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日本の城は表面も木造

日本の城は石垣の時代になっても大手門等木造です。 油かけて燃やしてまう戦術とか表面を金属か石で装甲する構想とかなかったのでしょうか?

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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.3

つい最近、姫路城を見てきましたが、扉が鉄で覆われた門をいくつか見ました。 手元にある文庫版の『写真ガイド姫路城』(神戸新聞社発行)を見ますと、築城当時の門が21門、現存しているそうです。 この本では、「に」「ほ」「との二」「ぬ」の門扉が鉄製(鉄で覆われた扉の意味で以下同じ)です。 木製、鉄製に注目して説明されているわけではないので、他にも鉄製門扉があるかも知れません。 要所に鉄製門扉があるということは、「火攻め」を想定していたと、言えるのではないでしょうか。 天守や長局(百間廊下)など建物内にも鉄製の扉が多数ありますが、これらは防火のためだと説明されていました。 また、長局の長い廊下には天井板がありませんが、これは板を張ると万一の出火時、延焼しやすくなるからだそうです。 太い柱は容易に火がつくことはないとのことで、納得しました。 攻め手側もこんな事情はよく知っているので、大きな城を落とすには、「水攻め」「兵糧攻め」が有効と判断したのでしょう。 残念ですが、大手門は現存していません。 今の大手門は 1938 年再建のもので、位置や大きさは本来のものと異なるそうです。 上記の本を抜き書きします。 「ぬ」の門:備前丸の西南隅の石垣と、「りの二」渡櫓の石垣の間にある本丸西南曲輪の正門である。城内唯一の三重の櫓門。(中略)「りの二」渡櫓は、鉄砲火器の威力を避けるため、城外側は石垣壁となっている。 「ほ」の門:城郭独特の城門で、片開きの黒鉄張りの門扉を吊っている。 (回答者注:門柱にも鉄板を張っています。) 「との二」の門:搦手口の門で、柱抱巻金物、扉八双同饅頭金物、柱頭飾板の形式紋様は慶長年中の様式。 画像検索したのですが、門は写っていても扉が鉄製とはっきり分かる例は少ないです。 「に」「ほ」の門。 http://himejikankou.info/himejijyou/ninomonhanomon/ 「ぬ」の門。 http://nao-d.com/blog/2017/02/06/post-1519/ 「水の五」門。(上記の本には鉄製の記述なし。写真でははっきりしませんが、門柱、冠木、扉などが鉄板で覆われています) http://himejicastle-tour.jp/?page_id=44 門の位置。 http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/enjoy.html

jkpawapuro
質問者

お礼

なるほど鉄の装甲どころか丸ごと鉄製ですね、そしてそうなると必然的に重くなりすぎるので小さくなりますね。 本当にきっちり作りこんだ城は鉄の門なんですね。 それにしても丸ごと鉄製とは、木に鉄板貼るのではなにか問題があるんですかねえ? 大変参考になりました。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (3)

回答No.4

#3です。 私の説明ミスです。お詫びして訂正します。 「門扉が鉄製(鉄で覆われた扉の意味で以下同じ)です」と書いていますが、正確には「木製の扉の全面を鉄板で覆い、鋲止めで固定した」という意味です。 ただし、「との二」の門扉は、全面ではなく、角部のみ鉄で覆っています。

jkpawapuro
質問者

お礼

私の誤読でした、小さいのでつい全鉄製に見えました。

  • glee-glee
  • ベストアンサー率30% (127/410)
回答No.2

その時代に油ってそんな大量になかったんじゃないですか?油作りも大変そうだし何か貴重な物のような気がします。 表面を金属か石って言うのも、石だと逆にザラザラして登りやすくなって攻め込まれやすくなりそうだし、金属も当時あったとは思いますが、城の表面を覆えるほどの量と加工技術はないと思います。

jkpawapuro
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 油が貴重とのご指摘ですが、戦争で火矢や焼玉が使われている以上、油がないから不可能という答えは無理があるかど思います。 城全体は漆喰と瓦で覆われてて火責めは難しいが、門だけなら燃やせるのではと思いました。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10498/33021)
回答No.1

>油かけて燃やしてまう戦術 映画などで落城シーンといえば城が燃えているというのが定番であるように、大抵の場合は戦争しているとどこかで火災が起きるものです。それこそ鉄砲が生まれる前から火矢などが使われていました。 しかし火攻めというのはこう、なかなか思い通りにならないものです。典型的なのが幕末の江戸で起きた上野彰義隊の戦いで、当時の家屋は茅葺きのものも多かったので、彰義隊側は焼き玉といって火で熱した砲弾を市内に撃ち込んだんですね。その熱で放火させるためです。ところが前日までずっと雨が降っていたので家屋は濡れていて全然火が付かなかったらしいんですね。 また、もし風向きが向かい風ならむしろ火の粉がこちらに飛んできて危ないともなります。そして多くの近代城では屋根が瓦屋根になっていますから、瓦に火をかけてもなかなか燃えないですね。 ついでにいうと、可燃性の油を取り扱うのはこちらにとっても危険というのもあります。太平洋戦争の映像で米兵が火炎放射器を背負っているのを見たことがあると思いますが、火炎放射器は背中に液化ガソリンタンクを背負っているのですが、これに弾が当たると引火してカチカチ山になるので、日本兵は火炎放射器を見つけたら狙って撃ったうえに火炎放射器は敵の20メートルくらい近くまで近寄らないといけないので米兵もみんな火炎放射器を背負うのは嫌がったんですって。 西郷どんでいずれやるであろう西南戦争のとき、熊本城も戦場となりましたが、そのときに天守閣は焼け落ちています。失火が原因とされていますが、おそらくは戦闘中に燃えると危険なので政府軍側がわざと焼いたのだと思います。明治の戦争に天守閣は不要だからです。ですから熊本地震で天守閣は大きな損害を受けて皆さんショックを受けていますが、あの天守閣は明治時代に再建されたものではあるのです。 日本の戦国時代は、大砲がほとんど登場しないままに終わりました。大砲は攻城砲として発達したものでして、日本の戦国時代の合戦で大砲がモノをいったのは大坂冬の陣だけです。天守閣に直接大砲を撃ち込んで、女中に死者が出て淀君がビビったというアレです。 そのため、大砲による攻城戦術というのが行き渡らないうちに平和な江戸時代となり、各地に残るお城は「大砲が登場しなかった時代」のいうなれば時代遅れのノウハウがそのまま利用されたんですね。とはいえ、西南戦争では熊本城はその堅城ぶりを発揮したのですが、戦闘は本丸どころか二の丸、三の丸より外で行われたので加藤清正の細かいノウハウは関係ありませんでした。熊本城は南西方向にほぼ唯一の弱点があって、西郷軍側も当然そちらから攻めましたが、守る政府軍側もそこが要となることが分かっていたのでそこに精鋭部隊を配置し、防衛に成功しました。 木造建築物は、外部からの火の攻撃を防いでも、防衛側の間抜けな誰かがロウソクの灯りを倒しただけで火災になるリスクがありますから、完全に火災を防ぐことは不可能です。江戸城を始め、大火で焼失したお城も存在します。

jkpawapuro
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 落城で燃えるというのは失火もありましょうが、どちらかというと守備側が自刃の時間稼ぎに自分から火をつけてる印象がありますね。 城全体は漆喰と瓦で覆われてて火責めは難しいが、門だけなら燃やせるのではと思いました。

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