• 締切済み

信仰について

キリスト教の信仰に疑いを持って真剣に悩み、 最終的に棄教した、あるいは信仰を維持したなど、 そういう事をテーマにした おすすめ本があったら教えてください。

みんなの回答

回答No.4

アンチクリストス。

kirakiraaruku
質問者

お礼

ニーチェの本のことですか? ありがとうございます。

回答No.3

 信仰は、自分自身に問いかけるものです。ですので、キリスト教なら聖書を読み込むことでしょうか。目先を変えたければ、親鸞について書かれた書籍はいかがでしょうか。85歳になってもなお、「真実の心(しん)ありがたし」(正像末和賛)の中で、悲痛な叫びを書いています。

kirakiraaruku
質問者

お礼

ありがとうございます、親鸞にも興味があります。

  • stmim
  • ベストアンサー率24% (57/236)
回答No.2

破綻した神キリスト   2008/4 バート・D. アーマン (著) 著者は著名な聖書学者です。 キリスト教について真剣に悩んだ末に棄教してしまいました。 これは彼が悩んだ神義論について書かれた本です。 神義論とは神が存在するのにこの世に悪があったり、災害が起きるのか?という疑問に関する話です。 神が人間を愛しているなら、悪や災害によって人間が苦しんでいるのをみて放置しているのはなぜか?こうしたテーマについて書かれています。

kirakiraaruku
質問者

お礼

ありがとうございます、確かに、現世をありのままに眺めれば、 神議論を信じるのは難しいかもしれません。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10482/32972)
回答No.1

それなら、遠藤周作の代表作でもある「沈黙」でしょうね。ただこの作品、最終的に棄教する話なのでキリスト教徒には評判が悪い小説です。

kirakiraaruku
質問者

お礼

ありがとうございます、読んでみます。

関連するQ&A

  • カトリックの信仰について

    最近キリスト教(特にカトリック)に興味を持って調べ始めました。 カトリックでは、洗礼を受けた信者の方はその教会に属するということを知りました。 そこで浮かんだ疑問なのですが、例えば、洗礼を受けたけれども、信仰がうすれてしまったなどの理由で教会に通うのをやめる方もおられると思います。 そういったクリスチャンは教会には無所属となるのでしょうか。「●年通わなかったので除名」といった扱いはあるのでしょうか。 カトリックに興味を持ったきっかけが日本史で、よく「棄教」という表現がされているため、時代が違えどもカトリックに棄教という考えがあるのかどうか、また、信仰をやめることについてどのように捉えられているのか、を知りたく思っています。 クリスチャンの方にとって失礼な質問ではないかと思いますが、調べても分からなかったので、こちらで質問させていただきました。 宜しくお願いします。

  • 信仰書について

    知恵を下さい 今、キリスト教の信仰書、注解書を探しているのですが、キリスト教書店においてない、古い本のケースでお聞きします。再出版されるケースのない本についてお聞きします。図書館や、キリスト教の古書店にもないケースで読みたい本がある場合については、どうやったらいいでしょうか? 少しこのことで悩んでいます。結構信仰書読むんですね。それで質問した次第です。

  • キリスト教を信仰されていらっしゃる方に質問です!

    はじめまして!現在大学に通っている者です。 キリスト教の授業でレポートの課題が出ており テーマが『キリスト教の信仰を持っている方の話を伺う』 という課題なのです。 私の周りにキリスト教を信仰されている方がいないので ここで信仰していらっしゃる方のお話を伺いたいと思い 質問させていただきました。 その質問内容は・・・ (1)信仰するようになったきっかけ (2)現在通っている教会の特徴(建物や内装何でも良いです) (3)信仰を持ってよかったこと (4)信仰を持って悪かったこと (5)家族や友人に対して心がけている点 です。 他に信仰をしていての体験談があれば教えていただきたいです。 お返事よろしくお願いします。

  • スペインでのマリア様信仰

    スペインでのマリア様信仰が厚いのは何故でしょうか。 マリア様信仰はキリスト教がゲルマン民族に布教する際に地母神と重ねやすいために利用された、と何かの本で読んだのですが、そうであればゲルマン民族であるドイツのほうがマリア信仰が厚くなるのではないでしょうか。 またスペインはイスラム民族に支配された時期があり、もともとイスラム教を信じていた人たちに改宗させるには、“一神教”父なる神イエスのみのほうが受け入れやすかったのではないかと考えました。 どなたかご存知の方、教えていただけると嬉しいです。

  • 信仰義認論について

    ルターの信仰義認論について教えてください。 私が読んだキリスト教の雑学本によると義認論が成り立つ根拠として「神が人になった」と書いています。 しかし「神が人になった」という意味がいまいちわかりません。 そこで、  ・「神が人になった」という意味、  ・これからなぜ義認論が出てくるのか を分かりやすく教えてください。

  • 100%の信仰ではありません。(キリスト教徒)

