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国学者と儒学者はどちらが地位が高いのでしょうか?

江戸時代~明治時代までにかけて儒学者や国学者が多数現れましたが、結局どちらの地位が高かったり、裕福だったのでしょうか? お金がなく貧しくて自給自足の家庭では私塾を開いて生徒らに教授していた?現在でいう所の田舎等にある私塾の先生みたいな感じだったんですか? 資料が少ないようなので何方か知っている方がいたら教えてくださると助かります!

noname#257028
noname#257028
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  • D-Gabacho
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回答No.1

圧倒的に儒学者のほうが社会的地位は高いといえると思います。 儒学は本来、実践的な政治哲学なので、第6代将軍徳川家宣の下で正徳の治を主導した新井白石、岡山藩主池田光政の下で藩政改革につとめた熊沢蕃山(3000石の上士)、土佐藩の藩政改革につとめた野中兼山(家老)、備中松山藩の藩政改革につとめた山田方谷(藩政の実質的トップである参政)など、儒学者のなかには幕政改革や藩政改革を主導した人物が少なくありませんが、国学者にそういう人物は一人もいません。 また、幕府によって正統な政治哲学とされている朱子学派の長であり、幕府の公的教育機関である昌平坂学問所の管理運営をを代々担う林家の当主は、従五位下大学頭の官位を世襲する1500石(のち3000石)の上級旗本です。

noname#257028
質問者

補足

それは知りませんでした! かなりの金持ちで地位も併せ持っていたという事なんですね。 国学者の方は独学や国学に詳しい先生等に就いて教えを受け、人々に大和の国はこうであった、股は日本という国は清く美しい国だ!という事を知ってもらいたい先生達が多くいたという事でしょうか?

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