thegenus の回答履歴
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- 早稲田文学部の現代文ができません。
早稲田文学部の現代文ができません。 センターでは8割はとれてたのでいままでやってなかったのですが、赤本を解いたところ全くできませんでした。 残りの2週間とちょっと、どのような勉強をすればいいのでしょうか? 回答お願いします。
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- 00i
- 日本語・現代文・国語
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- 吐いてばかりでなにも食べない状態
十数年お酒を止めていた父が癌の疑いがあり自暴自棄になりまたお酒を飲むようになりました。 お酒は誰も居ないときにこっそり飲んでいるようで一日中寝込んでます。 ご飯もまったく食べず、食べても吐いてしまうようでなにも受け付けないようです。 一応、経口補水液を買ってきてますが2日で100mlしか減ってません。 病院で点滴してもらおうと言っても全く聞きません。 2日後に大きな病院で癌の詳しい検査があるので、その時まで病院に行かずに過ごしても大丈夫でしょうか? 少し意識は朦朧としてますが、受け答えはなんとか出来ます。歩いたりもフラフラしながらですができます。
- 締切済み
- noname#174109
- 栄養・サプリメント(健康)
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- スポーツの指導者にはバカが多いのでしょうか?
よく頭が良くないとスポーツもできないと言いますが、程度の問題であり、やっぱりスポーツの指導者って、相対的にバカが多いのでしょうか? 体罰で動物的に調教しようとするのも、バカだからですよね?
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- noname#176816
- ニュース・時事問題
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- 下顎前突(受け口)手術の詳しい文献
受け口で悩んでいます。近所の歯医者へ虫歯治療で行った時、 ついでに受け口で相談した所、大学の口腔外科に行くように言われました。 それから自分でもネットで調べた所、顎の骨を切る手術と言う事がわかり 手術を受けるかどうかかなり迷っています。 手術の説明は口腔外科で受けられるのでしょうけれども、 それ以外に自分でも情報を集めたり文献を読んでみたいので、 良い文献をご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。 専門書であっても図書館で探します。 1冊でも複数冊でもOKです。 よろしくお願いします。
- 今さらですが、「は」と「が」についてです
先ほど、下記のような例文に関して回答を終えた者です。 昔、おじいさんとおばあさんがいました。 おじいさんは山へ柴刈りに行きました。 おばあさんは川へ洗濯に行きました。 おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が流れてきました。 こうした例文に関して、 『未知の場合は「が」で、既知の場合は「は」。既知でも従属節の場合は「が」』という解説を時折見かけますが、これは正しいでしょうか。 個人的には、この解説には普遍性が無いのではないか、つまり、誤った解説ではないだろうか、という疑念を常々持っています。 たとえば、 おじいさんは未知ですが、「おじいさんは山で柴を刈っていた」から始まる物語もあって良いでしょう。 逆に、おじいさんは既知ですが、「家でおじいさんが桃を割りました」という文が続いても自然です。 同じく、おばあさんは既知ですが、「そして、おばあさんが桃太郎を抱きあげました」という文が続いても自然です。 さらに、桃は既知ですが、「その時、桃が急に動いた」という表現もできます。 この場合、「が」を使ったからといって「桃が急に動いた」は従属節ということになるのだろうか? などといった疑念です。 要するに、未知・既知・従属節といった要素だけで「は」と「が」の使い分けを規定するのは無理なのではないだろうか、ということなんですが、みなさんのご見解をお聞かせください。 わたしの知識不足で、上記の解説内容自体を誤解している可能性もありますが、もし、そうであれば、ご指摘いただけると助かります。 蛇足ですが、わたしの個人的な見解は以下のようになりますので、これに関しても何かご意見がございましたらご開陳いただければ有難いと思います。 「は」は主題提起の係助詞です。 「○○は」で始まるのは、「これから、○○に関して述べますが・・・」という意図の文になります。 「が」は特定用法の格助詞です。 「が」が特定するのは主体の場合もありますし、対象の場合もあります。 いずれにせよ、特定する意図のある場合に「が」を使う、という点が重要です。 「おじいさんとおばあさんがいました」という文は、 「おじいさんとおばあさんに関して述べている文ではない」ということに留意が必要です。 