1311tobi の回答履歴

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  • 大丈夫!?

    最近「大丈夫」という言葉をやたら耳にします。 「全然大丈夫だから」 「12日の朝10時で大丈夫でしょうか?」 「お色はグレーで大丈夫ですか?」 「質問があればどんどん訊いて貰って大丈夫です」 等々・・・ この【大丈夫】の使い方って正しい日本語なのですか?

  • 大丈夫!?

    最近「大丈夫」という言葉をやたら耳にします。 「全然大丈夫だから」 「12日の朝10時で大丈夫でしょうか?」 「お色はグレーで大丈夫ですか?」 「質問があればどんどん訊いて貰って大丈夫です」 等々・・・ この【大丈夫】の使い方って正しい日本語なのですか?

  • この議論、どうすれば論破できる?

    Youtubeのコメント欄でしょうもない議論をしています。 どうすれば、論破できるか教えて下さい。 以下が内容です。 自分 いい加減、粘着して中傷コメント書くの辞めれば? 相手 粘着の基準が分かっていないにわかは黙れ。 自分 粘着は特定の人物に延々とつきまとうことで、まさに君のやっていることだよ。 相手 「延々」は「数ヶ月、数年」というような長期間を表すんだよ。俺は数週間程度だから粘着とは言わない。 自分 「延々」は「非常に長く続くさま」であって、人によって基準はそれぞれだし、文脈によって数時間を表したり数年を表したりできるよ。 相手 いやいやその基準は人によって違わない。決まってみんな、「数ヶ月、数年」を基準としてるんだよ。 自分 なぜそう言い切れるの?それは君の基準だけを、勝手に一般的な基準にしてるだけでしょ? 相手 事実だから。昔、色んな人に聞きまくったらそう言ってた。 「延々」という言葉に具体的な「数ヶ月、数年」という期間のみを一般的基準にするのはおかしいし、最後の「昔、色んなひとに聞きまくった」ということから、この人の頭の不自由が伺えます。 もしあなたなら、この人をどのように反論、論破しますか? 程度の低い質問で申し訳ありませんが、回答よろしくお願いします。

  • 心ばかりの物を、お贈りさせていただきます、は?

      (文化審議会・国語部会のなかの)敬語小委員会が出した答申「敬語の指針」に次のように書いてあります。  『【解説1】「(お・ご)……(さ)せていただく」といった敬語の形式は,基本的には,自分 側が行うことを,ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,イ)そのことで恩恵を 受けるという事実や気持ちのある場合に使われる。』  これを読んでちょっと分からなくなったことがあります。  >お礼のしるしに心ばかりの物を、お贈りさせていただきます。  この場合、特に誰かの許可を受けたわけでもない。また、(相手に多少の恩恵は与えるけれど)こちらが特に恩恵を受けるわけではない。  とすると、これは不適当な用法なのでしょうか。ご意見をお伺いします。  気持ちの問題だとか、ここを少し変えればいい(根本的に変えるのはかまいません)というようなことは抜きにして、お願いします。  http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf   「国語の指針」 その40ページ参照  

  • 心ばかりの物を、お贈りさせていただきます、は?

      (文化審議会・国語部会のなかの)敬語小委員会が出した答申「敬語の指針」に次のように書いてあります。  『【解説1】「(お・ご)……(さ)せていただく」といった敬語の形式は,基本的には,自分 側が行うことを,ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,イ)そのことで恩恵を 受けるという事実や気持ちのある場合に使われる。』  これを読んでちょっと分からなくなったことがあります。  >お礼のしるしに心ばかりの物を、お贈りさせていただきます。  この場合、特に誰かの許可を受けたわけでもない。また、(相手に多少の恩恵は与えるけれど)こちらが特に恩恵を受けるわけではない。  とすると、これは不適当な用法なのでしょうか。ご意見をお伺いします。  気持ちの問題だとか、ここを少し変えればいい(根本的に変えるのはかまいません)というようなことは抜きにして、お願いします。  http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf   「国語の指針」 その40ページ参照  

