yuniko99 の回答履歴

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  • サトラレが実在したらどうなりますか

    マンガ、サトラレで出てくるサトラレが世の中に実在したらどうなりますか? >「サトラレ」とは、あらゆる思考が思念波となって周囲に伝播してしまう症状を示す架空の病名またはその患者をさす。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AC 昔、サトラレの映画を借りて見た記憶があります。 作中では、本人がサトラレとは周りは指摘しないようにしましょう・・・という風潮だったと記憶しています。 本当にそうなるのでしょうか?

  • 哲学に正解はありますか?

    哲学というのは個人個人で思い思いの『私の思う世界』という箱庭をつくり「どうです?私の箱庭。これが世界なんですよ」と披露しあうことなんじゃないかと思います。 その箱庭の中で矛盾が生じなければ一応合格であると思います。 もしその箱庭にファンが多ければ、その作者は偉大な哲人として名を残すことになるのでしょう。 そこにはどれが正解、不正解というのはない気がするのですが、いかがでしょうか?

  • 池に落ちて水に濡れずに上がって来られるか?

     池に落ちて水に濡れずに上がって来られるか?   水はあります。  水も比喩として 考えることになるとは思います。  これを問います。

  • 精神は 神ではない。

     一口メモによる情報交換です。  精神は いかに高尚で有能であっても 経験事象である。うつろいゆく。  しかるに神は 経験世界を超えている。その因果関係から自由である。うつろいゆくものではない。  よって 精神は 神ではない。  自由なお考えをお寄せください。

  • 人はなぜ確率の低いことを実現できるのでしょうか

    人間がやることはすべて自然には起こらないことだと思います。どういう理由でそのようなことが可能なのでしょうか。知能との関係で説明可能なことなのでしょうか。

  • もっとしっかりと哲学せんかい。

     と言われたら どう答えますか?

  • 改憲か護憲か

    主に政治の話になり、狭義の哲学とは離れるかもしれませんが、思想という枠組みでの質問をします。 みなさんは、改憲派でしょうか、それとも護憲派でしょうか。重ねて理由も回答していただけたらと思います。 よろしくお願いします。(お礼は簡潔なものになると思います。今回は、質問者の私見を述べて皆様と議論をしようというのではありません。)

  • 「産めよ、殖えよ、地に満ちよ」

    そうなんですか???

  • 信じるとはどうゆことですか?

    宗教を信じている人との対話で「あなたは自然科学を信仰しているのではないか」と言われたことがあります。つまり、信仰の対象が、宗教か科学かの違いであって信仰しているのは同じではないかと。人間はどうやっても信じることなしに生きることはできないのだと。 「信仰しているのは同じで、ただ信仰の対象が違うだけだ」と言われると、私はなんか違う気がします。 自分のよく知らない分野では、よく確認せずに「専門家が言うことなんだからそうなんだろう」と思っていることもある。 しかし、その内容が間違いであると判明すれば自分の認識を訂正します。 自分では根拠の確かさに応じて信じていると思っています。 その態度を神の存在についてあてはめて「では神様の存在についてどんな根拠がありますか?」と聞くと「根拠があるから信じるというのは信じることではなくて取引だ」と言われます。 >「信じるに値うものを得て、その代償として信じる」と言う取引なんです。(michael-mさんの言葉) ある時は、対象が違うだけで信仰しているのは同じと言われ、ある時はそれは信じているのではなく取引に過ぎないと言われます。 そこで質問です。 (1)宗教を信じている場合と、自然科学を信じている場合の「信じている」は同じだと思いますか? (2)内容の真偽を値踏みして信じるか信じないかその程度を決めるという態度は信じるとは言えませんか?

  • 真実を知るか幸福かどちらを選びますか?

