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yuniko99

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  • 平成ルネサンス、人間性と人権の復活は?今でしょ?

    果たして今 人間性はどうでしょうか? サザエさんのような、ちびまる子ちゃんの様な人間らしい感情がイキイキしてるでしょうか? プラス思考とか言いますが、悲しむ余裕もないほど前向きでないといけないのでしょうか? 悲劇を観てカタルシスによって日頃の悲しみを浄化する様な そんな時間もないのでしょうか 思いやりとか、そっとしとくとか、仲直りとか。子供が正義を目指す事とか、日が暮れるまで遊ぶとか 最近の子供は学校や塾や習い事や部活やスマホやゲームで自然の中に生かされてる自分を感じることなんてなかなかないんじゃないでしょうか? 労働環境も人権無視が多くないでしょうか。世の中それが当たり前になっている様に思います。 ブラック企業や偽電話詐欺に人権も踏みにじられています。 バブルが弾けてからこっち 経済が滞り、管理社会が進みマイナンバーも直ぐです 悲しみは怒りに変わるか鬱になり。喜びも空回り幸せはなかなか来ない。 少子高齢化の閉塞社会に人間性と人権を回復しようと思いませんか? 自然は戻って来ないかもしれませんが、人情は戻ってくるかもしれません 時間は逆戻りしませんが 未来に恢復があるかもしれません 社会に向かって、世界に向かって放とうではありませんか 自分の心を 日本初の平成ルネッサンス2015、開放しましょう貴方の心を  レッツ・ビギン! とにかく何かを始めよう。人間性と人権の回復を求めて。

  • 精神存在する為に生き、存在・存続する事が目的?

    この世界 存在しない事には始まりません。 まず 存在する事が目的であり 存続する事が目的であり 未来に新たな存在を実現することが目的なのでは? 人間は生きてるだけでは人間とは言えません。心や意識がないと生ける屍です。 人間は人間存在(精神)する為に生きているので 人間存在を可能にしている 人体を殺すことは良くないことです。殺人です。しかし牛や豚を食べることは 人間存在とは関係がないので、生態系の食物連鎖の一部です。 存在存続することが目的であり、価値であり、意味であり、正義であり 存在を求めることが愛です。 そう思いませんか?みなさん?

  • 勉強嫌いの子供に数学を強要する理由は何か?

    私は家庭教師業をやっていた経験上 勉強の苦手な生徒に難しい勉強をやらせるのは 酷い仕打ちだと思います。 それも分からいと言ったら怒られる、テストが悪いと怒られる 何か悪い事でもしてる様にお説教される。 中には嫌なことをやらされ過ぎて グレてしまう子もいます。 尾崎豊の歌にも「この支配からの 卒業」とか「盗んだバイクで走り出す・・・」とか 自由になりたいと言う気持ちが歌われています。 芸能コースに行った氷川きよしは今やスターです。数学なんて必要ありません。 嫌なことを我慢して 仕事をしなければならない だから数学を強要する という事なのでしょうか? 学校で悪になってた奴でも 学校から解き放たれると一生懸命働いたりします。 勉強が嫌いな子は 悪い人間ではありません。 そういう人間を見下して 自分がエリートだと傲慢に思ってる人間も悪いことをするのです。 勉強嫌いな子には勉強じゃないプログラムも組んであげて 好きな事のために我慢する という事をやってはどでしょうか? 数学が嫌いで何のために数学をやったのか分からない人は多いです 数論理学ですから 理屈はいくらか身につくでしょうけど、他にももっと良いプログラムはあります。 木工細工、大工見習いとか スポーツや芸能 工業系の知識や農業のプログラムでもいいではないですか 何で数学を強要するのでしょうか?

  • 資本主義や右傾化に代わる主義はないのか?

