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自己責任という考えは悪いのか?

例えば、厳しい雪山で危険すれすれの登山をする、単独素潜りで世界最深記録にチャレンジする、You Tubeで視聴数を稼ぐために誰もやってない危険なことをする、こういうことってすべて自己責任の上で行われてますよね? 最近、趣味の世界で、例えば登山で遭難して救助隊に助けられても、感謝をすべきなのに助けられて当たり前など、自己責任という言葉がまるで、他人から一切助けられるべきではない、みたいな歪んだ受け取り方をされる方が多くて驚きました。 社会で生きている以上、すべての人は関わり合いを持っており、だからこそ誰かに助けられた、世話になったことに感謝をすべきでして、その根底には本来自分の力だけで乗り越えるべき自己責任感があるから、実感できるものだと思うのです。 なにかされて当たり前、っていう考えが理解できない私は少数派なのでしょうか。 自然を汚す、ゴミをポイ捨てする、ものを壊す、政治に文句を言う、でも何もしない、やりっぱなしの人たちが、一番タチが悪いと思うのです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • head1192
  • ベストアンサー率20% (160/783)
回答No.7

>最近、趣味の世界で、例えば登山で遭難して救助隊に助けられても、感謝をすべきなのに助けられて当たり前など、自己責任という言葉がまるで、他人から一切助けられるべきではない、みたいな歪んだ受け取り方をされる方が多くて驚きました。 ちょっと趣旨が混乱しているようで確答は難しいので、いくつかの事例でもって替える。 フランスなどでは危険度の高い登山道の入り口には 「技量は十分か?装備は万全か?天候や体調に注意を払い登山をするように。自分の身は自分でしか守れないのだから」 という立て看板がある。 しかし事故が起これば最高の訓練を受けた装備十分の救助隊が危険を冒して助けに来る。 自己責任を求めても見捨てはしない。 もちろん高額の救助費用を請求される。 上の事例にも潜んでいるように、人間社会の根本は「ギブ&テイク」である。 しかし生ぬるい家庭・学校生活を送った日本人は、社会に出てもなお「貰うだけ」の生き方を捨てられないらしい。 海外なら社会のコミュニティや宗教から「ギブ&テイク」を学ぶのだが、日本人は宗教を拒否する上に人間関係すら放棄しようとしている。 こういう社会になるのは当然の成り行きである。 当然国際社会に通用する人材は輩出しない。 10年後の日本は今よりさらに悲惨になっている。

noname#260202
質問者

お礼

おっしゃるとおりだと思います。貰えるだけの環境(そうしてきた親御さんたちもなぜ子供に甘いのか?わかりませんが)が人手不足も含めて増えていくでしょう。 普通は周りのことより自分を責めるものだと思いますが、そうじゃない人が多いんですよね。 日本は終わりだと思います。

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その他の回答 (6)

  • toka
  • ベストアンサー率51% (1091/2110)
回答No.6

「なにか助けられて当たり前」はともかく「なにか困った人がいれば助けるのが当たり前」とは思っています。  助けられる人がどんな人かに思いを寄せるから息苦しさとか正義感とかが生まれてしまうのです。  もっと単純でいいのではないですか。単純に思わないと、いずれ「こんな人は助けなくてよい」というおかしな感覚が自分の中に生まれてしまいます。

noname#260202
質問者

お礼

そうですね、自分がどうやるのかだけであって、相手は関係ないですね。 ただ、自分に余裕がないときは、最終的に相手を選ぶことになってしまうと思います。

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  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1724)
回答No.5

自己欲求の言葉を自己責任とすり替えて書かれているように思います その人の個人的な欲求に、周りを巻き込む(迷惑をかける)ことを良しとする・・感謝さえすれば・・ということですよね しかし人は、悪いことをしたら感謝の前に「謝罪」と「反省」が必要で、このふたつを大切に思わない人が感謝という言葉に逃げる・・正当化しているだけだなぁ・・と、読んでいて思いました 自己を正当化するのは勝手ですが、そのため(助ける)に怪我をする人、死んでしまう人もいます それでも、むりくり正論じみたことを吐いてしまう自己洗脳には、何を言っても通じないことを、多くの人が知っています