では、何に関して述べている文かというと、「いました」という事実に関して述べている文です。 「いた(いました)のは、誰か」ということを特定するために、「おじいさんとおばあさんが」と表現するわけです。 「おじいさんは山へ柴刈りに行きました」は、おじいさんに関して述べている文です。 「(今から)おじいさんに関して述べますが、彼(おじいさん)は山へ柴刈りに行きました」という意味の文です。 「おばあさんは川へ洗濯に行きました」も同様です。 これらの文は、「おじいさん(おばあさん)に関して、これから述べますよ」というのが本質的な意図であり、「柴刈りに行きました」「洗濯に行きました」は、その述べられた内容にすぎません。 つまり、「文の意図・文の構造」としては、あくまでおじいさん(おばあさん)に関して述べる、ということである点が重要です。 「おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が(1)流れてきました」という文の骨格は「大きな桃が流れてきました」です。 さらに厳密に言うと「流れてきました」です。 「(今から)大きな桃に関して述べますが・・・」という意図ではないので「桃は」とは表現しません。 「流れてきたのは何か」を特定するために「桃が」としているわけです。 従属節の「おばあさんが洗濯をしていると」の場合も同様で、「(今から)おばあさんに関して述べますが・・・」という意図ではありません。 あくまで「洗濯をしていると(桃が流れてきた)」という構造です。 「誰が洗濯をしていたのか」を特定するために「おばあさんが」と表現します。
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- hakobulu
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- 今さらですが、「は」と「が」についてです
先ほど、下記のような例文に関して回答を終えた者です。 昔、おじいさんとおばあさんがいました。 おじいさんは山へ柴刈りに行きました。 おばあさんは川へ洗濯に行きました。 おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が流れてきました。 こうした例文に関して、 『未知の場合は「が」で、既知の場合は「は」。既知でも従属節の場合は「が」』という解説を時折見かけますが、これは正しいでしょうか。 個人的には、この解説には普遍性が無いのではないか、つまり、誤った解説ではないだろうか、という疑念を常々持っています。 たとえば、 おじいさんは未知ですが、「おじいさんは山で柴を刈っていた」から始まる物語もあって良いでしょう。 逆に、おじいさんは既知ですが、「家でおじいさんが桃を割りました」という文が続いても自然です。 同じく、おばあさんは既知ですが、「そして、おばあさんが桃太郎を抱きあげました」という文が続いても自然です。 さらに、桃は既知ですが、「その時、桃が急に動いた」という表現もできます。 この場合、「が」を使ったからといって「桃が急に動いた」は従属節ということになるのだろうか? などといった疑念です。 要するに、未知・既知・従属節といった要素だけで「は」と「が」の使い分けを規定するのは無理なのではないだろうか、ということなんですが、みなさんのご見解をお聞かせください。 わたしの知識不足で、上記の解説内容自体を誤解している可能性もありますが、もし、そうであれば、ご指摘いただけると助かります。 蛇足ですが、わたしの個人的な見解は以下のようになりますので、これに関しても何かご意見がございましたらご開陳いただければ有難いと思います。 「は」は主題提起の係助詞です。 「○○は」で始まるのは、「これから、○○に関して述べますが・・・」という意図の文になります。 「が」は特定用法の格助詞です。 「が」が特定するのは主体の場合もありますし、対象の場合もあります。 いずれにせよ、特定する意図のある場合に「が」を使う、という点が重要です。 「おじいさんとおばあさんがいました」という文は、 「おじいさんとおばあさんに関して述べている文ではない」ということに留意が必要です。 では、何に関して述べている文かというと、「いました」という事実に関して述べている文です。 「いた(いました)のは、誰か」ということを特定するために、「おじいさんとおばあさんが」と表現するわけです。 「おじいさんは山へ柴刈りに行きました」は、おじいさんに関して述べている文です。 「(今から)おじいさんに関して述べますが、彼(おじいさん)は山へ柴刈りに行きました」という意味の文です。 「おばあさんは川へ洗濯に行きました」も同様です。 これらの文は、「おじいさん(おばあさん)に関して、これから述べますよ」というのが本質的な意図であり、「柴刈りに行きました」「洗濯に行きました」は、その述べられた内容にすぎません。 つまり、「文の意図・文の構造」としては、あくまでおじいさん(おばあさん)に関して述べる、ということである点が重要です。 「おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が(1)流れてきました」という文の骨格は「大きな桃が流れてきました」です。 さらに厳密に言うと「流れてきました」です。 「(今から)大きな桃に関して述べますが・・・」という意図ではないので「桃は」とは表現しません。 「流れてきたのは何か」を特定するために「桃が」としているわけです。 従属節の「おばあさんが洗濯をしていると」の場合も同様で、「(今から)おばあさんに関して述べますが・・・」という意図ではありません。 あくまで「洗濯をしていると(桃が流れてきた)」という構造です。 「誰が洗濯をしていたのか」を特定するために「おばあさんが」と表現します。
