thegenus の回答履歴

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  • 表と裏が同じ色 珍しいヒラメ見つかる

    表と裏が同じ色 珍しいヒラメ見つかる 「この珍しいヒラメは福岡県宗像市の沖合で地元の漁師が網にかけ、玄海灘で捕れた魚介類を売っている地元の道の駅に運び込みました。通常のヒラメは両目がついている表が濃い褐色で裏は白い色をしていますが、このヒラメは裏も表と同じ褐色で、一見するとどちらが表か裏か見分けがつきません。 体長はおよそ56センチ、重さは1.8キロある中型のオスで、地元の水産高校によりますと、放流される稚魚の中には表と裏が同じ色をしたものがまれにいるということですが、この大きさで両面同じ色のヒラメは非常に珍しいということです。 しかし、なぜ、このヒラメの色が変化せず成長したかは分からないと話しています。」 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130221/k10015687131000.html どうして両面同じ色の稚魚が生まれるのか? どうして色が変化せず成長したのか? ふしぎです。

  • 1万年前の御先祖様は、三角関数などを理解していただ

    我々人類の1万年前の御先祖様にお出ましを願います。 その方々に、必要な環境に生活して頂き、十分な教育を受けて頂きます。 そうすると、御先祖様は、たとえば三角関数などを理解して頂けますでしょうか?

  • 日本が好きな外国人に漢字の名前

    日本人の名前や姓名判断での名づけに興味がある外国人のお友達がいます。 その友達が”僕も日本の名前が欲しい”とのこと。 名前をつける時、例えば「優しい子に育つように」と「優子」とつけますよね。 そんな感じで性格を元に名前をつけたら、自分の名前はどんな名前になるのか 凄く興味があるようなのですが、あまりいい名前が思いつきません。 彼の性格は、穏やか、冷静、優しい、誠実といったところです。 何か思いつく名前があればなんでもいいのでお願いします。 また、当て字でいいものがあれば合わせてお願いいたします。 彼の名前は「バラージュ」です。 私では薔薇寿くらいしか浮かびません^^;

  • 人の為と書いて、「偽り」と読む。

    人の為と書いて、「偽り」と読む。とは、 どういう意味なのでしょうか? また、上記のような人とはどんな人なのでしょうか。

  • かゆみ の進化的意義とは?(長文です)

    当方、大学で自然淘汰・性淘汰を勉強しているものです。 自然淘汰による進化は以下のプロセスで起こると解釈しています。 (1)ある個体群内の個体間には形質変異が存在する (2)形質ごとに生存率や繁殖成功度が異なり、その結果として個体間の適応度に差が生まれる (3)形質は多少とも遺伝する (4)(1)~(3)より、世代間で個体群内の形質頻度が変化する(=進化) これを かゆみ の進化に当てはめると、以下のようになると考えられます。 (1)ある個体群内の個体間に“かゆみを感じる”“かゆみを感じない”という変異が存在する (2)“かゆみを感じる”個体は“感じない”個体に比べて、適応度が高い (3)“かゆみを感じる”形質は遺伝するため、集団内で頻度を増やした この(2)の かゆみを感じる個体のほうが適応度が高い というのは、 どのような理由によると思いますか? (例:痛みを感じる・・・痛みを伴う事象は(生命の危機から小さな怪我まで幅はあれど)    基本的にネガティブな事柄であると期待できるので、    それをうまく避けるような形質が進化してきたのは理解できます) お風呂上りにかゆかったりするのは、適応度上の利益を伴う形質でしょうか? それとも、単に中立進化の結果でしょうか? かゆみは何かネガティブな事象のシグナルとして機能しているのでしょうか? (虫さされを放置すると生存率や繁殖成功度が下がるとか・・・???) かゆみ の進化的意義について、一案がある方はどうぞお知恵をお貸しください。 ※ 単に個人的な疑問です。 ※ この話題は自然淘汰を前提としていますので、   ”そもそも自然淘汰自体がナンセンス”といった回答はどうぞご遠慮くださいませ。   自然淘汰に基づき、かゆみの適応的意義を考えたいと思っています。