    最近世界は資本主義化、右傾化してるように思います。 アメリカも資本主義は勿論、議会の圧倒的な一致(反対は一人)でイラク人を10万人殺しました。 日本も資本主義が強まり右傾化してきました。自民党の圧勝です。 世界の国も右傾化している国が多いのでは?中国自体が資本主義化・右傾化?しています。 北朝鮮も共産主義なのか王政なのか分からないような独裁に近い有様です。 何かおかしくはないでしょうか?変だとは思いませんか?日本ってこういう国でしたっけ? 大体資本主義なんて主義はないです。誰かが考えたわけでも資本主義者が議会で増えたわけでも 憲法に書かれてる訳でもありません。 旧来資本主義には共産主義が対抗してきましたが上手く行きませんでした。 だから第三の主義が必要なのですが、それが協力主義です。 人が力を合わせて経済や政治をやって行こうと言う主義です。 競争原理もありますが、度を越さない様に累進課税的なものも取り入れます。 お金よりも人の活力、生き甲斐、良心を大事にします。 協力主義にはバックになる思想があります。存在性思想と言いますが 此処では宣伝できません。 皆さんは資本主義、共産主義の次に来る主義はどんな主義だと思われますか? イメージだけでも構いませんので考えてみて下さい。 このままでは日本は苦しい社会になってしまいます。世界大戦が始まらないように。 ぜひ知恵を絞ってみてください。

  • どうすればいいのか?

    私はこの世の不条理を解決しようと、長い間掲示板や此処でも頑張って来ましたが もともと能力もなく、病気も悪く、これではその願いは無理のようです どなたかお分かりになる方がいたら どうすれば問題や不条理を解決できるのか 思いのある方は教えて貰えないでしょうか 誰かが引き継いでいってくれると思います。 どうか宜しくお願い致しますm(_ _)m

  • なぜ空爆をやめないのか?

    卑劣なテロには屈しないと言いながら 安倍首相もオバマ大統領も空爆を止めようとは言いません 後藤さんのイスラム国入の一つの理由は空爆で市民が被害を受けてないか それを伝えたいと言う事もあったと思います。 腐ったミカンの方程式ではありませんが イスラム国を叩き潰して解決したと パワー・イズ・ライトを主張するなら、戦後レジームからの脱却はどういう事でしょうか? イスラム国への空爆は太平洋戦争時の日本への絨毯爆撃と原爆と同じ様です。 日本はここでどう主張するべきなのでしょうか? アメリカの空爆を止めさせると言う選択肢はないのでしょうか? テロが起きるにはそれなりの不条理があったのではないでしょうか? 空爆で皆殺しにするのが民主主義なのでしょうか?? 本当にこの世の中はパワー・イズ・ライトなのでしょうか? アメリカ国内でも人種差別が問題になっています。 米英が正しいのでしょうか?アメリカに敵対する国の国民がゴミのように犠牲になって良いのでしょうか? 端的にお願いします。私は病弱で長文は読めませんのでm(_ _)m

  • 真善美のみなもとは 同じひとつであるか?

