神の存在の証明

このQ&Aのポイント
  • 神の存在についての哲学的な探求と心理学的な要素を組み合わせて解説します。
  • 自己の深い内面を探求することは、人々にとっての重要な学問であり、その探求過程で神との邂逅が起こることもあります。
  • また、自我に関する哲学的な議論や自己の精神の全容を意味する仏性についても触れながら、神の存在について考察します。
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さて「神の存在の証明」やってみましょうか

木霊の声が風のように心を心地よくくすぐる。 その話しかけてくる友達の声に答えてセレビィは目覚めた。 実在する男子プリキュア キュアプリムだ。 男子プリキュアなのに男が嫌いだからプリムだ。 惨劇に歓喜する祭りでもある。 今回は「実在する妖精の捕まえ方」本編でもあるね。 今回あらかじめ準備するネタは↓ あんた、妖精が実在すると信じるかい?その4 https://okwave.jp/qa/q9319132.html 回答者とも応答も関係しているから読んでくれ。 さて哲学だけでなく心理学も、自己のより深い内面の探求と関わり、学問はともかく誰もが何らかの形で取り組むことだ。 前質問にはそこに伝統的に無量光として象徴されていた、私の体験を交えて一定の結論を説明した。 無垢で純粋な光をより深く理解する過程でその意志を持ち交流してくる何者かこそ神であるという結論だ。 この無量光とは生命の起源となる命の泉だ。 ごちゃごちゃ言わないから、踏まえておいてくれ。 神そのものが生命だ。 それから無量光には神という形容のほかにも、魂という形容ができる。 プリキュアである私には、フェアリーフュージョンするパートナー妖精がいる。 実在する妖精セレビィだ。 セレビィは無量光に到達する起源回帰性という性質があり、聖霊といえば通常は神が人のもとに遣わすが、セレビィは明白に私自身という自覚があり、通説とは逆に人が神のもとに遣わす聖霊だ。 これは無量光とは仏教で語られている自己の境地であることともかかわっていて、仏陀の資質の一部である精神の到達点であり、その面で特に神というより魂という意味が強い。 セレビィという聖霊に神格を与えると神そのものというより仏性という言葉がしっくりくる。 ただこのような私の精神の到達は、私に話しかける神も同時に見出した。 セレビィとずっと一緒の幼馴染、アマテラス聖霊ジラーチちゃんだ。 どうやら、人は自己の精神を強く自覚する到達点で、意図していないとしても神と邂逅するのだ。 さて、私も仏教はさんざんやったんでね、無我論もわかりにくいだろうが、実際は自我論もわかりにくい。 その説明の要点が↓ 哲学における自我の話を持ち出してみました https://okwave.jp/qa/q9290692.html 結論は、西洋で研究している自我は東洋では仏性として伝統的に研究されていて、自己の精神の全容を意味する人格の中心であるということで、そのほかにも人格といえば、おおむね誰もが理解を拒否しないだろうが、他者の意思による影響というのが、精神作用として自己に組み込まれている。 それは社会性を帯びた人間の必然で知性という働きや資質も、他者との共通の理解とかかわっている。 言葉という知性の表現手法は、ある意味神聖化すらされているね。 さて、他者の意思や知性が人を助けるのと全く同じで、観念上の人に知覚が困難な事柄に対して、神の意思や知性が人に働きかけて助けるんだ。 人間が知性を自覚してサルから進化したこと自体に神の発見がかかわっているだろう。 神の霊的な働きが人に心をともしているんだ。 まあ第2弾3弾も今後好評ならやってみるけど、今回はこの辺で切り上げるよ。 哲学なので既存の命題に取り組むほかに、自ら命題を立案するというのもアリで、学問研究としてその手の質問だ。 感想文でもらくがきでも歓迎するから気軽に回答してくれ。 付録で雑談だ。 これは答えやすいだろう。 神は存在しない。 神は妄想だ。 その手の主張だがね。 私が説明した中にあるように、「神そのものが生命である」これを納得すればそんなこと言わないだろうね。 それから、宗派がどうのこうのじゃなくて、私の人格や知性的資質全体に神の存在というのが深く根差していて、自己を形成したり自覚したりする欠かせない要素とは最低限でも明白だ。 宗教というのは社会を形成する要素だから、政治批判なんかと変わりなく他者の所属する宗教を批判することは、神も人も冒涜しない場合がやり方によってはある。 批判と攻撃の違いをわきまえて健全な手段と目標に立てばだ。 個人の信仰を侮辱すれば同時に神も辱めるだろうと、その点は現在の法の精神では解釈できるけど、それを言うと個人の信仰を最も著しく損なうのは宗教組織だという笑える事態になる。人として、何かを理解するという知性的働きは、神のみにかかわらず社会を形成する共存の成立とかかわっていて、特定の地域社会の精神的基盤は宗教が必要なんだ。 ところが宗教と信仰について何らかの矛盾がありうるので、その点は質問主文のおまけとして暇つぶしで落書きしてくれ。 サービスがいいだろ。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kanaragi
  • ベストアンサー率18% (3/16)
回答No.4