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noname#260202
質問者

お礼

自己を正当化する欲求とは、助けられて当たり前、感謝しない人たちのことではないですかね。 感謝をするってことは有難うという言葉が出てくるんですよ。これは責任感がないと出てくる言葉ではありません。 感謝の気持ちがあるからこそ、謝罪も反省も生まれるのですが、 そのどれもがない人たちが増えてますよね。 むしろ、俺達がこうなのは世の中のせいだ!みたいな。 もちろん、身体が不自由で、とか人並みの幸せが物理的に営めない人は可哀想ですが。

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回答No.4

ああ、 なんとなくわかる。 登山もそうですが、 海外の戦地に赴き、拿捕され  早く日本政府助けにこんかい! みたいな人間いましたよね。 しかも、そのあと渡航禁止指定され、また海外に行きたいのに! みたいはバカ丸出し人間。 日本人って、半分ぐらい自己中みたいな感じが致します。 普通に歩いてても混雑してると、 常にイライライライラして 前を歩く人間に八つ当たりしたり。 いつからこんな感じになったのか? 昔の日本人はこんなに酷くはなかった。平和=自己中 みたいな感じではないかな。 人と関わらない人間が、 常識を知らない。また、国民の代表である見本となる政治家が非常識ばかり繰り広げる。 登山なんかする人間は昔は 遺書を書いてから登山してましたし。冬の遭難者を助ける 救命隊とだって命懸けですよ。 命をかけて人を救っているのだから、隊員を神様だと思わないといけませんよね。 救っても、口曲がって文句を言う 人間にロクな奴はいないよね。

noname#260202
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうです、品薄になれば我先に買占める人、自分のことさえやったら、あとは他人に丸投げの人、挙げればきりがありませんが、どうしようもないレベルだと思います。

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  • pm25dxj
  • ベストアンサー率25% (108/432)
回答No.3

あなたのいう通りだと思います。 感謝が出来ない大人。 他人の手を借りた時にありがとう!、すみません!という人として当たり前の事が頭を下げたら負け!と勘違いしている変なプライドを持った大人。 ギスギスした世の中になったなと思います。 世の中助け合い、感謝が全ての基本だと思います。 変なプライドで感謝や謝罪ができない大人よりも 素直に、助けてくれたらありがとう! 迷惑を書けたらゴメンナサイ! という人として当たり前の事が出来る大人の方がカッコイイと思います。 というか、それが出来るのが人として大人として当たり前なんですけどね

noname#260202
質問者

お礼

幼稚園生や小学生が出来る(?)のに、大人ができないって子供に何を教えるんだろうと感じますよね。

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  • mimazoku_2
  • ベストアンサー率20% (1849/8857)
回答No.2

悪いですね。 これは過去にあった現実。 【玄倉川水難事故】「殴るぞ!失せろ!」「早く助けろ!」再三の退避勧告を無視してキャンプ続行!13名死亡 https://youtu.be/t2EJnHHE4xc

noname#260202
質問者

お礼

これは有名なDQNの川流れという風物詩ですね。

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  • nephyrs
  • ベストアンサー率37% (144/389)
回答No.1

権力、法律、金といった人工物で塗り固められ過ぎてしまった現代社会のあり方も、こういった風潮を助長してしまいやすい一因ですよね。 人はどこまでいっても自然と向き合って生きているもの、という本質がしっかり見えていない人間には、質問者さんの提起する問題意識の共有はやはり難しく、少数派かと聞かれれば、やはり少数派ではあるのかもしれません。 悪いのは自己責任ではなく、自分勝手とか、自己中心とか、そういった考え方や生き方のことでしょう。 履き違えの自己責任論は、弱い人間が強い人間の生き方の足を引っ張ろうとしているだけです。

noname#260202
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね、少数派だと思ってます。 仕方がないですね。世界は多数派によって動いてるので、いずれかの強い側につくしかないですから。 それも、自然の力には勝てませんけどね。

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