     1. 真善美のみなもとは 同じひとつであるという仮説を述べます。これについて問いますので 自由なご批判をお寄せください。  2. ふるくは哲学の相場としてそのように決まっていました。あらためてこの説をどのように考えてみちびいたかを述べます。  3. まづすべては ひとが《生きる》ということに始まると言ってよいと思われます。  4. そこから 相対的な主観真実とそれを超える普遍真理の問題が生まれ 主観真実には――ほかの人の主観真実とのカカハリにおいて―― 問題がないかあるかという問題が生じます。いわゆる善および負の善(つまり悪)という問題がからまって来る。  5. 真理は 善悪の彼岸に置かれているはずです。あらゆる人の主観真実をすでに超えているはずです。ゆえに真理は 至高の善であるとも言われます。  6. では 美はそれらとどういう関係にあるか? どこに位置しているのか?  7. 善と悪という相対的な価値をあつかう主観真実をたずさえて生きるとき――神ならぬ人間はそのようにしか生きることがかなわないと思われるとき―― 広く善悪観をめぐる主観真実としての何をとうとび 複数の《何》のあいだでいづれの真実に重きを置くか?・・・ここが 美学の生じるところだと考えられます。  8. やむを得ず人びとの集まり(つまり家族という集まりから出発して)や組織ないし社会にとっての状態や情況に従うようなかたちにおいて いくぶん悪の要素をも採り入れるといったことが その人の美学として選択されるかも分かりません。実際問題として余儀なくされることがあるかと考えられます。  9. さて 生きることは そのこと自体に意味があるといういみで《善》だと考えます。ふつうに《よい》ことであるでしょう。よりよく生きる以前の《生きる あるいは ともに生きる》にとうとぶべき意味があり これを善と呼ぶこととします。  10. 何をしてどう生きるかというよりも 生きること自体に意義を見出すとすれば おそらく確かに その善をひとつの基準として 世の中には・またひとの思いや振る舞いには 善にかなうこととそうではないこととが見出されて来ます。  11. 掛け替えのない善と言ってよい存在そのものを抹殺することは 負の善です。善の損傷です。  12. あるいは むさぼらないことは 生きることにとってふさわしく善であり むさぼることはこの善に逆らうことであるゆえ 負の善である。負の善は 善を傷つけることであり その結果は善(生きること)の部分的な欠けだということになります。  13. 《善の損傷あるいは欠如》 これを使い勝手がよいように《悪》と名づけるわけです。  14. つまり 悪は どこかに悪なるものが存在していてそれが起こるのではなく そうではなく善(存在ないし生きること)があってそれを損傷する行為として 起きるものである。    15. さて ひとの感性には 善も悪もありません。  16. 感性は 第一次的な知覚そのものを言います。  17. われわれは記憶という倉庫の中からあれこれの知識としてのモノゴトを見つけ出して来て 為そうとする行為の選択肢を考えますが このときその選択肢の内容については むしろおのが心(つまり 精神の秩序作用としての記憶)に逆らうことを思ったりそれをおこなおうとしたりする。このときには われらが心もしくは感覚は 困ります。動揺を来たします。胸騒ぎが起き 顔が赤らみ 言葉もしどろもどろになります。  18. これは 言わば《やましさ反応》です。これによって 第一次的なかたちにおいて善かそうでなくなるところの悪かが決まると捉えます。つまり ワタシの主観真実としてです。  19. このヤマシサ反応としての感性を認識した上で言葉に表わし(概念とするなら それなりの知性とし)その知性としての主観内容が ほかの人びとにとっても同じであると認められたときには 主観が共同化したと考えられる。ワタシの主観真実に いくらかの普遍性があると認められるという意味である。  20. この限りで 人間にとっての・共通の常識としての《善もしくは悪》が いちおう 決まります。  (共同主観≒常識として成ります。絶対的にただしいとは決まりませんが)。  21. 人間の知性が経験的にして相対的であるかぎりで この善悪観も 相対的なものです。  22. しかも 基本的なかたちで一般に 《うそ・いつわりを言わない》が善であり(わが心にさからっていない であり)  《うそ・いつわりを言う》が善の損傷(つまり悪)だというふうに おおよそ人類のあいだで決まっています。  23. 