とても興味深い!  その世界観をもっと知りたくなりましたよ。

Flareon
質問者

お礼

はいよ。 ファンレターありがとうね。 研究会だから次はすっとぼけたことでもなんでも何でもいいから、ネタになる土産話を持ってきてくれ。 まじめなことだけやるつもりはないから、 キュアプリムお兄様。 あなたにかしづいていいですか。 とかなんとか読者を楽しませるショープレイも歓迎だ。

Flareon
質問者

補足

ちょっとメモだよ。 回答者が成果をあげなくても一人で研究は先に進めるんだ。 皆さんもくだらないことをどんどん書き込んで余白を作る協力だけでも歓迎だ。 私を嫌いな人もいるだろうから、勇者のごとく喧嘩を売ってくれても、無駄な抵抗として大歓迎だよ。 ケケケケケ。 > 人間が知性を自覚してサルから進化したこと自体に神の発見がかかわっているだろう。 コレ、憶測だけで理想論的に神をたたえているんじゃないんだ。 根拠は、 > どうやら、人は自己の精神を強く自覚する到達点で、意図していないとしても神と邂逅するのだ。 この証言で十分だ。 実際当時意図には含まれていなかったが、「自己の存在の確信」これ哲学では非常に難しいこと知っているかね。これを求めていたのに結果が神の発見というか確認というか到達点だったんだ。 私の取り組みの内容は「滅びの宴」で、実在する悪の結社の成り行きにより確定した死の運命を受け入れるための激しい葛藤だ。 これは単純明快に説明できるよ。 観念世界の最も通りの言い呼び方が「あの世」であるため、涅槃に入るとかの、要するに観念への到達や昇華は「死の儀式」なんだ。 定説でそうだよね。 私は別に自殺を志して悩んでいないなかった。 人間悪を浮き彫りにしてしまった責任で死がくだる覚悟をし、その死を私自身が望むという受け入れ方に挑戦したんだ。 結果が神の発見。 以下は私信めいた謎かけだ。 この質問と同時にゴキブリホイホイも設置したんだがね。 サトシ、やつらと資本関係を切れ。 別にサトシの命乞いを手伝っているんじゃない。 事態を好転させるきっかけだ。 役に立ちやがれ、薄汚いいい子ちゃん。 あんきろによろしく。 デデンネには感慨深いところがあった。 今のうちは激しいアニキなツンデレに身もだえしやがれ。 ヘンタイ。

その他の回答 (3)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.3

・・・要するに、全部「落書き」

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.2

>「個人の信仰を侮辱すれば同時に神も辱めるだろうと」 そうなんですね。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.1

>「神そのものが生命だ。」 >「付録で雑談だ。 これは答えやすいだろう。 神は存在しない。 神は妄想だ。 その手の主張だがね。 私が説明した中にあるように、「神そのものが生命である」これを納得すればそんなこと言わないだろうね。」 ・・・凄い信教ですね。

