• 締切済み

哲学と宗教

※ 「宗教」の項目がないのでここに書きこんだんだが別に両者の比較    に関してではない。 =神 / 仏 を120% 否定する立場から言うと= (1) この世に生存する「数十億」の人々は     この世には「神 / 仏がおり、自分たちを見守っている」と信じているらしい。     ここで言う「神 / 仏」とはキリスト教で言うアレであり、芥川龍之介の書いた     「蓮池の周りを散歩していて、ふと池の中をのぞいた」アレを言う。 (2) 問題は、これらの存在を信じている人々が質問者の人間的なレベルをはるかに    「凌駕しているのだろう」にも拘わらず、である。 (3) ある人は「信じられないのはアンタの人間的レベルが低いからだヨ!!」    と言うのかもしれない。     (4) しかし、自分としてはある人の言葉を引用し    「神仏は『いる』から信じるのではなく『信じる』からいるのである」    これ『そのと~り』と言いたい。 (5) 質問者より「優れた人々」はなぜ―    「そんなもの生老病死を恐れる人間のマスターベーションにしか過ぎない」    とは考えられないんだろう?    それらは、ただ単にー    「人間として生きていく道を踏み外さない様に・・!!」という一つの「教え」で    あり、これを「宗教」と言いたいのなら別に構わないが    別の言葉でいえば「倫理~道徳」なんじゃ~なかろうかい? (6) こんな書き込みした質問者は死後「スクルージ爺~さん」が見せられた様な    地獄の住人になるぞ~!!    なんちゅう人がいるかのも知れないが、なにせ「120%否定」だから    なんとも感じない。 (7) 以前にも言ったが、    「弾圧」を受けたキリシタンが雲仙の温泉で熱湯をかけられ    「棄教」をせまられているにも拘らず、    自分のせいで責められ‐苦しんでいる人を救おうともせず    「神は何もしなかった」    これ、どう説明する?‐ 信者は言う「神が試練を与えているのです」    これを日本語では「詭弁~嘘~まやかし」と言う。 (8) 自分の家族だったら極力「バカな事を考えるな」と説得するけど     ま~!! 日本人の中にも「共産党や新興宗教の手先の政党」を支持    している連中もいることだし、    他人の人生~考え方だから別にどうでもいいんだけどネ!!     (9) きっと「存在を信じている人のすさまじい反論」が来るんだろうな~!!.     

みんなの回答

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.2

今よりももっと文明の進んでいなかった頃、諸々の現象を説明するために神という概念が生まれたとするなら、原始や古代よりも遥かにものの理解が進んだ現代において、無神論が旺盛になるのは当然だろう。神という概念を用いなくても諸現象とその成り立ちを説明できるからです。

aksekaksek
質問者

お礼

※ 今日でも白装束を着てホラ貝をならす「山岳信仰」    なんちゅ~のがあるが、まったく理解不能。   証拠はないが「地球外生命体」は絶対いる。(120%)   証拠がないので「神仏」は存在しない。  回答有難う

  • asu3
  • ベストアンサー率5% (1/20)
回答No.1

神が何もしないのは 自由な発想を人間に持たす為・・人が神の奴隷にならない様に・助ける事が出来る場合でも 手を貸さない 一旦手を貸せば 人間は神を崇める事になる・・人間を神と対等の位置に置くには 人間自身で神の位置まで上がればいいだけの事・・

aksekaksek
質問者

お礼

※ つまり、神はいるっちゅ~事かな?    真逆の考え方ですな~!!

関連するQ&A

  • 「哲学」は「宗教学」に近いのですか?

    当カテゴリで、いまだ未締め切りの質問を抱えている者です。 「哲学」がなんたる学問かについては良く知らず、 自分の質問内容が投稿先の候補としていた「心理学」や「国語」には多分当たらないであろうとの 消去法で「哲学」カテゴリに投稿した次第です。 私が投稿した質問はごく日常的な疑問です。。 何人かの方がすぐに回答下さり、とてもありがたく思いました。 しかし、ふと「哲学」カテゴリの質問リスト(回答数も載ってる)をみてみると、 タイトルに宗教的なものが多いように感じたのです。 聖書がどうしたこうした、仏がどうしたこうした、神がどうしたこうした… しかも、宗教的な質問ほど多くの回答が集まっているように見える。 これは私が考えていた「哲学」とは異なる傾向です。 「哲学」は宗教などから離れて、あるいは少なくとも宗教の教え等は第三者的な視点から捉えて、 人間の真理を追究する学問と思っていたからです。 ざっとみた感じなので申し訳ないのですが、 どうにも「哲学」カテゴリが「宗教」に巻き込まれているように思えてならないのです。 たとえば、本カテゴリで興味深い質問をみつけ、少し見てみたのですが、 回答された内容に、「輪廻転生」を前提としたものが複数見られました。 私は「輪廻転生」自体は否定しません。 しかし、「哲学」カテゴリで、 「人間は生き返るのだから大丈夫だよ」などとする意見はどうしても受け入れ難い。 これってまさに宗教的じゃない?気持ちわるーい!と思うのです。 私の「哲学」に対する認識は間違っているのでしょうか?