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- hakobulu
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- 食べたものの流れ
ちょっと汚い話もでますので、注意してください。 夜ごはんの後、下を向いてかがんだら「おえっ」と喉あたりまで食べたものが戻ってきたんですけど、 朝食べたいわし缶の味がしました。 胃を通過するのにそんなに時間がかかるんですか? 消化のメカニズムに詳しい方教えてください。 お願いします。
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- renkonrenkon
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- 今さらですが、「は」と「が」についてです
先ほど、下記のような例文に関して回答を終えた者です。 昔、おじいさんとおばあさんがいました。 おじいさんは山へ柴刈りに行きました。 おばあさんは川へ洗濯に行きました。 おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が流れてきました。 こうした例文に関して、 『未知の場合は「が」で、既知の場合は「は」。既知でも従属節の場合は「が」』という解説を時折見かけますが、これは正しいでしょうか。 個人的には、この解説には普遍性が無いのではないか、つまり、誤った解説ではないだろうか、という疑念を常々持っています。 たとえば、 おじいさんは未知ですが、「おじいさんは山で柴を刈っていた」から始まる物語もあって良いでしょう。 逆に、おじいさんは既知ですが、「家でおじいさんが桃を割りました」という文が続いても自然です。 同じく、おばあさんは既知ですが、「そして、おばあさんが桃太郎を抱きあげました」という文が続いても自然です。 さらに、桃は既知ですが、「その時、桃が急に動いた」という表現もできます。 この場合、「が」を使ったからといって「桃が急に動いた」は従属節ということになるのだろうか? などといった疑念です。 要するに、未知・既知・従属節といった要素だけで「は」と「が」の使い分けを規定するのは無理なのではないだろうか、ということなんですが、みなさんのご見解をお聞かせください。 わたしの知識不足で、上記の解説内容自体を誤解している可能性もありますが、もし、そうであれば、ご指摘いただけると助かります。 蛇足ですが、わたしの個人的な見解は以下のようになりますので、これに関しても何かご意見がございましたらご開陳いただければ有難いと思います。 「は」は主題提起の係助詞です。 「○○は」で始まるのは、「これから、○○に関して述べますが・・・」という意図の文になります。 「が」は特定用法の格助詞です。 「が」が特定するのは主体の場合もありますし、対象の場合もあります。 いずれにせよ、特定する意図のある場合に「が」を使う、という点が重要です。 「おじいさんとおばあさんがいました」という文は、 「おじいさんとおばあさんに関して述べている文ではない」ということに留意が必要です。 では、何に関して述べている文かというと、「いました」という事実に関して述べている文です。 「いた(いました)のは、誰か」ということを特定するために、「おじいさんとおばあさんが」と表現するわけです。 「おじいさんは山へ柴刈りに行きました」は、おじいさんに関して述べている文です。 「(今から)おじいさんに関して述べますが、彼(おじいさん)は山へ柴刈りに行きました」という意味の文です。 「おばあさんは川へ洗濯に行きました」も同様です。 これらの文は、「おじいさん(おばあさん)に関して、これから述べますよ」というのが本質的な意図であり、「柴刈りに行きました」「洗濯に行きました」は、その述べられた内容にすぎません。 つまり、「文の意図・文の構造」としては、あくまでおじいさん(おばあさん)に関して述べる、ということである点が重要です。 「おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が(1)流れてきました」という文の骨格は「大きな桃が流れてきました」です。 さらに厳密に言うと「流れてきました」です。 「(今から)大きな桃に関して述べますが・・・」という意図ではないので「桃は」とは表現しません。 「流れてきたのは何か」を特定するために「桃が」としているわけです。 従属節の「おばあさんが洗濯をしていると」の場合も同様で、「(今から)おばあさんに関して述べますが・・・」という意図ではありません。 あくまで「洗濯をしていると(桃が流れてきた)」という構造です。 「誰が洗濯をしていたのか」を特定するために「おばあさんが」と表現します。