話が長くなっていますが このとき《真理》は 人間の善悪観が 普遍的なものであると言いたいために 無根拠なるものを根拠として――つまり 公理としてのごとく――持ち出して来た想定としての基準です。主観真実の相対性を超えるものとして想定している。  23-1. じつは 実際に具体的には人間が人間どうしの間で当てはめて使うことの出来ない物指しである。しかも 物指しとしては 想定されている。  23-2. それでも想定しておくのは ただただ相対性なる経験世界だけだと言ってしまい見てしまうなら 世の中は 押しなべてのっぺらぼうの世界にしかならないからである。顔がのっぺらぼうだというのは 心において主観真実としての善や悪やを考える意味が無くなる。  23-3. 言いかえると 《相対性》ということは すでに《絶対》なるナゾを想定したことをみづからの概念の内に含んでいる。つまりじつは 相対的な人間の真実は 絶対なる真理をみづからの内に想定済みである。  24. そして話を端折るならば 《美を見る眼》は この真理をわざわざ人間の言葉にして表わそうとする神学にも似て・しかも言葉を通さずに・つまりは感性をつうじて あたかも真理にかかわろうとする心の(ということは身の神経細胞もがはたらいている)動きだと考えます。  25. 実際には 真理は 想定上のナゾですから 表象し得ません。それでも《生きる》ことにおいて どことなく・そこはかとなく 人はこれを問い求めているのではないであろうか。  26. ひとの世界にウソ・イツハリがあるかぎり そしてカミという言葉があるかぎり 生きることに善悪観は伴なわれざるを得ず その善悪をめぐる人間の持つ理念や規範をも超えてなおうつくしきものを見たいという美についての渇きは必然的なことだと見ます。しかも 自然なことであると。  27. けれども その美は ひとによって異なり千差万別ではないのか? 一般理論などは考えられないのではないか?  28. それは 生きた過程としてのそれぞれの人の《善の損傷の具合い》によって そのときその場で どういう美のかたち〔をとおしてナゾの美ないし真理〕を求めているか これが違って来るという事態が考えられます。  29. 審美眼は その人の生きた歴史によってあらたにいろんな風に形作られ その人の美学もその過程にそってあらたに作られていくと見ます。初めに想定されているところの真理ないしわが心にしたがう善(善悪観)から離れることもあり得ると捉えるわけです。道草を食ったり脱線したり。  30. それは 侵して来たウソ・イツハリの性質や度合いによって変わるのではないか? 早く言えば 破れかぶれの心の状態になったときには 毒を食らわば皿までという美学がつちかわれるはずです。  31. 一般的には かたちのととのったものを人はうつくしいと感じ このかたちをつうじて 心の内なる精神の秩序としての美ないし真理を見ようとしているものと思われます。  32. そして 人がどう生きたかにおいて善の損傷のあり方(つまり どれだけ・どんな内容のウソ・イツハリを言ったか)が人それぞれでしょうから それらに応じてそのときその場では どういうかたちに美を感じるか――それをつうじて善の損傷が癒やされるべきところの美を感じるか―― これが千差万別になると思われます。  33. すなわち おのれの善――生きること――の傷つき方に応じて人それぞれに 美と感じる対象が違って来る。同じ一人のひとでも 歳とともに違って来る。  34. 早い話が かたちの整わない醜いものにも 美を感じ それとして癒されるという時と場合があるかも知れません。  35. すなわち 真理と善(もしくは 善悪の彼岸としての非善・超善)については 十人十色とは言わず おおかたの共通の内容が――想定じょう――共有されます。けれども美は それこそ千差万別ではないかという問いに対して答えようとして以上のように考えたものです。  36. 人はウソをつくからには一たん真理や善から離れた過程にあって 善の損傷の具合いに応じて その傷がどう癒されるかという過程をあゆむ。われに還り わたしがわたしであると成る。そのありさまは 人それぞれである。  37. そしてその違いは 言わば巡礼の旅路というべき人生をあゆむ人間にとって そのときどきの巡礼の寺院としてのごとく 美の感覚に違いが現われるというものだ。こう考えこう捉えるなら 美学にも十人十色の差を許容しつつ しかもそれでも大きく広く 普遍性がある。  38. 真善美は 一体である。このように考えることが出来ると思いますが どうでしょう。

