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  • 善と悪についての問答

    善と悪についての問答   問う人:  善とは何や。 「人の道」:   善とは嘘偽りなく物事の有るがままを有るがままとして捉えることや。 つまり善とは見えるもんを見えると言い、見えんもんを見えんと言うことや。 善とは聞こえるもんを聞こえると言い、聞こえんもんを聞こえんと言うことや。 善とは知っとるもんを知っとると言い、知らんもんを知らんと言うことや。 善とは無いものを無いと言い、有るものを有ると言うことや。 問う人:   では悪とは何や。 「人の道」:   悪とは善の対極にあるもんや。  つまり悪とは偽ることや、そして物事を捻じ曲げることや。 問う人:   偽るとはどういうことや。 「人の道」:   偽るとは見えるもんを見えんと言い、見えんもんを見えると言うことや。 偽るとは聞こえるもんを聞こえんと言い、聞こえんもんを聞こえると言うことや。 偽るとは知っとるもんを知らんと言い、知らんもんを知っとると言うことや。 偽るとは無いものを有ると言い、有るものを無いと言うことや。 偽るとは語るべきを語らず、語らざるべきを語ることや。 問う人:   なぜ偽ることは悪なんや。 「人の道」:   偽ると真理の探究は出来んからや。 問う人:   如何なる場合も偽ることは悪なんか。 「人の道」:   そーや、如何なる場合も偽ることは悪や。 問う人:   最大の悪とは何や。 「人の道」:   最大の偽りや。 問う人:   最大の偽りとは何や。 「人の道」:   神や仏、天国、地獄を語ることや 問う人:   なんで神や仏、天国、地獄を語ることは偽りなんや。 「人の道」:   だから言うたろ。  見えんもんを見えると言うことは偽りや。  聞こえんもんを聞こえると言うことは偽りや。  知らんもんを知っとると言うことは偽りなんや。 「人の道」:   どうや、これで善と悪が何かよー分かったろう。 問う人:   はい、よー分かりました。善とは偽りの無いこと、悪とは偽ることや。 「人の道」:   では最大の悪が何かも分かったか。 問う人:   はい、よー分かりました。嘘八百並べ神や仏、天国、地獄を語るのが一番悪い。 「人の道」:   皆にも聞く。宗教漬になって嘘八百並べるのが一番悪いちゅーこと、よー分かったな。      

  • 善と悪についての問答

    善と悪についての問答   問う人:  善とは何や。 「人の道」:   善とは嘘偽りなく物事の有るがままを有るがままとして捉えることや。 つまり善とは見えるもんを見えると言い、見えんもんを見えんと言うことや。 善とは聞こえるもんを聞こえると言い、聞こえんもんを聞こえんと言うことや。 善とは知っとるもんを知っとると言い、知らんもんを知らんと言うことや。 善とは無いものを無いと言い、有るものを有ると言うことや。 問う人:   では悪とは何や。 「人の道」:   悪とは善の対極にあるもんや。  つまり悪とは偽ることや、そして物事を捻じ曲げることや。 問う人:   偽るとはどういうことや。 「人の道」:   偽るとは見えるもんを見えんと言い、見えんもんを見えると言うことや。 偽るとは聞こえるもんを聞こえんと言い、聞こえんもんを聞こえると言うことや。 偽るとは知っとるもんを知らんと言い、知らんもんを知っとると言うことや。 偽るとは無いものを有ると言い、有るものを無いと言うことや。 偽るとは語るべきを語らず、語らざるべきを語ることや。 問う人:   なぜ偽ることは悪なんや。 「人の道」:   偽ると真理の探究は出来んからや。 問う人:   如何なる場合も偽ることは悪なんか。 「人の道」:   そーや、如何なる場合も偽ることは悪や。 問う人:   最大の悪とは何や。 「人の道」:   最大の偽りや。 問う人:   最大の偽りとは何や。 「人の道」:   神や仏、天国、地獄を語ることや 問う人:   なんで神や仏、天国、地獄を語ることは偽りなんや。 「人の道」:   だから言うたろ。  見えんもんを見えると言うことは偽りや。  聞こえんもんを聞こえると言うことは偽りや。  知らんもんを知っとると言うことは偽りなんや。 「人の道」:   どうや、これで善と悪が何かよー分かったろう。 問う人:   はい、よー分かりました。善とは偽りの無いこと、悪とは偽ることや。 「人の道」:   では最大の悪が何かも分かったか。 問う人:   はい、よー分かりました。嘘八百並べ神や仏、天国、地獄を語るのが一番悪い。 「人の道」:   皆にも聞く。宗教漬になって嘘八百並べるのが一番悪いちゅーこと、よー分かったな。      

  • なぜ人は感情的になると、冷静な思考をもてなくなるのか?