  • 宗教と無神論者について。

    ちょっとした素朴な疑問です。 良ければご意見お聞かせ下さい。 私は宗教が大嫌いです。 親がどっぷり宗教につかっており、そのせいで虐待を受けたり、命の危機に瀕したからです。 なので、宗教・宗教活動という言葉を聴くと、トラウマで反射的に嫌悪感を覚えます。 しかし、わが家は代々浄土宗ですし、お墓もありますし、葬式も挙げますし、お経も唱えられますし、それ自体に嫌悪感は別に抱きません。 代々家がその宗派でやってきたのなら、私もそれを受け継いでお墓・仏壇を守っていこうと思っています。 死者への弔いの必要性は感じていますし、そのためには宗教が必要なことも解っているからです。 でも、その宗派の教えとかは一切わかっていません。 所謂、何でも願いをかなえてくれるような絵に描いた神や仏がいるとは思いませんが、神社にけば手を合わせますし、仏壇の中には観音様もいます。それらが尊い存在なのもわかります。 クリスマスも祝いますし、北欧神話だって楽しみます。 そういうの全部ひっくるめて八百万の神じゃね?と思ってるくらい、適当ですが。 そして、幽霊は信じます。あまり言うと変な目で見られるので表には出さないのですが、我が家の家計が所謂「見える」家計だからです。 人々が神や仏とあがめるような不思議な存在がいるというのも、信じています。 神社にいくと、小さい境内の中から話し声が聞こえてきたり・・・といった不思議体験を家族でしているからです。 家のほんとすぐ隣にお稲荷さんがいますが、そこでも不思議体験をしているので、小さい頃からその考えに疑問を持ったこともありません。 そんな不思議な存在たちが「守り神」と呼ばれ、尊い存在なのだろうと思い、手を合わせ、頭を下げます。 そんな私を矛盾してるとか、宗教をしないお前は無神論者だと言われます。キチガイだといわれます。 私自信、人間の願いをかなえてくれる神さまって本当にいる!とは思ってませんが、神をあがめることは知っていますし、やっぱり自分の行動・体験を考えると私自信が無神論者だと言われるのはおかしい気もします。 自分でも色々と矛盾しているのはわかるのですが。 私は自分が無宗教者ではあっても無神論者ではないと思うのですが、違うのでしょうか? やっぱり私の考えは矛盾だらけでおかしいでしょうか?

  • 神や仏のいない宗教

    自分は最近、仏教やキリスト教などの宗教全般に対して、以前よりは肯定的に考えられるようになってきました。それは、宗教が精神性の向上と深く結びついていると思うからです。精神を高めること、それは素晴らしい事だと思います。しかし、やはり神や仏など、そういった存在は信じるつもりは一切ない為、宗教というものに馴染めません。そこでお聞きしたいのですが、神や仏といった崇拝する対象のない宗教というのはありますか?

  • 無宗教も宗教なのか

       ある人の考え。 無い神は有るとゆー。 無い神も有る神も等しく神であり同じであるとゆー。 無神論は無い神を信じる宗教であり、無宗教も宗教であるとゆー。 多くの日本人は神にも宗教にも関わりたくないとゆーておるのに、無理やり無い神を持ち出してきて神と関わらせよーとする。 まるでカルトの引っ張り行為である。 結局初めに神が存在せねばならず、神なくしてこの世は成り立たず、全てを神によって語ろーとしているのである。 無神論を含めあらゆる人の活動は宗教活動であると見なすのである。 このよーな考えは何から生まれるのか。 何故このよーに考える必要があるのか。   

  • 宗教の教祖の方々への質問です。

    すべての宗教は、人間の幸せと世界平和をめざされているんだとおもいます。 人間が初めて地球にうまれたころ、神様、仏様は、少なかったとおもいます。 今、あまりにも宗教が多いので、人間は、どれを信じていいか解らなくなっています。 そして、戦争にまでなっているところもあります。 僕は、世界中の偉い神様、仏様、そのお弟子様たちが、話合ってくだされば。 簡単に、一つにまとめることができるんではないかと思うんです。 そうすると、人間にもっと解りやすくなるんではないかと思います。 なぜ、人間に教える前に、お集まりになって話合っていただけないのでしょうか。 最近、最初の神様、仏様が、嘆き悲しんでいるような気がしてならないんですけど。

  • 宗教者は他の宗教の存在を許せますか?

