万葉集の謎と魅力に迫る!斜め読みした図解雑学の疑問とは?

このQ&Aのポイント
  • 図解雑学「万葉集」を斜め読みし、いくつかの疑問が生まれました。1つ目は、「作者未詳」という表現についてです。同じ意味なのでしょうか?また、表現のルールはあるのでしょうか?2つ目は、万葉集のほぼ半数近くが「作者不明の歌」とされていますが、実際にはそうなのでしょうか?作者未詳の実態について考えると、教養や生活の余裕がないと歌えないと感じるのですが、どうなのでしょうか?3つ目は、男女が歌をかけあう「歌垣」という文化についてです。筑波山がその場所として挙げられていますが、現在もその場所が残っているのでしょうか?4つ目は、他にも万葉の時代の「歌垣」の場所が知られているのか、そして現在の状況はどうなっているのかです。
  • 万葉集という図解雑学を斜め読みしていると、いくつかの疑問が浮かんできました。まずは「作者未詳」という表現についてです。これは「読み人知らず」と同じ意味なのでしょうか?また、表現のルールは存在するのでしょうか?次に、万葉集のほぼ半分が「作者不明の歌」とされていますが、実際にはそうなのでしょうか?作者未詳の実態について考えると、教養や生活の余裕がないと歌えないのではないかと思いますが、どうなのでしょうか?さらに、男女が歌をかけあう「歌垣」という文化についても知りたいです。筑波山がその場所として挙げられていますが、現在もその場所は残っているのでしょうか?最後に、他にも万葉の時代の「歌垣」の場所が知られているのか、そして現在の状況はどうなっているのかも教えてください。
  • 図解雑学「万葉集」を斜め読みし、いくつかの疑問が生まれました。まずは「作者未詳」という表現についてです。これは「読み人知らず」と同じ意味なのでしょうか?また、表現のルールはあるのでしょうか?次に、万葉集のほぼ半数が「作者不明の歌」とされていますが、実際にはそうなのでしょうか?作者未詳の実態について考えると、教養や生活の余裕がないと歌えないと感じるのですが、どうなのでしょうか?また、男女が歌をかけあう「歌垣」という文化についても知りたいです。筑波山がその場所として挙げられていますが、現在もその場所が残っているのでしょうか?他にも万葉の時代の「歌垣」の場所が知られているのか、そして現在の状況はどうなっているのかも教えてください。
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万葉集について

図解雑学「万葉集」というのを買ってきて、斜め読みしています。私の疑問について教えてください。どれか一つでも構いません。 1 この本の中で、「作者未詳」とあるのですが、これは、以前、「読み人知らず」(私の記憶ですので、極めてあいまいです。)というのと同じなのでしょうか???表現の仕方にルールはあるのでしょうか??? 2 全体のほぼ半数近くが、「どこの誰がつくったのか、わからない歌」ということのようですし、さらに「万葉に生きたすべての人々が歌びとだったといえるでしょう。」とあるのです。でも、「まさか、そんなことはないよね」というのが私の印象なのですが、どうなのでしょうか???「作者未詳」っていったって、それなりの教養と生活の余裕がないと……「歌」なんて歌えないし、歌う気持ちにならない……という気がするのですが、どうなのでしょうか??? 別に万葉集や図解雑学「万葉集」にケチをつけるつもりはないのですが、例えば、防人の歌にしても、防人自身が歌って、書き残したものというのではなくて、教養のある人が、防人の気持ちを聞き取って、あるいは想像して、それを「代作」というか、「代読」というか、「代筆」というか???そんな感じじゃなかったのかなぁと。「作者未詳」の実態はこんなものではなかったのか???と。生活が豊かになったという現代人にだって、短歌の1つだって作れる日本人、作ろうと思う日本人って多くないと思う。 3 男女が歌をかけあう「歌垣」というのがあったようです。うらめしい~~いや、うらやましい。笑……その場所として筑波山が挙げられていますが、筑波山には、今でも、その場所が、「それらしく」残っているのでしょうか??? 4 「歌垣」にこだわりますが、日本の中で、他にも、万葉の時代の「歌垣」の場所として知られている個所はありますか???今の様子も教えてもらえればありがたいです。行くつもりはありませんが。

noname#247736
noname#247736

質問者が選んだベストアンサー

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  • staratras
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回答No.1

