yuniko99 の回答履歴

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  • マジメと正直

    両立は難しい? (そもそも「マジメ(真面目)」とは・・・)

  • なぜ、ガンや疫病の実在特効的治療法が未だタブー?

    なぜに、「全てのガン、や疫病(菌類感染症など)」への、約15年前に既に動物実験で、ほぼ100%有効(当然、末期患者では有効でないケースもあるだろうが)な『実在特効的治療法』が、未だタブーとされ公益を害して見えるのか? ・誰でも知っているような有名すぎる治療法なので、私は命名されたか?どうか?さえ知らないが、その、あまりに「見事なメカニズム」は、動物実験の取材テレビ番組で解説されたら、医療に疎い私でさえ『なるほど~~、これなら、ガン細胞が何処に潜り込んでも、殺せるじゃん! ズンゲー!』と感心し、5年後には普及するかと思いきや、もう15年以上経つのに、新聞広告の片隅で「チラリと人間用の治療として、宣伝している医療機関が1つあるのみ」で、全人類的には、どうやら広まっていないようだ。 自分なりに、理由を考えた。それは: ++++++++++ ・2014現在、ガン関連ビジネスは【医療機器メーカーからガン保険会社】まで、莫大なカネがからんだ大産業化に移行したため、【医療機器メーカー~ガン保険会社等までの各種業界】から『謝礼(カネか?)』を押し付けられ受け取ること(ソデの下)が可能な、 ・権威ある病院長や、それに従わざるを得ない医師達が、わざわざ患者の命を救ってまで、オイシイ事(カネや、将来の地位、かも)を、簡単に手放す訳がない! それに患者は早死にされてもカネにならんので、ほどよいタイミングで逝ってもらう【ように、うまくやる】のが最もカネになる!(利益追求=資本主義の宿命)、と断言できる程に『自己チュー化』が医師の理念を歪め心底まで浸透しているからであり、 ・さらに【あの治療法】に言及するのは、いまや国際マネービジネスの大黒柱に関わる、政治家がらみの国際問題まで発展するアブナイハナシであり、誰も、罪を追求されたくないのでタブー化しているのである》 +++++++++ と、いうのが私の仮説ですが、これを読んだ読者様は「ほとんど知らない事実」であったり、する場合があるのだろうか? まさか・・・ね。 Repeat:【なぜ、「ガンや疫病」の『実在特効的治療法』が未だタブー?】 ※当該質問は『タブー化』を質問の主題にしているため、哲学カテゴリーにしております。

  • なぜ戦争を起こしてはいけないのでしょうか?

    なぜ戦争を起こしてはいけないのでしょうか? 私は戦争には反対です。 できることなら戦争なんか起きなければいいとも思います。 ですがなぜ起こしてはいけないのかと問われると、 戦争に行ったことも、巻き込まれたこともない私には答えられません。 なんとなく命を粗末にしていそうだから。 そんななんとなくという理由しか思いつきません。 仮にそうならばなぜ命を粗末にしてはいけないのか? という疑問になります。 戦争を起こしてはいけない理由、 命を粗末にしてはいけない理由をできれば哲学的な面から教えてください。

  • あの世は存在しない

      宇宙の公理を用いて「あの世は存在しない」ことを証明します。 証明: 仮にあの世が存在したとする。 このとき第3公理より宇宙の法則は宇宙の全現象を支配するのであるから、あの世の現象も宇宙の法則が支配することになる。 また第4公理より宇宙の法則は唯一絶対であるから、あの世の法則は宇宙の法則自体でなければならない。 また第2公理より宇宙と宇宙の法則は一体であるから、あの世とあの世の法則は宇宙と宇宙の法則と一体でなければならない。 結局、あの世とあの世の法則はこの世とこの世の法則と一体でなければならない。 すなわちあの世とはこの世のこととなり、あの世はこの世とは別には存在し得ない。 故にあの世は存在しないと結論できる。 証明終わり。           宇宙の公理 第1公理 宇宙は存在する 第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第3公理 宇宙の法則は宇宙の全現象を支配する 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠無限に均一である 第6公理 宇宙の法則は永遠無限に不変である (※永遠とは無限時間、無限とは無限空間を意味する)  

  • 不変な「善」は存在するか?あるなら何?