  • 「前後する」について

     日本語を勉強中の中国人です。日本の作家の随筆を読んでおります。「前後する」という表現を習得しました。「前後」は名詞としての使い方は大体中国語と同じですが、「前後する」という動詞としての使い方を身につけたいと思います。下記に列挙した二つの意味は逆の意味のようですが、一つの言葉に統一され、不思議だと感じております。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%89%8D%E5%BE%8C&dtype=0&dname=0na&stype=1&pagenum=1&index=10529600 4 (1)順序が逆になること。あとさきになること。「話が―する」「紹介が―する」 (2)ほとんど間隔をおかずに続くこと。「両者が―してゴールする」  「本格的に日々走るようになったのは、『羊をめぐる冒険』を書き上げたあと、少ししてからだと思う。専業小説家としてやっていこうと心を決めたのと前後しているかもしれない。」  上記の文中での「前後する」は列挙させていただいた辞書の意味のなかのどちらに属しているのでしょうか。「本格的に日々走るようになった」のは「専業小説家としてやっていこうと心を決めた」の前でしょうか。後ろでしょうか。皆様はどのように判断されるのでしょうか。判断のこつのようなものを教えていただけないでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 街並みの寂しさや衰退を表す言葉

    街並みの寂しさや衰退を表す言葉を教えてください! 門前雀羅・葎の門・閑古鳥が鳴くの様な感じです。 よろしくお願いします(*'ー'*)

  • 「脂っこい油っこい」

    「とんかつがあぶらっこかった」のあぶらっこいは、どちらが正しいですか?

  • 「思われる」について(再度質問文書き直す)

     日本語を勉強中の中国人です。頭のなかのある固定観念をネイティブスピーカーの皆様に確認してみたいと思います。下記は大学で使っていた日本語教科書からの抜粋です。説明は中国語で書かれているので、日本語に訳してみました。 ___________________________ ・~ように思う(思われる) 「~ように思う」は話し手が婉曲的に自分の意見を表す時に使う。 A.この音楽はどこかで聞いたように思いますが。 B.どこかでお会いしたことがあるように思いますが。 C.これは一年生にとっては難しすぎるように思います。 「~ように思う」に近い表現として、「~ように思われる」というものがある。その感覚は「~ように思う」と比べて、より客観性があり、「思わず」生じたのである。 D.人の目から天を見ると、天が動いているように思われやすいです。 E.彼女は日本人であるように思われますが、中国人だそうです。 F.このマイクロカメラは外国から輸入されたもののように思われます。 ・~と言われている この文型は中国語の「一般的にこう認識している」、「話によると」に近い。ある公認されている事実を客観的に述べるニュアンスがある。 G.五百年ほど前の東京はたいへんさびしいところだったと言われています。 H.近ごろの日本の若者はよくマンガを読むと言われています。 I.魯迅の文章はとてもわかりにくいと言われています。 ______________________________  以上は大学の日本語教科書からの引用終わりです。「~ように思う(思われる)」と「~と言われている」は別々の教科書にある文法項目ですが、私の頭のなかで、なぜかごちゃごちゃになっており、同じようなものとまとめました。「~と言われている」の影響を受けて、「~ように思われる」も客観性がある表現だと思いました。  最近、「考えてみればこれも、~からではないかと思われる」という日本語構造を見ました。外国人の私にとって、最初は偉そうな印象を受けました。なぜなら、たんなる個人の認識を「思われる」によって人々はみんなそう思っていると話し手が勝手に決めたと思うからです。  でも、のちほど、こちらのサイトで質問したら、「思われる」は自分の弱い断定の意味があるとわかりました。  そこで考えたことなのですが、「と思われる」は人々はみんなそう思っているという意味にも取れるし、自分の弱い断定の意味にも取れるような気がします。もし、自分の弱い断定の意味として使うつもりでしたが、「一般的に人々はみんなそう思っている」ととられたら、偉そうに感じられ誤解が生じるのではないかという懸念です。つまり、外国人の私が最初に誤解したようなことが発生しました。どのようにすればこのような誤解を避けることができるのでしょうか。それとも、それは私自身が「考えてみればこれも、~からではないかと思われる」とうい構造についての認識不足なのでしょうか。  「考えてみればこれも、地球は丸いからではないかと思われる」という日本語文で、この話し手はいったい一般的な人の地球についての認識を述べたのか、それともその人自身の地球についての意見を表したのか、どのように判断するのでしょうか。  以前もこちらで質問させていただいたことがありますが、どうも自分の言いたいことをうまく伝えられないようでした。もう一度書き直しました。今回聞きたいことは伝わったのでしょうか。つたない日本語ですみませんでした。また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • かゆみ の進化的意義とは?(長文です)

