仏教の目的とは?50億年後の状態は良いのか

このQ&Aのポイント
  • 仏教の目的は輪廻転生の輪から逃れて苦から解放されることだといいます。しかし50億年後に地球が飲み込まれると、人間も生物も消滅し、宇宙は極低温に冷え切ると考えられます。この状態は仏教的には良いのでしょうか?
  • 一方で、仏教には苦しみがないという理念があります。そもそも何もない状態に苦しみは存在しないという考え方です。しかし私は、喜怒哀楽を感じながら生きていることが豊かな人生だと思います。仏教の消極的な考え方に疑問を感じます。
  • 仏教の目的は苦から逃れることだけではなく、喜びや感動を体験することも含まれています。苦と楽の両方を経験することで、より豊かな人生を送ることができるという考え方です。私たちは自分自身の経験を通して仏教の考え方を理解し、疑問を解消していく必要があるかもしれません。
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仏教についての疑問

仏教の目的は輪廻転生の輪から逃れて苦から解放されることだといいます。 それでは50億年後に地球が飲み込まれたら、人間もすべての生物も消滅して少なくとも人間道と畜生道は消えるでしょう。さらに時間が経過すれば宇宙は熱的平衡状態に到達し、すべては絶対零度の極低温に冷え切ってしまいすべての生物は存在できなくなるでしょう。 このような状態は仏教的には良い状態なのでしょうか? そこには苦しみはないです。何もないのだから。 私はそのような状態がよいとは思いません。苦しみや思い通りにならないことがあっても(いずれも仏教的には苦だそうです)、その一方でよろこび、感激、感動がある生き物が生き生きと生きている世界がいいと思います。 仏教的には煩悩だらけということになるのかもしれませんが、喜怒哀楽あって生き生きと生きている状態の方が何もない無のじょうたいより、よっぽどよいと思います。 仏教の考え方は消極的というかネガティブに思えるのです。苦から逃れることばかり考えている。苦も楽も両方あっていいのじゃないですか? 私は仏教に疑問を感じるのです。 それとも私が仏教を誤解しているのでしょうか?

  • stmim
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  • koosaka
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回答No.7

輪廻転生はバラモン教の教え、それに対して仏教は輪廻転生を否定して、涅槃に至り、永遠に死ぬことを目標とします。 だから、あなたがいろいろ仏教に対して疑問を呈していることは仏教に対するものではなく、バラモン教に対するものと解釈して回答します。 輪廻転生説は、人間は六道を輪廻すると言っています。 天道・人間道・餓鬼道・畜生道・修羅道・地獄道、と。 そして業観輪廻と言って、輪廻を駆動するものは「業」、すなわち「欲」「煩悩」であると言っています。 「欲」「煩悩」があるから、輪廻する、逆にいえば「欲」「煩悩」を滅すれば、輪廻しないことになります。 つまり、自動的に輪廻するわけではない、ということ。 でも、ここで疑問があります。 人間が畜生に輪廻したとして、畜生、たとえば、アリやヘビの「欲」とか「煩悩」というものが何なのか?ということと、どやったらアリやヘビは「欲」「煩悩」を滅却したら良いのか?という問題です。 それが私には分かりません。 あなたは「50億年後に地球が飲みこまれたら…」と言いますが、輪廻転生の話は人間の話で、物理学の話ではありませんから、ピント外れだと思います。 「絶対零度では生物は存在できない・・・・・」という話も同じです。 仏教を誤解していると思います。 「このような状態は仏教的に良い状態なのでしょうか?」というのも同じです。 仏教は生老病死の4つの苦しみからの解放を唱えるもので、あなたのように苦しいことがなく、楽しいことばっかりならば、仏教は無縁です。 仏教は、病気で苦しんでいる人、貧しくて苦しんでいる人、不幸で苦しんでいる人、そういう人達を相手にしているので、そういうことがない人は相手にしないんです。 ネガティヴに苦しんでいる人に、ボジィティヴになるよう教えているので、ネガティヴを知らないひとを相手にしないのです。 「それとも私が仏教を誤解しているのでしょうか?」といえば誤解しています。 そもそも輪廻転生は仏教の説いたものではないし。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私が問に対する直接の答えではないと思いますが、もともと私の質問がピントはずれということなのですね。納得はできないのですけど、言われることはわかります。 バラモン教に輪廻の考えがあったのはそうだと思いますが、仏教もまたその考えを取り込んだのですよね。 仏陀は輪廻を主張しなかったという学説も以前はあったようですが現在では否定されていると聞いています。 >アリやヘビの「欲」とか「煩悩」というものが何なのか? 餌を捕獲する食欲とか交接したい欲だと思います。 >どやったらアリやヘビは「欲」「煩悩」を滅却したら良いのか? 私が聞いたところでは畜生道では欲望のまま生きるしかなく、滅却できないそうです。つまり通過ポイントです。やがて輪廻で人間道に来た時に修行のチャンスがやってくるというわけです。 >あなたは「50億年後に地球が飲みこまれたら…」と言いますが、輪廻転生の話は人間の話で、物理学の話ではありませんから、ピント外れだと思います。 言われることはわかります。でも世界は一つですよね。世界で起きていることは一つですよね。物理学だろうと何だろうと世界で起きていることなら、それは一つにまとめて語れるはずだと思うのです。 >仏教は、病気で苦しんでいる人、貧しくて苦しんでいる人、不幸で苦しんでいる人、そういう人達を相手にしているので、そういうことがない人は相手にしないんです。 このことも理解しますが、ということは宗教とは真実ではなくて、苦しんでいる人のための処世術であるという理解になってしまいます。これでいいのでしょうか?

