• 締切済み

偶像崇拝の禁止

ムハンマドが偶像崇拝を禁じた真の理由はなんだったと思われますか?

  • 歴史
  • 回答数5
  • ありがとう数3

みんなの回答

回答No.5

 昔アラブ世界は、多神教世界で戦争があっても部族によってはうちの神さんは今日は具合が悪いといって出兵を拒否することが多かったそうです。そういう状態では当然戦争は連敗つづき、これを改革しようとムハマンドが興したのがイスラム教だといわれています。  従ってうちの神さんを言わせないためには権威は一つで無ければなりません従って1神教になります。  又、アッラーの他に権威を認めることは意思の統一を阻害します。従ってアッラー以外の権威を認める偶像崇拝を禁止したのです。権威の無いものを拝むのは変ですからね。 以上が一般的な理屈です。  イスラム教の世界ではアッラーが正しいと決めたことが正しいでいいのです。つまり全知全能アッラーがこの世を作ったと考える神前法後の世界で人間が考えた論理が神に優先するというのは神への冒涜以外の何ものでもないでしょう。造物主に造物が逆らうというのは叛逆になるでしょう。  個人的には宗教を尊重する観点から後者の説明を採用します。なぜなら預言を否定する理由がないからです。

  • vausa
  • ベストアンサー率22% (10/45)
回答No.4

ムハンマドとは、イスラム教で、イスラムは旧約聖書をおしえの1つとして使います。 そこで、十戒というものが制定されていて(モーゼの十戒と言われるものです。詳しくは、出エジプト記の20章を読んでください。)、そこには、偶像崇拝の禁止が書かれています。その十戒とは人間がやってはいけないことの10個を制定したものです。 では、なぜ偶像崇拝が禁止かというと、神様とは、1人で、それ以外の人、物を信仰することは、神様を信仰することにならず、それを信仰の対象とする事が間違えなのです。神というものは、唯一のもので、神様自身に信仰心をおくことがあるべき姿で、それが乗り移って悟ってしまった人、例えば、オウムの麻原であったり、普通の人間の手によって作られた偶像を信仰することは間違いだと考えるからです。つまり、偶像は所詮偶像で、人間の手によって出来たものです。が、神様とは、人間の手によって作れるものでなく、全能のものなのです。だから、偶像崇拝は、禁止になるのです。

  • jazz04
  • ベストアンサー率34% (43/123)
回答No.3

戒律の成り立ちから言うなら次の通りとなります。 イスラム教ではコーランに加えて旧約聖書の最初の部分「創世記~申命記」までのいわゆるモーセ五書と言われる部分も聖典となっています。この部分はユダヤ教・キリスト教・イスラム教が共通して聖典とする書です。 もっとも、このモーセ五書の方が成立がずっと古いのですが、このモーセ五書の中の出エジプト記という部分があります。そこに映画などで有名になっている「十戒」と言われる基本的な10の戒律が記されています。 その十戒の中の一つが「偶像崇拝の禁止」なのです。 聖書では、「人は木を削って神を彫り、残りの木で食事を煮炊きする。」という表現で、偶像崇拝の虚しさの本質を鋭く批評しています。 ムハマンドの主張もその流れに沿ったものだと思います。

  • tonamoni
  • ベストアンサー率20% (91/434)
回答No.2

神を直截に語ったり、擬人化してしまうことで矮小化されるのを禁じたのでしょう。

  • jujuta
  • ベストアンサー率16% (31/192)
回答No.1

  日本人が視線恐怖を人(=自我の支え)に対して   覚えるように、アラー神への視線恐怖を覚えた?   また偶像に逆規定される危険を回避した…かな?

関連するQ&A

  • 「偶像崇拝」の禁止

    こんばんは。 「偶像崇拝」は、 禁止の場合と、禁止でない場合と、あると思うのですが、 「禁止!」の場合、 その歴史について、お詳しい方に解説して頂けないでしょうか。 【訊きたいポイント】・・・「偶像崇拝は、禁止」の歴史とは。 宜しく、お願い致します。

  • 偶像崇拝

    偶像崇拝 偶像は崇拝しなくても作るだけでダメなんですか?

  • フランスのテロの解説での偶像崇拝の禁止に関して

    テレビでもネットでもイスラム教の教義で偶像崇拝を禁止しているからムハンマドの絵を書くのはいけないという説明を何度かみかけました。 しかし教義の偶像崇拝禁止は教徒に向けたものでしょう。なぜイスラム以外の人々がムハンマドの絵を描くこといけないとして解説するのでしょうか? もちろんイスラム教徒の人からすると不愉快極まりないと思いますが、イスラム教以外の人まで強要することでしょうか? もし強要するなら、豚肉やアルコールの摂取禁止、利子を取ることや賭け事の禁止など教義あることをイスラム教以外の人に強要しないのでしょうか? ホメイニ氏がトップになる前のイランではムハンマドの絵が売られていたみたいです。 古い記憶ではムハンマドの絵は日本でも見られた気がします。 近年事情が変わって他者にも強要する様になったのでしょうか? また私の理解が間違っているのでしょうか?