  • 哲学は人間を救えるか?

    政治や世界団体など世の中を良くしようと頑張っていますが 宗教や資本主義や思想、イデオロギーの事を考えても 哲学の果たす役割は大きいと思います 哲学は人間を救えるでしょうか? 私は病気で何時まで生きてるかわかりません 皆さん是非世界を理想に導いてください。

  • 憶えている方いらっしゃるでしょうか?ピースv^^。

    どれくらい前でしたか 平和の呼び掛けを3年に渡ってやってました。 今シリアは滅茶苦茶です。空爆と内戦で国境なき医師団まで多数の死者が出ました。 もう黙っては居れません 何とかする切っ掛けだけでも作ろうではありませんか。 世界中が平和デモや平和の呼びかけに満ちたら 国家も少しは考えるのではないでしょうか。 思想もあります。存在性思想といいます。 動物は進化するために戦うが 人間は学習して考えて進化するのだから戦う必要ない。 中庸な競争が人それぞれに必要なだけあればいい。 この呼び掛けは今年は始めたばかりです。いいアイデアがあったら教えて下さい。 世界の戦争と核兵器を無くすために。よろしくお願いします。ピースv^^。

  • 存在(者)とは何か?存在論を打ち上げてください。

    哲学の世界は様々な哲学があって それぞれで存在(者)の定義も違うのではないでしょうか? あなたは存在とは何だと思いますか? 無のような内容のないものでしょうか。それとも存在が全てであって存在しないものはない? あなたは存在(者)とは一体何だと思いますか。簡潔に教えて頂けませんか? よろしくお願いします?

  • どこが間違っているのでしょうか?

    日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。  日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。  われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。  日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

  • この「性質」の説明は語感として分かりますか?

    もしエネルギーに、性質と言う普遍的な法則に則った、目に見えないものが存在していなければ、エネルギーは無秩序な、カオスにもならないと言っていいでしょう。そのエネルギーによる引力や斥力や電磁波のような波としての性質が織り成したのが私達の知る宇宙です。 特にこの引力はエントロピーを維持しあるいは減少させます。もしこの引力がなければ物質は秩序をなし得ませんし、天体も形をなし得ないでしょう。 そしてそのエネルギーの持つ性質が 同時にそのエネルギーに態を与えているのです 性質がフィードバックをしてその存在を更に在らしめているのです(→亀の存在性 動物の存在性 進化論 例えば食べるという性質が体を維持する 見るという性質が交通事故を避ける等 因果) 場の中で。 でなければ存在を保つことはできません。 性質は法則に則ってエネルギーに現れ、その性質がそのエネルギーに態を与えます。下の「酸素原子の存在性」を参考にされてください。(性質も変化し続けます) そのものが持つ性質が原因となって、そのものが存続すると言う結果となる(アイデンティティ)(因果律)  (物質もエネルギーで出来ていと思います) ☆この性質についての説明は語感として分かるでしょうか?よろしくお願いします。

  • ゆっくりの進化で適度な競争でいいのでは?

    急激な進化は危険が大きいです。過激な競争も犠牲が多すぎる。 バスが満員だから要らない人は降りてくれと言う訳には行きません。 ゆっくりの進化でハッキリした目標を持ち人間として幸せに生き抜ける社会 時間は何千年とあるのです、自滅するような過激な進化ではなく 目的に確実に向かっていく生き方で、楽しみながら、頑張りながら生きて行くのが良いと思います。 人間の目的は存在する事、未来の存在を実現する事、永遠への存在を実現することです。 どうしてそれに気づかないのでしょうか?

  • 我々は何故太平洋戦争を習わないのか?

    我々は学校で太平洋戦争を習いませんでした 歴史は室町とか江戸とかをじっくりやって 明治時代になる頃には春が来て終わりです。 我々に何故教えないか。それは学生運動を押しつぶしてから 子供に考える暇を与えず バカに育てて操縦しやすくしたからです。 学校は暗記させて偏差値で競わせ、自分で考えることをさせません。 では政府は何を考えているのか? 緊急事態条項とは何か?憲法はどうなるのか?哲学は役に立たない。 こんな教育間違ってるとは思いませんか? 当方病人につき、長文はご勘弁を。。。

  • 理想と現実はどれくらい違いますか?

    あなたには理想がありますか? あなたの理想と現実はどれくらい違うでしょうか? 仕事において、生活において、経済において、政治において、哲学において あなたの理想と現実はどれくらい違うのでしょうか? 教えて頂けるとありがたいです 当方病人にて長文はご勘弁をm(_ _)m

  • 神は消えるか?それとも一つにまとまるのか?

