nisekant の回答履歴

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  • 男の子の嗜好

    こんにちは。いつもお世話になります。 3歳になる男女双子の母です。 男の子って...我が子も含めて周囲を見ても、例外なく自動車や電車が大好きで、玩具もトミカやプラレール、トーマスを欲しがりますが、あれは何でですか?? ウチは同じ月齢の男女の子供を同時に育児していて、私自身あえて「女の子だから女の子らしく」や「男の子だから男の子っぽく」はしませんでした。息子にも赤い服もピンクの服も着せるし、娘にも黒や黄色の服を普通に着せていて、二人ともズボンが殆どです。 なのに、最初から息子はブーブーとシュッシュッポッポが大好きでした。娘はお人形や着せ替え遊びには全く興味なく、アンパンマンが大好き。おままごと(というか、美味しいもの遊び?)は二人とも大好きです。娘はたぶん男兄弟のいない家のお嬢さんよりは、自動車や電車も多少は詳しいと思いますが、それにしても母親である私と同レベルの興味しか持っていないようです。 戦隊ヒーローものにハマる男の子は、闘争本能とか♂の嗜好とストレートに結びついていて判りやすい気がしますが、男の子が自動車や機械ものを好むのは何故なのでしょう??

    • ベストアンサー
    • noname#129050
    • 生物学
    • 回答数3
  • 子供と大人の差異がもっともあること

    心理的に、子供と大人の差異が最も広がっていることはなんでしょうか? もちろん個々人さまざまですが、大きくまとめてしまって、総体として考えるとして、どういうことがいえるか、大人になったその人間はどういう価値を持っているのかという感じです。 私個人的には、大人と子供のもっとも大きな差異は、「人間がよくわかってくる」というところにあるのではないかと。子供には、それらを要求される駆け引き交渉はできませんよね。学力ならそこそこ同程度のものが獲得できる気もしますが、この「人間的」な認識の醸成には、まさに「醸成」されるしかないものなんじゃないかと考えますが、どうなんでしょうか?

  • 哲学の雑学的な質問

    哲学ってどんな学問なのだろう?と興味を持っていました 知りたい!と思ってOKWaveの哲学のコミュを読んでいますが わたしにはとても難しくて 書かれていることも難しいです 日本の哲学者の書かれた新書版の本は何冊か読みましたが 書かれていることは読みやすくても ますますわかりません 哲学は「疑問に思ったことの答えを、いっしょうけんめい考えること」 と聞いた時は そうか~! と思ったのですが ここのコミュの質問や答えを読んでいると わかったと思ったことが かん違いだった と気がつきます ここで質問して、その答えのつみ重ねで わたしなりの哲学?が見えてきたらうれしいです 今日の質問は 哲学のことを説明する時、カントとかソクラテスとか 昔に生きた人の名前をあげて説明する事が多いのはなぜですか? 自分がいっしょうけんめい考えること と反すると思ったのです。 よろしくお願いいたします

  • 生きる目的とは

    この類の質問はかなり多いのですが、改めて質問します。 生きる目的とは何でしょうか。 生物学的には生命を維持し子孫を残すためでしょう。 Freudは全ての欲求の基礎にあるのは性的欲望(Libido)であると結論付けました。 宗教的、心理学的、生理学的、どの分野からのアプローチでも構いませんので皆さんの考えをお聞かせください。

  • スポーツ選手のメンタル面について

    主人はスポーツ選手です。いつも人一倍練習して技術もわりとあるほう なのですが、本番でなかなか力が発揮できず悔しい思いをしてきています。もともと控えめでやさしい性格なので、メンタルトレーニングも必要だと思うのですが、妻があまり口出しするのもよくないと思い、そっと見守ることしかできません。 こういうタイプの選手にはどういう風に接すれば思うように実力が発揮できるのか?又、メンタルトレーニングのおすすめの本とかがあれば教えてください。

  • 苦悩と普通の思考との違い

    苦悩はつらいものですが、神経活動としては普通の平静な思考などとどこが違うのでしょうか。

  • 哲学初心者です

    こんにちは、哲学について最近興味が少し湧いてきたので質問させてください。 まず率直な話、「哲学」とは何ですか? あなたの「哲学」とは何ですか? これから私が「哲学」を学ぶにはどうすればよいですか?何かいい本などありましたらよろしくお願いします。 ぜひアドバイスお願いします!!