    なぜ人は感情的になると、冷静な思考をもてなくなるのか? 好きとか嫌いとか、同情するとか、何かと人は感情的になると 思考が低下するように思う。 例えば、先ほど某アイドル専用サイトでこういう質問があった。 質問「AKB48はいつかは人気が終わる日がくるのでしょうか?」 AKB48とは、今日本で一番人気のあるアイドルグループの事である。 この質問をした人は、おそらくAKB48の熱狂的ファンだと思われる。 感情に支配され、もうすでに、思考能力がなくなっている。 AKB48の人気はおろか、人類の存在でさえいつかは終焉を迎える、と いう事が理解できていない。 またこういう質問に、こういう冷静さを欠いた回答もあった。 質問「AKBの○○子はゴリラに似てないですか?」 恐らくAKBのアンチが嫌がらせで質問してきたのだろう。 それに対して、冷静さを欠いた回答の一つに、こういう回答があった。 回答「ゴリラでも可愛いゴリラもいるじゃないか!!」 よもや、○○子を擁護しているとは思えない。 と、まあこのように、感情的になれば、冷静な思考がもてなくなるのは いったいなぜなのでしょうか?

  • 善と悪についての問答

    善と悪についての問答   問う人:  善とは何や。 「人の道」:   善とは嘘偽りなく物事の有るがままを有るがままとして捉えることや。 つまり善とは見えるもんを見えると言い、見えんもんを見えんと言うことや。 善とは聞こえるもんを聞こえると言い、聞こえんもんを聞こえんと言うことや。 善とは知っとるもんを知っとると言い、知らんもんを知らんと言うことや。 善とは無いものを無いと言い、有るものを有ると言うことや。 問う人:   では悪とは何や。 「人の道」:   悪とは善の対極にあるもんや。  つまり悪とは偽ることや、そして物事を捻じ曲げることや。 問う人:   偽るとはどういうことや。 「人の道」:   偽るとは見えるもんを見えんと言い、見えんもんを見えると言うことや。 偽るとは聞こえるもんを聞こえんと言い、聞こえんもんを聞こえると言うことや。 偽るとは知っとるもんを知らんと言い、知らんもんを知っとると言うことや。 偽るとは無いものを有ると言い、有るものを無いと言うことや。 偽るとは語るべきを語らず、語らざるべきを語ることや。 問う人:   なぜ偽ることは悪なんや。 「人の道」:   偽ると真理の探究は出来んからや。 問う人:   如何なる場合も偽ることは悪なんか。 「人の道」:   そーや、如何なる場合も偽ることは悪や。 問う人:   最大の悪とは何や。 「人の道」:   最大の偽りや。 問う人:   最大の偽りとは何や。 「人の道」:   神や仏、天国、地獄を語ることや 問う人:   なんで神や仏、天国、地獄を語ることは偽りなんや。 「人の道」:   だから言うたろ。  見えんもんを見えると言うことは偽りや。  聞こえんもんを聞こえると言うことは偽りや。  知らんもんを知っとると言うことは偽りなんや。 「人の道」:   どうや、これで善と悪が何かよー分かったろう。 問う人:   はい、よー分かりました。善とは偽りの無いこと、悪とは偽ることや。 「人の道」:   では最大の悪が何かも分かったか。 問う人:   はい、よー分かりました。嘘八百並べ神や仏、天国、地獄を語るのが一番悪い。 「人の道」:   皆にも聞く。宗教漬になって嘘八百並べるのが一番悪いちゅーこと、よー分かったな。      

  • 善と悪についての問答

    善と悪についての問答   問う人:  善とは何や。 「人の道」:   善とは嘘偽りなく物事の有るがままを有るがままとして捉えることや。 つまり善とは見えるもんを見えると言い、見えんもんを見えんと言うことや。 善とは聞こえるもんを聞こえると言い、聞こえんもんを聞こえんと言うことや。 善とは知っとるもんを知っとると言い、知らんもんを知らんと言うことや。 善とは無いものを無いと言い、有るものを有ると言うことや。 問う人:   では悪とは何や。 「人の道」:   悪とは善の対極にあるもんや。  つまり悪とは偽ることや、そして物事を捻じ曲げることや。 問う人:   偽るとはどういうことや。 「人の道」:   偽るとは見えるもんを見えんと言い、見えんもんを見えると言うことや。 偽るとは聞こえるもんを聞こえんと言い、聞こえんもんを聞こえると言うことや。 偽るとは知っとるもんを知らんと言い、知らんもんを知っとると言うことや。 偽るとは無いものを有ると言い、有るものを無いと言うことや。 偽るとは語るべきを語らず、語らざるべきを語ることや。 問う人:   なぜ偽ることは悪なんや。 「人の道」:   偽ると真理の探究は出来んからや。 問う人:   如何なる場合も偽ることは悪なんか。 「人の道」:   そーや、如何なる場合も偽ることは悪や。 問う人:   最大の悪とは何や。 「人の道」:   最大の偽りや。 問う人:   最大の偽りとは何や。 「人の道」:   神や仏、天国、地獄を語ることや 問う人:   なんで神や仏、天国、地獄を語ることは偽りなんや。 「人の道」:   だから言うたろ。  見えんもんを見えると言うことは偽りや。  聞こえんもんを聞こえると言うことは偽りや。  知らんもんを知っとると言うことは偽りなんや。 「人の道」:   どうや、これで善と悪が何かよー分かったろう。 問う人:   はい、よー分かりました。善とは偽りの無いこと、悪とは偽ることや。 「人の道」:   では最大の悪が何かも分かったか。 問う人:   はい、よー分かりました。嘘八百並べ神や仏、天国、地獄を語るのが一番悪い。 「人の道」:   皆にも聞く。宗教漬になって嘘八百並べるのが一番悪いちゅーこと、よー分かったな。      