  • 偶像崇拝は、なぜ、いけないの?

    素朴な疑問です。 偶像崇拝は、なぜ、ダメなのでしょうか? そもそも、ここでいう《偶像》とは何なのでしょうか? 人や動物などを象(かたど)った、直接、礼拝や信仰の対象となる造形物。 こんなところでしょうか、偶像の一般的な定義は。 では、抽象的なオブジェ、もしくは、シンボル(石や記号など)ならば、偶像にならない(ハテナ)? 具体的な造形物は偶像でないけれど、 手足のある人間の姿をした神さまは、偶像にならない(ハテナ)?? ボンクラなわたしには、 偶像というものが、どういうものであるのか、さっぱりわかりません。 特定の宗教を攻撃しようとする意図は、まったくありません。 偶像崇拝を否定する宗教がより高度で洗練された宗教であるとも考えていません。 宗教の優劣をつけるつもりは、毛頭ございません。 ただの素朴な疑問です。 なぜ、偶像崇拝はダメなのでしょう? よろしくお願いします。

  • 仏教は偶像崇拝を認めているのですか?

    仏教は偶像崇拝を認めているのですか? キリスト教は偶像崇拝を認めていないのに教会を作ってるのはなぜ? イスラム教も偶像崇拝したらダメなのにモスクを作ってるのはなぜ? 全て神様の教えを守っていない信者たちなので地獄に落ちるのでは? 仏教は認めているから仏像があり、寺があるんですよね。

  • 偶像を崇拝するななるオシへは 一つの偶像ではないか

     クルアーンの文章ではあいまいなところがあるようですが この一つの問題を問います。  神について偶像をつくってはならない。偶像を拝んではならない。――こういうイマシメがあるとき ところがこのイマシメとしての(あるいはオキテとしての・もしくはオシへとしての)意味内容は じつは人間のことばで表現されているからには 神の心を仮りに示すもの=すなわち偶像であると考えられ得ます。彫像ではなくとも観念も 偶像たり得ます。  つまり 偶像を崇拝するなというオシへを守るなら オシへとしての偶像に従うことになってしまう。という矛盾が起きるという問題です。  クルアーンにおける詳しい文章などについても含めて おしえてください。   またイスラームに限らず 《観念となった神やオシへ》は 明らかに偶像です。――たとえば 《神は死んだ》という観念が 偶像の神となって現代人のあいだで崇拝されている側面があります。――ので そのような広く大きな問題にもなるかと考えます。ご見解を惜しみなく述べてしまってください。

  • 偶像崇拝について。

    たしか、旧約聖書でしたっけ? モーセなる人物が十戒で偶像崇拝を禁じてたような気がするのです。 はてさて、キリストの像や十字架、聖母マリア像、新旧聖書等。 これらは、偶像なのでは? 私の『偶像』の認識が間違っているんでしょうか…。 どうか、皆さんの回答、意見をおよせくださいませ。

  • キリスト教はどうして偶像崇拝をするのでしょう?

    教会にはキリストの磔像や絵がたくさんあります。 あれに祈っているようですが、どうしてキリスト教は、偶像崇拝をするようになったのでしょうか? 偶像崇拝をしてはいけないと聖書に書いてないのでしょうか? イスラム教では厳格に禁止されているそうです。 キリスト経の歴史において偶像崇拝を推し進めたのはだれで、いつの時代でしょうか。 よろしくお願いします。

  • キリスト教の偶像崇拝について

    キリスト教では偶像崇拝は禁止しているとのことですが、教会の祭壇にキリストが十字架にかけられた像がある写真をよく見ます。 また、絵画でもキリストを描いたものがたくさんあると思うのですが、キリストの像を拝むことやキリストを描くことは、偶像崇拝とは異なるのでしょうか? キリスト教のことをよく知らないので、その区別があまりよくわかりません。 すみませんがお教えいただけましたら助かります。 よろしくお願いいたします。

  • ムハンマドの偶像描写禁忌に関して

    最近、巷ではムハンマドの描写に関して様々な事件が発生しています。 そもそも、ムハンマドの偶像描写、偶像崇拝を禁止したのは誰なのでしょうか? ムハンマドは実在しているという史実があるので、本人が規律を作ったのでしょうか? 詳しい方、ご教授していただければ幸いです。