  • 知識を身につける意味

    衒学的というのか、知識をいたずらにつけることっていうのは、意味があるのでしょうか?いわば、知識をつける趣味です。特に、自分の生活上有利になるとか言うことではなく、まったく自分の人生に関係ないカルチャー的な知識、そういうものを蓄積していく意味というのはあるでしょうか? これが昔の貴族社会とか上流階級社会だといみがありました。サロンなどで、機転の利いた会話ができることが、人脈的にも実利的にも有利に働いたということもあったでしょう。ところが今日的に、一庶民が博学であったところで何の得があるのか、さっぱりわからなくなります。むなしさと紙一重なきさえしてしまいますが、どう考えたらいいのでしょうか。

  • 知らない人にぶつかる人

    今みたいに株価が下がると顔見知り以外の人がたとえば、街で肩をぶつけたりしてくる人がおおいように思えます。知らない人にそんなことして何が楽しいのでしょうか。しかも何か正義性を唱えている人物が多いように思えます。どう対処すればいいのでしょうか。同じベースでこちらもはかってほしくないですが。

  • 知らない人にぶつかる人

    今みたいに株価が下がると顔見知り以外の人がたとえば、街で肩をぶつけたりしてくる人がおおいように思えます。知らない人にそんなことして何が楽しいのでしょうか。しかも何か正義性を唱えている人物が多いように思えます。どう対処すればいいのでしょうか。同じベースでこちらもはかってほしくないですが。

  • 知らない人にぶつかる人

    今みたいに株価が下がると顔見知り以外の人がたとえば、街で肩をぶつけたりしてくる人がおおいように思えます。知らない人にそんなことして何が楽しいのでしょうか。しかも何か正義性を唱えている人物が多いように思えます。どう対処すればいいのでしょうか。同じベースでこちらもはかってほしくないですが。

  • これは病気ですか?単に私が弱い人間なのでしょうか?

    20歳のものです。 いきなりなんですが、私は、父親とまじめな話をする時に必ず泣いてしまうんです。 昔から厳しい父親だったのですが、幼いときから父親と話すのが恐く、いつもビクビクしながら生活していました。 なにかは話をするときには目が変わりとても恐い存在でした。 でも今は、そんなことにも慣れ、良い関係を築けていると思っています。 しかし、今でも父親とまじめな話をしようすると涙が勝手にでてくるのです。 「泣きながら話をするな」と言われるのですが、勝手にでてきてしまうのを止めることができません。 母親と話をする時や、大学の教授とまじめな話をするときは一切涙はでてきません。 治したいのですが、これはトラウマにあたるのでしょうか? どうしたらよいかわからないのでここで質問させていただきました。

  • リストカットをする根底の原因は?

    リストカットをするその瞬間の原因はわかるにしろ、 リストカットをするその根底の原因は何なのでしょうか?

  • 上がり症の克服の方法は?

    人前で話すのが苦手で困っています。親しい友だちでもみんながだまって聞いている状況だと、赤面してしまいます。なので、あまり親しくない人たちの前だとなおさら赤面するし、自分が何を言ってるのか分からなくなる時があります。 周りの人たちは、大勢の前でもすらすらと笑顔で言いたいことを上手に話している人が多くて、私はますます目立ってしまっている気がします。 上がり症をなおしていくための日ごろの行動など、何かアドバイスがあったら教えてください。また、何かそういう講座などがあったらそれも教えていただけると嬉しいです。