    ある時、神様が現れて、これまでの人生にプラスして(1)この世の真実の全て、または(2)人生の幸福、この2つのどちらかをおまえにやると言ったとしたら、あなたはどちらを選びますか?その簡単な理由も教えてください。神様が苦手なかたもおられるかもしれませんが、気にしないでください。 (1)この世の真実の全てを選ぶと疑問に思っていること全ての正しい解答が得られます。 宇宙はどのようにして誕生したのか?宇宙の果てはどうなっているのか?人類の将来はどうなるのか?自分が死んだらどうなるのか?存在とはどうゆうことなのか?時間とは何なのか?ありとあらゆる疑問に思うことに全て正しい解答が得られます。ただし、知的好奇心を満たすことしかできません。これを世の中に発表したり、自分の金儲けに役立てたりすることはできません。 (2)人生の幸福を選ぶと、天寿を全うするまで一生ハッピーに過ごせます。何がハッピーかは人によって違うと思いますが、本人がハッピーに感じる人生を送れます。例えば、家族に愛されるとか、やりがいがある仕事に恵まれるとか、生活の心配をしなくていいとか。 これまでの人生にプラスしてということなので(2)を選ばないと不幸になるということでもありません。 もちろん、(1)(2)どっちもいらないという回答もありです。 皆さんはどちらを選びますか?(あるいは選びませんか?) さて、なぜこんな質問をしたかと言うと、かなり多くの人は(1)より(2)をめざすのじゃないかなと思ったからです。もし真実を知って得られた回答が非常に苦いものであったばあいに、それを捨てたいと思うのじゃないかと。質問というのは、本当を解答を知りたいと思ってするのだと思いますが、実は多くの人は本当の解答より自分がハッピーになる回答がほしいのではないかと思いました。

  • 「働く」とは思想の一種なのか?

    人間はそもそも何の為に働くのか? 働くことには本来意味など 存在しないのでは? 働くとは、 思想の一種なのではないのか? 哲学カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ち申 しております! 補足 日本人が働く思想を尊ぶのは、 働かない人間への社会福祉が 事実上存在していない為では? 国憲法第25条 では すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない と 記載されているのだから 日本国は働かない 選択肢をした日本人が生きていける 環境整備を しなくてはいけないのでは?

  • 道徳、倫理を勉強する意義

    利益追求的な空気の中で、哲学、倫理、道徳を勉強する意義って何だと思いますか? 確かに道徳や倫理って、利益にはなりませんけど、モラルの崩壊ってその集団にマイナスにはなるのだと思います。 また、日本の道徳などあるとは思いますけど。どの程度意識すべきでしょう? 何を勉強すべきでしょうか?仏教や倫理学、哲学など。 組織の現物的な利益と道徳、倫理の喪失した組織の回復の意義とどう考えるべきなんでしょうか?