    問題多い世の中で 実際にどうなるか分かりませんが 神は死んで消え去るのがいいのでしょうか?それとも一つにまとまって地球に一つの神に 成るのが良いのでしょうか? 私はそのどちらが良いのか迷ってます。 つまり古い家をひとつにリフォームして 今在るものを活かして恒久的に活かしていけばいいのか? それとも今在るものを壊してまたく新しく作り直したほうが良いのか? 実際に家を建てる時も、全く何もない物から作るわけじゃないですよねえ 木を使ったり砂利を使ったり石灰を使ったり鉄を使ったり 全くリサイクルして全く違うものを立てたほうが良いのでしょうか? それともあるものを活かして 宗教なら認識を新たにして、道徳は残して 歴史の上に倫理、社会を作り上げたほうがいいのでしょうか? 神を残すか、無神論で神を忘れるか どっちがいいと思いますか世界としては?

  • 終に頭に来た(悟った)?

    存在が価値であり、目的であり、意味であり、意義であり、正義であり、愛の目的です。 存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー(物質を含む) 人間は存在を目指す、永遠に。存続 永遠と続く。 人間は存在することに意義がある。 人間は精神である。精神は性質である。性質は物質とは独立して真理に則して現れる。 悟った(真理を知った)人間が神の子である。 神が宇宙のエネルギーと真理である様に似せて 人間は体・脳・環境等の物質(エネルギー)と性質である精神である。 (人間は脳と精神である) イエスも釈迦も真理を悟った(一部)神の子であった。 仏も神も実は同じような意味。 物質の性質が心(精神)を成している訳ですから 唯物論と唯心論は統合できる。 エントロピーはコントロールできる。引力と循環と秩序をコントロールして永遠を目指そう。 ブラックホールは蒸発しない のでは?  ビッグバンとは 超巨大なブラックホールの特異点の爆発だったのでは? 我々は 神の実験? 奇跡の星地球に奇跡の存在人間精神(命に宿る)が発生。これが神の奇跡。 しかし 神はあまりに残酷だ 何故だ?何故こんな残酷な事させたのか? 以下略。どう思いますか?存在や神について?

  • 信じても良いのか? 信じてはいけないのか?

    人間は信頼関係が大切とも言いますよねえ。人を信じられないと 出来る事も出来なくなります 何かをする時も、自動車を運転するにも、事故を起こさない事が出来ると信じないと 自信を持って 運転できません。 結婚でもそうです。最初から上手く行かないのではと疑っていたら結婚など出来ません。 お互いに信じあうことが必要です。 がしかし、毎日交通事故は起こり一年に1万人近くの人が死にます。人間ですからミスもします。 結婚しても離婚する人は増えるばかり 二回離婚する人も珍しくはありません そんなことを信じて気楽にいていいのでしょうか? 哲学では ・・・・・と信じる。という言葉はあまり聞きません。 専ら疑い批判します。疑って疑って 石橋を叩いて叩いて叩き壊して・・・ 巷の人からは 哲学といえば ムズイ キモイ 分からないと言われます。 果たして人間は そして貴方は 信じることもありますか?それとも飽くまで批判精神ですか? 人は信じていいのでしょうか? 信じてはいけなのでしょうか?(詐欺も酷いですよねえ)

  • 日本人は正直でしょうか?