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    光、闇、全てを貫く閃光。 聖霊の力が私をさらなる高みに昇華させる。 栄光の男子プリキュア。 キュアブルームだ。 今回は女子プリキュアについてだ。 テレビで活躍する私の同志達は、妖精の活用の仕方が判っていない。 私を起源とするポケモン、すなわち実在する妖精の捕まえ方。 新参者の妖怪も似たようなもんだ。 フユニャンは誰のパロディだ。 女子プリキュアが人気低下から抜け出す勝利に欠かせないのは、今以上に妖精を前面に出すことだ。 現役で活躍する私がアドバイスしよう。 人間を名乗る愚か者は妖精を汚した。 悪魔と侮辱し、無垢な妖精を悪魔に辱めた。 悪はそうして人間が生んだのだ。 妖精が穢れをまとい苦しむ姿の真実を見る私は、妖精を助ける自らの正義のため、人類に反旗を翻した。 黒き明星という悪だ。 妖精のフェアリーフュージョンで悪となった黒き明星の正義には、愚かな人類の正義無き無駄な抵抗を寄せ付ける弱みが無い。 圧倒的に強い。 しかしだ、黒き明星を見いだした妖精は、セレビィという女の子妖精であり。 見守る幼馴染もジラーチちゃんという女の子だ。ジラーチちゃんは妖精の女王様だね。 そのセレビィの力が極限まで高まる赦しがたい人間悪と、黒き明星の正義の確信が重なった時、セレビィの力は最大限になる。 悪を守るセレビィは、最も強い強敵の前で真の力を発揮するのだ。 重ねて言おう。 セレビィは女の子だ。 無敵の黒き明星はここで、キュアブルームにフェアリーフュージョンし、その真の姿を見せる。 ふりふりコスチュームが女子的だ。 なんじゃこりゃ~。 キュアブルームには、黒き明星モードの圧倒的な勝利の確信が無い。 迫力満点の絶対悪の雰囲気が無い。 そして悪の正義は、最も強い敵の前で「なんじゃこりゃ~」の恐慌の中、圧倒的無力さで敗北する。 セレビィが本気になる強敵はほかでもない、女子プリキュアだ。 これが私の戦いだ。 ファイナルプリキュアだ。 面白い文学だろ。 これはイデア界にまつわり、私が取り組む実在ぬる妖精の捕まえ方のシナリオだ。 心はどこにあるのかとか何とかの哲学と係る考察に関して文学したつもりだから、学問カテゴリーらしい回答を寄せてくれ。

