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  • 登録日2010/03/21
  • 欧米人の動物愛護と食糧感覚について

    最初に断っておきますが、欧米人を否定したいわけではありません。 私は外国人の知り合いが少なく、また、英語をしゃべれるわけではないので情報が日本人向けに偏ったものしか入ってこないため、多くの人の意見を聞きたいと思い、質問させていただきました。 最近話題の捕鯨問題ですが、一部欧米人(特にオーストラリア)の方々が、あんなにも批判的な理由は 「残酷だから」 の一言に尽きるということは理解できたのですが、ではなぜ、牛や鶏、豚、カンガルーなどはOKだと考えているのでしょうか。 「頭の良い生き物、痛みを感じる生き物を殺すのは残酷なのでNG」 というのは、納得はできずとも、理解はできます。 であれば、牛や鶏や豚なども当然殺すべきではない、と考えると思うのですが、どういう認識でいるのでしょうか? ・広い環境で放牧され、苦しまずに殺されているからOK  →カンガルーは?野生のものを捕獲して食肉加工している ・天然動物を捕ることがいけない  →カンガルーは? どうしても日本人の私からすると、矛盾を感じてしまいます。 それとも、彼らにとって  「クジラ/イルカ」 という生き物が特別なのでしょうか? 国際社会上は 「そもそも調査捕鯨が~」 などと、色々難癖つけてはいますが、実は牛、や鶏、豚と海獣の類は、彼らの中で明確な線引きがあるんでしょうか? それこそ、日本のどこかの土地で猫が繁殖しすぎて迷惑だから捕まえて食べよう! となったとしたら、日本中から批判が巻き起こると思います。 それと同じような感じで… (私は、いい気もちはしませんが別に批判はしませんけど。他の肉と一緒なので) また、少し論点がズレますが、スポーツハンティングの趣味も気になります。 国によるとは思うのですが、欧米各国、さらに件のオーストラリアですらハンティングは行われているそうです。 これに対する批判はどうなのでしょう? 私が知らないだけで、楽しんでいる人は一部で、多くの欧米人はハンティングに批判的なのでしょうか? 「あいつらはアホだから」 とかいう批判は結構ですので、いろいろな人(できれば外国の事情に明るい方)のご意見聞きたいです。

  • 欧米人の動物愛護と食糧感覚について

    最初に断っておきますが、欧米人を否定したいわけではありません。 私は外国人の知り合いが少なく、また、英語をしゃべれるわけではないので情報が日本人向けに偏ったものしか入ってこないため、多くの人の意見を聞きたいと思い、質問させていただきました。 最近話題の捕鯨問題ですが、一部欧米人(特にオーストラリア)の方々が、あんなにも批判的な理由は 「残酷だから」 の一言に尽きるということは理解できたのですが、ではなぜ、牛や鶏、豚、カンガルーなどはOKだと考えているのでしょうか。 「頭の良い生き物、痛みを感じる生き物を殺すのは残酷なのでNG」 というのは、納得はできずとも、理解はできます。 であれば、牛や鶏や豚なども当然殺すべきではない、と考えると思うのですが、どういう認識でいるのでしょうか? ・広い環境で放牧され、苦しまずに殺されているからOK  →カンガルーは?野生のものを捕獲して食肉加工している ・天然動物を捕ることがいけない  →カンガルーは? どうしても日本人の私からすると、矛盾を感じてしまいます。 それとも、彼らにとって  「クジラ/イルカ」 という生き物が特別なのでしょうか? 国際社会上は 「そもそも調査捕鯨が~」 などと、色々難癖つけてはいますが、実は牛、や鶏、豚と海獣の類は、彼らの中で明確な線引きがあるんでしょうか? それこそ、日本のどこかの土地で猫が繁殖しすぎて迷惑だから捕まえて食べよう! となったとしたら、日本中から批判が巻き起こると思います。 それと同じような感じで… (私は、いい気もちはしませんが別に批判はしませんけど。他の肉と一緒なので) また、少し論点がズレますが、スポーツハンティングの趣味も気になります。 国によるとは思うのですが、欧米各国、さらに件のオーストラリアですらハンティングは行われているそうです。 これに対する批判はどうなのでしょう? 私が知らないだけで、楽しんでいる人は一部で、多くの欧米人はハンティングに批判的なのでしょうか? 「あいつらはアホだから」 とかいう批判は結構ですので、いろいろな人(できれば外国の事情に明るい方)のご意見聞きたいです。

  • 「きれいごと」について

    これについては知恵袋の方でも、よい回答をみつけました。 『理屈は正しくても、現実にその通り行うことができないことを、きれいごとと言います。 だから、「きれいごとばかり言うな」という人に対しては、それがちゃんと実現可能なことを 身をもって証明すればそれでOKです』 では、思想、哲学はすべてきれいごとなのでしょうか? それは机上の理論ではなく、身をもって体験されたことなのでしょうか? 確かに「きれいごと」は慰めにも勇気づけにもなります。 一方で単なる言葉遊びではなく、「それは自分で体験した得た結論なのか」という疑問もあります。 哲学ほど抽象的であれば難しいが、巷の様々な啓発についていろいろと試したいと思ってます。 そのため、「きれいごと」が期待していたものとは違うこともあると思いますが、 自分にとって真実だと思えることを選択していくため、また実現のためには、 どういう心構えが必要でしょう?