• ベストアンサー

ペットと家畜への扱いの違い

命や食の教育の一環として、学校で生徒が家畜を飼い さばいて食べる、という実践がいくつかおこなわれています。 問題は飼う側がペットと家畜を混同して認識してしまい、 家畜として扱えなくなる、ということだと思いますが、 混同を避けるため、どういった点に気をつけるべきでしょうか? 実際に家畜を飼ってらっしゃる方は、将来命を奪うことを どうやってわりきって動物に接しているんでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • pastorius
  • ベストアンサー率48% (538/1110)
回答No.4

質問と関係なくてすみませんが、魚なんかでやった方が安全じゃないですかね。 海水魚の設備は大変だから、虹鱒あたりの美味しい塩焼きをまず食わせて「オイシー」と言わせる。その後に死んだ虹鱒を捌かせる。最後に水槽で虹鱒を飼って、一匹一匹名前をつけさせて可愛がって育てさせる。 こういう順番でないと、最近の日常で生き物を殺して遊ぶ機会が全く無い子供達に、いきなり牛を飼育させて屠殺現場を見せて焼肉にして「食え」なんて言ったら、割り切れずに一生トラウマになってしまう子がいそうな気がします。 人間ていうのは嫌でも他の動物を殺して食べて生きてる存在だということをわからせるのは大事なことだと思いますけど、親を含めた相当多くの周囲の大人がそういう認識持ってないカルチャーだとすると、あまり強い方法で現実を押し付けるとそのフォローが出来ないと思うのですよ。近所で普通に鶏を飼育していて普通に〆て食卓に上ることがあって、誰に聞いても普通は鶏というのは〆て食うもんだ、仕方ないという意見が大半なカルチャーでだったらかまわないと思うんですが。 家畜は田舎で飼ってましたけど、一匹いくら、よく太ったら高く売れる、という感覚でしかなくて、飼い猫とは全く違います。そういう感覚が身についたら混同する方がおかしいと思うようになるんじゃないでしょうか。 猫は可愛いのになんで蚊を殺すことができるんだなんて聞かれても、合理的な説明なんかできません。そこには正義でも何でもないリアルな現実しか無いんだから、妥協して慣れて割り切らせるしか無いでしょう。 どうしてもやるなら、飼ってるときからこれは家畜で将来殺して食べるんだ、よく太らせることがいいことだ、と、刷り込んでそんなもんだと納得させておかないと危険な感じがします。果たして納得するだろうかという気もしますが。 これまた関係ありませんが、うちではトカゲとネズミとコオロギを飼っていて、ネズミの赤ちゃんとコオロギはトカゲの餌になります。でもネズミちゃんもコオロギくんも飼ってると可愛いですよ。愛着を持たないようにネズミちゃんとコオロギくんには絶対に名前をつけないというのが鉄則になっています。

その他の回答 (3)

noname#17364
noname#17364
回答No.3

こんにちは。  家畜を飼育する、ということは経済活動であって、単に食肉を得るための行為ではありません。家畜を飼育し、それを出荷して対価を得ることにより生活を成立させるのが畜産農家です。そこまで全てを教えれば家畜を飼育するのがどういうことなのか説明できると思いますが、単にと殺して食べるだけでは、本当の意味で社会における家畜というものの存在の意義を教えることは出来ないと思います。ですから、そういった学校活動は、何を教えることを目的にしているのでしょうか?  上記の点をしっかりフォローし、教育するのが家畜の意義を教える教育になると思います。そのなかでペットとどう役割が違うのかという対比を考えさせるのもまた教育でしょう。  ただ、飼育している時点では、どの動物にも愛着や愛情を感じるのが普通でしょう。また、家畜であれ、動物の生活の質に気を配り、愛情を持って大切に飼育するのが本来のあり方です。それを止めることが出来るとは思えないし、それでも出荷する、というのが現実なのですから、それを体験させるのが教育であって、最初から接し方の割り切り方を教えては意味がないのではないですか?  さいごに一つだけ気になりましたが、もちろんご存じとは思いますが、いかなる家畜でも、と殺はと畜場で行うよう法律で定められていますから、学校や個人が勝手に家畜をと殺し、解体することは法律に違反しますので、念のためご指摘申し上げます。