    便乗質問です。 「基本的に」は、善悪は不変ではありません。 これは歴史的に明らかです。 例えば、近代化がなされる前のキリスト教徒にとっては、「異教徒を殺さない事」は「悪」でした。 それを拒否した場合、悪魔の手先とみなされ、異端にかけられ処刑されます。現在は、その逆で「異教徒を殺す事」は、ただの殺人罪になり「悪」です。 例えば、イギリスはタスマニア人を絶滅させましたが、それらの行為は当時のヨーロッパの国際慣習では、主権国として合法的な権利でした。現在は、ジェノサイド条約などの違反になり「悪」です。 例えば、現在は侵略は国際法違反であり、「悪」です。しかし、「侵略が悪」と世界で定着するのは、1945年に51カ国によって署名された国連憲章からです。1917年のアメリカ大統領ウッドロー・ウイルソンの「勝利なき平和」や1928年の不戦条約にもその傾向がありますが、確立するのはやはり1945年であって、それ以前は侵略は「悪」ではありませんでした。 (「侵略」に関しては、佐藤和男青山学院大学名誉教授『憲法九条・侵略戦争・東京裁判』から一部を引用。) と言う事で、これらの歴史的事実を観る限り「基本的に」は、善悪は不変とはいえません。 しかしそんな世の中でありながら、それでも「奇跡的に不変な「善」が守られてきたモノ」はあるでしょうか?これは、人間社会の法則にも関係するかもしれません。 「奇跡的に不変な「善」が守られてきたモノ」は存在するか? もし存在するなら、どのようなものか?

  • 果たして生きていると言えるのか

      考えてみてくれ。 声も出ず、目も動かず、首も回らず、手も立たず、足も立たず、ただチンポだけが真っ直ぐに直立しているとゆー人間は果たして生きていると言えるだろーか。    

  • 生きている不思議

    生きているということがイマイチ分かりません。 「生きている」或いは「生きる」「死ぬ」これらは全て、状態に対する勝手な命名でしかないのではないのだろうかと思ってしまいます。 皆、生きていることが前提で話が進みますが、そもそも、生きているということがどういうことなのかすら分かりません。 何故今の状態が生きていると言えるのか…。そんな風に思いだすと、全存在が意味を失っていきます。 結局分かることといえば、「今、何故かここにいる」ということだけで、あとのことは何も分からなくなる。 同じように思われる方います?

  • 永遠に変わることのないものとは何か

      諸行無常とされるこの世界の中で、ありとあらゆるものが変わってゆくこの世界の中にあって永遠に変わらないものとは何か。 真の意味において変わることのないもの、永遠不変なものは存在するのか。 もし究極的な意味において永遠不変なものがあるとするなら、それは宇宙の法則を除いて他には有り得まい。 そのように考える以外ないのである。 そのように考える以外ないということは、そのことを信じようとするのではなく、またそのことを願うわけでもなく、ただただそのように考える以外ほかにないということである。 そして永遠不変なものは確かに存在し、それは宇宙の法則であり、宇宙の法則を除いて他には有り得ないのであれば、宇宙の法則が神であると結論する以外ない。 更にこの永遠不変なる宇宙の法則が万物の根源であることを知れば、神は万物の根源、宇宙の法則であるアルケーを除いて他には存在し得ないことも分かるのである。 万物の根源、宇宙の法則、アルケーの神を除いて如何なる神も存在しない。 これにて何も問題はあるまい。    

  • 人間はなぜ視界が360度でないようにできているのか

    背後が見えないようにできている意味を教えてください

  • 朝に道を聞かば

    「とうちゃこ」!

  • 男だけの世界と女だけの世界

    平和になるのはどっちだと思いますか?