  • イスラムは本当に日本人2人を殺すつもりなのか

      もしも罪の無い日本人2人を殺したのならば、やはりイスラムは悪であると結論すべきではないのか。 それでもイスラムは悪でないと言えるのか。         

  • 神 信仰ならびに宗教についての一般理論

     哲学カテが 劣化して来ていませんか。  神とは何かについて 十年一日のごとく ああでもないこうでもないと おままごとを繰り返していませんか。  神は人間がつくったんだとか 全知全能なら何でもできるのではないのかとか いったい全体 よくもそんな落書きを書きなぐって 哲学だと言えるのでしょうか。  人類史上もっとも新しいもっとも妥当な見解を示します。  あらゆる疑問と自由なご批判をフルボッコでどうぞお寄せください。  1. 神は 概念ではないのですが 人間の言葉で・つまり概念として何とか理解しようとひとはつとめます。  2. 概念ではなく経験事象ではないという意味は 次のように図示できるはずです。   (あ) 神は 《非知》である。 ~~~~~~     経験事象       可知         既知         未知       不可知(知り得ないと知ったものごと)     非経験の場(因果関係から自由な場を想定する)       非知 (知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ)       ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  3. この非知ないし非経験の場を・つまり神をひとが心に受け容れた――これが《信じる》ということなのですが――とき われわれ人間の存在のあり方として次のように図示出来るのではないか。   (い) 《信じる》のは 《非思考の庭〔なる動態〕》である ~~~     信じる:《非思考の庭》:信仰なる動態;⇒ヒラメキ直観     --------------------------     考える:《思考の緑野》:理性←→オシエとしての宗教     感じる:《感性の原野》:知覚;直感ヒラメキ     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  3-1.  《オシエとしての宗教》という意味は まづ一般に成文化されていなくても何らかのオシエがあります。これが 教義となって教祖・教団をともなうなら まさに宗教です。      3-2. 言いかえると オシエは 概念であり想像の世界でもあります。つまり 宗教は 《信じる》とは別の問題であり領域です。宗教の説く《神》は 信じる神とは 別物です。  3-3. もともとは 《信じる》からオシエが得られたとも言えるでしょうが 言葉として教義として成ったなら それは言わば《信仰というセミの抜け殻》になってしまいます。宗教は じつは信仰の自殺行為です。  4. 《信仰》である《非思考の庭》は 実際に具体的に次のようなかたちを採っています。  《梵我一如》というかたちを 一般類型として捉えることが出来ると思います。   (う) 信仰は すべて《梵我一如》類型で捉えることができる ~~~~~   =《非思考の庭》が 次の二層構造を成すと考えられる。   A. ブラフマニズム:梵我一如    梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神    我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我   B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)    無梵:空(シューニャター)・ゼロ    無我:アン‐アートマン;ニルワーナ   C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)    仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)       / マハーワイローチャナ(大日如来)    仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)   D. クリスチアニズム:霊霊一如    霊:神・聖霊    霊:《神の宮なるわれ》   E. (プラトン?):霊霊一如    霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)    霊:《われ》   F. 《もののあはれを知る》    霊:かみ(自然および超自然)    霊:われ(自然本性)   G. ユダヤイズム:霊霊一如    霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)    霊:われ   H. イスラーム:霊霊一如    霊:アッラーフ(イラーハ=神)    霊:われ   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   4-1. 神は 名がちがっても みな同じひとつの神である。つまり 《非知》である。  4-2. 非知は 経験事象を超えており因果関係から自由であり 経験的な有無をも超えている。     よって人間の言葉で表わそうとすれば 神は有るとも無いとも言いうる。非知は けっきょく絶対ということですから 絶対有とも絶対無とも言い得ます。  4-3. すなわち 有神論も無神論も まったく同じ《非思考の庭》なる信仰である。と帰結されます。     有神論の中で その神の名が いくつかに分かれるというかたちです。       4-4. なお 多神教だとか汎神論だとかというのは 神の《依り代》がいくつかあると見立てた結果持たれた信仰のかたちです。同じひとつの神が 具体的に山の神や海の神として依り代(または 補助線)になっていると見るとき やほよろづの神々が持たれます。  4-5. むろん 《非知》というのも・そして《神》というのもすべて神を理解しようとして持たれる人間の言葉なのであり それらは・それらもすべて 神の依り代です。《かみ》という言葉は 神そのものではなく 依り代のひとつです。神を知りたいというとき人が自由に引く補助線です。  4-6. 人びとは この補助線(依り代)として臨時に用いる神にかんしてその概念を問題にして 全知全能であるとか いやそのように人間がつくったんだとかと言っています。仮りの理論であると心得ないのなら ちゃんちゃらおかしいと哲学は言わなければなりません。  4-7. 神についてのお医者さんごっこは もうやめにしましょう。さもなければ 哲学の劣化は じつに人間の劣化そのものです。  4-8. なぜなら むかしの人びとは それでもまだ曲がりなりにも素直な心で ほんとうの神――非知なるナゾ――をそれぞれ信じていた〔と言える部分が大きい〕と考えられるからです。信じることはそっちのけであるわ かと言って思考能力はおままごとの状態にとどまるわでは いったい何のかんばせがあって みなさんは 生きているのか。

  • 信仰について

    宗教を学問として学んでいる方は、 神様の正体の一部をご存知かと思うのですが、 日ごろ、神の存在をどのように捉えているの でしょうか。 私は比較的、神や霊の存在を信じている方 なのですが、最近、神道も作られた部分が かなり多いと知りました。乱暴な言い方ですが、 神様はいないと思ったわけです。しかし、 やはり年始には神社へ参拝したくなりましたし、 自宅の神棚に手を合わせる日もあるのです。 この神様の存在を信じる気持ちは、 どこから来るのでしょうか。 人の潜在的な死への恐怖からでしょうか。 以前、ダ・ヴィンチ・コードが話題になったとき、 アメリカ人の知人が、『キリストが誰であっても、 彼の教えが素晴らしいことには変わりない』と 言っていました。確かに、キリストは殺人や強盗が 当たり前だった時代に、人としての在り方を説き、 宗教が絡んだ人間同士の争いなどを除けば、 人々を平和な世界へ導いた優れた人物です。 彼が人間であれ、神の子であれ、彼の教えは 否定されるものではありません。 一方、神道に教義は存在しません。 かつて日本人は、木や岩などの自然に神秘的な 力が宿っていると信じていましたが、現代では、 天災や自然破壊による影響などの特別な場合を 除いては、自然が人の生死に直接影響を及ぼす 例は少ないことは誰もが分かっています。また、 例えば、樹木の多い神社に行き、すがすがしい 気持ちになる理由は、ある種の樹木には 精神を安定させる作用のある物質(香り)が 出ているからだと、私は考えているのですが、 そのように、信仰が人に与える影響も 科学的に証明できることが多いはずです。 それでも、合格祈願、厄払い、えんむすび、 ありとあらゆるお願いをしに、神社に行きます。 日本人は、神道からどのように安心感を得ている のでしょうか。