    当方、大学で自然淘汰・性淘汰を勉強しているものです。 自然淘汰による進化は以下のプロセスで起こると解釈しています。 (1)ある個体群内の個体間には形質変異が存在する (2)形質ごとに生存率や繁殖成功度が異なり、その結果として個体間の適応度に差が生まれる (3)形質は多少とも遺伝する (4)(1)~(3)より、世代間で個体群内の形質頻度が変化する(=進化) これを かゆみ の進化に当てはめると、以下のようになると考えられます。 (1)ある個体群内の個体間に“かゆみを感じる”“かゆみを感じない”という変異が存在する (2)“かゆみを感じる”個体は“感じない”個体に比べて、適応度が高い (3)“かゆみを感じる”形質は遺伝するため、集団内で頻度を増やした この(2)の かゆみを感じる個体のほうが適応度が高い というのは、 どのような理由によると思いますか? (例:痛みを感じる・・・痛みを伴う事象は(生命の危機から小さな怪我まで幅はあれど)    基本的にネガティブな事柄であると期待できるので、    それをうまく避けるような形質が進化してきたのは理解できます) お風呂上りにかゆかったりするのは、適応度上の利益を伴う形質でしょうか? それとも、単に中立進化の結果でしょうか? かゆみは何かネガティブな事象のシグナルとして機能しているのでしょうか? (虫さされを放置すると生存率や繁殖成功度が下がるとか・・・???) かゆみ の進化的意義について、一案がある方はどうぞお知恵をお貸しください。 ※ 単に個人的な疑問です。 ※ この話題は自然淘汰を前提としていますので、   ”そもそも自然淘汰自体がナンセンス”といった回答はどうぞご遠慮くださいませ。   自然淘汰に基づき、かゆみの適応的意義を考えたいと思っています。

  • 不完全な日本語で書かれた日本国憲法

    最近の石原慎太郎氏の国会での質問に“日本国憲法の日本語がおかしい”との指摘がありました。 それに呼応して、とりあえずもう一度、前文を読んでみました。彼の指摘箇所以外にも疑問と思われる部分があり、日本語として本当に正しい使い方なのか疑問が残る部分ありますので下記します。やはり原文が英語であったので、おかしくなったのでしょうか? (参考まで原文ではなく最終稿英訳を記載) ■ 正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し We, the Japanese people, <acting through our duly elected representatives in the National Diet, > determined that we shall secure for ourselve…… <拙校正> 厳正に選出された代表者を通じ国会に於ける決議として、 <選挙された>代表者? : 言うなら<選挙で選出された>じゃないのか?<選挙された>では当否は未確定。  ■ われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたる自由のもたらす恵沢を確保し、 we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, <拙校正>我同胞及び子孫のために、諸国民との平和的協調の結実と、わが国全土に行き渡る自由のもたらす恩恵を確保し、 →協和: 心をあわせ仲よくすること。Peaceful cooperation とはニュアンス違う? <~との協和による成果>を確保するって? 何の成果? ■ この憲法を確定する。× →   この憲法を制定する。○ 語彙の誤用: (石原氏の指摘通り) ■ 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、 <拙校正> 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼をおき、(または) 平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して  we have determined to preserve our security and existence, <trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.> * Trusting in はマッカーサーの原文では rely upon ~ に信頼して・・・ なんて表現、日本語にあるのでしょうか?(助詞の誤用?) ■ ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、×(石原氏の指摘通り) →  ひとしく恐怖と欠乏を免がれ、 ○ (助詞の誤用) We recognize that all peoples of the world have the right to live in the peace, <free from fear and want.> 以上私論での指摘ですが、どなたか正しい日本語ご存知のかた正論をお願いします。(なお、ここでは憲法論議ではなく、あくまで正しい日本語としての表現についての論議とさせてください。) よろしくお願いします。

