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放送法は干渉・介入を禁じているの?

naomi2002の回答

  • naomi2002
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回答No.2

私もNo.1さんと、ほぼ同じ考えです。 お礼の文章の中に、ちょっと気になる部分がありました。 >NHKは朝日新聞が捏造報道を行った、と主張しているわけで、朝日新聞の主張が意見ではなく、事実に基づかない捏造によるものである場合は、朝日新聞の見解を放送する事自体が事実に反し、放送法違反になる可能性もあるのではないでしょうか そうはなりません。 NHKが論争の一方の当事者であるという立場と、公平中立な報道を行なうべき報道機関であるという立場とを分けて考える必要があります。 NHKが一方の当事者として朝日新聞の報道をどのように批判しようと、それは自由です。 ニュースとは別な番組にNHK会長が出てきて、NHKの公式見解(一方の当事者の意見)を表明することも、何ら差し支えありません。 しかし、報道番組の中では事情は全く違います。 「NHKは・・・と言っています。」というように、担当者の言葉を引用する形でしか、NHKの立場に言及してはならないのです。 (さすがにNHKもこのことは解っているようで、ニュースの中で「主張」はしていません。担当者の言葉を「引用」しているだけです。) またこのとき、もう一方の当事者の言い分を無視することも許されません。 たとえNHKが一方の当事者であるとしても、(いや、むしろそうであるからこそ、)これに対する反論もあるという事実を無視すれば、公正な報道とは言いかねます。 「朝日新聞が・・・と言っている」という事実を伝えることと、朝日が言っていることの内容が真実であると保証することとは、全く別なことです。 何が真実であるかということは、今の時点では当事者以外、誰もわかりません。NHKの言っていることが怪しいとか、朝日新聞が嘘を言っているのではないかとか、憶測することは全く自由です。しかし少なくとも法的には、これが真実であると確定したものは現時点では何もありません。 もっと解りやすい例を挙げましょう。 刑事事件で検察官は被告人が犯人であると主張し、被告人は無実を主張するというのは、ごく普通にあることです。 どちらかが真実でないことを言っていることになりますね。この場合、報道機関は淡々と両者の主張を伝えればよいのです。 両方を伝えたからといって、両方とも正しいと報道機関が保証しているわけではありませんし、そもそも報道機関はどちらが正しいか判断する権限も義務もありません。。 一方の言い分がどんなに嘘っぽくても、無視することは許されません。 それから、「検閲」とは、公表前に権力的にその公表を差し止めることを意味します。 番組放映後に様々な立場の人が様々な意見を述べることは当然自由であり、政治家にもその自由はあります。 しかし、公表前に何らかの圧力をかけ得る人物が、番組の内容に影響を与えたとすれば、もはや報道の自由はありません。 今回の事件について、そもそも番組の内容が偏向しているか否かが問題だ、などと見当違いなことを言っている人が多いのに驚かされます。 偏向している報道もあり得るということを前提として報道の自由が成り立っているのです。 偏向していると思う人は、番組を見た後にいくらでも反論すればよいのです。 ネット上でも同じことが言えます。極端な話、私がここで個人情報を漏らしたり、誤った情報を流して世間を混乱させることは、あり得ないことではありません。しかし、だからと言って、ここに書き込みをするたびに誰かの事前チェックを受けなければならないとなったら、ぞっとします。 むかし外国の偉い方が、「私はあなたの意見に絶対に賛成しない。しかしあなたがその意見を言う権利は、命を賭けてでも守る。」と言ったそうです。 この言葉が意味するものをかみ締めれば、今回の疑惑の本質は、おのずからみえてくるのではないでしょうか。

guess_manager
質問者

お礼

貴重なご意見ありがとうございました。 報道番組では特に公正中立が求められる、と言う見解ですね。 内容の偏向についてですが、 「偏向している報道もあり得るという事を前提として報道の自由が成り立つ」、とのご意見ですが、 「自ら公正中立であることを律する機関である事を前提として放送の自由が許される」 、という解釈もあり得ると思います。 そもそも、出版にはこうした公正中立を求められる事はありません。事実を曲げないですること、などという規制もありません。他人を貶めない限り、フィクションも許されます 放送(報道ではなく)は公正中立をより厳しくもとめる、というのが放送法の趣旨だと思います。放送免許の新規交付がほとんど認められないのも、業界カルテルのせいだとの声もありますが、公正中立が必要とされているからではないでしょうか。 そうであるならば、放送という特権を手にしている放送事業者が、公正中立について非常に敏感になって番組を手直ししたのも理解できます。 いわゆる表現の自由と、放送については分けて考える必要があるのではないでしょうか。 検閲については、今回の主催者側も放送前に意見を述べていたようです。当然自分たちがどう放送されるのか、当事者は気になるでしょう。ただ、それが検閲になるかどうかは、職務権限がありませんから、因果関係を問う事は出来ないと思います。 政治家についても、同様と思われます。 ただし、一切の干渉を禁ずる、というのが放送法3条の趣旨だとすると、両者とも放送法違反になるでしょう。 とりとめない事を書いてしまいましたが、引き続きご意見くださると非常にウレシイです。よろしくお願いします。

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