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- 親知らずではない奥歯抜歯後の食事について
いつもお世話になります。 本日のお昼、右上6番の抜歯をしました。虫歯がひどすぎて根っこしか残っていませんでした。 抜歯は無事終了しました。腕の良い先生と評判のところで抜いていただき、無痛治療なので麻酔も無痛で終了しました。 今現在、麻酔は切れていますが痛みどめ要らず、少し唾液が血の味がする程度です。(今日一日は唾液が血の味がすると言われました。) 抜歯前に、うがい(当日のみ)・入浴・飲酒・たばこ・運動はだめ。と説明を受けました。 明日消毒に行きます。 ・抗菌剤のクラビット(本当はフロモックスでしたがセフェム系にアレルギーがありこちらにかえていただきました。) ・ロキソニン ・ウルグート(胃薬) を処方され、クラビットを飲むために食事をしました。(痛くなければ普通に食事して良いと言われました。) 一応うどんがあったので卵を入れてかきたま汁のうどん入りみたいなのを作りました。 その時卵が患部に少し詰まったような気がします…(・_・;)違和感があります(・_・;) 左で咀嚼しましたが片方だけで咀嚼ってなかなか難しいですね(:_;) この場合どうすればいいでしょうか?明日の消毒で処置してもらった方がいいのかどうにかして詰まったものを出した方がいいのか… ドライソケット防止のためうがいだめって言われているし、かといってつまようじでとるのもだめってネットで見ました。 また、このような抜歯後、どのくらいの期間がたてば右側でも咀嚼できるようになりますでしょうか? 親知らずの質問は多いのですが、私の場合普通の奥歯なのでどうなのかと思って… ちなみに部分入れ歯にします。根っこしか残っていませんでしたが歯ぐきの切開はしていません。 普通の抜歯です。 どなたかよろしくお願いします…(:_;) せっかくできた趣味の料理教室も早く復活して行きたいので…
- 今さらですが、「は」と「が」についてです
先ほど、下記のような例文に関して回答を終えた者です。 昔、おじいさんとおばあさんがいました。 おじいさんは山へ柴刈りに行きました。 おばあさんは川へ洗濯に行きました。 おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が流れてきました。 こうした例文に関して、 『未知の場合は「が」で、既知の場合は「は」。既知でも従属節の場合は「が」』という解説を時折見かけますが、これは正しいでしょうか。 個人的には、この解説には普遍性が無いのではないか、つまり、誤った解説ではないだろうか、という疑念を常々持っています。 たとえば、 おじいさんは未知ですが、「おじいさんは山で柴を刈っていた」から始まる物語もあって良いでしょう。 逆に、おじいさんは既知ですが、「家でおじいさんが桃を割りました」という文が続いても自然です。 同じく、おばあさんは既知ですが、「そして、おばあさんが桃太郎を抱きあげました」という文が続いても自然です。 さらに、桃は既知ですが、「その時、桃が急に動いた」という表現もできます。 この場合、「が」を使ったからといって「桃が急に動いた」は従属節ということになるのだろうか? などといった疑念です。 要するに、未知・既知・従属節といった要素だけで「は」と「が」の使い分けを規定するのは無理なのではないだろうか、ということなんですが、みなさんのご見解をお聞かせください。 わたしの知識不足で、上記の解説内容自体を誤解している可能性もありますが、もし、そうであれば、ご指摘いただけると助かります。 蛇足ですが、わたしの個人的な見解は以下のようになりますので、これに関しても何かご意見がございましたらご開陳いただければ有難いと思います。 「は」は主題提起の係助詞です。 「○○は」で始まるのは、「これから、○○に関して述べますが・・・」という意図の文になります。 「が」は特定用法の格助詞です。 「が」が特定するのは主体の場合もありますし、対象の場合もあります。 いずれにせよ、特定する意図のある場合に「が」を使う、という点が重要です。 「おじいさんとおばあさんがいました」という文は、 「おじいさんとおばあさんに関して述べている文ではない」ということに留意が必要です。 では、何に関して述べている文かというと、「いました」という事実に関して述べている文です。 「いた(いました)のは、誰か」ということを特定するために、「おじいさんとおばあさんが」と表現するわけです。 「おじいさんは山へ柴刈りに行きました」は、おじいさんに関して述べている文です。 「(今から)おじいさんに関して述べますが、彼(おじいさん)は山へ柴刈りに行きました」という意味の文です。 「おばあさんは川へ洗濯に行きました」も同様です。 これらの文は、「おじいさん(おばあさん)に関して、これから述べますよ」というのが本質的な意図であり、「柴刈りに行きました」「洗濯に行きました」は、その述べられた内容にすぎません。 つまり、「文の意図・文の構造」としては、あくまでおじいさん(おばあさん)に関して述べる、ということである点が重要です。 「おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が(1)流れてきました」という文の骨格は「大きな桃が流れてきました」です。 さらに厳密に言うと「流れてきました」です。 「(今から)大きな桃に関して述べますが・・・」という意図ではないので「桃は」とは表現しません。 「流れてきたのは何か」を特定するために「桃が」としているわけです。 従属節の「おばあさんが洗濯をしていると」の場合も同様で、「(今から)おばあさんに関して述べますが・・・」という意図ではありません。 あくまで「洗濯をしていると(桃が流れてきた)」という構造です。 「誰が洗濯をしていたのか」を特定するために「おばあさんが」と表現します。