  • 外向性が人をいじめる理由

    そのままなのですが、ふと思ったことなのですが別に外向性じゃなくてもいじめを引き起こすことは可能です、それなのにも関わらず外向性にいじめっこが多い理由を探りたいと思いこのような質問をさせていただきます。個人的省察では以下の通りです、意見でもなんでもよいので回答おねがいします。 <個人的省察> ________________ ・外向性というのは基本的に外に放出するという意味合いをもっているので攻撃したいいじめたいという衝動に駆られられるといじめという形で外部へ放出してしまう。 ・外向性が良いという世間的名見方が在るが故に調子に乗ってしまう。 例えば「明るい」「楽しい」「輪になって」「活発」「活動的」「勢いが在る」「気合がある」などが良いという考えをもっている先生が居た場合、なまけている人を殴ったという行為を起こして尋問されたとしても外向性の勢いに正当性を感じていじめっ子にたいしてどうしてよいか分からなくなってしまう。

  • 自己決定、自己選択について

    物事を決めるとき、 迷いながらも、とか 思い通りに、 悩みつつも、などしつつ 自分が選択したように思います。 しかし、過去の記憶、論理プロセス、そのときの外部状況が決めているのであって、本当に自分が選択したと言えるのかすこし疑問があるのですね。 確かに、自分がその物事を選択した自覚はあるのですが、その状況でそうでない決定をする場合はないわけで、その選択は、自己決定というより全体の中での必然ではないかと思ってしまうんですね。 そんな筈はないので、反論をお願いします。 ただし、過去の記憶、論理プロセスは自分の一部ですが、選択意志まではないものとしてください。

  • 意志の強さ

    学校で「自分の意志の強さで実現できるかどうかが決まる」と言われました。それはどういう意味ですか? 例をあげて教えていただけるとうれしいです。

  • 哲学を分析?

    大学に入学したあと、哲学を専攻に勉強していきたいと思っています。 しかし、過去にあった思想を学び、自分で考えるだけでなく、 哲学というものを論理的に証明してみたいと思っています。 そのような学問は存在するのでしょうか? それともそれ自体も哲学の分野にはいるのでしょうか? とても幅の広く漠然とした目標なのですが、 よろしくお願いします。

  • 車窓に映る自分の姿

    夜、電車に乗っていて窓に自分の姿が映るときがあるとおもいます。 その姿を見てよく思うんですが、 ・この人誰だろう ・周りの人と少し違うな と思うのです。 40に近いおっさんなので自分の顔を鏡で見る回数が少ないのも原因でとはおもいますが。 車窓を大きな鏡とかんがえれば、自分と他人を同時に客観視できる状態ゆえの心理なのかとも思います。 皆さんはこんな風に思うことはあるでしょうか。

  • 美学について教えてください

    私は哲学は勉強したことがないのですが考えていて疑問に思っていることがあります。 私は美しさというのは理論を越えたところにあるのじゃないかと思っています。 美意識には個人差がありますよね。時代や、文化、個人の経験や性格が影響してきます。でも反面誰にでも理解されやすい美というのもある。幾何学的美などです。ただし感じる人が数学を理解していなくても、イメージの場合ぱっと見て美しいと思うことが可能です。これは、たとえそのイメージの背後にある論理を理解していなくても、パターンを認識した結果とは言えないでしょうか。 そこから考えると、私たちが容易には解釈できない美にも何らかの論理があるという可能性があります。実際アイコノグラフィーなどの勉強はそれを解明するのが目的なんだと思いますが。 で、話は飛びますが、人間の脳のうちで、論理を司る部分というのは表層だけですよね。あとは深層心理です。数学はたとえばその論理の代表のようですが、本当に数学の得意な人はイメージで数学を捉えていたりしますよね。3桁の掛け算を一瞬で説いてしまう人が頭の中に数字を3次元の形として思い描いていたり。そこまで極端ではなくても、寝ているときに答えがひらめいたという数学者も多いし、紙の上の論理ではないところ、数記号や文字ではない、脳のもっと深いところでの真理探究というのは存在すると思うんです。 私はそれが美の背景じゃないかと思うんです・・・つまり人間の真理探究の欲求が、理論を越えたところに現れると、美しさとして受容されるんじゃないかなあと。 そういうことを書いた美学の哲学者がいたらぜひ教えてください。哲学者じゃなくて芸術家でもいいです。よろしくお願いします。