回答No.2

 質問の趣旨と外れますが、一体この課題がどのような目的で行われているものかが分からないと考えようがないのではないでしょうか.おそらく学童あるいは生徒のほとんどは自分は家畜やペットでなくて良かったと思うだけではないでしょうか.あるいは殺されないだけペットのほうが良いくらいにしか思わないのではないでしょうか。まったくの想像ですが[君達もよく先生の言うことを聴かないとペットか家畜にされちゃうよ」というような暗示になるかもしれません。しかも友達と人間「枠」に入るために競争しなければなりませんから大変です.  現在の世相では人間も家畜かペット並みの扱いを受けている場合もあるように思います.人間側に居るのはごく少数なのかもしれません.いずれにしても欧米でやっているから日本でもというよくある現象のひとつだとすればまた何をか言わんやということでしょう.ペットと家畜の区別は人間を基準にしなければ論じることはできないと思います.その基準を理解するには早過ぎる児童や生徒に与えるには重すぎる課題なのではないでしょうか?

  • MayWind
  • ベストアンサー率22% (4/18)
回答No.1

ペットと家畜を分ける事はできないし、学校という公共の場で分けて扱うのは間違いだと思います。ペットは命の情操教育として、家畜は現実と妥協する事を教えてくれるでしょう。 子供の場合、精神的発達段階で影響が違うのではないでしょうか。そうだとすると、一般解はなく個別的に指導するしかないんじゃないでしょうか。ペットと区別がつかなくなる子供には、その区別でなく、現実との妥協を教えてあげる事だと思います。 大人の場合は、これは個人の価値観の問題になると思います。ですから、公共の場で家畜とペットの区別、その境界線を引くことはよろしくないかと。

関連するQ&A

  • 小学校で家畜を飼育する教育について。

     現在では、多くの小学校でウサギ,チャボ,アヒルなどの動物が飼育されています。日常生活の中に、子どもたちが家畜に触れる環境が作られてきています。しかし,教育の世界に家畜という観点から動物が入り込むということは,決して一般的ではありませんでした。動物飼育の意味と絡ませながら,「教育における家畜動物」について考え聞かせて下さい。  個人の見解としては、私達の口に入る食物の元の姿は見えなくなり、魚は切り身でしかなく,肉は部分にさばかれてパック詰めされ,食として他の生命をとり込むことによって自らの生命を得ていることを実感する機会はほとんどなくなってしまいました。言い換えれば,生命と食が分離し,生命は観念的なものになってしまっています。  また子どもた達は、「愛される」「世話をされる」という経験はあっても,育ちのなかで自分自身が他の存在を「愛する」「世話をする」という経験をもつことが非常に難しくなってきています。  さらに、「食」の再認識についても問われています。  けれども、実際のところこのような実践は道徳的(訓育)な面ばかりに目がいってしまい、知識や技能の習得(陶冶)の面があまり重要視されていないような・・。  また、総合的な学習のみになってしまい、教科(社会科)での実践は難しいです。これらの実践から、社会科の目指すものは何なんでしょうか?

  • ペットと他の命に優劣をつける馬鹿

    ペット(特に犬猫)を飼っている人で ・保健所につれていかれるペットはかわいそうであり、人はそれを極力助けるべきであると思っている(そしてそれを絶対的な正義だとおもっている) ・野良猫をつかまえて保健所につれていく行為を悪だとおもっている こういう人は、他の食用家畜や、ひいては虫にいたるまで、その命をどう考えているのでしょうか。 「飼われるためにうまれた愛玩動物」 「自然発生的にうまれた野良動物」 「食べるために生まれて、食べられればその役目を果たす食用家畜」 この命の差はどこにあるのでしょうか。 家畜が許されるのであれば、「飼われるためにうまれた愛玩動物」が「なんらかの理由で飼えなくなった、飼いたくなくなった」として処分されるのについて、異論を挟むべきではなく、ましてや非難すべきでもないのでは? どうですか?

