yuniko99 の回答履歴

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  • 正しく考えるには

     その人が「正しく考えているかどうか」、あるいは「正しく考える能力があるかどうか」を判断したいと思う時、こういう質問を投げかけてみてはどうかと考えています。『あなたは正しく考えるために、どのようなことを心がけていますか?』と質問するのです。その答えを聞いて、妥当だと思えるなら、きっとその人は「正しく考えようと思いさえすれば」正しく考えられる人だと思うのです。例外は、「正しく考える必要はない」という考えを持たれた場合です。そこで、第二の質問として、『正しく考えることより、大事なことは何かあるか?』と尋ねます。答えが返ってきたら、『じゃぁ、その場合は正しく考えなくていいと?』と聞き返します。  人はみんな「自分は正しい」と思って生きていると思うんですよ。だったら、個々の件に関する正しさではなく、「自分には物事を正しく考えようとする姿勢が備わっている」ことを他人に分からせる為にも、考えるにあたって<どういうことに留意しているか>を述べてみてください。僕が『なるほど、そうだー』と一番納得できた回答がベストアンサーです。  ただし、長ったらしいのや、難しい言葉を使ったりするのはなし。普段使う言葉で平易に表現して下さい。箇条書きでもいいですし、例えを使ってもいいです。正しく考えることさえできれば、結婚するのにDV夫を選んだり、何度言っても不可解な言い訳をする妻を選んだり、しなくて済むのではないかと思うのです。善人を選ぶ基準にもなります。少し間違っていても、話し合いで正しい方向に引き戻せることもできます。  普段考えている人はそのままを、今から考える人はよく考えて回答して下さい。  第一の質問にだけで結構です。では、どうぞ。

  • 心掛け

    曰く、 「人権を侵害しないように・・・」 「フェア・トレード」といったことを、連想致しました。 日々、人権を侵害しないように心掛けると、どうなりますか?

  • 免罪符

    こんばんは。 「これだけ払うから、チャラにしてくれ」 ・・・可笑しいと思いますか?

  • 「あったかいんだから」

    何が? ♪「もしかしてだけど、もしかしてだけど? 自分一人で、あったかいんじゃないの!」

  • 「人権を侵害しないように心がけたいものですね」

    ・・・そうですね、としか。 (「人権侵害」については、歴史的に・・・)

  • 書籍名を教えて下さい

    恥ずかしいのですが書物関係の知識に乏しいので 質問させていただきます 学生の時に哲学の教師から聞いた事ですが 自分の愛しい女性がある時亡くなったのであるが、 彼女のことを忘れることが出来なくて もう一度会いたいという気持から、墓を掘り返して みたところ、その状態に驚いた。生前の彼女とは 似ても似つかないくらい蛆虫に食い尽くされていた という話ですが、この話が載っている書物のタイトル などをご存知の方がおられましたなら、お教えいただきたく よろしくお願いします。