  • 「英語の受け持ちがある平坂」の意味を教えてください

    日本語を勉強している外国人です。いつもお世話になっております。 下の独白は、男子生徒が木崎先生(英語担当)に渡すあるものを平坂という女子生徒に頼む内容です。男子生徒は木崎先生が担当する授業がないけと、女子生徒平坂はあるからです。 男子生徒(独白):木崎先生への受け渡しは、英語の受け持ちがある平坂に頼んだ この文書で紛らわしいのが「英語の受け持ちがある平坂」部分です。 私はこの部分がまるで平坂が英語を受け持っている先生みたいに見えます。 言い替えれば、“「英語」の「担当」がある「平坂」”、つまり“英語先生平坂”に見えます。 「受け持ち」っていう単語に「担当」の他の意味があるんでしょうか、日本人が見てもちょっと紛らわしい文章なんでしょうか… もしそうじゃなかったらこの「英語の受け持ちがある平坂」部分を分析してくださると勉強の力になると思います。私が何を間違えているのかを自分でもよくわからなくて質問が細かくなったのを許してください。

  • 心ばかりの物を、お贈りさせていただきます、は?

      (文化審議会・国語部会のなかの)敬語小委員会が出した答申「敬語の指針」に次のように書いてあります。  『【解説1】「(お・ご)……(さ)せていただく」といった敬語の形式は,基本的には,自分 側が行うことを,ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,イ)そのことで恩恵を 受けるという事実や気持ちのある場合に使われる。』  これを読んでちょっと分からなくなったことがあります。  >お礼のしるしに心ばかりの物を、お贈りさせていただきます。  この場合、特に誰かの許可を受けたわけでもない。また、(相手に多少の恩恵は与えるけれど)こちらが特に恩恵を受けるわけではない。  とすると、これは不適当な用法なのでしょうか。ご意見をお伺いします。  気持ちの問題だとか、ここを少し変えればいい(根本的に変えるのはかまいません)というようなことは抜きにして、お願いします。  http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf   「国語の指針」 その40ページ参照  

  • 心ばかりの物を、お贈りさせていただきます、は?

      (文化審議会・国語部会のなかの)敬語小委員会が出した答申「敬語の指針」に次のように書いてあります。  『【解説1】「(お・ご)……(さ)せていただく」といった敬語の形式は,基本的には,自分 側が行うことを,ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,イ)そのことで恩恵を 受けるという事実や気持ちのある場合に使われる。』  これを読んでちょっと分からなくなったことがあります。  >お礼のしるしに心ばかりの物を、お贈りさせていただきます。  この場合、特に誰かの許可を受けたわけでもない。また、(相手に多少の恩恵は与えるけれど)こちらが特に恩恵を受けるわけではない。  とすると、これは不適当な用法なのでしょうか。ご意見をお伺いします。  気持ちの問題だとか、ここを少し変えればいい(根本的に変えるのはかまいません)というようなことは抜きにして、お願いします。  http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf   「国語の指針」 その40ページ参照  

  • 心ばかりの物を、お贈りさせていただきます、は?

      (文化審議会・国語部会のなかの)敬語小委員会が出した答申「敬語の指針」に次のように書いてあります。  『【解説1】「(お・ご)……(さ)せていただく」といった敬語の形式は,基本的には,自分 側が行うことを,ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,イ)そのことで恩恵を 受けるという事実や気持ちのある場合に使われる。』  これを読んでちょっと分からなくなったことがあります。  >お礼のしるしに心ばかりの物を、お贈りさせていただきます。  この場合、特に誰かの許可を受けたわけでもない。また、(相手に多少の恩恵は与えるけれど)こちらが特に恩恵を受けるわけではない。  とすると、これは不適当な用法なのでしょうか。ご意見をお伺いします。  気持ちの問題だとか、ここを少し変えればいい(根本的に変えるのはかまいません)というようなことは抜きにして、お願いします。  http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf   「国語の指針」 その40ページ参照  

  • 心ばかりの物を、お贈りさせていただきます、は?

      (文化審議会・国語部会のなかの)敬語小委員会が出した答申「敬語の指針」に次のように書いてあります。  『【解説1】「(お・ご)……(さ)せていただく」といった敬語の形式は,基本的には,自分 側が行うことを,ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,イ)そのことで恩恵を 受けるという事実や気持ちのある場合に使われる。』  これを読んでちょっと分からなくなったことがあります。  >お礼のしるしに心ばかりの物を、お贈りさせていただきます。  この場合、特に誰かの許可を受けたわけでもない。また、(相手に多少の恩恵は与えるけれど)こちらが特に恩恵を受けるわけではない。  とすると、これは不適当な用法なのでしょうか。ご意見をお伺いします。  気持ちの問題だとか、ここを少し変えればいい(根本的に変えるのはかまいません)というようなことは抜きにして、お願いします。  http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf   「国語の指針」 その40ページ参照  

  • 心ばかりの物を、お贈りさせていただきます、は?