  • 許しがたい授業…

    とある中学校の授業で、生徒が大切に可愛がって育てあげた動物を… 最後に調理して食べる という話を聞きました。 教育的意図はもちろん有りますが… 私は信じられません。 大切に育てた命を断ち、しかも皆で食べる!? 受け入れがたい現実を中学校の生徒が理解出来るのでしょうか? もちろん食に感謝するということは大切。 しかし中学校の生徒に理解出来るのでしょうか? まともな教育とは言えないと思いますが… 皆様は如何でしょうか?

  • ペットショップについて

    こんにちは、自分は学生ですが、将来ペット関係の仕事に就きたいと考えているものです。 自分は凄く動物が大好きで、捨てられる犬猫、他動物を助けてあげたい。 と思っています。 普通の職に付きながら、ボランティアで助ける方法も考えたのですが、 大好きな動物に関わりながら、収入を得、ボランティアをするのもいいなと思いました。 ですが、自分は動物はお金を出して買うものではないと思っています。 拾うか譲り受けるか。 家族を、命をお金出して買うのが理解できないのです。 しかし、ペットショップで売れ残った子は殺処分されると聞きました。 だったら、ペットショップ店員になって、できるだけ幸せな家族に導いてあげたい。 と思うようになりました。(矛盾ですいません) しかし本当に全員の子を救ってあげられるのか? 多分、それはNOでしょう。 でも、もしペットショップの店員になって出来る事があるのなら、やってあげたいです。 そこで質問なのですが、ペットショップ店員になることで動物の手助けになる事ってありますか? もし、売る事しかできず、殺処分を黙って見過ごすくらいならやりたくはありません。 他、動物を助けられる仕事があれば教えてください。 お願いします。

  • 動物の扱いに関する本

    動物と人間の関係について、関心があります。 そこで、動物倫理、動物福祉、家畜・ペットなどに関する良質な資料を読みたいです。 おすすめの本があれば教えていただきたいです。 特に、国内の畜産の現状について、誇張・先入観によらない客観的な事実を調べるにはどういった資料を当たればよいでしょうか? 今まで読んだことのある本・資料を以下に並べます。 内澤 旬子「世界屠蓄紀行」 ピーター ローベンハイム「わたしの牛がハンバーガーになるまで」 ワールドウォッチ研究所「地球白書 2008-09」 伊勢田哲治「動物からの倫理学入門 」 映画「いのちの食べかた」 よろしくお願いします。

  • 肉(家畜動物)食やめませんか?

    肉(家畜の)食に矛盾を感じながらも続けている方に質問です。 私は昔は焼肉、ハンバーグ、ケンタッキーとお肉大好き人間でした。 でも、生きている動物にもとても強く愛情を感じ、肉食が大好きな自分と、自分の動物への愛情に矛盾を感じていました。それでも弱肉強食だし、身体のためにやむを得ない、感謝して食べれ良いのだ、と、矛盾を感じながらもずっと肉食を続けていました。 しかし、いろいろな本やサイトで肉食について書かれていた以下のような内容を読み、肉食を今ではきっぱりとやめました。 ○その残酷な殺され方 ○家畜動物は屠殺される前、これから殺される事を認識していて、恐怖に震え涙を流す事もあるそうです。 ○生まれた時から将来殺される為に狭いスペースに閉じ込められまるでナチスドイツの収容所と同じ、人間と同じ様に大変なストレスと苦痛を感じている。 ○肉食は実は人間の身体にとっても有害であること(営業妨害になる為報道されない) ○地球温暖化の主要原因は家畜(反芻動物の吐き出す二酸化炭素、牧草地にする為の森林伐採等) ○家畜に与える餌の大量の穀物を飢餓に苦しむ国の人々に人々に回せば地球上の食糧問題はなくなる。(1人分の肉食に必要な餌は飢餓に苦しむ人6人分の食糧不足に相当する) 引用したサイトを敢えてここでは紹介しませんが、キーワード検索すれば沢山出て来ます。 私は肉食をやめて2年になりますが、動物性タンパク質をやめた替わりに納豆、豆類等の植物性タンパクを多く摂り、ご飯やパンを、玄米(五分)や全粒粉パンにするなど工夫する事で、動物肉と白いご飯、白いパンの食事だった時より今の方が体調もよくなり、ダンスのインストラクターをしていますが身体も軽く、昔はあった貧血もなくなりました。もちろん野菜、きのこ、海藻類も充分摂っています。(ずっと摂っていた動物性タンパクを急激に止めるのはよくないそうなので魚介(動物に比べればずっと意識は 低い)もまだ少し摂っていますが、それも少しづつ減らして行く方向です) 肉食を続けている皆さん、 それでも「弱肉強食だし、身体のためにやむを得ない、感謝して食べれ良いのだ」という考えの方には何も申しません。 少しでも矛盾を感じている方、それでもやめられないのは何故ですか?

