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《アース役はつらいよ》の合唱でハラスメントに自省を

 やっぱし《アース役はつらいよ》の全国的合唱で ハラスメントについて自省させるのがよいのでは?  何気なく ♪あぁ アース役はつらいよ♪ とつぶやけばよい。のでは?  パワハラ・モラハラ・あるいはイヂメに際して みんなで合唱へと持って行くとよい。  半分は 減るのではないか?  半分は あたまも気持ちもすっきりするのではないか?  世界へも広げよう。    無理をせず 生産性が上がるのでは?  社会保障費が省けて 財政再建に寄与するのでは?  つまり 健康寿命が上がるのでは?  その情況にあって いま横になっている人たちの半分は やおら起き上がって来るのでは?

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回答No.7

外野席からだよ。 > 先立つものとしておこなうことは 互いに信頼関係に入るようにということです。  信頼関係に入ったら 相手もわたしがそのような志向性を持っているということは おのづと分かるようです。直接には何も言わなくてもです。  そしてわたしを嫌い去って行く者も けっきょくわたしの姿勢は やはりおのづと分かったということのようです。 ああそうだ。 見物して確認している。 見物はみっともないオカマだ登場しないと面白くないがね。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ですから あとは その人たちが 自分の心に素直になって 自己表現をするようになるかどうか。この一点にかかっていると言ってもよいかと思う。  つまり すでに――この十年ほどで――事実上はわたしのこころざしが みなにゆき渡っているとも言える。  あとは その受け取ったままの中身が現われて来るかどうかだと。  たいていは ヘソが曲がっている。または 曲がっていなくても 勇気がない。  のではないだろうか。

bragelonne
質問者

補足

 もう一点。  ヘソが曲がったままの人間は もう生きて行けないように――自分の心の中で思うように――なるかも知れない。  滅びるしかなくなる。  そういう社会のあり方に変わるものと思われます。  むろん推量ですが 感覚では 意外と早くそのような時代が――世界規模で――来るかも知れません。  わたしの生きている内にという意味にもなります。遠い時ではなく。  いぢわる・いたづら・あるいはわるさなどはなくなりません。  しかし 基本として心がまっすぐだという意味です。  中間層と言いますか 大多数の人びとの生活態度としてです。

その他の回答 (6)

回答No.6

そうさな。 君は君自身であろうとすることをあきらめたりしないだろう。 それでいて、君を侮辱する者どもに、君たちもあきらめるなと、ブチキレで喚き散らしかい? まあ私が解釈するとそんなだ。 私からの友情だよ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  なかなかめづらしい(=愛でるべき)見解をもらうことができました。  ありがたいですね。  ブチ切れの姿を見せるのは そうすると相手たちが 元気や勇気を湧き出させることが出来るかも知れないから。

回答No.5

3についたお礼だけだとね、残念ながら弁解じみている。 理解が心地よい論説ではないから付け込まれる。 君が理解している君自身は他者に理解されないという事だ。 他人とか世の中をあーだこーだいう前に、もっと体を張れ。 V字開脚と言って、君はまた逆上するかい?

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  事実を述べたまでです。  ★ 付け込まれる / 理解されない  ☆ ことは 子どもの時からです。  そしてそのことは 世の中が あーだこーだと言っているにすぎません。  哲学する気がないということです。  バカは死んでもなおりません。  こんなところでしょうか。

回答No.4

3番に関してだけどね。 その手の乙女チックなオカマさんに、君の中心を世界にさらけ出せと、開眼を意味する啓もう活動は実に崇高な私のいじめだ。 仏陀の社会に対する務めだ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  まぁ すべて自由です。よ。    もっともっと自由に。