      (文化審議会・国語部会のなかの)敬語小委員会が出した答申「敬語の指針」に次のように書いてあります。  『【解説1】「(お・ご)……(さ)せていただく」といった敬語の形式は,基本的には,自分 側が行うことを,ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,イ)そのことで恩恵を 受けるという事実や気持ちのある場合に使われる。』  これを読んでちょっと分からなくなったことがあります。  >お礼のしるしに心ばかりの物を、お贈りさせていただきます。  この場合、特に誰かの許可を受けたわけでもない。また、(相手に多少の恩恵は与えるけれど)こちらが特に恩恵を受けるわけではない。  とすると、これは不適当な用法なのでしょうか。ご意見をお伺いします。  気持ちの問題だとか、ここを少し変えればいい(根本的に変えるのはかまいません)というようなことは抜きにして、お願いします。  http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf   「国語の指針」 その40ページ参照  

  • これらの文は、どちらも敬語として正しいですか?

    下記の(ア)(イ)は、どちらも敬語として正しい表現でしょうか。もし、違いがあれば、理由も合わせて教えてください。「会うこと可能か否か」という来客に対する、侍従の言葉とお考え下さい。 (ア)「(天皇陛下があなたに)お会いになることができるかどうか確認して参ります」 (イ)「(天皇陛下があなたに)お会いになれるかどうか確認して参ります」 わたしとしては、(ア)のほうが敬意の度合いは高くなると思っています。 「なれる」は可能動詞であり、「お~になる」という尊敬表現の型にはなっていないように思うわけです。 ただ、天皇陛下の「会うという行為」を「お会い」と名詞化して尊敬語として扱っているため、一応、尊敬表現にはなっている。 名詞よりも動詞のほうが尊敬の意味は強く出せる。 また、「なれる」という可能動詞に尊敬表現が適用されていない、という点も合わせて(ア)のほうが敬意の度合いが高いのではないか、という理屈です。 しかし、一方で、「なれる」が「なる」の可能動詞であることも確かですから、「お~になる」という型と考えることができ、(イ)も動詞の尊敬表現の形になっているのだろうか・・・。 と迷っている次第です。

  • これらの文は、どちらも敬語として正しいですか?

    下記の(ア)(イ)は、どちらも敬語として正しい表現でしょうか。もし、違いがあれば、理由も合わせて教えてください。「会うこと可能か否か」という来客に対する、侍従の言葉とお考え下さい。 (ア)「(天皇陛下があなたに)お会いになることができるかどうか確認して参ります」 (イ)「(天皇陛下があなたに)お会いになれるかどうか確認して参ります」 わたしとしては、(ア)のほうが敬意の度合いは高くなると思っています。 「なれる」は可能動詞であり、「お~になる」という尊敬表現の型にはなっていないように思うわけです。 ただ、天皇陛下の「会うという行為」を「お会い」と名詞化して尊敬語として扱っているため、一応、尊敬表現にはなっている。 名詞よりも動詞のほうが尊敬の意味は強く出せる。 また、「なれる」という可能動詞に尊敬表現が適用されていない、という点も合わせて(ア)のほうが敬意の度合いが高いのではないか、という理屈です。 しかし、一方で、「なれる」が「なる」の可能動詞であることも確かですから、「お~になる」という型と考えることができ、(イ)も動詞の尊敬表現の形になっているのだろうか・・・。 と迷っている次第です。

  • 「旅行に行く」と言う表現ですが・・・・

    本を読んでいる時や日常の会話の中で「旅行に行く」と言う表現や言葉使いに遭遇しますが私は以前からこの表現が国語的に正しいのか疑問に思っています。「旅行をする」が正しいのではないかと思うのです。しかし書物のなかでも、TVの番組で結構教養のある方でも「旅行に行く」とおっしゃると私の理解が間違っているのか?とも思いますが果たしてどうなのでしょうか?国語に詳しい方の見解を教えていただきたいのですが。

  • これらの文は、どちらも敬語として正しいですか?