  • こころは 果たして存在するか

     ハートやヘルツやカール( coeur < cor )は 偶然 音が一致しているみたいなのですが 果たして《こころ》はあるのか? こころとは 一体何ぞや? を問います。  たとえば イヌの嗅覚が発達しているとかコウモリが高感度のセンサーを持っているとかいうとき  これらの感覚も大きくは 《こころ》に入ると思われます。  その感覚の器官は 言ってみれば《身》ですが そこで知覚した内容はすでに《感じ》として心をかたちづくります。  感じが認識されれば 《獲物がいた! 探しているものが見つかった!》という概念内容になります。イヌやコウモリ(かはぼり=川守?)が言葉を使っているとは思いませんが 行動のための情報を得ているのでしょう。  盲導犬が 危険を察知して停止することは 大きく心にかかわる方向へ向かっていると考えるのですが では犬は そこで《考える》か? 何かを考えるか? その人間に停止信号をつたえて あとは 危険をよけ それが去って行くのを見守っているだけか?  コウモリは センサーで獲物を見つけたなら あとはそれへと向かうという行動をするのみか? 考えることは無いか? あるのか?  ところがここでわたしが――分からないながら――わざわざ《こころ》論を始めたのは わたしは 《動物のこころは 身における感覚器官のはたらきの問題に還元される》と思うその内容を あろうことか 人間にも当てはめて見ようと思っている妄想があるからです。その思いが くすぶっているからです。  イヌが飼い主にかわいがられて 嬉しがったりするときにも それは 身における感覚器官のはたらきでありその延長であるという見方です。それを 人間の心にも当てはめようというコンタンが ちょっぴりあるからです。  ぎゃくに言うと 親しい人の死はかなしい。心がゆさぶられえぐり取られるようにさえ思う。  ところが 《かなしい》というのは 何ごともしかねる(つまり 出来ない)思いだと言っているのであって つまり:   いむ(忌む) > いまいまし(忌みたい気持ちだ)   をく(招く) > をかし(情がかよって招き寄せたい気になる)   ゆく(行く) > ゆかし(行って寄り添いたい気持ちだ。床しい)   かぬ(漢字なし) > かなし(何も出来かねる思いだ。哀・悲)  というように表現しているのであって これらの《こころ》はほとんどみな じつは《身》とそのウゴキ(行動)にかかわる内容を言っている。身にかかわる中身のことしか言っていない。  《忌み》とは その場やものが神々しかったりあるい逆にシカバネのごとく汚かったりするとき触れがたいとか触れたくないとかという気持ちを表わしている。触れるか触れないかの身のウゴキの問題なのである。  これらの身の振る舞いを表わすコトが 《こころ》の問題であると考えられる側面がある。おそらくこれはつねにあると思われる。  わらふ(笑う)にしても ゑむ(笑む)にしても 顔の表面における変化を言っている。ゑくぼ(笑窪)とも言うように 顔がほころび頬にくぼみが生じることを言っている。わらふは 顔がくぼむだけではなく 割れるのである。  (-ふ はこの場合 反復や継続の相か。あるいは 割り合ふの約で 顔の筋肉相互の相か。ゑぐる(抉る)やわく・わかれ(分く・別れ)とも言うように どうも子音の / w / が ひとつのモノの分割・分裂の相を指し示しているようなのです)。    昨今では クオリアといったことも言われて来ていますが:  ○ こころは あるか?   ○ 《こころ》とは 何ぞや?  お考えをどうぞ。

  • ネズミと蛾とブス

    ちょっと哲学的ですが ネズミとハムスター 蛾と蝶 ブスと美女 この様によく似たようなものなのに ここまで嫌われるものと愛されるものとの違いはいったい何なのでしょうか?

  • アメーバに知性や感情はあるのか

    例によりまして、素朴な質問をいたします。 アメーバやゾウリムシなどの単細胞生物に、  1 知性(とおぼしきもの)はあるか?  2 感情(とおぼしきもの)はあるか?  3 心(とおぼしきもの)や魂・霊魂はあるか? です。 アメーバやゾウリムシには知性や感情と呼べる代物はないけれど、 粘菌にはあるのか? http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/034/resarch_11.html 粘菌にはないけれど、アリなどの昆虫ならば・・・。 サカナならば・・・。 もう少し高等になり、 鳥やイヌ・ネコなどの哺乳動物くらいからだろう・・・。 皆さんのお考えを教えてください。

  • キリスト教の唯一神の名は何ですか

    ユダヤ三教はいずれも一神教です。 例えば、 1.ユダヤ教の唯一神の名は「エホバ(ヤハウエ)」、 2.イスラム教の唯一神の名は「アッラー」です。 それでは、 3.キリスト教の唯一神の名は何ですか。ご存じの方、教えて下さい。

  • 悲しい気持ちになりませんか?