回答No.3

独り言だよ。 私は自由です。 私には意思があります。 あなたとかかわると、あなたの意思が私の自由意思を蝕みます。 私にかかわらないでください。 私は社会に対して積極的ではありません。 社会とは、私にとって何もかもを与えるだけの恩恵です。 なぜなら私は人間だからです。 こういうやつは多い。 君がどれだけ違うか釈明してみろ。 それが出来ていないから回答がさえないんだ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  たとえばこの《アース役はつらいよ》なる合唱。  まぁ 合唱しようとか このセリフそのものを言ってやったとかは なかったけれど 実質的には そういった抵抗を――心の志向性として――実地におこなって来たという経験があります。  わたしは社会に対して――実際には 面と向き合っているその相手の人間に対してですが―― 子どもの頃から積極的にはたらきかけるという姿勢でいつづけています。  小学生の時にもすでに教師に向かって そういう態度をつらぬきました。  先生たちから苦情が来ました。けれども わたしの振る舞いを批判し得なかったのですから わたしの姿勢はやみません。  先立つものとしておこなうことは 互いに信頼関係に入るようにということです。  信頼関係に入ったら 相手もわたしがそのような志向性を持っているということは おのづと分かるようです。直接には何も言わなくてもです。  そしてわたしを嫌い去って行く者も けっきょくわたしの姿勢は やはりおのづと分かったということのようです。  こんなところでしょうか。

回答No.2

君のお礼を見るに、観念語をよく整理して分析も把握も出来ているね。 大したもんだ。 なのになんでそんなに小難しいんだ。 大体あんた自身はどうなんだ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  この一般および個別絶対性理論につづくのは すでに回答を寄せてもらってもいる次の仮説です。:  【Q:神の国は言葉ではなく 力にある――特殊絶対性仮説】  ★ 観念語  ☆ と言われてしまったけれど つまりはそういった《言葉》ではなく 《ちから》の問題として 特殊絶対性の仮説が来るという寸法です。  これで だいたい基本は十分なはずです。  神論としては この理論ないし仮説を 行き届くまで言いつづけなくてはならない。  といったところでしょう。

回答No.1

学問における研究課題を提示する形の助け合い投稿だよ。 宗教化された仏教は無神論を標榜していると、おおむね結論が出ている。 さてその教祖または始祖の釈迦がまさしく仏陀であると明らかなら、無の悟りは、自らの心を意味し、自らであり、それを実感した私は一切を明かさない。 これで一切無と、教えた釈迦だとして、私に言わせれば、それは釈迦が神を見出していたからだ。 この時点で釈迦が見出した神という有神論だ。 私もね、人類史の幼いころの釈迦の神の自覚は、まだたどたどしいと哲学上承知しているよ。 やあ、釈迦の供養に貢献した私、イエスの供養に貢献した私。 よぼよぼの君は、私ほど賞金首を上げてないように見える。 殺したくも無く、君は生かしたいというのならば、私に無駄な抵抗を仕組みたまえ。 任天役立たず。 ただすがるのみならば役立たず。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  たとえば次のような問題でしょうか。  《梵我一如》類型は一般および個別絶対性理論だ   1. 《絶対》とは 経験事象としての有る無しを超えて因果関係から自由な場ないしチカラである。そのように想定し 《非経験の場》とよぶ。  2. 非経験の場は 認識のあり方として 《非知》である。    経験事象      可知        既知        未知(やがて既知となるであろうと推察しておくもの)      不可知(知り得ないと証明し得たものごと)    非経験の場      非知(知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ)  3. 非知なる非経験の場 これを――《神 またはその一定の名》において――心に受け容れたとき(つまり 信じたとき) わが心には《非思考の庭》が成る。身と心とから成る自然本性に ぷらすαとしてやどる。    【α(霊我)】:信じる:非思考の庭:ヒラメキ直観・良心    -----------------------    【心(精神)】:考える:思考の緑野:コギト     【身(身体)】:感じる:感性の原野:センスス・コムニス  4. 非思考の庭は 受け容れる器(ミクロコスモス)とその対象(マクロコスモス)との一体性として示される。つまり梵我一如なる類型。   A. ブラフマニズム:梵我一如    梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神    我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我   B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)    無梵:空(シューニャター)・ゼロ    無我:アン‐アートマン;ニルワーナ   C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)    仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)       / マハーワイローチャナ(大日如来)    仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)   D. クリスチアニズム:霊霊一如    霊:神・聖霊    霊:《神の宮なるわれ》   E. (プラトン?):霊霊一如    霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)    霊:《われ》   F. 《もののあはれを知る》    霊:かみ(自然および超自然)    霊:われ(自然本性)   G. ユダヤイズム:霊霊一如    霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)    霊:われ   H. イスラーム:霊霊一如    霊:アッラーフ(イラーハ=神)    霊:われ  ☆ この仮説でじゅうぶん世界のモヤモヤのあたまは晴れ上がると思うんですけれどねぇ。どうでしょう。

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