  • 善と悪についての問答

    善と悪についての問答   問う人:  善とは何や。 「人の道」:   善とは嘘偽りなく物事の有るがままを有るがままとして捉えることや。 つまり善とは見えるもんを見えると言い、見えんもんを見えんと言うことや。 善とは聞こえるもんを聞こえると言い、聞こえんもんを聞こえんと言うことや。 善とは知っとるもんを知っとると言い、知らんもんを知らんと言うことや。 善とは無いものを無いと言い、有るものを有ると言うことや。 問う人:   では悪とは何や。 「人の道」:   悪とは善の対極にあるもんや。  つまり悪とは偽ることや、そして物事を捻じ曲げることや。 問う人:   偽るとはどういうことや。 「人の道」:   偽るとは見えるもんを見えんと言い、見えんもんを見えると言うことや。 偽るとは聞こえるもんを聞こえんと言い、聞こえんもんを聞こえると言うことや。 偽るとは知っとるもんを知らんと言い、知らんもんを知っとると言うことや。 偽るとは無いものを有ると言い、有るものを無いと言うことや。 偽るとは語るべきを語らず、語らざるべきを語ることや。 問う人:   なぜ偽ることは悪なんや。 「人の道」:   偽ると真理の探究は出来んからや。 問う人:   如何なる場合も偽ることは悪なんか。 「人の道」:   そーや、如何なる場合も偽ることは悪や。 問う人:   最大の悪とは何や。 「人の道」:   最大の偽りや。 問う人:   最大の偽りとは何や。 「人の道」:   神や仏、天国、地獄を語ることや 問う人:   なんで神や仏、天国、地獄を語ることは偽りなんや。 「人の道」:   だから言うたろ。  見えんもんを見えると言うことは偽りや。  聞こえんもんを聞こえると言うことは偽りや。  知らんもんを知っとると言うことは偽りなんや。 「人の道」:   どうや、これで善と悪が何かよー分かったろう。 問う人:   はい、よー分かりました。善とは偽りの無いこと、悪とは偽ることや。 「人の道」:   では最大の悪が何かも分かったか。 問う人:   はい、よー分かりました。嘘八百並べ神や仏、天国、地獄を語るのが一番悪い。 「人の道」:   皆にも聞く。宗教漬になって嘘八百並べるのが一番悪いちゅーこと、よー分かったな。      

  • なぜ人間は宗教をつくりだすのか?

    なぜ人間は宗教をつくりだすのか? 猿などの動物は宗教をつくりませんが、人間は宗教をつくりだします。これは人間が猿などの動物よりも優れているからではありませんか?

  • 善と悪についての問答

    善と悪についての問答   問う人:  善とは何や。 「人の道」:   善とは嘘偽りなく物事の有るがままを有るがままとして捉えることや。 つまり善とは見えるもんを見えると言い、見えんもんを見えんと言うことや。 善とは聞こえるもんを聞こえると言い、聞こえんもんを聞こえんと言うことや。 善とは知っとるもんを知っとると言い、知らんもんを知らんと言うことや。 善とは無いものを無いと言い、有るものを有ると言うことや。 問う人:   では悪とは何や。 「人の道」:   悪とは善の対極にあるもんや。  つまり悪とは偽ることや、そして物事を捻じ曲げることや。 問う人:   偽るとはどういうことや。 「人の道」:   偽るとは見えるもんを見えんと言い、見えんもんを見えると言うことや。 偽るとは聞こえるもんを聞こえんと言い、聞こえんもんを聞こえると言うことや。 偽るとは知っとるもんを知らんと言い、知らんもんを知っとると言うことや。 偽るとは無いものを有ると言い、有るものを無いと言うことや。 偽るとは語るべきを語らず、語らざるべきを語ることや。 問う人:   なぜ偽ることは悪なんや。 「人の道」:   偽ると真理の探究は出来んからや。 問う人:   如何なる場合も偽ることは悪なんか。 「人の道」:   そーや、如何なる場合も偽ることは悪や。 問う人:   最大の悪とは何や。 「人の道」:   最大の偽りや。 問う人:   最大の偽りとは何や。 「人の道」:   神や仏、天国、地獄を語ることや 問う人:   なんで神や仏、天国、地獄を語ることは偽りなんや。 「人の道」:   だから言うたろ。  見えんもんを見えると言うことは偽りや。  聞こえんもんを聞こえると言うことは偽りや。  知らんもんを知っとると言うことは偽りなんや。 「人の道」:   どうや、これで善と悪が何かよー分かったろう。 問う人:   はい、よー分かりました。善とは偽りの無いこと、悪とは偽ることや。 「人の道」:   では最大の悪が何かも分かったか。 問う人:   はい、よー分かりました。嘘八百並べ神や仏、天国、地獄を語るのが一番悪い。 「人の道」:   皆にも聞く。宗教漬になって嘘八百並べるのが一番悪いちゅーこと、よー分かったな。      