  • 及ばざる

    「過ぎ(たる)」より、勝れり。 「及ばざる」のほうが、良いんですね。

  • 理解はすべて比喩のはたらきによるものでしょう

    言い換えると以前の経験の記憶に似ていないものは理解できないということでしょうか。逆に丸呑みにすれば可能な理解というものもあるのでしょうか。

  • 聖書は 《ひとごろし》をどう見ているか

     たたき台をしるしますので お考えを述べてください。  【§1】 エワとアダムの自由意志から始まった(創世記3:1-24)  (1) 生まれつきそなわった自然の自由な心にその心に背く自由もあった。:食べるなと言われた木の実から採って食べた。  (2) アダムよ きみはどこにいるのか? という心の声を聞いて 自由のおそろしさを知った。  【§2】 その子カインは 自由は自由ではないかと心に思った(承前4:1-17)  (3) 弟のアベルは おのが心に背かないみたいだ その能天気はマチガイではないかと兄はうたがった。  (4) 背かないのはおかしいではないかとカインは或る日 野原でアベルに迫ると アベルはその従順をとおした。これをカインは ころした。  (5) あらためてカインも 自由のおそろしさを知った。知ってみるとそこで《顔が落ちた》。  (6) 自由という畏れには 仕返しという観念がなかった。そのこともカインは知った。  ▲ (創世記 4:15) ~~~~~~~~~~~~~    主はカインに言われた。       「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の       復讐を受けるであろう。」    主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインに    しるしを付けられた。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (7) のちに:  ▲ (申命記19:21) あなたは憐れみをかけてはならない。命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足を報いなければならない。  ☆ というふうに復讐をすすめてもいるが:  ▲ (申命記32:35) わたし(=神)が報復し、報いをする  ☆ とも言っている。  (8) イエスの出たあとでは こう言う。:  ▲ (ローマ書12:17-21) ~~~~~~~~~~~  17: だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。  18: できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。  19: 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。    「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』    と主は言われる」(申命記32:35)  と書いてあります。  20: 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。    そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」  (箴言25:21-22)  21: 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  【§3】 神のためならば《ころし》もありなのか? (創世記22:1-19)  (9) あなたの息子イサクをささげなさいと言われたアブラハムは 気のくるうばかりに悩み苦しみ考えた。  (10) ひとは おのれをもほかの人をも ひとをころすことはしない。という答えを得た。  【§4】 《なんぢ ころすなかれ》とモーセ (出エジプト記20:1ff.)  (11) これは 禁止命令である。アブラハムの主観内面における信仰とヒラメキを人びとのあいだに共同化したのである。  (12) モーセその人は個人としてアブラハムと同じくおのが心における内面の信仰にしたがっていたが 集団・社会としてはこの倫理規範を持った。律法と呼ばれる。法律である。  (13) 主観の内から言わば外へ出たのである。《カインにつけられたシルシ》に発するごとく。  【§5】 《文字はころし 霊は生かす》とパウロ (コリント後書3:6)  (14) 律法は 禁止命令としての倫理規範である。つまりは 禁止を犯したことの罪を自覚させるシルシとしての文字である。つまりは 《法律〔やオキテやナラハシ〕》を超えて 主観をおもんじるアブラハムの信仰に還る。と言う。    (15) ▲ (コリント後書3:2-8) ~~~~~~~~~~~  2: わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。  3: あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。  4: わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。  5: もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。  6: 神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。   文字は殺しますが、霊は生かします。  7: ところで、石に刻まれた文字に基づいて〔* 罪の自覚をうながし その罪がけっきょくあたかも人をそこへみちびくところの〕死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、  8: 霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  【§6】 イエスの後の現代  (16) 法律や思想が 有限のものであり相対化されたなら もう神は要らない。神という観念は要らない。主観内面におさまる。  (17) ひとの意志を踏みにじる《ころし》は ウソ・イツハリをもゆるすような自由度を持つ自由意志に発していると知ったし その自由についてのおそれをも知っている。その自由は 仕返しから 自由である。

  • やさしさ

    ♪・・・に、包まれたなら、きっと とか。 でも、本当にそうでしょうか? 辞書によれば。 (1)「身も痩せるように感じる。恥ずかしい」 (2)「控え目である。つつましい」 (3)「(見る者が引け目を感じるほど)優美である」 (4)「おだやか、すなお、おとなしい」 (5)「情け深い、細やかである」 (6)「けなげだ、殊勝だ」 (7)「簡単だ、容易だ」 まあ、それだけ「やさしい」って何よ?、という意味もあるかもしれないですが、 どうですかねえ。 (2)と(5)くらいは、そうかなあ。 よろしくお願いいたします。

  • カインとアベル

    創世記で、神様がアベルのお供え物は気に入ったけれど、 カインのお供え物は気に入らなかったというのは、どうしてですか? 生きた動物を殺して肉を捧げるのは良くて、 汗水流して耕して、その結果できた農作物はだめなんですか? ※カテ違いだったらすみません。

  • なぜ何千年も前のものを信じる

    目の前の人の言ったことも信じない人が多い世の中、なぜ何千年も前の聖書や経典などを安易に信じるのですか?小さい時から言われ続ければ洗脳状態になるのわ分かりますが、途中から宗教にはまった人ってやはり自分の「不安、不幸、恐怖、やすらぎ、期待」がそうさせるんですかねえ

  • もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・

     つぎの命題をめぐって考えるところを明らかにしてください。     もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・・   ・・・わたしは 和を乱すことを知らなかった。   聖徳太子批判としていちど尋ねましたが この命題そのものをめぐって みなさんのお考えが聞きたいと思います。  これでよいと思っているのですが さらにいろんな角度からのご見解をつのりたいと思います。

