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古代の天皇決定プロセスについて

歴史を振りってみると、新天皇が決定にいたるプロセスが近現代とは異なるのがわかりました。 制度化される前の古代から中世にかけて、新しい天皇は誰が決めていたのでしょうか。 どうぞよろしくお願いいたします。

  • 歴史
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.4

 失礼ながら1番さんへのご質問に、横合いから回答させていただきます。 > なぜその有力者自らが権威・権力者になろうとしなかったと思われますか。  権力を振り回そうとすると、必ず不満をぶつけられたり、処罰しなければならない事態に直面します。  「神にも等しい(神の子孫たる)天皇に、人を罰したり、時には人の殺害を命じるような不浄なことをさせるわけにいかない」ということで、天皇になると、手足を縛られたからです。  権力を振るって自ら動くためには天皇でないほうが良かったのです。  そのうち、貴族たち自身も「天皇の眷属たる自分たちが手を汚すのは」という理屈で、不浄の仕事を武士に任せるように成ってしまったわけですが。 > 天智朝では後継順位が天皇の弟であるとされていたそうです。  それは聞いたことがありません。  第38代天皇が「天智天皇」です。彼の跡継ぎである第39代天皇の弘文天皇は天智天皇の「息子」です。  その次の第40代天皇の「天武天皇」は、舒明天皇の「息子」です。  さらにその次の第41代天皇の「持統天皇」は、天智天皇の「娘」です。妹でさえありません。  しばらく「天皇の弟」が天皇になっているケースはありません。  第51代の平城天皇が、50代めの桓武天皇の「息子」であり、52代の嵯峨天皇が平城天皇の「弟」(桓武天皇の息子)、さらに53代の淳和天皇も嵯峨天皇の弟?(桓武天皇の息子)です。  その後、兄弟で天皇位を相続し出すのは」「院政」が始まるちょっと前ころですから、おそらくたまたまそうなったのを見たその時の天皇(白河天皇)あたりが、「自分が影響力を行使できる人」として扱い易い息子たち兄弟を次々天皇にすることを思いついたのではないか、と推測します。  自分から天皇の位を譲り受けた者(恩義を感じているはず)はともかく、他の血筋の人間が天皇になったら院政はやりにくいですから、次々に息子たちを天皇にということにしたのではないかと想像します。  でも「決まり事」にしたわけではなく、院政崩壊後、血の近いダケの男子や女子が天皇になっています。  2つの系統(持明院統と大覚寺統)の争いを、武士(鎌倉幕府)が裁いた(交互に即位する仲裁案)のは有名ですよね。

sas22065
質問者

お礼

ご回答、本当にありがとうございました。 私の > なぜその有力者自らが権威・権力者になろうとしなかったと思われますか。 という質問のご回答、腹に落ちました。 また、 >「自分が影響力を行使できる人」として というお考えですが、とてもおもしろいですね。 ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10498/33014)
回答No.3

壬申の乱に勝利した大海人皇子は、大友皇子を廃して自ら天武天皇になりましたね。 通説では大友皇子は「即位していなかった」ということになっていますが、実際は即位していて、壬申の乱で敗れたので天武天皇によって即位していた事実を抹消されたのではないか、という話がありますね。明治3年、朝廷は大友皇子を「弘文天皇」であるとしました。 平安時代においては、キングメーカーである権力者が誰を即位させるかを決めていました。 これは今の総理大臣もあまり変わらないですね。安倍首相の退任後、菅総理にすると決めたのは二階幹事長だといわれます。自民党総裁選挙も「どの派閥がつくか」で勝負が決まりますよね。 今の二階幹事長みたいな人が昔もいて、その人たちが自分の影響力を誇示するために自分に都合がいい人物を天皇にしたのです。でもだいたいは「先代の天皇と自分の娘との間にできた子供」を天皇にするケースが多かったですね。 天皇は黙ってキングメーカーのいうことを聞いておいたほうが世界は安泰です。後醍醐天皇のように「日本で一番偉いのは天皇なんだから、天皇が権力を使えないのはおかしいでしょ」と妙にやる気を出されるとむしろ戦乱が起きます。 鎌倉幕府が開かれて以降の武士の時代では、誰を天皇にするのかを決められるのは「武士の棟梁」でした。武士には武力という実際の力がありますからね。

sas22065
質問者

お礼

ご回答、本当にありがとうございました。 てっきりその次代の天皇と皇族がキングメーカーを兼ねているのかと思っていました。 具体的なご説明で、大変よく分かりました。 ありがとうございます。

  • rikimatu
  • ベストアンサー率19% (629/3298)
回答No.2

他の方がおっしゃる通り、有力者の駆け引きもありますし 母方の実家の位も関係してたと思います。 実家の位が低いや後ろ盾がないと天皇の即位の序列的に低かったと思います。

sas22065
質問者

お礼

ご回答、本当にありがとうございました。 母方の実家の位、、なるほど。 大変勉強になりました。 ありがとうございます。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8018/17137)
回答No.1

政権内の有力者の間での駆け引きで決まりました。

sas22065
質問者

補足

ご回答、本当にありがとうございました。 “政権内の有力者の間での駆け引きで”となると、 大王・天皇は傀儡政権を維持するためだけの存在だったということでしょうか。 となれば、なぜその有力者自らが権威・権力者になろうとしなかったと思われますか。 またこれは古代ではないかもしれませんが、 天智朝では後継順位が天皇の弟であるとされていたそうです。 これもいつ始まったのか気になります、、、 天皇の次はその弟という決まりごとは、 傀儡政権の裏で暗躍したい者にとっては都合が悪くなってしまうので、 となれば、いつからか政権内の者がつくったのではないかと思います。 これにはついていかがでしょうか、、

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