  • 善と悪についての問答

    善と悪についての問答   問う人:  善とは何や。 「人の道」:   善とは嘘偽りなく物事の有るがままを有るがままとして捉えることや。 つまり善とは見えるもんを見えると言い、見えんもんを見えんと言うことや。 善とは聞こえるもんを聞こえると言い、聞こえんもんを聞こえんと言うことや。 善とは知っとるもんを知っとると言い、知らんもんを知らんと言うことや。 善とは無いものを無いと言い、有るものを有ると言うことや。 問う人:   では悪とは何や。 「人の道」:   悪とは善の対極にあるもんや。  つまり悪とは偽ることや、そして物事を捻じ曲げることや。 問う人:   偽るとはどういうことや。 「人の道」:   偽るとは見えるもんを見えんと言い、見えんもんを見えると言うことや。 偽るとは聞こえるもんを聞こえんと言い、聞こえんもんを聞こえると言うことや。 偽るとは知っとるもんを知らんと言い、知らんもんを知っとると言うことや。 偽るとは無いものを有ると言い、有るものを無いと言うことや。 偽るとは語るべきを語らず、語らざるべきを語ることや。 問う人:   なぜ偽ることは悪なんや。 「人の道」:   偽ると真理の探究は出来んからや。 問う人:   如何なる場合も偽ることは悪なんか。 「人の道」:   そーや、如何なる場合も偽ることは悪や。 問う人:   最大の悪とは何や。 「人の道」:   最大の偽りや。 問う人:   最大の偽りとは何や。 「人の道」:   神や仏、天国、地獄を語ることや 問う人:   なんで神や仏、天国、地獄を語ることは偽りなんや。 「人の道」:   だから言うたろ。  見えんもんを見えると言うことは偽りや。  聞こえんもんを聞こえると言うことは偽りや。  知らんもんを知っとると言うことは偽りなんや。 「人の道」:   どうや、これで善と悪が何かよー分かったろう。 問う人:   はい、よー分かりました。善とは偽りの無いこと、悪とは偽ることや。 「人の道」:   では最大の悪が何かも分かったか。 問う人:   はい、よー分かりました。嘘八百並べ神や仏、天国、地獄を語るのが一番悪い。 「人の道」:   皆にも聞く。宗教漬になって嘘八百並べるのが一番悪いちゅーこと、よー分かったな。      

  • 善と悪についての問答

    善と悪についての問答   問う人:  善とは何や。 「人の道」:   善とは嘘偽りなく物事の有るがままを有るがままとして捉えることや。 つまり善とは見えるもんを見えると言い、見えんもんを見えんと言うことや。 善とは聞こえるもんを聞こえると言い、聞こえんもんを聞こえんと言うことや。 善とは知っとるもんを知っとると言い、知らんもんを知らんと言うことや。 善とは無いものを無いと言い、有るものを有ると言うことや。 問う人:   では悪とは何や。 「人の道」:   悪とは善の対極にあるもんや。  つまり悪とは偽ることや、そして物事を捻じ曲げることや。 問う人:   偽るとはどういうことや。 「人の道」:   偽るとは見えるもんを見えんと言い、見えんもんを見えると言うことや。 偽るとは聞こえるもんを聞こえんと言い、聞こえんもんを聞こえると言うことや。 偽るとは知っとるもんを知らんと言い、知らんもんを知っとると言うことや。 偽るとは無いものを有ると言い、有るものを無いと言うことや。 偽るとは語るべきを語らず、語らざるべきを語ることや。 問う人:   なぜ偽ることは悪なんや。 「人の道」:   偽ると真理の探究は出来んからや。 問う人:   如何なる場合も偽ることは悪なんか。 「人の道」:   そーや、如何なる場合も偽ることは悪や。 問う人:   最大の悪とは何や。 「人の道」:   最大の偽りや。 問う人:   最大の偽りとは何や。 「人の道」:   神や仏、天国、地獄を語ることや 問う人:   なんで神や仏、天国、地獄を語ることは偽りなんや。 「人の道」:   だから言うたろ。  見えんもんを見えると言うことは偽りや。  聞こえんもんを聞こえると言うことは偽りや。  知らんもんを知っとると言うことは偽りなんや。 「人の道」:   どうや、これで善と悪が何かよー分かったろう。 問う人:   はい、よー分かりました。善とは偽りの無いこと、悪とは偽ることや。 「人の道」:   では最大の悪が何かも分かったか。 問う人:   はい、よー分かりました。嘘八百並べ神や仏、天国、地獄を語るのが一番悪い。 「人の道」:   皆にも聞く。宗教漬になって嘘八百並べるのが一番悪いちゅーこと、よー分かったな。      

