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戦争時代の‘兵になる’ってことはどんなことだったんでしょうか?

noname#1546の回答

noname#1546
noname#1546
回答No.1

この手の質問は、当時実際に生きておられた方に回答してもらうのが一番だとは思いますが、あえて私の知っている範囲で回答させていただきます。 ちなみに私は30代です。 兵隊さんになれなかった人は、大きく次の方たちです。 その1 老人、子供、女性 その2 公務員(ただし徴兵・召集された方を除く) その3 徴兵検査不適格者 その4 民間人でも国策遂行上、重要な職務に就いていた方 その5 学生(ただし、戦争末期には学徒動員あり) その6 その他徴兵されなかった方      以上(更に細かく言えばきりがありません) 当時の兵隊さんにもいろいろな方がいらっしゃいます。 その1 職業軍人 その2 徴兵 その3 志願兵     以上(更に細かく言えばきりがありません) さて、ご質問の「周りからどんな目で見られたか」ですが、たぶん11723さんがおっしゃっているのは徴兵検査で不適格になられた方のことを言っているんだと思いますので、それについて回答します。 世間(社会)一般では「非国民」という扱いです。ただ、当時の人たちも人の子ですから、兵隊になれなかった方に対して同情・無関心さては嫉妬・バッシングといった気持ちや行動に出ました。それこそ千差万別です。 そこで世間一般論の「非国民」扱いですが、当時の日本はそれこそ世界(ご自分で勉強なさってください)を相手に戦争をしていました。 それこそ戦争一色だったのです。たった50数年前のことですが現在では想像できませんよね!私も偉そうに言えたものではありませんが・・・ そんな訳ですので、非国民扱いを受けた人たちの中にはひどい扱いを受けた方も大勢いらっしゃいます。 とかく当時の戦争に関する問題は、お話しを聞いた方の主観に偏りがちになりますので、それこそ多くの方から話しを聞いて、ご自身で正しい判断そして知識を身に付けてください。

11723
質問者

お礼

ありがとうございました。本当に助かりました。 「この手の質問は当時実際に生きておられた方に聞くのが一番なのでは?」という鋭いご指摘については確かにそうなのですが、聞いてるときに相手のつらい顔を見たりするとどうしても私が逃げ出してしまうのです。 本当にありがとうございました。

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