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  • 宗教と道徳について。

    外国で無宗教と言ってはいけない・・・と聞いたことがあります。 宗教=道徳という考えがあって、無宗教は道徳を持たない人と見なされるから、ということらしいですが・・・ でも、どうして外国の人は宗教と道徳を一緒にして考えるのでしょうか? 私の考えとしては、宗教と道徳は別物だと考えているので、 無宗教でも必ずしも道徳や常識のない人とは思いません。 人としてやってはいけないこと(殺人など)は、宗教に関係ないと思っています。 ちなみに、私の宗教の概念とは、神に対する信仰や厳しい戒律のことです。 道徳は、日常の中で使われている常識などです。

  • 悪魔の階級 その2

    締め切った後に聞きたい事が増えてしまったので、もう1度投稿させてもらいます。 悪魔の階級についてwkipediaで調べたところ、 大元帥、騎士、統領、大統領、伯爵、大伯爵、公爵、大公爵、侯爵、大侯爵、貴公子(「王子」は誤訳)、大貴公子、王、大王、および、皇帝というのが載ってました。 しかしこれは順位がバラバラだと思います。(推測です)順位的にはどういう感じになるのでしょうか? 私の私見では多分、 皇帝、大王、王、大貴公子、貴公子、大元帥、大統領、頭領、大公爵、公爵、大侯爵、侯爵、大伯爵、伯爵、騎士 だと思うのですが、いまいち確信が持てません。 どなたか詳しい方、お教えいただけませんか?宜しくお願いします。

  • 悪魔の階級

    悪魔の階級を上から順に教えてもらえませんか? 宜しくお願いします。

  • インドの仏教僧について

    お釈迦さまはじめ、シャーリプトラや龍樹、鳩摩羅什なんかは王族やバラモンといった上流階級出身だということですが、インドの仏教僧の中で、庶民階級以下の出身で有名な人はいるのでしょうか? 仏教は身分制度から自由だということですから、身分制度の厳しいインドでは抑圧された階級から仏教に身を投じるということも多かったのではないかと思うのですが、そうでもなかったのでしょうか?

  • インドの仏教僧について

    お釈迦さまはじめ、シャーリプトラや龍樹、鳩摩羅什なんかは王族やバラモンといった上流階級出身だということですが、インドの仏教僧の中で、庶民階級以下の出身で有名な人はいるのでしょうか? 仏教は身分制度から自由だということですから、身分制度の厳しいインドでは抑圧された階級から仏教に身を投じるということも多かったのではないかと思うのですが、そうでもなかったのでしょうか?

  • インドの仏教僧について

    お釈迦さまはじめ、シャーリプトラや龍樹、鳩摩羅什なんかは王族やバラモンといった上流階級出身だということですが、インドの仏教僧の中で、庶民階級以下の出身で有名な人はいるのでしょうか? 仏教は身分制度から自由だということですから、身分制度の厳しいインドでは抑圧された階級から仏教に身を投じるということも多かったのではないかと思うのですが、そうでもなかったのでしょうか?

  • インドの仏教僧について

    お釈迦さまはじめ、シャーリプトラや龍樹、鳩摩羅什なんかは王族やバラモンといった上流階級出身だということですが、インドの仏教僧の中で、庶民階級以下の出身で有名な人はいるのでしょうか? 仏教は身分制度から自由だということですから、身分制度の厳しいインドでは抑圧された階級から仏教に身を投じるということも多かったのではないかと思うのですが、そうでもなかったのでしょうか?

  • インドの仏教僧について

    お釈迦さまはじめ、シャーリプトラや龍樹、鳩摩羅什なんかは王族やバラモンといった上流階級出身だということですが、インドの仏教僧の中で、庶民階級以下の出身で有名な人はいるのでしょうか? 仏教は身分制度から自由だということですから、身分制度の厳しいインドでは抑圧された階級から仏教に身を投じるということも多かったのではないかと思うのですが、そうでもなかったのでしょうか?