  • 人の人格の捉え方は、国や地域、民族によって異なるといわれています。どの

    人の人格の捉え方は、国や地域、民族によって異なるといわれています。どのような要因で違いが現れるか、事例を挙げて説明して下さい。 と聞かれたら何と答えますか?わたしには質問の意味すらわかりません。

  •  440万年前の猿人『ラミダス』エチオピアで発見。

     440万年前の猿人『ラミダス』エチオピアで発見。    NHKの「ハイビジョン特集」を見て。  ‘人はどこから来たのか’それは人間にとって根源的な問い、であるらしい。  番組のナレーターによると、  人間は他の動物とは最初から大きく違っていた。ダーウィンは、人間も他の動物と同じように自然淘汰を経て進化してきたと考えた。でもその手がかりとなる化石は見つかっていなかった。だがエチオピアで人類の祖先と思われる440万年前の化石が発見された。その一部が最初に発見されたのが1992年。  という内容から始まって、  さらに化石は発掘され、様々な分野の協力の下に『ラミダス猿人』の全容が、明らかになっていくところを紹介しています。  そして腰の骨からこの猿人が二足歩行をしていた、ということまでは分かったのですが、他の哺乳動物との大きな違いである、二足歩行をなぜ人間はするようになったか、という点については解決できないままでいるようです。  そこで私の疑問です。  様々な分野の協力を得て、とありますがその中に精神面を学問する分野が含まれていないように感じます。そうだとすると「科学的研究、学問」には精神的要素は含まなくてもよいと“学者”は考えているのでしょうか。  人間が二足歩行するようになった原因は、生物学的環境に依るというよりも「精神性」に理由があるように思えてなりません。  心理は体に、表情に表れるからです。  気持ちふさげばうつむき加減。心軽ければ背筋は伸びて、顔も晴れやか。  椅子にふんぞり返って足をテーブルに投げ出せば、遊び人の気分を味わい、お習字をする時のように椅子に深く腰をおろし背を伸ばせば、気持ちが引き締まります。  440万年前の『ラミダス猿人』も既に人としての精神を、意志も理性も感情も、持っていたからこそ立ち上がったのではないでしょうか。  ためしに私の狭いお部屋の中で四つ足になって“歩行”してみました。  ☆やっぱり気持ちが違います。  

  • 歎異抄の解説本を読んだ感想

    歎異抄の解説本を読んだ感想 最近、歎異抄の解説本を読みました。 内容はすばらしく共感できる部分が多かったです。 一つ質問があるのですが、他力本願についてです。 他力本願の考えの特徴として、対象(?)となる人の素養を 問わない所があります。 他力本願では悪人でさえも成仏するのは納得がいきますが、 悪人は実社会の一般の考え方と考え方が違い、多くの標準的な 人とは、折り合いよく暮らせないというのも事実です。 宗教として、元々仏教は、死を大きな局面と考える宗教と 私は認識しておりますが、実社会への係わり合いが無い、 実社会で活用できない(人が生きて行くために必要となる拠り所) ものは、器として小さい気がしております。 純然たる宗教としての一面として、成仏や救済というせまい範囲 でのみ、他力本願は成立すると考えて大きな誤りはないのでしょうか? 一つの、大きな悩みとして、考え方で、 涅槃=絶対的な目標、正しい状態 と考えるならば、他力本願的に考えると、 どのようなことをしている人間も肯定されるとの考えることができます。 負の救済の局面でしか適応できない考え方は、正しく無いと 私は思っております。 どなたか、私の悩みにお答えいただけますと、ありがていです。

