています。動物と同じだからでそうです。あと騎乗位も禁止しています。それは女性は本来アダムの肋骨から作られたので男性の従属者だから、上になってはいけないのだそうです。 こうみていくと、アメリカなんかで離婚が多いのは、キリスト教の愛が強いからではなく、彼らが宗教的に堕落しているからです。あと、女性の我が強いというのもあります。これもキリスト教的には堕落です。キリスト教では女性は男性に仕えるものだからです。そういう意味で、自己主張をつよくするアメリカ女性はキリスト教の基準では堕落しています。 アメリカで、アイラブユーをいつも言うのは、彼らは動物的性欲が異常に強いということと、いつもそれを言っていないと不安なほど、相手を信用できないからです。つまり激しい不振社会なのです。で、なぜ、すぐ離婚するかというと、彼らに「愛を育む」とい考えがないからです。つまり、愛とは「相手を思いやること」という基本がないのです。だから我慢できないのです。 日本は性欲がなくなっても、相手を見捨てません。それは、愛とは性欲だけではなく、長い期間をかけて育むものだと知っているからです。愛は興奮がなくなったとき、初めて本当になります。遠藤周作は「愛とは捨てないこと」だといいました。 つまり、アメリカ人の多くは宗教的には堕落した連中だということがいえます。むしろ、日本人の方がイエス・キリストの考え方に近いといえます。

reinosuke
質問者

補足

有難うございます。 アメリカでは、性欲がなくなると愛しなくなるのでしょうか。 アメリカでも、相当の老人同士でも結構仲よさそうなのがいるようですが。

その他の回答 (2)

  • kneissl
  • ベストアンサー率30% (97/320)
回答No.3

宗教学や社会人類学などの難しい話は、私にはわかりませんが、言語学的には「愛」の定義は米国よりも日本のほうが限定的だと思います。 例えば、アメリカの「愛」っていうのは「love」ですけど、「love」っていうのは、結局「すごく好き」ならなんにでも使えるわけです。恋人を「love」することはもちろん、家族を「love」することだってできますし、ペットや野球、アイスクリームにだって、彼らは「love」します。 だから、「love」は単純に「like」の程度が強まったものと解せそうです。 ところが日本の「愛」は、まず「恋」との対比がありますよね。(この違いもなかなか、明確には説明できないところもありますが)英語では「恋」も「愛」も「love」と訳されてしまいます。私は日本語の「恋」と「愛」には明確な違いがあると思っていますが、ここでは割愛。 それに、日本語では「彼女を愛してる」と言えても、「兄を愛してる」というのは言えないこともないが、ややむず痒い言葉です。この家族兄弟に使われだしたのは、調査研究したわけではないので断定的なことは言えませんが、米訳語が入ってきてからだと思います。 ましてや、「ペットを愛してる」とか「アイスクリームを愛してる」などというのは、偏執的にさえ聞こえます。 ここから、英語の「love」は性愛を含む包括的な愛情を指し、日本語の「愛」は男女間の精神的・肉感的な愛情を主に指す、と考えられそうです。 アメリカという国は(ここではともかくアメリカだけに限定しておきますが)、早くからキリスト教的精神に育まれた国ではありました。(そもそも、イギリスの野蛮な移民の作り上げた、悪ガキみたいな国ですから) ですから、強大国家になって世界を席巻していく過程で、現実主義をとっていくと、必然的に宗教という観念(理想)から乖離していった、その結果として、貧富の格差や離婚、治安の悪化などの社会問題が次々と出てきたのだと思います。アメリカの抱える問題は、すべて手繰り寄せていけば、理想と現実のギャップから生じたといえるものだと思います。それはつまり、キリスト教の功罪だと、私は思います。 一方、日本はもともと汎神論といって、そこらの草木や石、山や海など、自然のありとあらゆるものに神がいる(八百万の神)という宗教観ですから、仏教やキリスト教は、ずっとずっと後になってからのものです。 だからといって日本には「愛」がなかったかというと、そういったことはないと思います。『源氏物語』は世界最古のフィクションですが、やはりあの作品のテーマは「愛」なわけであって、我々があの作品を読んで理解できるのは、そういった部分で根幹的に繋がっているからにほかならないと思います。 ここからは私的な意見。 愛を宗教的に捉えているのではないか、愛で興奮するのは宗教的観念から自分を崇高に感じたい人々だけではないか、という質問者さんの意見は頭でっかちだと思います。 私は、おそらく、そんなことはないだろうと思いますし、もしそうだとしたら、日本はもっと宗教感覚に強い国になっているだろうということですね。 むしろ、宗教と愛というところが乖離したところにある、そういう現代人の意識から、米人や日本人の離婚率の増加があるのであって、宗教的な愛と実際的な愛が合致しているのなら、人々は何も悩むことはない、少なくともそれに近づけているのなら問題はないと、私は思います。 愛ってなにかはわかりませんが、少なくとも、人を愛すんのって、そんなに簡単なことではないと思います。 最近私は思うのですが、付き合ってると称する人々を見て思うのですが、人間は本当は誰のことも愛していないのに、虚飾や傲慢、卑屈から人を愛しているようなふりをしているのではないか、すべてとは言わないまでもそのほとんどの人間が。 ですから、本当に人を愛するっていうのは、現代人にとってはすごく難しいんではないでしょうかということですね。現代人はすごく嘘も本当もわかってますし、自然科学も発達しましたから、宗教や愛のうそくささみたいなものをじゅうぶんに感知している。だから、ごまかしきれないところで、本当にあるのかないのか、探さなければならないというところはあるかもしれません。 私は、やっぱり愛は愛することも憎むこともすべて含んで愛だと思いますし、殺したいと思ったり、愛しているからこそもう二度と会えないと思ったり、相反する概念を伴ったものであると思います。 ですから、そんなに簡単に手に入るもんでもないし、いつまでも続くもんでもない、悲観的な意見かもしれないですが、愛なんてもんは現実的には皆無に著しく近いのではないかと思います。