  • 大岡政談で有名な、江戸南町奉行の大岡「越前守」につ

    江戸南町奉行の大岡越前守について教えて下さい。 1.まず、名前の「忠相」はどこへつながるのですか?江戸南町奉行大岡越前守「忠相」というのですか?江戸南町奉行大岡「忠相」越前守というのですか? 2、「越前守」は、官位というのですね。実質的な役目(権限とか義務)はあったのですか? 3、「越前守」は、幕府が大岡に与えるのですか?、あるいは大岡が、自分で手に入れるものですか?4、江戸南町奉行大岡越前守忠相を現代語風に訳すと、東京都南方面警視総監大岡福井県知事忠相になると思います。江戸時代の人は、東京都南方面警視総監と福井県知事とが、並んでいても、違和感がなかったのですか?

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  • かゆみ の進化的意義とは?(長文です)

    当方、大学で自然淘汰・性淘汰を勉強しているものです。 自然淘汰による進化は以下のプロセスで起こると解釈しています。 (1)ある個体群内の個体間には形質変異が存在する (2)形質ごとに生存率や繁殖成功度が異なり、その結果として個体間の適応度に差が生まれる (3)形質は多少とも遺伝する (4)(1)~(3)より、世代間で個体群内の形質頻度が変化する(=進化) これを かゆみ の進化に当てはめると、以下のようになると考えられます。 (1)ある個体群内の個体間に“かゆみを感じる”“かゆみを感じない”という変異が存在する (2)“かゆみを感じる”個体は“感じない”個体に比べて、適応度が高い (3)“かゆみを感じる”形質は遺伝するため、集団内で頻度を増やした この(2)の かゆみを感じる個体のほうが適応度が高い というのは、 どのような理由によると思いますか? (例:痛みを感じる・・・痛みを伴う事象は(生命の危機から小さな怪我まで幅はあれど)    基本的にネガティブな事柄であると期待できるので、    それをうまく避けるような形質が進化してきたのは理解できます) お風呂上りにかゆかったりするのは、適応度上の利益を伴う形質でしょうか? それとも、単に中立進化の結果でしょうか? かゆみは何かネガティブな事象のシグナルとして機能しているのでしょうか? (虫さされを放置すると生存率や繁殖成功度が下がるとか・・・???) かゆみ の進化的意義について、一案がある方はどうぞお知恵をお貸しください。 ※ 単に個人的な疑問です。 ※ この話題は自然淘汰を前提としていますので、   ”そもそも自然淘汰自体がナンセンス”といった回答はどうぞご遠慮くださいませ。   自然淘汰に基づき、かゆみの適応的意義を考えたいと思っています。

  • 「ポリシーを覆す」 正しい言葉ですか?

    「一度決めたことは最後までやり遂げろ。 自分のポリシーを簡単に覆すな」 これは正しい日本語ですか? 自分で決めたルールを破る場合、 「ポリシーを」の後に何をつけるのが適切でしょうか。 「覆す」で問題ないでしょうか。 そもそも「ポリシー」が日本語ではない、という ツッコミは抜きにして、回答をお待ちしております。

  • 大岡政談で有名な、江戸南町奉行の大岡「越前守」につ

    江戸南町奉行の大岡越前守について教えて下さい。 1.まず、名前の「忠相」はどこへつながるのですか?江戸南町奉行大岡越前守「忠相」というのですか?江戸南町奉行大岡「忠相」越前守というのですか? 2、「越前守」は、官位というのですね。実質的な役目(権限とか義務)はあったのですか? 3、「越前守」は、幕府が大岡に与えるのですか?、あるいは大岡が、自分で手に入れるものですか?4、江戸南町奉行大岡越前守忠相を現代語風に訳すと、東京都南方面警視総監大岡福井県知事忠相になると思います。江戸時代の人は、東京都南方面警視総監と福井県知事とが、並んでいても、違和感がなかったのですか?