  • 美人と不細工は平等?

    最近、可愛いことで人気の放送主さんと 不細工すぎることで人気の放送主さんの配信を見ました。 人はやっぱり公平ではないのだなと考えさせられました。 でも、不細工な人も可愛い人も必死に生きてる。 同じように感じ、同じように笑って生きてる。 そう考えると、色々と考えさせられました。 これは、哲学でいうところの何ですか。 答えが出ているなら知りたいです。

  • キリスト教 太宰治

    キリスト教の講義で 太宰治の人間失格を読んで 日本人のキリスト教理解の問題 について述べよという課題が 出たのですがどなたか詳しいかた 具体的に教えてほしいです… 理解不足で申し訳ないのですが お願いします

  • 「コンクリートから人へ」

    例えば? 日本人の、仕事の、丁寧さとかは、定評があるように思います。 しかし、こと「コンクリート」においては、「やっつけ仕事」のような印象を感じることがあります。 ・・・丁寧でカンペキ!なのですが、やっつけ仕事なのです。 そこで「人へ」、とは? 宜しくお願い致します。

  • 絶望から立ち直るためにはどうしたらよいですか

    最近、何があったとかではないので、恐らくは慢性のことであろうと思います。 ・自分が好きなことをある人々から全否定され続けており、しかしどうしても彼らの視界から遠ざかれない位置に居続けなければならない。 ・自分の人生のバイオリズムに彼らはまったく関係がないが、様々な干渉があるせいで余計に疲れてしまう。 ・知らない他人が往来するネットが楽しくなく、SNSも放置して久しい。 ・気に入ってくれるわずかな人に、最良の態度をと必死になりすぎ、一人で疲れてしまう。 ・不安定な食事、不安定な睡眠。 ・いつも自分の自立ばかり気にしており、可愛いげがないのかもしれないと悩む。 ・年甲斐もなくかわいいものに固執する。キャラクターグッズとか。 明らかに「ナニモノカ」への拒絶反応ではないかと思うのですが、正体が判然としないせいか頭に残るのは得体の知れない絶望だけです。 自分でもだいぶ頑張ったんですが、 もう、疲れました。 解決策など、ありましたら。

  • 仏教の教えの矛盾?

    仏教の本を読んでいると、「我れ、私」というものの実体は、物質的なものはもとより、非物質的な霊魂なども含めて、その実体はないと言っているように見えます。 一方、「輪廻転生」があると言っているように見えます。 しかし、「我れ」というものがないとすれば、一体何が生まれ変わると言うのでしょうか? 「我れ」がないと言うなら、生まれ変わる主体がないのだから、「輪廻転生」はないことになると思います。 生まれ変わりがあると言うなら、その生まれ変わる主体があって、それが生まれ変わると考えるべきだと思うので、生まれ変わる「我れ」の実体がある(例えば霊魂など。)ことになり、「我れ」には実体がないと言う命題と矛盾するのではないかと思います。 しかし、これまで長い間、偉いお坊さんたちの間では、この二つの命題の間には「矛盾はない」と理解されて来ていたのでしょうから、多分、この二つの命題に関する私の理解が不十分なのだろうとも思います。 そこで、一見矛盾するように見えるこの二つの命題を矛盾なく理解するには、この二つの命題の、それぞれの本当の意味をどう理解したら良いのか、また、両者の関係をどの様に理解すれば良いのか、どなたかご教示頂けると大変有難いと思います。 どうぞよろしくお願い致します。