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先の戦争について、日本の主たる戦争目的は?
先の戦争において、日本の戦争目的を「自存自衛」ではなく「陸軍の面子」が本音であるとそれらしい文献まで付けて語る方がいますが、それらが根拠になるとは到底思えません。 戦争の主たる目的は「自存自衛」であり、その目的を達する為に南方占領を資源確保を図ろうとしていたことが明らかです。 その為に海軍も戦争の門を開いたのだと思います。 なぜ、山本五十六は敵海軍の本丸である真珠湾を攻撃したのか? その理由を辿ると、「陸軍の面子」を立てようとする要件など何一つもありません。 私も日本人ですから「面子」を理由にする気持ちは理解できます。 しかし、同じように海軍にも「面子」があったと思うのです。 「陸軍の面子」が、戦争の主たる目的なら開戦当初の全作戦に海軍が介入しても、最終的に陸軍に結び付かないとならない。 果たして真珠湾攻撃部隊に陸軍は真珠湾を攻略する為の部隊がいたのでしょうか? 真珠湾攻撃成功を理由に山本五十六は二次攻撃をせず攻撃部隊を帰還させたが、何故、陸軍は反対もせず真珠湾を占領しなかったのでしょうか? 以上、疑問が残りますが、上記の疑問は質問ではありませんので回答不要です。 この先が質問です。(2問あります) 1問 「南方占領地行政実施要領」は、日本の戦争目的を示す根拠の一つとなりますか? 『南方占領地行政実施要領』 https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C12120152100 第一 方針 占領地に対しては差し当り軍政を実施し治安の恢復、重要国防資源の急速獲得および作戦軍の自活確保に資す 占領地領域の最終的帰属ならびに将来に対する処理に関しては別に之を定むるものとす 第二 要領 一、 軍政実施に当りては極力残存統治機構を利用するものとし、従来の組織および民族的慣行を尊重す ニ、 作戦に支障なき限り占領軍は重要国防資源の獲得および開発を促進すべき措置を講ずるものとす 占領地に於て開発又は取得したる重要国防資源は、之を中央の物動計画に織り込むものとし、作戦軍の現地自活に必要なるものは右配分計画に基き之を現地に充当するを原則とす 三、 物資の対日輸送は陸海軍に於て極力之を援助し、かつ陸海軍は其の徴傭船を全幅活用するに努む 四、 鉄道、船舶、港湾、航空、通信および郵政は占領軍に於て之を管理す 五、 占領軍は貿易および為替管理を施行し特に石油、護謨、錫、「タングステン」、「キナ」等の特殊重要資源の対敵流出を防止す 六、 通貨は勉めて従来の現地通貨を活用流通せしむるを原則とし、已むを得ざる場合にありては外貨標示軍票を使用す 七、 国防資源取得と占領軍の現地自活の為民生に及ぼさるるを得ざる重圧は之を忍ばしめ、宣撫上の要求は右目的に反せざる限度に止むるものとす 八、 米、英、蘭国人に対する取扱は軍政実施に協力せしむる如く指導するも、之に応ぜざるものは退去其の他適宜の措置を講ず 枢軸国人の現存権益は之を尊重するも、爾後の拡張は勉めて制限す 華僑に対しては蒋政権より離反し我が施策に協力同調せしむるものとす 現住土民に対しては皇軍に対する信倚観念を助長せしむる如く指導し、其の独立運動は過早に誘発せしむることを避くるものとす 九、 作戦開始後新に進出すべき邦人は事前に其の素質を厳選するも、嘗て是等の地方に在住せし帰朝者の再渡航に関しては優先的に考慮す 一〇、 軍政実施に関連し措置すべき事項左の如し イ、 現地軍政に関する重要事項は大本営政府連絡会議の議を経て之を決定す 中央の決定事項は之を陸海軍より夫々現地軍に指示するものとす ロ、 資源の取得および開発に関する企画および統制は差当り企画院を中心とする中央の機関に於て之を行うものとす ハ、 仏印および泰に対しては既定方針に拠り施策し、軍政を施行せず情況激変せる場合の処置は別に定む 備考 一、 占領地に対する帝国施策の進捗に伴ひ、軍政運営機構は逐次之を政府の設置すべき新機構に統合調整または移管せらるものとす 2問 昭和26(1951)年5月、アメリカ上院の軍事外交合同委員会で、ダグラス・マッカーサーは以下の2つの重大な発言を行なった。 (1)日本の戦争は「自衛戦争」であった (2)アメリカが過去100年に太平洋で犯した最大の政治的過ちは、共産主義者が支那において勢力を増大して行くのを黙過してしまったことである 上記の2つの発言の内の一つである 「日本の戦争は自衛戦争であった」についてです。 原文と和訳は以下の通り "There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin. They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore in going to war was karagely dictated by security." 和訳: 「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もないのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い。錫(すず)が無い、ゴムが無い。それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。したがって、彼らは戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてだったのことだったのです」 果たして、このマッカッサーの証言は、日本の戦争目的を「安全保障」=「自衛戦争」或いは「自存自衛」とすることは有効ですか?
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お礼
有り難う御座います。
補足
仰る通り戦争目的は一つではありません。 しかし、当時、何もしなければ内乱等が発生しそうなほどに国内情勢も危機的状態でした。 私は「陸軍の面子は否定してません」や「面子は日本人にとっては重要です」と、どなたに対してもコメントを述べているのですが困ったものです。 本当に対米戦争の主たる目的、つまり、「陸軍の面子」が他の何よりも優先されると言うことですか? 私の問は、目的は目的でも「主たる目的」なのです。 「陸軍の面子」も戦争目的の一つですよ!それは「対米戦争」より、寧ろ「日中戦争」の継続です。「日中戦争」の泥沼化は間違いなく「陸軍の面子」が台頭ではないか?と思っています。 また、「海軍の面子」もあっただろうし、燃料が無ければ船はただの鉄くずです。「海軍の面子」について何も思わないですか? 私は先の大戦以降長い年月を経て、ようやく日本の戦争目的は概ね達成したと感じてますね。