  • 歎異抄の解説本を読んだ感想

    歎異抄の解説本を読んだ感想 最近、歎異抄の解説本を読みました。 内容はすばらしく共感できる部分が多かったです。 一つ質問があるのですが、他力本願についてです。 他力本願の考えの特徴として、対象(?)となる人の素養を 問わない所があります。 他力本願では悪人でさえも成仏するのは納得がいきますが、 悪人は実社会の一般の考え方と考え方が違い、多くの標準的な 人とは、折り合いよく暮らせないというのも事実です。 宗教として、元々仏教は、死を大きな局面と考える宗教と 私は認識しておりますが、実社会への係わり合いが無い、 実社会で活用できない(人が生きて行くために必要となる拠り所) ものは、器として小さい気がしております。 純然たる宗教としての一面として、成仏や救済というせまい範囲 でのみ、他力本願は成立すると考えて大きな誤りはないのでしょうか? 一つの、大きな悩みとして、考え方で、 涅槃=絶対的な目標、正しい状態 と考えるならば、他力本願的に考えると、 どのようなことをしている人間も肯定されるとの考えることができます。 負の救済の局面でしか適応できない考え方は、正しく無いと 私は思っております。 どなたか、私の悩みにお答えいただけますと、ありがていです。

  • 歎異抄の解説本を読んだ感想

    歎異抄の解説本を読んだ感想 最近、歎異抄の解説本を読みました。 内容はすばらしく共感できる部分が多かったです。 一つ質問があるのですが、他力本願についてです。 他力本願の考えの特徴として、対象(?)となる人の素養を 問わない所があります。 他力本願では悪人でさえも成仏するのは納得がいきますが、 悪人は実社会の一般の考え方と考え方が違い、多くの標準的な 人とは、折り合いよく暮らせないというのも事実です。 宗教として、元々仏教は、死を大きな局面と考える宗教と 私は認識しておりますが、実社会への係わり合いが無い、 実社会で活用できない(人が生きて行くために必要となる拠り所) ものは、器として小さい気がしております。 純然たる宗教としての一面として、成仏や救済というせまい範囲 でのみ、他力本願は成立すると考えて大きな誤りはないのでしょうか? 一つの、大きな悩みとして、考え方で、 涅槃=絶対的な目標、正しい状態 と考えるならば、他力本願的に考えると、 どのようなことをしている人間も肯定されるとの考えることができます。 負の救済の局面でしか適応できない考え方は、正しく無いと 私は思っております。 どなたか、私の悩みにお答えいただけますと、ありがていです。

  • 宗教の本質 十ヶ条

    宗教の本質 十ヶ条 ------------ 宗教の本質 十ヶ条 --------- 1.宗教の発生   宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。   どのような原始社会においても宗教は発生しています。   宗教の生まれていない地域、社会、時代は皆無といってよい。 2.宗教の数   宗教は全世界に隈なく分布しています。   その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。   また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。 3.宗教を構成するもの   宗教は神、天国、地獄の3つの概念により構成されます。   この3概念を備えない宗教は存在しません。 4.宗教の宇宙観   全ての宗教は有限宇宙観に支配されます。   すなわち宇宙はある一時期をもって開始し、その広がりは有限であるとみなします。   神、天国、地獄の3概念に支配される宗教にとって宇宙は有限でなければならないのです。 5.悩み、苦しみからの逃避手段としての宗教   宗教は心地良いものです。   修行と名のつく様々な宗教的所業も結局は心地良さの追求です。   このため宗教は悩み、苦しみ、絶望からの逃避手段として用いられます。   酒を飲むと心地よくなるのと同様の効果です。   もちろん酔いが醒めると辛いものが待ち受けておりますが、宗教の場合とて同じです。   このことについてレーニンは「宗教はアヘンである」と言いました。 6.儀式としての宗教   宗教は人の死に際を整えるための儀式として機能します。 そのため宗教は人の死について、その死に際について特に拘るのです。 7.統治の道具としての宗教   宗教はもともとは人間社会の統治の道具として生まれました。   これは古代エジプト王国などをみればよく分かることです。   大勢の奴隷を効率よく統治管理するための道具として有効利用されたのです。   この状況は根本の部分においては現在でも全く変わっていないと言ってよいでしょう。   宗教が政治を目指すのはこのためです。 また国が宗教を擁護するのもこのためです。 8.利益追求としての宗教   宗教は貧しき者から高額なお布施料、葬儀料を巻上げ、欲の趣くままに巨大神殿を建設し、 栄華を楽しむものです。 9.宗教の未来 儀式や統治の道具としての宗教は力を失いました。   これは近代科学、近代文明が発達した結果として起こる自然な結末なのです。   それと同時に宗教を支配した神、天国、地獄の3概念もそのイメージが次第に薄れてきました。   つまり宗教の役目は失われつつあり、既に宗教の時代は終わったといってよいでしょう。 10.宗教の次に来るもの   それは「人の道」、つまり真理の探究であり、思想と哲学の時代です。 以上は、前回提示した「宗教の本質」(質問番号:5989268)を通して回答者の皆さんから得た回答内容とこれらに対する評価および宗教に対する私自身の再認識を加え、最終形としたものです。 ご意見下さい。 ただし、回答者自身の答え、すなわち回答者自身による「宗教の本質 十ヶ条」をもって回答願います。 (その理由は、前回の質問では回答者自身の答えを示さず単にここが違う、ここが不十分などと部分的に指摘するのみのものばかりであり、満足のいく回答には程遠かったからです)

