1311tobi の回答履歴

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  • 「~だ~だ」という表現について質問!

    「夢だ希望だ」 「行くだ行かないだ」 というように物事を列挙する表現として 「~だ~だ」 という言葉を日常耳にすることがありますが、 この言葉遣いの違和感から辞書等を調べて見たのですが、 「~だ~だ」 についての答えを見つけることはできませんでした。 もしかしたら似た表現の 「~だの~だの」の音変化から生まれたモノなのか? 自分の中でモヤモヤか膨らむばかりです。 誰かわかる方よろしくお願いします!

  • なん&なに 区別

    すみませんが、私は台湾の咲希です。 日本語は下手なんですが、どうぞよろしくお願いします。 何は二つ言い方があります じゃ、いつか「なん」と言いますか? いつか「なに」と言いますか? どうぞ教えてくださいませんか

  • 「おーする(いたす)」、「ごーする(いたす)」

    日本語を勉強中の中国人です。一部の動詞は「おーする(いたす)」、「ごーする(いたす)」という敬語構造が使えないようです。たとえば、「了解いたしました」、「安心いたしました」。これらの表現の前に「ご」をつけてはいけませんよね。日常かビジネスでよくこの構造を使える動詞と使えない動詞をそれぞれ挙げていただけませんか。あるいは何かの規則がないでしょうか。 自分で考えてみました。使える動詞は「待つ」、「送る」、「持つ」、「連絡する」で、使えない動詞は「安心する」、「添付する」、「了解する」です。あっているのでしょうか。 自分なりに考えたルールはその行為は自分の一方的な行為で相手と関わらないものなら、「ご」と「お」はつけないです。皆さんはどう思われますか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 従属節における「た」について

    ○ 地球温暖化問題を考えた時に、あなた自身が無駄の多い生活をしている、と感じることがどの   程度ありますか。 お聞きしたいのは、上の文における「考えた時」の「た」の使い方についてですが、どうしてここで「た」を使ったのでしょうか。「考えた」ではなく、「考える」を使うべきだと思いますけど。よろしくお願いいたします。

  • 日本語 おかしい?

    思ってると思う 思うが2つ続きますが、助詞の「は・の」などが重なるのと同じでおかしくはないですか? よろしくおねがいします。

  • 「連絡」と「ご連絡」

    日本語を勉強中の中国人です。自分からの連絡を言う時に、「連絡が遅くなりました」の中の「連絡」はなぜ時々「ご」をつけたりして、時々また省略されるのでしょうか。もしその連絡という行為は相手からの動作であれば、「ご」をつけることは理解できますが、自分からの連絡はなぜ「ご」をつけるのでしょうか。 質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 「連絡」と「ご連絡」

    日本語を勉強中の中国人です。自分からの連絡を言う時に、「連絡が遅くなりました」の中の「連絡」はなぜ時々「ご」をつけたりして、時々また省略されるのでしょうか。もしその連絡という行為は相手からの動作であれば、「ご」をつけることは理解できますが、自分からの連絡はなぜ「ご」をつけるのでしょうか。 質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 「連絡」と「ご連絡」

    日本語を勉強中の中国人です。自分からの連絡を言う時に、「連絡が遅くなりました」の中の「連絡」はなぜ時々「ご」をつけたりして、時々また省略されるのでしょうか。もしその連絡という行為は相手からの動作であれば、「ご」をつけることは理解できますが、自分からの連絡はなぜ「ご」をつけるのでしょうか。 質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 日本語の「おり」と「いる」について

    特に新聞や論文などの文章で、 例えば、 「10年続いており、毎回100人が参加している」 といった「~ており」と書かれる文章を見かけます。 「おり」を使っているのものの、同時に「いる」も使っていて、違和感を覚えます。 新聞などの文章では、表記の統一性が求められると思います。 辞書によると「おる」は 『「…ている」の古風な、または尊大な言い方。』 とあります。 「10年続いていて、毎回100人が参加している」 「10年続いており、毎回100人が参加しておる」 両者を比較すると、「~ていて」のほうが、統一性があり現代風なように思います。 新旧混ざった言い方は様々な場面で見れますが、 新聞などが、古風でかつ、不統一な表記を使用しているのはどうかと思います。 (「~しております。」のような、単独での使用は違和感を覚えませんが) 長くなりましたが ●両者を併用している理由は何なのでしょうか ご教示のほどお願いいたします。

  • 日本語の「おり」と「いる」について

    特に新聞や論文などの文章で、 例えば、 「10年続いており、毎回100人が参加している」 といった「~ており」と書かれる文章を見かけます。 「おり」を使っているのものの、同時に「いる」も使っていて、違和感を覚えます。 新聞などの文章では、表記の統一性が求められると思います。 辞書によると「おる」は 『「…ている」の古風な、または尊大な言い方。』 とあります。 「10年続いていて、毎回100人が参加している」 「10年続いており、毎回100人が参加しておる」 両者を比較すると、「~ていて」のほうが、統一性があり現代風なように思います。 新旧混ざった言い方は様々な場面で見れますが、 新聞などが、古風でかつ、不統一な表記を使用しているのはどうかと思います。 (「~しております。」のような、単独での使用は違和感を覚えませんが) 長くなりましたが ●両者を併用している理由は何なのでしょうか ご教示のほどお願いいたします。

  • カギ括弧内の最後に句読点は間違い?(例:「~。」)

    「こんにちは。」などという用法は間違いだと言う記事を見かけたのですが、 私は小学生のころに「~~です」と書いてバツを貰い「~~です。」と直された経験があります。 以後、作文などで「~。」という使い方をしていましたが間違いだと指摘されたことはありませんでした。 どちらが正しいのでしょうか?