  • 起業するまでの道のりについて。(ペットビジネス)

    起業するまでの道のりについて。(ペットビジネス) 現在ペット関係の専門学校に通っている学生です。将来はペットビジネスで起業するのが夢なのですが、そこで質問です! まったくの素人が起業するには、一体どのような流れで物事を進めていくのでしょうか?起業までの大まかな流れを知りたくて質問させていただきました。 ちなみにジャンルは、ペットホテル・ペットシッターを考えていて、現在持っている動物関連の資格はトリマー2級、愛玩動物飼養管理士1級と2級です。(卒業までに動物看護士の資格も受験するつもりです。)

  • ペットシッターについて質問です。

    ペットシッター士(NPO法人日本ペットシッター協会)と認定ペットシッター (ビジネス教育連盟ペットシッタースクール)はどちらの方が深く学べますか? 将来ペットシッターになりたいと思っているのですが、同じような資格が2つあって どっちも取った方が知識が増えるのか、重複した内容なのか、もしくは、片方が入門レベルで片方がプロレベル、 等 両者の違いを知っている方教えて下さい! また、愛玩動物飼養管理士は 猫と犬のペットシッターをしたい場合 取るメリットはありますか?

    • 締切済み
  • ヨーロッパでは進化論ではなく、人間は人間として動物は動物として神様が作

    ヨーロッパでは進化論ではなく、人間は人間として動物は動物として神様が作ったと信じられている(た)と聞きました。 そして牛や豚などは家畜として食べるために、犬や猫などはペットとして作られたためアジアと食文化でもめるとも聞きました。 これは本当でしょうか? 本当ならどこかにこの考えは書いてるんでしょうか?聖書とか?

  • ペットの命と食の命。動物の命と昆虫の命。

    質問内容が纏まらない質問です。 私達が食べている野菜や果物は 結果動植物から土地を奪って育てていて、 その作物に害をなす動物は追い払い、時に殺処分し、 作物に害をなす虫は農薬で殺し、 土中の膨大な目に見えない命も、土に様々な手を加え殺して 膨大な命を奪った上での産物。 もっと命に優しい育て方をされた野菜や果物を 食べようとする人はとても少ない様に感じます。 そうした野菜や果物で育てられる食用肉の家畜も。 飼われる昆虫は 飼われる動物に比べると死んだ時、 とても軽く扱われている様に感じます。 セミ、トンボ、カブトムシ、コオロギ。 花が咲き、これから実を付ける植物を 綺麗だからと摘み、実を付けれず枯らし、枯れたら捨てる。 それに比べ、ペットの命はとても大切にされている。 もちろん人の命も。 「命は平等」 なんて言葉が有りますが、とてもそうは思えませんし、 それを実現する事など絶対不可能。 生きるだけで体は目に見えない命と殺しあう。 目に見えない命の一生が幾つも体内で繰り返される。 命の価値に差を感じます。 これはどう受け止めれば良いものですか? どんな姿勢で接するべきものですか? 命と頻繁に向き合っている方達のお考えを教えて下さい。 できれば、昆虫の命と向き合う機会の多い方の 感想も頂けますと幸いです。

専門家に質問してみよう