- ベストアンサー
20年前の歴史の教えについて
20年くらい前までは、江戸時代、名字御免、名字帯刀御免の身分の人しか供養塔や、お墓に名字を彫ってはいけなかったと教えられましたが 最近では名字が公称できない人でも墓碑(供養塔含む)に名字を彫っていたと言われてます 20年前くらい前までは、教師や本などは確証もない、でたらめを教えてたんでしょうか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
関連するQ&A
- 新田開発の褒美
江戸時代の初期、大名が転封して、お城に誰もいなくなると、幕府領になり廃城したお城の濠は新田開発で元家臣達により水田になったらしいです ただ、開発したその水田を何故か貰わなかった人もいたみたいです 開発に協力した人は、褒美で名字帯刀(郷士身分?)を与えられたそうです 逆に新田開発に協力しなかった家もあり、その人は名字帯刀を与えられなかったです(後に名字帯刀が許可される) しかし、水田を作るくらいで褒美なんて貰えるんですか? 余談ですが、協力しなかった一部の元家臣の人は、そんな苦労して自分の物になるか分からない水田を作るなんて、メリットがなかったんでしょうかね 協力しなくても豪農になり名字帯刀を許可されたわけですから
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代の苗字帯刀について
おはようございます。 江戸時代に武士以外で苗字帯刀を許される人について伺いたいのですが、 自分でも調べてみたところ、 「豪農」、「藩に多額のお金を納めた」等いくつかの例を知りました。 また、苗字帯刀に加えて「裃着用」、「麻上下着用」等 プラスアルファが許されている家があることも分かりました。 では、「苗字帯刀鎧着用」というのは、 どのような家柄の人に与えられるのでしょうか? ご存知の方がいらっしゃったら教えて下さい。
- ベストアンサー
- 歴史
- 庶民の埋葬法の時代的変遷
仏教と埋葬法は元来関係がなかったかと想像しますが、たとえば江戸時代の庶民などはどこにどのようにして埋葬されていたのでしょうか。戦国時代などは合戦で死んだ人たちの供養塔などがありますが、個人が入るべき墓を各自持っていたのでしょうか。
- ベストアンサー
- 歴史
- お墓の花立て
家のお墓は 供養塔の前に水鉢があり 供養塔の両側に小さめの供養塔、その両外側に小さな石だけの和製墓石の四角いものが並んでいます。 私が若いときに すべての墓石の前に花立てがないと思い ブロックを切って それぞれの墓石の前に花立てを置きました。 今回のお彼岸の墓参りで 妻から「水がたまらず 花が持たない」と言われました。 古い墓で 供養塔の前の水鉢には花立てを立てる穴がなく 今までのブロックを切った花立てを台にしてステンレスの花立てをと思っていますが ネットで探すと2本セットと言うことから 一つのお墓には1セット2本の花立てで良いのかと疑問を持つようになりました。 四角い和製墓石は 石を四角に切り高さ60センチ、幅30センチ 厚さ10センチ余のものです。 山道で見かけるもののような 写真の載せ方がわかれば そのほうが状態をわかっていただけると思うのですが 文章での質問は難しいです。
- ベストアンサー
- その他(生活・暮らし)
補足
ご回答ありがとうございます 真言宗のお寺も江戸時代のお墓に名前が書いてない家は沢山あります。たまに、名字名前が彫られたお墓があります