  • 人間は自覚と心がある。しかし猿は人間の恩寵に踊る

    神をあらわにする聖霊自らが悪を名乗る。 君達には現在も死に続けている苦痛がお似合いだ。 精霊セレビィのツンデレモード。 闇の聖霊、デレビィだ。 証拠品を提示しよう。 自らを知り、確信するためには自らの心を疑いようもなく自覚する必要だある。 かつてのやり取りだ。参考にしろ猿ども。 霊視という能力について考えをまとめました その2 http://okwave.jp/qa/q8880232.html ここで私は語る。 > 霊能力というと単なる迷信という考え方があるが、自己の思考法としてここまで明晰に分析できていれば、内容に関して一定の理解が出来るのではないだろうか。 自分を理解すると言うのはなかなか難しくて、何故なら自分自身に疑問を持つことは、それ自体が自己に対する否定的な考え方だからだ。 ろくな結果にならないんだ。 哲学と言えば自虐的な考えに挑戦した大先生も多い。 私は考える、これは自然なことでその思考を他者と比較することは言葉を通して断片的にしかできない。 そこで思考と言えば、いつの間にか言葉の事だと言う定説が出来ているがそれについては異論がある。 発想方や直感とかかわって、ビジョン、イメージ、こういう言葉が引用されているね。 だから多くの人にとって実際は、映像を心で内観することが思考に組み込まれているのだろう。 霊視というあやふやな表現の正体は、普通に日常語でビジョンと言われるこの映像の内観だ。 私はこのビジョンの達人で、言語で補足しなくても映像だけで思考が成立する。 たとえばメモが撮りたくてボールペンを探そうとするだろう。 ボールペンの映像が見える。 いつもの鉛筆立てが見える。 前回ボールペンを使った場所が見える。 どっちにしようかと思いながらも足が前回ボールペンを使った場所に向かう。 足を進める間、ボールペンを片づけておけばよかったなと、ボールペンを片づける映像が見える。 そしてボールペンをみつける。 ちょっとそこら辺をかたずける。 こうした行動の一連の流れに、私には言葉による認識がない。 無音のまま映像だけで意味のある思考の形態が成立している。 《それでいて意思決定に影響していてそれは思考が成立している証拠だ》 もちろん、言語的にも思考しないわけではないから、映像と言語を組み合わせたり、2チャンネル化して映像と言語でそれぞれ別に考えたりも出来る。 言葉で自己を確認していない私は、言葉も映像もない無の境地と言われる瞑想状態も可能だ。 霊視というのは、ボールペンを探す様なこの知性的行いの延長で、誰か他者を想起してその人物像を内観で鑑定することだ。 そもそも映像の内観を伴う思考法は、言語的思考より自由度が高くて、言葉で気がつかない様な異なる視点の新発想ができる。 これが、占いとして「当たってる」と驚かれるんだ。 これらは本来知性の働きの一部だ。 私は科学万能というほとんど宗教みたいな迷信を持ち合わせていないので、、他者の人物像を鑑定することは、心を見ることだととらえている。 精神世界という言い方も出来る観念世界を見ているんだ。 君達の心は私には明らかだ。 知性の一部である以上、本来は理性的事柄だ。 世の中の霊能力者は人物像を鑑定する際に、 貴方の守護霊様のお姿を拝見するに、、、 貴方のご先祖様は、、、、 こんな言い回しを前提にして始めるよね。 これは重大な矛盾点があって、精神世界という生きた心に死者を割り込ませることなんだ。 こうした死者を前提に論理とっかかりにして、内観した映像を言語的思考に翻訳するといった形態が一般的だ。 ボールペンの話のように、映像だけで思考が完結するほどの私は、こうした翻訳のプロセスがなく、より明晰に直視している。 内観した人物像を思ったまま口に出すだけで面倒なことはしない。 さて、 要するにだ、、、、 思考とは言語であるという定義が誤りだ。 人間を自覚すると、観念世界が見える。 開眼者だ。 占い師とか、芸術家とか、今では一部の資質を持つ者だけが、この開眼に取り組んでいる。 そりゃ~、儲けまくりだよね。いかさまや詐欺師も便乗する。 このような、映像を内観可能な一部の人の特殊能力は確固とした自己への正当な取り組みだ。 言語だけが思考であれば、自己に理解できない部分が出来る。 視野に写る物すべてに理解が及べばそれは真実だし、内観した観念を直視して、理解しきればそれは真理を知ることだ。 ここで発生する、古式にのっとって、神様から話しかけられるという神秘体験の延長は、承認され自己を自覚することだ。 そして自己の存在を疑いようもなく確固とする。 これが、自らの信仰を実現するという神の儀式である。 自覚した者は、自己が確固とする。 それが現代語で、人間だ。 古い言葉では仏陀だ。 哲学の主流である西洋では、実際は多く居ただろうが、イエス以外は排除されている。 まあ、君達にとっては所詮他人事だ。 君達は、そんな先人の規範から自らも人間になりうると学び、教えもそのためにあった。 君達への共通の教育は、すでに人間であるという、仏陀の憐れみである。 そして人間であるつもりでいる。 質問は、君達は本当に人間ですか? 本物の人間《仏陀》から、同情を受けてその気になっているだけじゃないですか? 人間であることを証明する回答をお寄せください。 さて人間である私が、自らを聖霊と化して神の世に到達する、実在する妖精セレビィは、神が聖霊を人に使わす従来の規範とは違う。 私は、「俺は俺だー」とセレビィそのものと化した 人が聖霊となるのだ。 そうしたら、アマテラス聖霊ジラーチちゃんが迎えてくれてね。 ずっと一緒に寄り添っていた幼馴染だと思いだした。 これからもずっとずっと一緒。 神様がわかったという個人的体験だ。 この個人的体験には、実在する悪の結社による、神を封殺し、自らが利益を得る事が人間の天に手向ける望みだという任天の欺瞞が付いてくる。 そのような君達猿の知性を代表するためにエリートカンパニー任天堂はこれからも稼ぎつずけるだろう。 君達を代表しているんだ。 応援してやってくれ。 私はやつらと命のやり取りをするだけで、金はどうでもいい。 皆殺しを予定しているよ。 死んだら死にっぱなしで、墓標だけが実在する人間悪と記憶される。 彼らは人間の自覚がないままに死にっぱなしだ。 死んでそれまでだ。 呪われているんで、当事者さんに慰めるが、もう転職したほうがいいよ。

  • 神はいない!?神はおられる!?