  • 宗教の本質 十ヶ条

    宗教の本質 十ヶ条 ------------ 宗教の本質 十ヶ条 --------- 1.宗教の発生   宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。   どのような原始社会においても宗教は発生しています。   宗教の生まれていない地域、社会、時代は皆無といってよい。 2.宗教の数   宗教は全世界に隈なく分布しています。   その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。   また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。 3.宗教を構成するもの   宗教は神、天国、地獄の3つの概念により構成されます。   この3概念を備えない宗教は存在しません。 4.宗教の宇宙観   全ての宗教は有限宇宙観に支配されます。   すなわち宇宙はある一時期をもって開始し、その広がりは有限であるとみなします。   神、天国、地獄の3概念に支配される宗教にとって宇宙は有限でなければならないのです。 5.悩み、苦しみからの逃避手段としての宗教   宗教は心地良いものです。   修行と名のつく様々な宗教的所業も結局は心地良さの追求です。   このため宗教は悩み、苦しみ、絶望からの逃避手段として用いられます。   酒を飲むと心地よくなるのと同様の効果です。   もちろん酔いが醒めると辛いものが待ち受けておりますが、宗教の場合とて同じです。   このことについてレーニンは「宗教はアヘンである」と言いました。 6.儀式としての宗教   宗教は人の死に際を整えるための儀式として機能します。 そのため宗教は人の死について、その死に際について特に拘るのです。 7.統治の道具としての宗教   宗教はもともとは人間社会の統治の道具として生まれました。   これは古代エジプト王国などをみればよく分かることです。   大勢の奴隷を効率よく統治管理するための道具として有効利用されたのです。   この状況は根本の部分においては現在でも全く変わっていないと言ってよいでしょう。   宗教が政治を目指すのはこのためです。 また国が宗教を擁護するのもこのためです。 8.利益追求としての宗教   宗教は貧しき者から高額なお布施料、葬儀料を巻上げ、欲の趣くままに巨大神殿を建設し、 栄華を楽しむものです。 9.宗教の未来 儀式や統治の道具としての宗教は力を失いました。   これは近代科学、近代文明が発達した結果として起こる自然な結末なのです。   それと同時に宗教を支配した神、天国、地獄の3概念もそのイメージが次第に薄れてきました。   つまり宗教の役目は失われつつあり、既に宗教の時代は終わったといってよいでしょう。 10.宗教の次に来るもの   それは「人の道」、つまり真理の探究であり、思想と哲学の時代です。 以上は、前回提示した「宗教の本質」(質問番号:5989268)を通して回答者の皆さんから得た回答内容とこれらに対する評価および宗教に対する私自身の再認識を加え、最終形としたものです。 ご意見下さい。 ただし、回答者自身の答え、すなわち回答者自身による「宗教の本質 十ヶ条」をもって回答願います。 (その理由は、前回の質問では回答者自身の答えを示さず単にここが違う、ここが不十分などと部分的に指摘するのみのものばかりであり、満足のいく回答には程遠かったからです)

  • 宗教の本質 十ヶ条

    宗教の本質 十ヶ条 ------------ 宗教の本質 十ヶ条 --------- 1.宗教の発生   宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。   どのような原始社会においても宗教は発生しています。   宗教の生まれていない地域、社会、時代は皆無といってよい。 2.宗教の数   宗教は全世界に隈なく分布しています。   その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。   また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。 3.宗教を構成するもの   宗教は神、天国、地獄の3つの概念により構成されます。   この3概念を備えない宗教は存在しません。 4.宗教の宇宙観   全ての宗教は有限宇宙観に支配されます。   すなわち宇宙はある一時期をもって開始し、その広がりは有限であるとみなします。   神、天国、地獄の3概念に支配される宗教にとって宇宙は有限でなければならないのです。 5.悩み、苦しみからの逃避手段としての宗教   宗教は心地良いものです。   修行と名のつく様々な宗教的所業も結局は心地良さの追求です。   このため宗教は悩み、苦しみ、絶望からの逃避手段として用いられます。   酒を飲むと心地よくなるのと同様の効果です。   もちろん酔いが醒めると辛いものが待ち受けておりますが、宗教の場合とて同じです。   このことについてレーニンは「宗教はアヘンである」と言いました。 6.儀式としての宗教   宗教は人の死に際を整えるための儀式として機能します。 そのため宗教は人の死について、その死に際について特に拘るのです。 7.統治の道具としての宗教   宗教はもともとは人間社会の統治の道具として生まれました。   これは古代エジプト王国などをみればよく分かることです。   大勢の奴隷を効率よく統治管理するための道具として有効利用されたのです。   この状況は根本の部分においては現在でも全く変わっていないと言ってよいでしょう。   宗教が政治を目指すのはこのためです。 また国が宗教を擁護するのもこのためです。 8.利益追求としての宗教   宗教は貧しき者から高額なお布施料、葬儀料を巻上げ、欲の趣くままに巨大神殿を建設し、 栄華を楽しむものです。 9.宗教の未来 儀式や統治の道具としての宗教は力を失いました。   これは近代科学、近代文明が発達した結果として起こる自然な結末なのです。   それと同時に宗教を支配した神、天国、地獄の3概念もそのイメージが次第に薄れてきました。   つまり宗教の役目は失われつつあり、既に宗教の時代は終わったといってよいでしょう。 10.宗教の次に来るもの   それは「人の道」、つまり真理の探究であり、思想と哲学の時代です。 以上は、前回提示した「宗教の本質」(質問番号:5989268)を通して回答者の皆さんから得た回答内容とこれらに対する評価および宗教に対する私自身の再認識を加え、最終形としたものです。 ご意見下さい。 ただし、回答者自身の答え、すなわち回答者自身による「宗教の本質 十ヶ条」をもって回答願います。 (その理由は、前回の質問では回答者自身の答えを示さず単にここが違う、ここが不十分などと部分的に指摘するのみのものばかりであり、満足のいく回答には程遠かったからです)