  • 葬儀のウンチク

    先日、父が亡くなったのですが、世話役の人がやけに詳しく語源や由来の話をしてくれたので、葬儀のウンチクに非常に興味を持ちました。 ネットでまとめているサイトがあればいいなと思い、自分なりに探してみたのですが、なかなか見つかりません。勉強も兼ねて色々覚えたいのですが、なにかオススメのサイトは有りますでしょうか?

  • ブッダは 神ですか

     絶対(または絶対者)として想定していて 信仰の対象ですか。  きわめて単純に また 類型的に言って   人間  = 絶対(絶対者=神)         ↓      ゴータマ=ブッダ   イエス =キリスト という理解にはならないですか。説明するときの表現の問題では さまざまに異なっていると考えますが それらは 大同小異と見ることは出来ないですか。根本的な相違だと思われる事柄をおしえてください。なお可能性があるかも知れないと思って お尋ねします。  もし ブッダが神でないとすれば ブッディスムは 無神論として 《無神という神》を立てているものと考えます。そういう信仰のもとに 人は 人間の成りうる最高の状態としてのブッダを目指すと理解することになると思います。    このような考えに対して添削をおこなってください。

  • ブッダは 神ですか

     絶対(または絶対者)として想定していて 信仰の対象ですか。  きわめて単純に また 類型的に言って   人間  = 絶対(絶対者=神)         ↓      ゴータマ=ブッダ   イエス =キリスト という理解にはならないですか。説明するときの表現の問題では さまざまに異なっていると考えますが それらは 大同小異と見ることは出来ないですか。根本的な相違だと思われる事柄をおしえてください。なお可能性があるかも知れないと思って お尋ねします。  もし ブッダが神でないとすれば ブッディスムは 無神論として 《無神という神》を立てているものと考えます。そういう信仰のもとに 人は 人間の成りうる最高の状態としてのブッダを目指すと理解することになると思います。    このような考えに対して添削をおこなってください。

  • 仏教の用語で分からないことが…

    仏教用語である、四諦八正道について教えてください。 四諦と八正道、それぞれについては分かるのですが、結局「四諦八正道」とはどういうことなんでしょうか。この2つはどう繋げて考えればいいんでしょうか。

  • 仏典の解釈とその実践における失敗

    私は日々の生活の中で、同じ失敗を繰り返すまいと肝に銘じたり、肝に銘じすぎて硬くなったのを戻したり、そしてまた失敗したり、どうもうまく教訓が生かせないと思い、現在は歴史の修練に残った宗教の教えを参考にしようとしています。(生真面目な性格です。) 具体的には、中村元訳の仏典を読んだり、テーラワーダ仏教のスマサナーラ長老の啓蒙書を読んだりしています。しかしやはり読了後は眼光紙背に及ばず字面に影響されて、例えば「犀の角のように歩め」というと、どことなく仏教を学ばない人を見下してしまいます。(いかんいかん・・) そこで、仏典の文献学的な解釈方法やその失敗例を学べばうまく距離が取れるのではないかと考ました。 すでに(物騒ですが)オウム真理教関係の本は何冊か読んでいます。 そういった非日常の事柄から日常の失敗を集めた資料、 そして解釈方法を書いたものがあれば、ぜひご紹介願います。

  • 仏典の解釈とその実践における失敗

    私は日々の生活の中で、同じ失敗を繰り返すまいと肝に銘じたり、肝に銘じすぎて硬くなったのを戻したり、そしてまた失敗したり、どうもうまく教訓が生かせないと思い、現在は歴史の修練に残った宗教の教えを参考にしようとしています。(生真面目な性格です。) 具体的には、中村元訳の仏典を読んだり、テーラワーダ仏教のスマサナーラ長老の啓蒙書を読んだりしています。しかしやはり読了後は眼光紙背に及ばず字面に影響されて、例えば「犀の角のように歩め」というと、どことなく仏教を学ばない人を見下してしまいます。(いかんいかん・・) そこで、仏典の文献学的な解釈方法やその失敗例を学べばうまく距離が取れるのではないかと考ました。 すでに(物騒ですが)オウム真理教関係の本は何冊か読んでいます。 そういった非日常の事柄から日常の失敗を集めた資料、 そして解釈方法を書いたものがあれば、ぜひご紹介願います。

