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神も仏もいない

神も仏もいない… 元旦であろうと新年であろうと正月であろうと地球という惑星にしてみたらそんな事は関係ない。 改めて、生物は地球上に住まわせてもらっているだけのちっぽけな存在なのだと思い知らされた。 過去に元旦にこれほどまでの大地震が起きた記憶はない。 空想であろうとなんであろうと神や仏はいてくれてもいいのではないか? 酷い… 前日までの大晦日での家族団欒が最後だった人もいたのかと思うと言葉にならない… 何も元旦を選ばなくても… 地球だって生きているのに、そこで生きている人間など塵とも思っていないのであろうか?

みんなの回答

  • Tacochin
  • ベストアンサー率52% (24/46)
回答No.5

>>地球だって生きているのに、そこで生きている人間など塵とも思っていないので >>あろうか? 神や仏にすがろうとする気持ちは、捨てたほうが良いでしょう。 初詣に行って、願掛けするのもやめましょう。 他人の幸せを祈るならまだしも、自分の幸せばかり祈り、 邪気や陰の気に包まれてしまいます。 今の日本は邪気だらけ。陰の気だらけ。恐らく結界も破れているでしょう。 災害が起きても、やれオリンピックだ、万博だと、権力者の金儲け優先。 邪気や陰の気が、悪魔を呼び、荒ぶる神の怒りを買い、災害が起きているのでしょう。 あるいは、権力者が悪用した科学技術により、故意に起こした可能性も無きにしも非ず。 我々も、金銭的な欲望で権力者に利用され、知らぬ間に悪魔の所業に加担しています。 加担しないように気を付けましょう。 物事は宇宙の法則によって成り立っています。 その宇宙の法則から外れたことをすると、間違った方向へ進むと、災難が起きます。 因果応報。カルマの法則。 災害が起こるということは、どこかに歪みや無理が生じている証拠です。 病気も同じです。心身に歪が生じています。 >>神もいない仏もいない >>空想であろうとなんであろうと神や仏はいてくれてもいいのではないか? 人間が創った偽りの神は要りません。宗教も要りません。 偽りの神を拝み、悪魔崇拝になっています。 宇宙や大自然があるのみ。 人間は植物を見習うべき。 先に生えている年老いた葉が、後に生えてくる若葉のために養分を譲り、やがて寿命がくると枯れて逝く。 人間は、真逆のことを行っています。一部の権力者が利益を搾取し放題。子どもや若者のことを大切にせず、高齢者すら大切にしない。 権力者は我々、下々の人間を支配しコントロールし、地球や月を開発しコントロールしようとしているのでしょう。あるいは宇宙をも支配し、超えようとしているのかも知れません。 破壊はできたとしても、創造はできません。 思い上がりもイイところです。

回答No.4

a) 地震兵器があるという話もあります。つまり、地震が人為的に起こされている可能性もあるのです。ですから、神仏を責める前に、地震兵器の可能性について、よく考えるべきです。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10479/32958)
回答No.3

日本は一神教の神様の国じゃないですから、全知全能の絶対唯一神からすれば「そこの地域は俺の管轄外」となるでしょう。 日本は多神教の国です。そして日本におわします神様方におかれては、みな「神様」という神聖な存在ではありますが「人間に利益を与えるために存在している」というわけではないのです。 日本古来より「和魂(にぎみたま)」「荒魂(あらみたま)」という言葉があります。これは神様の二つのモードを示している言葉で、神様は穏やかな心で人間に恩恵を与えることがありますが、その一方で、突然に暴君となり人々に災害や恐怖を与えることもあります。 神様がそのどちらのモードになるのかは我々にはコントロールできないので、神社で「どうか神様に置かれましては、和魂でお過ごしください」とお祈りするしかないのです。 だから日本古来の神様は、いつどこで「荒魂」になってもおかしくないのです。日本の神様は我々を作った存在ではありません。我々と同じように、共にそこらじゅうに存在するものなのです。 なにせ八百万もいますから。古代の人口から考えれば、人間より神様のほうが多いくらいです。

  • hiodraiu
  • ベストアンサー率15% (448/2821)
回答No.2

環境破壊は365日毎日欠かさず行われていますから、もしも神がいたとするなら公平ということですよね。

  • XY4LWQ5D
  • ベストアンサー率26% (13/49)
回答No.1

宗教は本来生きる知恵みたいな物なので役に立つ・信者が幸せになるはずだが、架空の設定である。 烏合の衆のベクトルを1つにまとめるのは、話者が神や仏を作り出した方が納得させやすいので。教祖たちは宗教を悪用してはいけない。 そんなとき、諦めない信者を神か仏は救ってくれると、話者が教えれば、信者たちはがっくりしないだろう。(少なくても心理的には。)という効果はある。これが正しい使い方である。

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