    宗教を信じている人は他の宗教との関係をどのように考えているのかおたずねします。 例えば、AさんとBさんは友達で、AさんはXという神様をBさんはYという神様を信じているとしとします。もし本当にAさんがX神様を信じているなら「Bさんは神様でないものを信じている」とAさんは考えると思います。Bさんのためを思えば、X神様を信じるようにBさんを説得すべきと考えるのではないでしょうか?また、BさんもY神様を信じるようにAさんを説得しようと考えるのではないでしょうか? もし「個人には信教の自由があって好きな神様を信じればいいのだ」とAさんが考えるとするなら、AさんはX神様のことを本当は信じていないと思うのです。この世を創造し、人間を創造したのはX神様とAさんが考えているなら、X神様を信じるほかのありようはないからです。もし、個人の自由というなら、それは、神様より上に個人の人権とか自由を置いている証拠です。 私はなにも宗教戦争をしろというわけではありません。本当に信じるということを追求すると他の宗教の否定になりそうに思うので、これを回避するにはどんな考え方をしているのかお聞きしたいと思って質問します。あるいは、それを回避するのは難しいので深く考えないことにしているのでしょうか?

  • マルクス宗教論

    マルクスの宗教論では、 神や仏とは人間の本質、美徳が 対象化された物であるわけですし、 宗教の信者は自分で自分を 拝んでいるという事になりませんか?

  • 宗教について (文章が長いです…

    みなさんの意見を聞いてみたくて質問してみました。今、宗教の存在は人間に何をもたらしているのでしょうか?また、人間にとってこれから必要なものなのでしょうか? 当然、宗教にはいいところも悪いところもあると思います。しかし、悪いところのほうが多いように思えるのです。 まず、宗教間の対立です。これは、無意味なものだと思います。自分たち人間の作り出したものの下で対立するなんて・・・そしてそれに何の意味が?と思います。   最近では新興宗教の批判サイトとかもたくさんあります。色々とそういうサイトなどを見てきました。もちろん、新興宗教に悪いところもあると思います。当事者同士としては重大な問題なんでしょうが、客観的な自分の視点から見ると非常に馬鹿らしいと思うのです。批判しあって生きているより、普通に生きてたほうが、絶対に楽しいと思います。人がどう生きてもその人の勝手だとは思うので、僕がどうのこうのいう問題ではないと思うのですが、やっぱり意味がないと思います。そして、新興宗教の場合はその親に生まれた子どももかわいそうだと思います。ほかにも問題はいろいろとあると思います。 宗教という概念がなかったとしたら、宗教にまつわるいろいろな問題はなくなるかもしれません。神や仏などの考え方があるからそこに、新興宗教のようなものができてしまうのではないかと思います。しかし、宗教にもいいところはありますし、中には争わない宗教もあると思います。そして、信じるということはとても大切なことだと思っています。 だけれども、今は、悪い部分が大きすぎると思います。 宗教は確実に人を幸せにしているのでしょうか?また、もし宗教がなくなったとしたら世の中はどう変わるのでしょうか? 非常に変な考え方をしていると思うんですけど、気にしないでください。不快だった人は文句書いてもいいです。また文章が下手ですみません。

  • 【宗教・みんなが知らない仏神の世界】

    【宗教・みんなが知らない仏神の世界】 仏に顔や手が大量に着いている仏像がある。 なんと仏はドラゴンボールのフュージョンのように複数の神が合体して1つの神になることが出来るのだ。 だから四面の仏神は多方面の人々を見通せるために顔が4つあるんじゃなくて4つの神が1つの神に合体している状態を表す。 手が三十三観音も人々を大量の手を差し伸べているんじゃなくて33の神がフュージョンしていて中に33の仏の名前があるはず。 三十三観音にフュージョン(合体)された仏は何なのか記録は残っているのでしょうか? そういう手がいっぱいの神様がいたのかと思ったがいっぱいの神様を作るのがしんどいので一体に纏めて作ろうというノリだったのだろうか? それとも合体させる理由がちゃんとあるのだろうか?

  • 共産主義と宗教についてお教えください。

    私は共産主義と宗教、両方とも詳しく知りませんが、共産主義をつくったマルクスが「宗教は麻薬だ」というようなことを言ったと聞きました。 もともと共産主義は宗教を否定する考えなのでしょうか? ソ連の時代、キリスト教が弾圧されたと聞きましたが本当でしょうか?少しだけネットで調べたのです がそのようなことがあったと書いてありました。 中国でも政府がチベットを弾圧するブラッドピットの映画をDVDで観たことがあります。 私は現在のところ、特定の神様や仏様を信じていませんが、初詣のときなど、神社やお寺に行ったときは拝んでしまいます。 神様や仏様を信じるかどうかは自由だと思うのですが、共産主義は、なぜそれを否定するのでしょうか? すみませんがお教えいただけましたら、助かります よろしくお願いいたします。