  • 。と、のルール?

    句読点のルールってあるんでしょうか。

  • 「こども」は「子供」「子ども」どちらもいいですか?

    昨年文科省が「こども」の表記を「子供」にするという決定があったように思います。今後「こども」という言葉を文書内で使う際には「子供」「子ども」どちらの表記でも構わないのでしょうか?

  • くださる

    「くださる」と「いただく」の違いですが、 先生が送付くださった、 先生に送付していただいた、 など文章がある場合、 くださるは相手を尊敬する用途でしょうか?いただくは、自分を謙譲する用途? よろしくお願いします。

  • 話ました?話しました?

    どちらが正しいのでしょうか?

  • この比喩は巧みでしょうか?

    「エッセイを書くたしなみ」 (木村治美・著)に次のような記述がありました。 著者は、「比喩のたくみさにまず驚嘆した。なんと説得力があるのだろう」と言っているのですが、私はまったくその比喩は適切でなく、説得力もないと思います。皆さんはどう思われますか。 >十年も前であったろうか、書くものがマンネリ化したような気がして、書き続けるのに嫌気がさした時期があった。気分を一新するために、生意気にも休筆宣言をしてみようと思い立った。原稿の依頼を受けたら、「ただいま休筆中で」などとかっこよく断るつもりだったらしい。 >ところがある大先輩が「それはまったく無意味だね」と反対してくださった。 >「自動車だって、止まっていたら方向転換はできないでしょう。動いているから向きが変えられるんですよ」 >比喩のたくみさにまず驚嘆した。なんと説得力があるのだろう。ほんとうにそうだと思い、休筆するのはやめたのだった。 以上、「エッセイを書くたしなみ」 (木村治美・著 103ページ) より

  • 「~が知りたい」と「~を知りたい」の違いと使い分け

    こんにちは 「が」と「を」の違いと使い分けについて調べています。 可能動詞が続く場合はネット上にたくさん例が挙がっていたのですが、次のような構造の文ではどうなるのかわかりません。 パソコンの使い方を知りたい パソコンの使い方が知りたい 「を」の場合は、話者から欲求が一直線に「使い方」に向かっているイメージでしょうか。 それに対し、「が」の場合は、話者が「携帯の使い方」や「スマホの使い方」と並んで「パソコンの使い方」を一覧から選び取った印象を生み出すのでしょうか?ほかでもない、パソコンの使い方「が」知りたい、と。 文法的にどのような品詞に分類され、説明されるのかも教えてください。 よろしくお願いします。

  • 「に」という格助詞の説明のしかた

     彼<に>彼女ができた。  弟<に>子供が生まれた。  茶碗<に>ヒビがはいった。  犬<に>さかりがついた。  おまえ<に>何ができる。  柱<に>歪みが出た。  上記のような「に」の使い方について教えてください。辞書や日本語文法のサイトで調べましたが、これというぴったりした説明が見当たりません。別の「庭に霜が降りた。」なら「動作・作用が行われる<場所>を表す」で説明されています。しかし、それでは上記のものは説明できません。「彼に子供が三人ある。」の場合は「所有者を表す」で説明されています。しかし、これも全部には通用しません。  考えてみると、この「に」は例えば受け身形の「ニ」格に似て、言い方を変えると「主格」に立つこともあり得るように思います。「彼が彼女を作った」のように。そこで、つぎのような仮説で説明してみました。 『この「に」は、後に続く文「~が~する」が表す情況を保有する、人やものを表す』  そこで皆さんにお伺いします。できるだけ三つのどれかの方法でお答えください。 1.(辞書などの)既述の説明で十分である。(その説明の方法をお書きください) 2.新しい説明方法を提案する。 3.わたしの提案を(条件付きで)支持する。  なお、最初の回答者をのぞき、前の回答者の考えを検討するのも、一つの態度と考えていただいてかまいません。 ややこしいことを言ってすみません。回答者の意地が見られるようなご発言を期待しています。

  • 「恩師は横浜にあられる」は正しい敬語表現?

    辞書「大辞林」によると「あられる」は、「ある」「いる」の尊敬語であると説明されています。 http://www.weblio.jp/content/%E3%81%82%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B 私はこれまで「あられる」は「ある」の尊敬語であると思っていて、「いる」の尊敬語は「おられる」だとばかり思っていました。しかしこの辞書の説明によると、例えば「恩師は横浜にあられる」は「恩師は横浜にいる」の尊敬語だということになりそうですが、それでいいのでしょうか。 私はこれまでそのようなときは「恩師は横浜におられる」としてきましたが、それはどうなのでしょうか。 いろいろ考えているうちに混乱してまいりましたのでご説明の程、よろしくお願い申し上げます。

  • 「ば」と「たら」と「なら」の違いと互換性?

    「ば」と「たら」と「なら」の仮定あるいは条件表現の表現を使い場合、どんな違いがありますか? たとえば もし疲れれば、遠慮なく私のテント内で休んでください。 もし疲れたら、遠慮なく私のテント内で休んでください。 もし疲れるなら、遠慮なく私のテント内で休んでください。 お金があれば、払ってください。 お金があったら、払ってください。 お金があるなら、払ってください。 飲むなら乗るな! 飲んだら乗るな! 飲れば乗るな! 互換性 飲むなら乗るな=乗るなら飲むな(?) 飲んだら乗るな!=乗ったら飲むな(?) 飲れば乗るな!=乗れば飲むな(?) 指導お願い致します。