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「ドン・キホーテ」「時制」

岩波文庫6冊セット、牛島信明訳のドン・キホーテを読んでいます。 後篇に入りました。 前篇の最後では、「作者」(ベネンヘーリ)が古文書を探すなどしていて、ドン・キホーテとサンチョは「作者」(ベネンヘーリ)と同時代人ではなく、昔の人ということだと思うのですが(むろん「訳者」のモーロ人、「第二の作者」セルバンテスとも同時代でなく)。 後篇に入ると、「前篇が出版された」時代にあってドン・キホーテとサンチョが生きているということになり、時制がわからなくなりました。 どういう理解をすればいいか、ご教示頂けないでしょうか。

  • 0407
  • お礼率88% (305/345)

みんなの回答

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2800/7250)
回答No.1

ちゃんと読んでいればおかしくないはずですけど、そもそもこの作品は「パロディ」なんですね。 その揶揄される原典は何かというと、騎士道物語なんです。あんな馬鹿みたいな、物理的にあり得ないような英雄談なんてどこのバカが読むんだというところからスタートしています。 そして、モーロ人ですが、英語圏ではムーア人と呼ばれる、アラブ系のものごとをよく知っている知者から、こういう考えの行動をした人間がいたんだという話を聴いたということで話がほぐれていきます。 このモーロ人は、今はその民族名で行動している人が少ないけど、スペイン人からみたら仰ぎ見るような偉大な存在なんです。老師といっていい。 この人のいうことを聴いてまた聞きで書いているという設定がドン・キホーテの前半です。揶揄するのは既存の騎士道物語でよかった。 ところが、意に反してとんでもないベストセラーになってしまったんですね。ドン・キホーテ、という作品自体がとやかく言われるようになってきた。 そこで、セルバンテスは、自分の立ち位置を「読者」において、ドン・キホーテをパロディする書き方に替えた、というのが後半部です。 当然自分はドン・キホーテの読者に過ぎませんから、つじつまが合わない状況にして平気なんです。表現について文句をつけばいいのですから。 ラ・マンチャの隠居のじいさんも、それに付き合う介護のサンチョも、近所の小汚い女のドルネシアも、単なる登場人物に過ぎず役をふられているだけです。 じいさん死ぬまで書かなければならない、というだけです。 そういう本なんですよ。きっちりした小説だと思って読むものではないのです。 やや似たものに「吾輩は猫である」があります。最初は仲間内の読み聞かせ会のために書いたおちゃらけ原稿だったのですが、あまりの人気ゆえ、きっちり書かざるを得なくなり、そのうちこれだけを命としてやっていいもんかと思うようになったんですね。 俳句のような小説を書きたいと「草枕」を作ったけど、どうも違う。そもそも読んだ人間がどこまで理解できるんだこれを、というように考えられる。 悶々としているうちに、突然猫が行動を変えるんです。 いままでは単純に主人の家族と弟子たちがやっていること語っていることを傍目で見ながらへへんと語っていた猫が、突然9章になって、くしゃみ先生に成り代わってその人の思想を語りだしたんです。 つじつまなんて無視しています。主人の思想がなぜわかるかというと自分程度になったらその程度の能力はあるんだ、と逆切れ起こしています。 そんなこんながあって、結局猫が死んでくれないと終わらないという状態にまで話を追い詰めたんです。

0407
質問者

お礼

ありがとうございます

0407
質問者

補足

ありがとうございます。 お教示の点は理解できました。 しかし、読み進め、また、前篇の最後なども読み返しますが、どうしても、【後篇に入り、「前篇が出版された」時代にあってドン・キホーテとサンチョが生きている】ので、作者、登場人物の時制、位相が理解できないんですよね…。

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