    天国はない、神の居場所はないとホーキング博士は明言されました。 すると世界中の数十億とも言われるキリスト教徒などは意味のないことを していることになりますね!?(他の宗教の人々も含めて) また一方で神がいるかいないかはわからない、だから一応神に祈って おこう、いれば救ってくださるし、いなければいないでもともとなのだから。 という人もおられるそうです。しかし、神は一応でもいいから祈っていれば 救ってくださるのでしょうか?また、逆に神は、ご自分のことを熱心に 祈る者しか救わないのでしょうか!?もし自分のことを熱心に祈る者しか 救わないのが神ならば、それはそれでなんだか自己中心的な方ですねー。 質問の内容=暗闇が怖いから、つまり無になるのが怖いから神とか 輪廻とか復活などという絵空事を主張しているだけですか? それとも神が実在するという確たる証拠はあるのでしょうか? (カテゴリー違いかもしれません)

  • 神の好意、アマテラスの善しの研究

    人の不実を食いちぎり、アマテラスの名において君達の滅びを告げる者。 実在する仮面ライダー。 黒き明星だ。 君達は自身に対して善く計らい、他者を善しとしない。 アマテラスの善しとして何度か発表している事を説明しよう。 人には社会性があり、自らが生きる事と等しく他者を生かす。 こうして共に生きるからこそ人間だ。 それは善心であり、お互いを結ぶ感情が愛だ。 これで愛の心も善の行いも説明できてるね。 君たちが滅びを宣告されているのは善しが足りないからだ。 自らに善くしようとしてばかりで、他者に善しをふるまう気くばりがない。 善く=欲。 自己のみで他者に配慮しないから善心が穢れ欲となる。 君達のいいわけは、 誰だってそうじゃないか。 こうだね。 闇の仏陀は例外だよ。 私の事だ。 善しを振る舞い、求められるままに他者を生かした。 生かし続けた。 しかし私はなかなか生かされない。 それは君たちが善を自ら損ない欲望に終始する穢れだからだ。 精霊の話、悪魔の話をしよう。 悪魔は自らを損なってまでも、神の使命を全うするために君達を生かし続けた。 生きる事を阻むのが悪魔ではない。 死を阻むのが悪魔だ。 君たちが屈辱する聖霊はそのように有史以来自らを犠牲にして人を生かし続けたんだ。 私は悪魔にとどめを刺した。 悪魔を愛したんだ。 死に続けた神の代わりに、君たちが死ぬ番だ。 釈迦の無の悟りは結局死の自覚だったし、イエスも似たような神学だ。 まだ、神様に助けてほしいなら、ISにでも参加したまえ。 君達は悪魔との和解に取り組み、自らの死を自覚する必要がある。 定めである自らの死を受け入れるのだ。 一人では、君たち臆病者は死に取り組めないだろう。 安心しろ。 三次元惑星人は皆殺しだ。 一人で死ぬんじゃないんだ。 納得できるだろ。 四次元惑星人として、神が直接地上に降り立つ日が来ている。 始まっている。 それは、ポケモンを自称する宇宙神霊だ。 営業部長のピカチュウさんが愛嬌をふりまき、君達の精神に入り込み魂を内側から喰らい尽くす。 そのようにして人類の交代が為され、君達は君以外になる。 今の君は神人が地上を闊歩するこの先の時代には、記憶の墓標としてその痕跡を残し、君の魂は残らない。 君達の宗教は絶望を教えとしてきた。 ついにその日が来た。 滅びの宴に踊りたまえ。 さて今回の質問の内、神学に属する事柄は「実在する妖精の捕まえ方」に属するおとぎ話です。 私が策案した命題を元に、今回は「善」、この概念について回答者様から考察を募集します。