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必要悪?
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- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
私は仮面ライダー。。。 悪こそ正義。 悪こそ真実。 常に私は戦う。。。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
必要悪の確認が出来た場合は、対峙する善が実際は悪であった場合で、それでも善という認識が不動だから、より強い善が必要悪という体裁で社会的な妥協を獲得する現象だ。 私は仮面ライダー。
お礼
>必要悪の確認が出来た場合は、対峙する善が実際は悪であった場合で、それでも善という認識が不動だから、より強い善が必要悪という体裁で社会的な妥協を獲得する現象だ。 私は仮面ライダー。 ・・・説明しよう。 「信教の自由(以外の自由)」にも、限界は、有る ということだ。
補足
>所謂「必要悪」については、 (1)「「それ」をしないと、もっと酷い結果になっていたから」という要件と、 (2)「「それ」が、ある結果を避けるために、必要最小限度の、実力行使(だった)」 という、二つの要件が、有ります。 ・・・「必要善」については。。。 ちょっと、社会主義的な感じも、しますね。 (曰く)「何もしないのが、善」 ((女、)曰く)「そうなの?」
- ddtddtddt
- ベストアンサー率56% (175/312)
責任倫理。でも論理化は出来ない。
お礼
ddtddtddt様、ご回答ありがとうございます。 そうですねえ。 ・・・「何が、どこまで、本人の「自由」か、判らない」 (とすれば、「責任」なんて、問い得ない) 「政治家は、全て、結果責任」なんて、言うようですけれど。 (曰く)「「占い」は、女の風俗」 (曰く)「僕の理解では、たとえば戒律ですが、守らされるものではなく、ありがたく守らせていただくものと思っています」
- pfarm
- ベストアンサー率51% (67/129)
「必要悪」の次に来るものは、一般的には「必要善」とされています。つまり、必要なだけではなく、良い方向へと導くことが必要なものということです。 ただし、必要悪が存在する限り、必要善を達成することは容易ではないとも言われています。必要悪と必要善は常に相反するものであり、一方が優位になると他方が犠牲になることもあるからです。 「予防」というのは、一般的には「病気や災害などが起こる前に予め対策を講じること」を指しますが、哲学・倫理・宗教学においては、「悪を未然に防ぐこと」を意味することもあります。つまり、必要悪を生じさせないように、予め対策を講じることで、必要善を達成することができるという考え方です。 無政府主義とは、国家や政府を否定し、個人や集団が自主的に社会を統治することを主張する思想です。必要悪が不要となった場合、社会秩序が崩壊し、無政府状態が生じる可能性があるため、無政府主義に近い考え方になるかもしれません。ただし、必要悪が全くなくなることは、現実的にはあり得ないとも言われています。
お礼
pfarm様、ご回答ありがとうございます。 >必要なだけではなく、良い方向へと導くことが必要なものということです。 ・・・日本語は、難しいですね。 >必要悪が存在する限り、必要善を達成することは容易ではないとも言われています。必要悪と必要善は常に相反するものであり、一方が優位になると他方が犠牲になることもあるからです。 ここも、なかなかに、理解し辛いです。 「自然体」からすると、「必要悪」も「必要善」も、兄弟分のように、見えますので。 >哲学・倫理・宗教学においては、「悪を未然に防ぐこと」を意味することもあります。つまり、必要悪を生じさせないように、予め対策を講じることで、必要善を達成することができるという考え方です。 曰く「教育、教育、教育」 >無政府主義とは、国家や政府を否定し、個人や集団が自主的に社会を統治することを主張する思想です。 これも、ちょっと、小生の理解と、違いますね。 「政府なんて、無くたって、大丈夫じゃないか?」 ・・・これが、無政府主義かと。 「社会を統治」とか、そもそも考えて居りません。 >必要悪が不要となった場合、社会秩序が崩壊し、無政府状態が生じる可能性があるため、無政府主義に近い考え方になるかもしれません。ただし、必要悪が全くなくなることは、現実的にはあり得ないとも言われています。 まあ、そうかもしれません。 しかし、「教育、教育、教育」によれば、「必要悪」を減らす。ということも、可能かもしれないですね~~
補足
>必要悪と必要善は常に相反するものであり、一方が優位になると他方が犠牲になることもあるからです ・・・小生の考えでは、「必要悪」は、少なければ少ないほど、ヨイです。
- phistoric
- ベストアンサー率63% (53/83)
「必要悪」の次に来るものとして、一般的には「必要善」が考えられます。これは、社会や個人にとって必要な善行や行動のことを指します。例えば、社会にとって必要な善行としては、法の遵守や公共の福祉の増進が挙げられます。また、個人にとって必要な善行としては、道徳的な行動や健康的な生活習慣の維持が挙げられます。 ただし、善と悪の区別は常に明確ではありません。例えば、ある行動が最初は悪いように見えるかもしれませんが、最終的には善をもたらす可能性があるということがあります。このような場合、その行動を取ることが必要悪であり、必要善でもあると考えることができます。 また、予防という観点から考えると、ある問題が起こる前に予防措置を取ることで、必要悪を回避できる可能性があります。しかし、予防措置を取ること自体が、ある程度のコストや犠牲を伴うこともあります。そのため、予防措置を取ることが必要悪である場合もあるかもしれません。 最後に、哲学的な議論では、道徳的な問題に対する答えは常に明確ではありません。それぞれの状況に応じて、最善の行動を取る必要があります。ただし、哲学を使って論理的に考えることで、より良い判断を下すことができるでしょう。
お礼
phistoric様、ご回答ありがとうございます。 >「必要悪」の次に来るものとして、一般的には「必要善」が考えられます。これは、社会や個人にとって必要な善行や行動のことを指します。例えば、社会にとって必要な善行としては、法の遵守や公共の福祉の増進が挙げられます。また、個人にとって必要な善行としては、道徳的な行動や健康的な生活習慣の維持が挙げられます。 「社会の「お荷物」に、ならないように」という感じですね。 >ただし、善と悪の区別は常に明確ではありません。例えば、ある行動が最初は悪いように見えるかもしれませんが、最終的には善をもたらす可能性があるということがあります。このような場合、その行動を取ることが必要悪であり、必要善でもあると考えることができます。 まあ、「結果オーライ」みたいなことも。 欧米の(SF)映画に、「戦争の後の宴」みたいなことも。 >また、予防という観点から考えると、ある問題が起こる前に予防措置を取ることで、必要悪を回避できる可能性があります。しかし、予防措置を取ること自体が、ある程度のコストや犠牲を伴うこともあります。そのため、予防措置を取ることが必要悪である場合もあるかもしれません。 なるほど、「予防も、必要悪」 >最後に、哲学的な議論では、道徳的な問題に対する答えは常に明確ではありません。それぞれの状況に応じて、最善の行動を取る必要があります。ただし、哲学を使って論理的に考えることで、より良い判断を下すことができるでしょう。 なるほど。「善」・「より良い」 ・・・「自然体」は、どこへ行ったやら。。。
補足
>一般的には「必要善」が考えられます 「必要善」と、自然体。 コレは、なかなかのテーマかもしれないですね。 (「「自然体」なんて、金持ちにしか許されない」みたいな議論は、個人的には、却下願いたいです。)
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