  • 哲学と宇宙論

    診ていただいてありがとうございます。さっそくですが Rμv-1/2gμvR-Λgμv=(8πG/c^4)Tμv というアインシュタインの一般相対性理論の基本式がありますが そりゃねえ、望遠鏡で観測できる範囲ならそれでもいいかもしれないけども、宇宙全般について、そんなシンプルな式で表されてもね、江戸っ子としては納得いかないわけですよ。雨の日もありゃ晴れの日だってあるんだし、はっつあんの腹んなかと源さんの腹んなかは違うんですから、ひとくくりにされちゃた日にゃ、そりゃフンドシの紐が緩んじまうって話ですよ。 だから人生いろいろなんだから宇宙もいろいろあっていいと思うんです。 ウキペデアに書いてあったんですけど、四つの力のうち、電磁相互作用と重力については影響範囲が無限大だって、それ見たときに家の猫がひっくり返ってへそで茶を沸かしましたよ。もし書いてある通り無限大なら、宇宙は無限だってことになるでしょ。数学のほうへ外注しすぎて変な方向へ行っちゃってるんじゃないでしょうか。変な式をいつまでも野放しにしておくと学生たちが「どうせ世の中変わらないんだろう」って投げやりになり勉強しなくなるので、ここらでひとつ、宇宙は哲学でできているということを見せつけてやりたいのです。 ここでやっと質問です。 宇宙論の分野で、哲学の学生がかかわれる部分はあるのでしょうか。ニーチェは耳にタコができたのでいりませんので、よろしくおたのもうします。

  • 私たちの世界に永遠は存在するか?

    天文学によると私たちの住んでいる宇宙は約138億年前に誕生したそうです。 その前には私たちの住んでいるこの宇宙は存在しなかった。 そうすると、どんなに長く存在しているものであっても138億年しか経過していないことになります。138億年は長い時間ですけど永遠ではないですよね。 そうすると、現時点では永遠なものは存在しないことになります。 では、将来に永遠なものが誕生するかというと、それもないでしょう。 どんなに将来になっても、今から何年後というどこまでも有限な時間しか存在しないと思います。 私たちとは別次元の宇宙が存在して、そこには永遠があるということはあるかもしれませんが、私たちが住んでいるこの宇宙には、現在まで永遠は存在しないし、将来にも存在することは無いと言えるのではないでしょうか? 皆様はどのようにお考えになりますか?

  • 神は人間がつくったのなら自由にあやつれるのでは?

     一口メモによる情報交換です。  1. 神は人間がつくったものに過ぎないと言うのなら その神を仕様の範囲内で自由に使いまくることが出来るのではないか?  2. 全知全能だというのが 仕様だとすればそのとおりに人間は神をあやつれるのではないか?  3. いや 神が全知全能だなどというのはインチキだというクレームがついたときには では その仕様がわるかったのか。それとも 人間がつくったということがマチガイだったのか?  4. 神などというものは 人間がそれぞれ自由につくればよいのだというあやまちに落ち入っているのではないか?   5. いつまでその観念のおままごとで遊び続けるのか?

  • 【哲学】笑って死にたい。どうやったら笑って死ねます

    【哲学】笑って死にたい。どうやったら笑って死ねますか? ※自殺したいとかではないです。ご安心を。

  • 宗教がある世界とない世界。どちらがいいですか?

    9.11テロやイスラム国の問題。古くは十字軍など宗教をめぐる戦争。 宗教はいろいろな問題を起こしてきました。 宗教がある世界とない世界。どちらがよりよい世界だと思いますか? ジョンレノンのイマジンを聞くと、すごい歌だなあと思います。

  • 自由と平等

    もしかすると。 いずれも、「物理の法則」といったものに、かなり近いのではないでしょうか? 「自由」(といって「デタラメ」をすれば、「デタラメ」)の報いを受けます(平等的に)。 そこから出発するとして、 より「平等」という価値を重く見て、「自由」を制限(的に、見守ることに?)しよう、というのは、 人間の普遍の真理からみて、無理からぬところと思います。 「自由だ」といっても「無責任な自由」でなければ、ご賛同頂けるのではないでしょうか。

  • 神が全知全能の造物主だと誰が言ったんですか?

     聖書ですか?  聖書にもとづき人が言ったんですか?  だとしても どうしてその見解にわれわれ一般の人間が従わなくてはならないのですか?  全知全能というのは そうだとしても ただの属性でしょう。  創造主だというのは そのように物語を描いて表現したに過ぎないことでしょう。  何で調子を合わさなければならないのですか?  神は 神でしょう。