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  • 「思われる」について(再度質問文書き直す)

     日本語を勉強中の中国人です。頭のなかのある固定観念をネイティブスピーカーの皆様に確認してみたいと思います。下記は大学で使っていた日本語教科書からの抜粋です。説明は中国語で書かれているので、日本語に訳してみました。 ___________________________ ・~ように思う(思われる) 「~ように思う」は話し手が婉曲的に自分の意見を表す時に使う。 A.この音楽はどこかで聞いたように思いますが。 B.どこかでお会いしたことがあるように思いますが。 C.これは一年生にとっては難しすぎるように思います。 「~ように思う」に近い表現として、「~ように思われる」というものがある。その感覚は「~ように思う」と比べて、より客観性があり、「思わず」生じたのである。 D.人の目から天を見ると、天が動いているように思われやすいです。 E.彼女は日本人であるように思われますが、中国人だそうです。 F.このマイクロカメラは外国から輸入されたもののように思われます。 ・~と言われている この文型は中国語の「一般的にこう認識している」、「話によると」に近い。ある公認されている事実を客観的に述べるニュアンスがある。 G.五百年ほど前の東京はたいへんさびしいところだったと言われています。 H.近ごろの日本の若者はよくマンガを読むと言われています。 I.魯迅の文章はとてもわかりにくいと言われています。 ______________________________  以上は大学の日本語教科書からの引用終わりです。「~ように思う(思われる)」と「~と言われている」は別々の教科書にある文法項目ですが、私の頭のなかで、なぜかごちゃごちゃになっており、同じようなものとまとめました。「~と言われている」の影響を受けて、「~ように思われる」も客観性がある表現だと思いました。  最近、「考えてみればこれも、~からではないかと思われる」という日本語構造を見ました。外国人の私にとって、最初は偉そうな印象を受けました。なぜなら、たんなる個人の認識を「思われる」によって人々はみんなそう思っていると話し手が勝手に決めたと思うからです。  でも、のちほど、こちらのサイトで質問したら、「思われる」は自分の弱い断定の意味があるとわかりました。  そこで考えたことなのですが、「と思われる」は人々はみんなそう思っているという意味にも取れるし、自分の弱い断定の意味にも取れるような気がします。もし、自分の弱い断定の意味として使うつもりでしたが、「一般的に人々はみんなそう思っている」ととられたら、偉そうに感じられ誤解が生じるのではないかという懸念です。つまり、外国人の私が最初に誤解したようなことが発生しました。どのようにすればこのような誤解を避けることができるのでしょうか。それとも、それは私自身が「考えてみればこれも、~からではないかと思われる」とうい構造についての認識不足なのでしょうか。  「考えてみればこれも、地球は丸いからではないかと思われる」という日本語文で、この話し手はいったい一般的な人の地球についての認識を述べたのか、それともその人自身の地球についての意見を表したのか、どのように判断するのでしょうか。  以前もこちらで質問させていただいたことがありますが、どうも自分の言いたいことをうまく伝えられないようでした。もう一度書き直しました。今回聞きたいことは伝わったのでしょうか。つたない日本語ですみませんでした。また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 食品のカビやすさについて

    パンとイカ薫製の水分と水分活性を比較したとき、パンの水分は35%、水分活性は0.93。イカの薫製の水分は66%、水分活性は0.78でした。 このことから、パンは100g中に約35%の水分が含まれており、そのうちの0.93が自由水であることを示しているのだと思います。 一方、イカ薫製には100g中66gの水分が含まれており、そのうちの0.78が自由水だと思われます。 まず、ここまでの認識は合っているでしょうか? このもとで考えると、パンに含まれる自由水は35×0.93=32.6g、イカの薫製に含まれる自由水は66×0.78=51.5gとなります。 このことなら、パンよりもイカの薫製の方がカビやすいとなりますが、経験的にパンのほうがカビやすいはずです。 考え方のどこが間違っているのでしょうか?正しい考え方を教えてください。

  • 不自然な(自然な)日本語表現とは?