  • 宗教の本質

    宗教の本質 哲学について考えるとき必ず付いてまわる宗教とは何か「宗教の本質」について考えた結果、以下の結論に至りました。 1.宗教の発生時期   宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。   どのような原始社会においても宗教は発生しています。   宗教の生まれていない地域、社会は皆無といってよい。 2.宗教の種類と数   宗教は全世界に溢れています。   その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。   また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。 3.宗教を構成するもの   宗教は神、天国、地獄の3つの概念により構成されます。   この3つの概念を備えない宗教は存在しません。 4.宗教の宇宙観   全ての宗教は有限宇宙観に支配されるものです。   すなわち宇宙はある一時期をもって開始し、その広がりは有限であると。 5.宗教を動かすもの   宗教は心地良いものです。   修行と名のつく様々な宗教的所業も結局心地良さの追求です。   酒を飲むと心地よくなるのと同様の現象です。   もちろん酔いが醒めると辛いものが待ち受けておりますが、宗教も同様であることに説明の必要はありません。 6.宗教の目的   宗教はもともとは人間社会の統治の道具として生まれました。   これは古代エジプト王国などをみればよく分かることです。   大勢の奴隷を効率よく統治管理するための道具として有効利用されたのです。   この状況は根っこの部分においては現在でも全く変わっていないと言ってよいでしょう。   国が宗教を擁護するのもこのためです。 7.宗教の未来   統治の道具としての宗教の力は既に失われています。   これは近代科学、近代文明が発達した結果としての自然の成り行きなのです。   それと同時に宗教を支配した神、天国、地獄の3概念もそのイメージが次第に弱まってきました。   つまり宗教の役目は失われつつあり、既に宗教の時代は終わったといってよいでしょう。 8.宗教の次にくるもの   それは真理の探究であり、思想と哲学の時代です。 御意見ください  

  • 宗教の本質

    宗教の本質 哲学について考えるとき必ず付いてまわる宗教とは何か「宗教の本質」について考えた結果、以下の結論に至りました。 1.宗教の発生時期   宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。   どのような原始社会においても宗教は発生しています。   宗教の生まれていない地域、社会は皆無といってよい。 2.宗教の種類と数   宗教は全世界に溢れています。   その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。   また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。 3.宗教を構成するもの   宗教は神、天国、地獄の3つの概念により構成されます。   この3つの概念を備えない宗教は存在しません。 4.宗教の宇宙観   全ての宗教は有限宇宙観に支配されるものです。   すなわち宇宙はある一時期をもって開始し、その広がりは有限であると。 5.宗教を動かすもの   宗教は心地良いものです。   修行と名のつく様々な宗教的所業も結局心地良さの追求です。   酒を飲むと心地よくなるのと同様の現象です。   もちろん酔いが醒めると辛いものが待ち受けておりますが、宗教も同様であることに説明の必要はありません。 6.宗教の目的   宗教はもともとは人間社会の統治の道具として生まれました。   これは古代エジプト王国などをみればよく分かることです。   大勢の奴隷を効率よく統治管理するための道具として有効利用されたのです。   この状況は根っこの部分においては現在でも全く変わっていないと言ってよいでしょう。   国が宗教を擁護するのもこのためです。 7.宗教の未来   統治の道具としての宗教の力は既に失われています。   これは近代科学、近代文明が発達した結果としての自然の成り行きなのです。   それと同時に宗教を支配した神、天国、地獄の3概念もそのイメージが次第に弱まってきました。   つまり宗教の役目は失われつつあり、既に宗教の時代は終わったといってよいでしょう。 8.宗教の次にくるもの   それは真理の探究であり、思想と哲学の時代です。 御意見ください