  • いわゆる大乗仏教全般が自己の救済の放棄につながらないのは何故ですか。

    回答のほうは常連ですが質問するのは初めてです宜しくお願いします。 「私は何も考えないであたまを真っ白にする特技があります」 この挨拶で始まるとっぴな回答もご覧になった方も多いと思いますが、私の場合どんなにつらくても自らを救うことを諦めきれたことはありません。 多分人間の本性として誰もがそうだろうと思います。 そうすると大乗仏教でよく使われる「仏の慈悲にすがる」と言うのがそれだけでは納得できないのではないかと考えました。 仏教の経典と膨大な研究成果は尊敬に値するものでして、その中には「仏の慈悲にすがる」についてとりすがりの拝み屋根性とは違う確かな知的理由があるのではないかと期待しています。 私は哲学にも宗教にも素人ですので判り易く平易な文章でのご回答をお願いします。

  • 宗教の名の下に起こる、犯罪、争いについて。

    教えて!gooのカテゴリー‘哲学’の回答常連の皆さんへ。 ‘挑戦状’です。 我々の心には他を思いやるやさしい心、‘良心’があります。また人を貶(けな)したり殺(あや)めたりする好ましくない心(仏教では煩悩と言いますが)があります。 宗教というものは心の世界のことなので、心が作り出す犯罪や争いは宗教の名の下に起きる事がしばしばです。 ‘戦争’という争いも宗教が大きく影響しているケースのあることは、皆さん認めるところでしょう。 そこで質問です。 宗教の名の下に起きる戦争、犯罪はその‘宗教’というものの基本に、土台に、根本に、人の好ましい心‘良心’がおかれていないからだと思うのですが。 皆さんはどういう意見をお持ちでしょうか。聞かせていただきたく思います。 きぐるみさんの意見、あるいは感想も聞いてみたく思います。

  • 全ての悩みからの解放は・・・

    一般的には悩みの軽減は可能でしょうが、全ての悩みからの解放は・・・有りますか?有りませんか?

  • 仏になるとは?

    2つほど全く別の質問があるのですが宜しくお願いします。 まずは仏教に関してなのですが 「仏の心(仏になるともいうのでしょうか?」 という言葉がありますが、仏の心とはどういう意味なのでしょうか? 阿弥陀如来の誓いなどを見ても分かる通り慈愛の心 を持つことが仏になるという事だと考えることも出来ると思いますが 元々の、お釈迦様も、やはり慈愛の心を持って人々に般若心経などを 説いたと考えれば良いのでしょうか? ただ、お釈迦様の教えに比較的近いのではないかと思われる 禅宗などでは慈愛の心を得ることは目的にしていないと感じたのですが 禅宗では仏になるとは、どう言う事だと捉えてているのでしょうか? また話は別になりますが ユダヤ教→キリスト教→イスラム教の順で、これらの宗教は発生 したんですよね? 聞いた話だと、この順番が別になっていて驚いたので・・・

  • 浄土教について

    これって当の仏陀は全く言及しておらず、 カルトを通り越して別宗教の感じがするんですが。 阿弥陀信仰として仏教から分離させてもいいんじゃないですか?

  • 宗教の意味について

    宗教と言う言葉の意味を考えるとき 「神と人間を再び結ぶ」 と訳されますが、ここから 「1度、神と人間が別々に別れてしまった」 という状況が分かりますが神と人間が1度決別した状況とは 一体、どの様な状況なのでしょうか?? また日本の神道なども、この様な形式をとっているのでしょうか? 自然崇拝の色が濃いと思いますがキリスト教などと同様に 超越的な神がいる日本の神道など、はこの様な意味に 当てはまらないと思うのですが・・・