万葉集の「作者未詳」(よみ人しらず)にはさまざまな事情があると考えられますが、ほとんどが貴族の創作と考えるのは無理だと思います。東歌など都の貴族がわざわざ東国方言を使って技巧的でない歌を創作したとは考えづらく、むしろ多くの人によって歌い継がれた民謡のようなもので、特定の作者が決められないということではないでしょうか。中には個人の作品でも長い年月の間に、作者名が忘れられて作品だけが伝わった歌もあるでしょう。 いずれにせよこのように天皇から庶民まで有名・無名の多くの人の歌が残っている点に、千二百年余り経った今でも、万葉集が歌集として人気を集めている最大の理由があると思います。 もちろん万葉集に載せられて今に伝わっている歌は、選者が「優れた歌」と認めた作品だけです。例えば「防人の歌」は防人が詠んだ歌を、引き連れてきた役人が記録して上進したものと考えられ、実際に、「何某のたてまつれる歌の数○首 但しつたなき歌△首は取載せず」とあって、(○ー△)首の歌が記されています。防人本人が読み書きができなくても文字として残ったわけです。歌を詠んだ防人自身と、取りまとめた役人の名前が具体的に書かれていることは無視できず、また貴族の代作ならわざわざ具体的な採否の数字まで書かないでしょう。 ここで忘れてはならないのは「和歌をよむ」という行為の社会的な意味が万葉集の時代と現代では大きく変わっていることです。現代では和歌(ほとんどは短歌)を詠むということは個人的な文芸(文学)作品を制作する行為であり、一般には文学好きの教養のある人の趣味だとも考えられているでしょう。日常的に歌を詠む人が成人のどれだけの割合かはよくわかりませんが、仮に全国に100万人いたとしても成人の約1パーセントに過ぎないことになります。しかも紙かネット上かはともかく、ほとんどの場合文字情報として表現されます。 ところが万葉集の時代はこれとは異なります。和歌を詠むことは、とりわけ「歌垣」などの場合には集団の中でのコミュニケーションの必須の手段であり、単に個人が文芸作品を作ることではありませんでした。文字は知らなくても歌を人並みによめて(音声表現)相手に気に入ってもらえなければ、恋人もできないおそれがあります。こんな切実な動機付けがあれば、当時の若者の大半は、意思伝達の大切な手段として上手下手は別として懸命に歌を詠もうとしたと思います。その意味では歌を詠む人の割合は成人の1パーセントどころではなく、現代よりずっと高かったと推測されますが、正確な数字は誰にもわからないでしょう。余談ですが、佐賀の杵島山、大阪府の歌垣山、茨城県の筑波山を「日本三大歌垣山」というそうです。 以前テレビのドキュメンタリーで、中国・雲南省の少数民族の「歌垣」のような催しを紹介していました。青年男女が民族衣装で、決められた日時に決まった山に登り、まず男性が朗々と歌い上げます。これを気に入れば、女性が歌を返し、これにさらに男性が歌を返し、これを繰り返すというものです。この男女は普通の村人ですが、相手の歌の内容に対して即興で歌い返すことが求められているそうです。この少数民族は固有の文字を持っていなかったそうで、こうした古来の風習を見ても、口承文芸である歌の起源のほうが文字で書かれた歌の起源より古いことは確かで、日本だけではなく「歌詠み率」は文字がなかった、あるいは文字が普及していなかった時代・社会の方が高かった可能性があると思いますがいかがでしょうか。 このような「文字普及以前」の社会で、口伝えで文学性に優れた詩や歌謡が残された例は世界のいたるところにあります。日本の中心部の場合、中国の漢字が伝えられたおかげで、比較的早い段階で、そうした口承文芸を表記に苦労しながらも文字化できたために、4000首以上が載せられた「万葉集」の中に東歌や防人歌のような民衆が詠んだ歌も採録することが可能となり、今に残ったのだと考えられます。 これは大きな幸運であったと言える一方で、「それなりの教養と生活の余裕がないと……「歌」なんて歌えないし、歌う気持ちにならないのではないか?」というご質問のような現代人の疑問も、もう一方では生じさせることになったのではないかと思います。 なお、後の時代の「詠み人知らず」には、「作者はわかっているが、差しさわりがあって明らかにできない」というものもあります。有名なものが千載和歌集に「よみ人知らず」として載せられている平忠度の「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」という歌です。平家物語にその事情が記されていて、回答者の高校の古文の教科書にもありました。

noname#247736
質問者

お礼

丁寧に、また詳しくご回答をいただき恐縮です。ありがとうございました。ご回答が分かりやすくて、私にも、内容が理解できたと思いますし、万葉集の奥の深さにますます興味を惹かれます。 むしろ多くの人によって歌い継がれた民謡のようなもので、特定の作者が決められないということではないでしょうか。……わかりました。木簡に書かれた文字を見ても、「当て字」のようで、とても、当時の庶民が書けたとも思えないしという疑問からでした。 「和歌をよむ」という行為の社会的な意味が万葉集の時代と現代では大きく変わっていることです。……そうですね。少なくとも、私よりは、万葉の人々のほうが、教養も感性も豊かだったのだなぁ……と愕然としています。 和歌を詠むことは、~~恋人もできないおそれがあります。こんな切実な動機付けがあれば、当時の若者の大半は、意思伝達の大切な手段として上手下手は別として懸命に歌を詠もうとしたと思います。……切実というか、悲壮な万葉人の「恋歌」でもあったのですね。 「歌垣」……現代でいえば、「婚活パーティ」のようなものかも知れませんが、それ以上に男女間の「文化」といえるものだったのかもしれませんね。 催しを紹介していました。青年男女が民族衣装で、決められた日時に決まった山に登り、まず男性が朗々と歌い上げます。これを気に入れば、女性が歌を返し、これにさらに男性が歌を返し、これを繰り返すというものです。この男女は普通の村人ですが、相手の歌の内容に対して即興で歌い返すことが求められているそうです。この少数民族は固有の文字を持っていなかったそうで、こうした古来の風習を見ても、口承文芸である歌の起源のほうが文字で書かれた歌の起源より古いことは確かで、日本だけではなく「歌詠み率」は文字がなかった、あるいは 文字が普及していなかった時代・社会の方が高かった可能性があると思いますがいかがでしょうか。……そうですね。むしろ「文字」がなかったゆえに、「心」を伝える手段として重要だったし、発展したのかもしれませんね。 「それなりの教養と生活の余裕がないと……「歌」なんて歌えないし、歌う気持ちにならないのではないか?」というご質問のような現代人の疑問も、もう一方では生じさせることになったのではないかと思います。……汗、汗 4000首、すべてとはいかないと思いますが、もう少し深めてみたい……ますます興味が深まってきました。

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