    何か今の世の中 正直者が馬鹿を見るというか 本当に正直であることさえ 忘れてしまいそうですねえ 某掲示板では「世界平和は本当に実現するか」とか「神はいるか」と言った トピックスがボコボコに荒らされてトピ主は逃げ出し荒野原になりました。 或いはアグネスチャンとか。ユニセフ協会という代理団体?のあり方等 更には児童ポルノ問題、日中問題等でボロクソに書かれYOU TUBEでも 酷い動画が多いです。 菅直人氏にしても、別に何か悪いことをやった訳ではなく 未曾有の大震災と津波と原発事故で対応が良くなかったとか言って ボロクソに言われてますが、最初に原発を心配して見に行ったのがそんなに 行けないことなのでしょうか?結局原発問題が最後まで残ってる。 それを見に行って支持が疎かになったのでしょうか? アグネスにしても、中国に帰れば幾らでも知り合いはいるし 国も認めてくれています それを「日中友好に尽くしてほしい」と思うかと思いきや「中国の回し者」扱いです 何で日本は中国とは仲良くできないのでしょうか?確かに中国はまだ良くないところはあります じゃあアメリカはどうなのか?20世紀から戦争で殺しまくり 今世紀になってもまだやってる。国連を無視して勝手な事をやり イラク人を10万人殺して 大量破壊兵器はなかったと。それで賠償はしたのでしょうか? そのアメリカには何も言えない。集団的自衛権を約束して来る。 北朝鮮でもそうです。何かキチガイ国家のように言ってますが、じゃあ何で 米韓合同軍事演習とかして刺激して緊張を煽るのか?キューバ危機の時には アメリカはあんなに苦しんだのに。相手は死んでもいい、しかしアメリカ人が死ぬのは行けない と 無人兵器を作り始めた。そんな国ですよ。 日本人は長いものには巻かれろ 人気が落ちたら?ゴミ同然です。 日本人はこれでいいのでしょうか?アメリカに付いて行っていいのでしょうか? CMや演出でも 物心つかない子供に言わせます。如何に大人の言葉が当てにならないか 示してる様です。 24時間テレビにしても 何故かジャニーズ系のイケメンが主役の再現ドラマです 本当にそんなカッコイイ人だったのでしょうか?ウケがいいからイケメンを出しているのでは? 始めの頃はアグネスも出ていましたが 最近は出ません。 嘘も方便とは言いますが やむを得ず 良かれと思って吐く嘘なら仕方ないですが 嘘が当たり前になったら この世は複雑怪奇 おちおち本音も言えません。 思春期の子供はますます悩み、引き篭りやうつ病が増えます。 日本人はどうかしてるのではないでしょうか?本音と建前って 無ければ無い方が良いのでは? 日本人は正直でしょうか?それとも 何なんでしょうか?

  • 存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー・物質

    と定義してみました。 まずエネルギーと物質は同様のものと考えてください。エネルギー(物質)も 物質(エネルギー)でも定義に差し支えるので。エネルギーだけでもよかったのですが 素粒子、量子、超ヒモ、超弦、M理論を考えると エネルギーと書いてしまうと 科学通の方にお然りを受けるので エネルギー・物質 と書いているだけです。 取り敢えずエネルギーも無いところには性質も無い。性質のないエネルギー・物質もなければ エネルギーのない性質もありません。つまり幽霊は居ないと言う事です。 存在の基本は「エネルギーが在る事」であり 当然そこには「性質」も在って、量と質の二元が在る事になります。 科学はこれを測定するために観測などをして実験して証明しなければなりませんが 哲学はそれが出来ない世界も考えることが出来るのです。 性質の存在は「精神は性質で出来ている」ので心の世界「唯心論も」を考える時に重要です。 そして(個性ある)としたのは 個性を持って「存在」と考えないと、何処から何処までがつながっているのか?その実態はなんなのか?などと言い始めたら定義ができないからです。 酸素なら「酸素分子」「酸素原子」「酸素の同位体」オゾン等々の個性を認めないと 「ここには酸素が存在する」と言えなくなってしまうのです。 色即是空とか言い出したら訳が分からなくなります。それがいいと言う人は、酔っ払ってるようなものです^^ 人間でも私「ゆにこ」ならゆにこの性格や体。五体満足か病気はしてないか?ゆにこの能力 知能指数(75?^^)ゆにこの思想などを「ゆにこ」の個性としなければ 荒井さんも山川さんも近藤さんも 1だ 数学の一人 1に過ぎないとか言ったら 私の存在もあなたの存在も味噌も糞も一緒になってしまいます。そこに個性で存在を認めなければ訳が分からなくなります。酩酊してしまうのです。 この様に定義しましたが 如何でしょうか?