    3年前に洗礼を受けたプロテスタントのキリスト教徒です。 教義に疑問を抱き、1年半ほど教会を離れたあと、3ヶ月ほど前からまた教会に通うようになりました。 ですが、教会や牧師の教えに、100%頭から同意するという気持ちは、今もありません。 たとえば、自分は輪廻転生はあると思いますし、他の宗教の教えにも興味はあります。他の宗教を否定する気持ちは全くなく、共通するところや、互いに学べるところがあると思います。 聖書に関して曲解もあるような気がしてなりません。 つまり、イエス・キリストのことは大好きなのですが、 人間のつくった教義に対しては、不信をいだいてます。 聖書を読みつつも、精神世界の本や、ヒンズー教、仏教のことも少し勉強しています。 聖書以外にメインで読んでいるのは、パラマハンサ・ヨガナンダ氏の著作です。彼の設立したSRFなる団体にも顔を出しましたが、すでにヨガナンダ氏の理想とは離れた集団になっていると思われたため、行くのはやめました。 自分がこのように考えるのは、 信仰への興味が薄いのではなく、信仰を真剣に考えた結果です。 しかし、このような考えを持っていることは、教会の人には言えないまま、申し訳ない気持ちを抱えつつ、少し距離をおいたつきあいをしています。 本当はもっと仲良く付き合いたいのですが、このように隠し事をしている状況では、居心地も悪く感じています。 また、隠したままでいるのが心苦しいだけでなく、自分の考え・状況を理解してくれる人がほしい、と思います。 自分の状況を、クリスチャンの人に話してみるか、 キリスト教会とは別に、またスピリチュアルな集まりなどに、どんどん顔を出してみるか・・さらに秘密が増えてしまうわけですが・・ 一人で信仰を求めようとして教会を離れたこともありますが、 うまくいかず、自分は一人でやっていける段階にはない、ということもよく分かりました。 信仰の仲間といえる人が欲しいのです。 うまくまとまっていない質問文ですみませんが、 アドバイスをください。お願いします。

  • 批判的信仰と言うべきものがあるのではないか

    批判的信仰と言うべきものがあるのではないか。 実例を述べます。 聖書が著された背景とは神に懇願し神のみしか解決できない困難のさなか、待望の救世主が現れた、その救世主は生きた神として信仰を集め人心を集めたが、人があくまでも自らで解決しないで、神に責任を問う風潮に押しつぶされてしまい、家畜人の反乱を扇動した罪人として神の血を流し処刑される。 この現象は神が待望された風土で突如現れた神そのものが、神であるゆえに神を待望した人々によって死に至らしめられる。 神は願いをかなえるために救世主を使わしたが家畜人の間違った信仰により神が人の強欲に打ち破られる。 そのようにして克明に刻まれた記憶は、家畜人である事は神にすらも救えない、それは家畜人が最も恐れる滅びの子そのものであり、滅びるのは自らであると言う証拠では無かったか。 もう一度救世主が現れ同じように血を流すことはない。 見放されたことを証明するのが審判の日だ。 天国とは生きとし生きる者にとって幻なのだ。 家畜人はあくまでもそのように信じているからこそキリスト教はでかい面をしている。 批判的信仰すなわち反逆がキリスト教なのだ。 羊である事に安らぎを覚える彼らはあくまでも神を辱める。

  • キリスト教系私学不合格後の信仰

    キリスト教系私立小学校目指して1年子供と切磋琢磨しましたが不合格でした。 その中で教会に導かれ、自分も洗礼を受けようと聖書の教えを学んで いたのですが不合格になったことによって夫より 「神様にお願いすれば叶うんじゃなかったのか?(嘲笑)」 などと信仰に対して心無い言葉をかけられてそれがきっかけで 教会へ行くことができなくなってしまいました。 今回の不合格によって信仰することを無駄、馬鹿げた事と思われて しまったようです。 そして私にも確かに神様を信じていても、落ちてしまったことにわだかまりが 出来てしまいました。 今後私が家族の反対や自分の中の不信感に打ち勝ち信仰を持つにはどうすればよいでしょうか・・・。

  •  信仰する宗教をどこにしようか迷ってます。選択のヒントを学びたく質問し

     信仰する宗教をどこにしようか迷ってます。選択のヒントを学びたく質問します。 現在、起業するという目的に向かって毎日を生きています。その過程で様々な本を読み漁ってきたのですが、その中で一番私の心に「ストン」と落ちてきた本を座右の書として、日々、起業に向かって一つ一つ毎日のやるべき事に取り組んでおります。いわゆる人生指南書、といいますか、成功哲学に分類される本です。  今までの私は宗教には無関心で、自分が何を信仰しているのか、考えた事もありません。20代の頃は上段半分で「俺は俺という宗教の教祖だ!」などと訳の分からないことを口走ったこともありました・・・ ま、それはおいておきまして、このたびの「迷い」に至ったきっかけは、(1)ある宗教を信仰している友人と「信仰」に関して深く話をした(彼の話は客観的に聞きました。彼の考えに対しては、あるがまま、素直に耳を傾けました。)それをきっかけに、(2)今自分が座右の書としている著者の信仰していた宗教はなんだろう?その著者のルーツ(宗教にあると仮定しております)である宗教に触れることで更に学ぶ所があるのではないか?・・・とそんな感じです。 調べた結果、著者はカトリックだったらしいです。 最終的には何にしても決めるのは自分。結果の原因も自分。 信仰に完全に依存するつもりは毛頭ありません。 人生の目標を達成するための手段として、いままで明確ではなかった自分の信仰心をはっきりさせて見ようかな、と思ったのです。 そもそもこんな目論見で選ぶなんてどうなんだろう?なんてことも考えたりしますが、 皆さんのご意見をお聞かせください。

  • キリシタンの信仰神は?

    この間のNTVの「時空警察」でも同じ疑問を感じたのが日本でのキリシタンが十字架を握りしめて「ゼウス様」と唱えた事です。 ゼウスはギリシャの神話に出てくる最高神ですよね。 日本にキリスト教を広めたのはポルトガル人のザビエル、確かイエズス会だった筈です。 踏み絵の様にマリア信仰なら分かるのですが、何故ゼウスなのかよく分かりません。 教えてください。