reinosuke
質問者

補足

有難うございます。 言語学的には、「愛」という言葉は、 英語のloveの訳語として、出現したのが最初ですか? それとも、それ以前にあったのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

  • Yatobi
  • ベストアンサー率42% (120/285)
回答No.1

まず私的な意見から 「愛=子孫繁栄・社会の発展」(ヲイ) とりあえず宗教観に拠らず民族性なんじゃないですかね、愛と性愛の汎用は。 日本では性愛が猥褻な物として社会から長く隔離されていた(政治的にも)だけに、愛が必ずしも性愛という概念と連動してませんが、その辺りは「少女趣味的な恋愛観(?)」ばかりが社会の大通りを驀進中ですが、その一方で性愛は大っぴらに語られない物の、一応の存在感があるし。 欧米でも性愛と愛(博愛・友愛)は別扱いですし、キリスト教云々はちと違うかと。 そりゃヒンドゥとかチベット仏教とかになると、寺や神殿に祭られた神仏像からして「しちゃってたり」しますけど、あれは人口密度の低い地域や環境が厳しくて死亡率の高い地域から発生した宗教だけに、人間どうしの衝突が少なくて、子を設けても無事に成人する率が低いだけに繁殖に絡む愛欲を抑制しないまま発展したのかも…とか? ヒンドゥ普及地域では「コミュニケーション手段や神秘主義としての愛欲の作法」が古くから発展していただけに、宗教からも敢えて切り離す必要が無かったのかもしれませんが。(カーマ・スートラとか) まあ、神秘主義ではトランス状態とかがある一定段階に達すると、性的なエクスタシーと大した違いがなくなるとも言うけれど、ある意味では「熱で浮かされてる状態」とか空腹と疲労で思考が異常な時の精神活動的も、然程違く無いかも。 そういう「ブッ飛んだ」状態を「解脱」と呼ぶか「狂気」と呼ぶかは、難しい所かも知れない。 あ、すみません。 体調すぐれなくて少々取り留め在りません…思いつきで散文しました。 とりあえず小生としては斯様な事を想ったりしてます。

reinosuke
質問者

お礼

有難うございます。 キリスト教の教会などに行って質問したりすると 嫌がられるものですから。 どうも「愛」って良くわかりません。

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