    そこまでして嫌みをいいたいのでしょうか?

  • 魂という概念なくして自殺はありえるか

    自殺者の多くは楽になりたいと思っているはずです。 「楽になりたい」という言葉は将来的に楽になる状況が訪れることを期待する言葉です。 自殺者の将来とは何か。 それはあの世か輪廻を指すのではないでしょうか。 つまり、魂という概念なしに自殺はあり得ないと考えられるのですがどうでしょう。

  • 僕は死にましぇん。

    はっきり言おう。 ノストラダムスが予言した恐怖の大王とは私の事だ。 私は君たちの滅びを司る暗黒の救世主。 実在する仮面ライダー。 黒き明星だ。 私は生きながらに常世の住人だ。 私にとって肉体を失う事は単なる変化であり死ではない。 しかし君たちはそうではないね。 死ぬんだよ。 そもそも霊視のできる私がまじない師仕事で死者の消息を尋ねられたとしよう。 常世に死者はいない。 したがって、見出すことができない。 何故なら君たちの死は永遠の死だからだ。 死を背負った君たちは常世において記憶の墓標という死者の証を記している。 それは天界において記録される君たちへの裁きの証であり、君たちの真実だ。 君が死ぬとその記憶の墓標から、不実の繭が羽化し赦された新たな命が生まれる。 それは君たちではない。 君たちは消滅し、その記憶を受け継ぐ新たな生命が、許される自由を謳歌するのだ。 それが来世で新人類として闊歩するだろう。 君たちの魂は食い破られるのだ。 私は君たちの安らかな滅びのため戦い、新人類の誕生をみとる。 さらば、古き者どもよ。 以上はいつものように仮面ライダーの考察の一部です。 哲学的には死をテーマにしています。 あなたなりに死を解釈してください。 怪人の振りをして、死の定めに踊ってくれてもいいです。

  • 生きる意味を知りたいです

    決して死にたいわけでも自殺願望があるわけでもありません。 むしろ、人生楽しみたいと思っていますし、夢や目標もあります。 しかし、いつかは死ぬときが来る。 自分が人生楽しんだところで、夢を叶えたところで 自分にとって、世界にとって何になるんだろう。 これから生きていくこと、夢や目標に向かって努力すること、人生楽しむことに意味あるんだろうか。 最近そんな風に思ってしまいます。 生きる意味ってなんなんだろう。 いつかは終わるのに。人生楽しむってなんなんだろう。 いろいろとご意見聞かせていただけると幸いです。 スピリチュアルな話にも関心があるので、そういった視点からのご回答も頂けると嬉しいです。 もしかしたら、勇気や後押しがほしいだけかもしれません。

  • 宗教者は他の宗教の存在を許せますか?

    宗教を信じている人は他の宗教との関係をどのように考えているのかおたずねします。 例えば、AさんとBさんは友達で、AさんはXという神様をBさんはYという神様を信じているとしとします。もし本当にAさんがX神様を信じているなら「Bさんは神様でないものを信じている」とAさんは考えると思います。Bさんのためを思えば、X神様を信じるようにBさんを説得すべきと考えるのではないでしょうか?また、BさんもY神様を信じるようにAさんを説得しようと考えるのではないでしょうか? もし「個人には信教の自由があって好きな神様を信じればいいのだ」とAさんが考えるとするなら、AさんはX神様のことを本当は信じていないと思うのです。この世を創造し、人間を創造したのはX神様とAさんが考えているなら、X神様を信じるほかのありようはないからです。もし、個人の自由というなら、それは、神様より上に個人の人権とか自由を置いている証拠です。 私はなにも宗教戦争をしろというわけではありません。本当に信じるということを追求すると他の宗教の否定になりそうに思うので、これを回避するにはどんな考え方をしているのかお聞きしたいと思って質問します。あるいは、それを回避するのは難しいので深く考えないことにしているのでしょうか?