     日本語を勉強中の中国人です。こちらのサイトで質問する時に、いつも質問文の最後に「また、質問文に不自然な表現がございましら、それも教えていただければ幸いです」という文を付け加えます。お伺いしたいのですが、日本の皆様が考えられる不自然な日本語表現(あるいは自然な日本語表現)とはどのようなものでしょうか。日本語を本質的に理解したいので、些細な一言でもかまいません。たくさんのかたがたのご意見をお待ちしております。  次は私が特に不自然だと考えている日本語の表現です。 1.「ご飯を食べる」を「ご飯を飲む」と、「薬を飲む」を「薬を食べる」と、いういわゆる単語と単語の組み合わせが間違っている。 2.「ご飯を食べた」を「ご飯を食べる」と、いういわゆる文法の間違い。 3.お願いする時に、「お手数をおかけしますが」、「恐れ入りますが」などクッションの言葉がない。 4.自分の価値観を相手に押し付ける表現。 5.相手に傷つける表現。 6.傲慢で謙遜でない表現。  また、質問文に不自然な表現がございましら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 日本語の「約」という言葉は切りの悪い数にも使う?

    およそ、だいたい、とう意味の「約」を、切りの悪い数に使うのは正しいでしょうか? たとえば「約30名」「約200名」とはいいますが、「約17名」はいわないような気がします。 (例:約30名がこのイベントに参加した。) おそらく17名だがもしかしたら16名か18名、19名かも知れない、という時は、私は「17名程度」のほうが適切だと思うのですが、「約17名」のような記載を社内文書で見かけて気になっています。 しかし、「約6日」は使う気がします。(例:ご注文後、商品は約6日でお届けします。)これは6日と数時間とか、「日」よりも下の単位があるから6でも切りが良いと考えられるからなのでしょうか。 辞書を見ても分かりませんでした。日本語の専門家、または根拠を示して頂ける方からのご回答をお待ちしています。

  • 自然科学の方法について

    自然科学の方法について気になる点があります。たぶん、初歩的な疑問なのだと思うのですが、論理的思考や科学的思考にそれほど強いわけではないので、どなたかご教示頂けるとありがたいです。  ある人(A)が事象(B)---B1, B2, B3を観察して、B群が現象として生じる原因を帰納法的に究明し、それに基づいて仮説(C)を立てたとします。仮説(C)が妥当なものであることを確認するために、仮説(C)から事象Bを演繹的に説明できれば良いはずだと考えます。でも、仮説(C)から、観察の際に取り上げたB1, B2, B3を説明できても、論理が循環するだけなので、これでは説明したことにはなりません。  だとすれば、事象(B)のうち、最初の観察の際に取り上げられなかったサンプル(例えばB4, B5, B6,------)を選んで、仮説(C)から説明可能であれば、仮説(C)が妥当なものであることを確認できたことになるはずです。 ところが、この時、B4が説明主体である人(A)と関わることであった場合、例えば、心理学的な事象や社会学的な事象だったり、あるいは医学的な事象や、生物学的な事象であったとします。その場合、その事象が(A)の身にも起きることがありえます。  そうなると、仮説(C)を立てた(A)が(A)と関係する事象B4を説明しようとすることになります。その場合、論理循環に陥っていると考えてよいのでしょうか?つまり、証明はなされないということでしょうか?  事象B4が宇宙の生成や遺伝子の構造といったことであっても、(A)と関わりを持ちます。この場合も、やはり循環論法になるのでしょうか?   そもそも、(A)と関わりを持たないような事象がありうるのかということですが、例えば、惑星の公転周期とか鉱物の組成といったことでも、(A)はそうした事象を観察する主体でもあるので、事象B4に関わりを持つことになります。ここでも、論理循環が起きているのでしょうか?  一般に、仮説を立てる(A)が仮説(C)から演繹される対象B4と全く関係を持たないようなあり方をすることは不可能だと思えてなりませんが、どうなのでしょうか? それとも、<観察-帰納法的原因究明-仮説提出-演繹的説明>の一連の流れにの外に主体(A)をおいて、(その場合、説明主体が2個所に存在することになりますが)そこから、説明を行わせることが可能なのでしょうか? 少し、こんがらがってきています。よろしくお願いします。

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    • feeders
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