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- hakobulu
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- 生物の形態形成について
生物の形態形成には、あらかじめ発生運命が決まっているモデルよりも、反応拡散系のほうが有利だという話を聞いたのですが、何故でしょうか。 反応拡散系だと切断されたりしても、それぞれ発生を続けられるということですか?
- 「あと」と「のち」はどのように違うのでしょうか。
「のち」のほうは時間的後先でしょうか。また「のち」は「あと」と音がまったくことなりますが、「のち」の語源についても知りたいと思っています。
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- noname#194289
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- 回答数6
- カロリーの問題
高いカロリーの食物を過分摂取するとどのような問題がおきますか? カロリーは食物に含まれる三大栄養素にそれぞれありますが、じっさいに体の中で吸収されてからどのようにエネルギーになったり脂肪になったりするのですか? 詳しいことが分からないのでそのメカニズムを教えてください。
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- merlemoqueur
- 生物学
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- 葉状茎と葉?アスパラの葉状茎とサボテンの刺って…
受験生ですが、受験にはあまり関係ないお話です。 植物が好きで観葉植物の本を見ていたら アスパラガスの葉に見える部分は「葉状茎」というもので、葉ではなく茎が葉のようになったもの。 とありました。 また、生物の授業では、「サボテンの刺はもともと葉」と習いました。 はたまた、苔・藻類では葉のようなものを「葉状体」という、ということも本で読みました。 でも苔についてそれはゼニゴケなどのぺらーっとした物は「葉状体」だけれども スギゴケのような茎っぽいもの葉っぽいものがあるものは、とりあえず「茎、葉」と呼ぶとも。 これらの、葉っぱのようで葉っぱでないもの。また葉っぱではなさそうなのに葉っぱであるものが 「葉っぱであるか否か」というのは、何で決まっていることなのでしょうか? 「葉」の定義とは何ですか? 葉は光合成する、茎はしない。ということであれば、アスパラガスの葉状茎は光合成をしているので葉といえるだろうと思うし、 さく状組織や海綿状組織、孔辺細胞があるものが葉であるとすれば、スギゴケの葉っぱは全然そんな複雑な構造はしていませんし、サボテンの刺は全く違うものですよね…。 (サボテンの刺は、単に葉が起源であるというだけで、葉ではないですかね…) いまいち腑に落ちる答えが見つけられないでいます。 なにかすとんとくる解答、よろしくお願いします。
- 「あと」と「のち」はどのように違うのでしょうか。
「のち」のほうは時間的後先でしょうか。また「のち」は「あと」と音がまったくことなりますが、「のち」の語源についても知りたいと思っています。
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- noname#194289
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- 大型恐竜の、小さな口について
体長が数十メートの大型の恐竜がいました。彼らは、大きい身体の割に口が小さく、かつ長い首の先についていました。 疑問点は以下のことです。教えて下さい。 1、あの大きい身体を維持する大量な食物を、小さな口で、どのようにしたらから、処理できたのですか? 2、口から胴体まで、距離が長いですが、食物を、どのように運んでいたのですか?何か工夫があるのですか?
- 「あと」と「のち」はどのように違うのでしょうか。
「のち」のほうは時間的後先でしょうか。また「のち」は「あと」と音がまったくことなりますが、「のち」の語源についても知りたいと思っています。
- ベストアンサー
- noname#194289
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