    下記の(ア)(イ)は、どちらも敬語として正しい表現でしょうか。もし、違いがあれば、理由も合わせて教えてください。「会うこと可能か否か」という来客に対する、侍従の言葉とお考え下さい。 (ア)「(天皇陛下があなたに)お会いになることができるかどうか確認して参ります」 (イ)「(天皇陛下があなたに)お会いになれるかどうか確認して参ります」 わたしとしては、(ア)のほうが敬意の度合いは高くなると思っています。 「なれる」は可能動詞であり、「お~になる」という尊敬表現の型にはなっていないように思うわけです。 ただ、天皇陛下の「会うという行為」を「お会い」と名詞化して尊敬語として扱っているため、一応、尊敬表現にはなっている。 名詞よりも動詞のほうが尊敬の意味は強く出せる。 また、「なれる」という可能動詞に尊敬表現が適用されていない、という点も合わせて(ア)のほうが敬意の度合いが高いのではないか、という理屈です。 しかし、一方で、「なれる」が「なる」の可能動詞であることも確かですから、「お~になる」という型と考えることができ、(イ)も動詞の尊敬表現の形になっているのだろうか・・・。 と迷っている次第です。

  • これらの文は、どちらも敬語として正しいですか?

    下記の(ア)(イ)は、どちらも敬語として正しい表現でしょうか。もし、違いがあれば、理由も合わせて教えてください。「会うこと可能か否か」という来客に対する、侍従の言葉とお考え下さい。 (ア)「(天皇陛下があなたに)お会いになることができるかどうか確認して参ります」 (イ)「(天皇陛下があなたに)お会いになれるかどうか確認して参ります」 わたしとしては、(ア)のほうが敬意の度合いは高くなると思っています。 「なれる」は可能動詞であり、「お~になる」という尊敬表現の型にはなっていないように思うわけです。 ただ、天皇陛下の「会うという行為」を「お会い」と名詞化して尊敬語として扱っているため、一応、尊敬表現にはなっている。 名詞よりも動詞のほうが尊敬の意味は強く出せる。 また、「なれる」という可能動詞に尊敬表現が適用されていない、という点も合わせて(ア)のほうが敬意の度合いが高いのではないか、という理屈です。 しかし、一方で、「なれる」が「なる」の可能動詞であることも確かですから、「お~になる」という型と考えることができ、(イ)も動詞の尊敬表現の形になっているのだろうか・・・。 と迷っている次第です。

  • 「よう」 と 「みたい」

    日本語教師です。 「よう」と「みたい」はほぼ 同じように使われますが、「みたい」のほうが若干 口語的である、とTextbookには説明があります。 それ以外に違いはありますか。 また、 1)彼は留守のようです。 2)彼は留守みたいです。 1)薬のような味がします。 2)薬みたいな味がします。   これらの例では「よう」 を使う場合は「の」が入ります。 一方で 1)姉は怒っているようです。 2)姉は怒っているみたいです。   「の」が入りません。 これは、名詞のあとに「よう」が来る場合は「の」が入る、という解釈でよろしでしょうか。 ほかになにか、ルールはありますか。 教えてください。

  • 「よう」 と 「みたい」

    日本語教師です。 「よう」と「みたい」はほぼ 同じように使われますが、「みたい」のほうが若干 口語的である、とTextbookには説明があります。 それ以外に違いはありますか。 また、 1)彼は留守のようです。 2)彼は留守みたいです。 1)薬のような味がします。 2)薬みたいな味がします。   これらの例では「よう」 を使う場合は「の」が入ります。 一方で 1)姉は怒っているようです。 2)姉は怒っているみたいです。   「の」が入りません。 これは、名詞のあとに「よう」が来る場合は「の」が入る、という解釈でよろしでしょうか。 ほかになにか、ルールはありますか。 教えてください。

  • 「~たら」

    「でも、その電車が止まらなかったら、新宿駅にいて困りました」 乗った電車が降りるつもりの駅に止まらなかったので、新宿駅に着いてしまって困った、ということを言いたいそうなのですが、どうしてこの文で「たら」が使えないのか、と聞かれて困っています。 ネットで調べたところ、「~たら」を過去形と使う場合は「ある出来事をきっかけとして何かに気づいたり、予期しない出来事が起こったことを表す」とありました。 その条件には当てはまるように思えるのですが・・・・。 なぜ「~たら」が使えないのか、どなたかわかりやすく解説して頂けませんか。宜しくお願いします。

  • 副助詞について質問です。

    「くらい(意味:およその程度)」と「ほど(意味(1):程度,意味(2):比較する基準)」という副助詞があるのですが、例えば"泣きたいほど,泣きたいくらい"という文を書きたかったらこの分でのほど、くらいは副助詞ですか?