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哲学、宗教について課題が出たのですがわかりません

koosakaの回答

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.3

黒沢明の「生きる」という映画を昔見た記憶がありますが、もう内容は覚えていません。 で、トルストイの「イワン・イリイッチの死」は今でも鮮明に覚えています。 当時、ドストエフスキーを盛んに読んでいて、ドストエフスキーは死を乗り越えちゃった、という感じでしたが、トルストイは死の前に、不安に襲われ、その不安に恐れ慄いている、という感じでした。 ドストエフスキーはデモニーシュ・悪魔的なのに対し、トルストイは理性的という感じでした。 どちらが好きかといえば、もちろん、ドストエフスキーの方です。 そして私は宗教の本質は、「崇高なもの」「聖なるもの」を求める人間の形而上学的な衝動によるものと考えています。 迷信、科学、哲学のいずれでもないものと思っています。 むしろ情念によるものだと思っています。 そして夏目漱石が、修禅寺に滞在している時に、胃潰瘍によって「大吐血」し、死にそうになったことがあり、その体験の後に言われた言葉です。 意味は、天に則り、私を去る、というものですが、それは朱子学で言われたことで、明治の人は、よく「天」という言葉を使いました。 「お天道様が見ているから、悪いことはできませんよ!」という具合に昔のおばあさんが言っていました。 漱石は朱子学の考えを述べたもので、本心は別にあったと思います。 何よりも私が大事、死んだら困る、と(笑)

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