その他の回答 (14)

  • sunabo
  • ベストアンサー率35% (24/67)
回答No.15

no.14の勝手な仏教解釈は、めちゃくちゃ強引です。 仮定1 唯物論と唯心論は融合しない 仮定2 唯物論と唯心論はどちらかだけ成立し、他方は成立しない 仮定3 唯心論が成立し、唯物論は成立しない 仮定4 心は存在しない 仮定5 仏教を勉強したり、修行すると、考えて、心が存在しない     ことが分かる。 仮定6 心が存在しないことが分かると、考えなくなる。 結論 いろいろな苦しみはもともと存在しない。人はもともと存    在しない。全部気のせい。 仮定1から6が一つでも崩れると、成立しないのでものすごく強引 で、弱い答えです。ただ、回答なので、何とか答えを書きました 。答えよりも、質問者様の問いたいことを言い当てられたので良 かったです。 どうして考えたり、感じたりできるのかはわからないです。no.14 ,15の勝手な解釈の仏教でも、一般的な仏教でも、考えたり、感じ たりできるのは前提になっていて疑わないようです。参考URLより。 no.14のコメントにno.14のidを書いてほしくなかったのですが、 no.14で私、と書いているのでidで呼びたくなりますね。しょうが ないです。no.14の落ち度です。 お願い まことに勝手なお願いなのですが、もし仮に、本回答にコメント する場合本回答者のidを記載しないようにしてだきたいです。呼 びたければ回答番号で呼んでいただきたいです。たとえば、本回 答ではno.15です。なぜなら、検索で引っかからないようにするた めです。回答の一覧は非公開にしたいです。

参考URL:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%98
stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 唯心論で心が存在しないとなると、存在するものはないもないということなのでしょうか。

  • sunabo
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回答No.14

仏教と質問者様の考える仏教の対立。 仏教。 仏教の目的は輪廻転生の輪から逃れて苦から解放されること。 仏教の考え方は消極的というかネガティブ。 苦から逃れることばかり考えている。 質問者様の考える仏教。 すべての生物は存在できなくなれば、そこには苦しみはない。 そのような状態はよくない。 問。 すべての生物が存在できない状態は仏教的には良い状態なのでし ょうか? 50億年後に太陽の膨張により地球が飲み込まれること、さらなる 時間の経過により宇宙全体が熱平衡に至ることを、仏教的に良い 状態か?と問うのは誤りです。 なぜなら、物理法則なのでどうしようもないからです。良い、悪 いを言うなら、恒星間旅行船を発明して、一番近い恒星系へ旅立 つとか、物理法則を変えて、ワームホールを作って、別宇宙と熱 交換して熱平衡に陥らないようにする。ってのが回答になります 。仏教にはどうしようもないので回答を迫ってもしようがないで す。 たとえば、人類は今すぐみんな食べることやめて餓死しよう。み んな即身仏になろう。そうすれば、苦しむ人はいなくなる。それ は仏教的に良い状態か?っていうほうが公正な問になります。 前者の問には意図が無く、後者には私が勝手に設定した仏教の意 図があります。以前、後者のような問を質問者様が立てられてい ました。 後者の問で私が勝手に設定した仏教の意図は餓死して即身仏です が、以前の質問者様の問では、みんなが悟りをひらくことでした 。みんな餓死より、悟りの方が鋭い良い問です。(参考URLより) 上記で私が勝手に設定した仏教の意図は嘘です。 意図の有る、無し、いずれにせよ、人が全部いなくなることを仏 教が目的としている、または、良いこととしている。かどうかが 問なんだと想定します。生物だと広すぎてわからないです。勝手 ながら人に狭めました。 答。 私の勝手な仏教解釈では、仏教的にはもともと人はいない。全時 空で、人はいない。いや、まあ、私としては、明らかに人がたく さんいるんですが、私の勝手な解釈の仏教的にはもともと人はい ない。全部気のせい。

参考URL:
http://okwave.jp/qa/q9223207/a25709708.html
stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私が思うのは原因はともかく人間というものが完全に消えたら、それは仏教的には理想なのか?という疑問です。 消滅する原因が自殺だったりすると輪廻でまた人間に生まれ変わってくるから意味がないという話なので、宇宙が消滅したらどうなるか?のような話を考えています。 sunaboさんの考えで仏教的に人間は存在しないのだとするといろいろな苦しみはなぜ生じるのでしょうねえ。考えたり感じたりできるのはどうしてなんですかね。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.13

こんばんは。 寒冷地帯は、しょうがない・・・

stmim
質問者

お礼

それは回答じゃないですよね

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.12

>「長さのある時間の中で両方あるという意味です。同時には難しいですね。」 そうだと思います。 南無阿弥陀仏・・・

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ですが意味不明です。

回答No.11

>「弥勒下生成仏経」によると弥勒菩薩が56億7千万年後の未来に現れるとあるそうですが・・・ 40億年後に地球が無くなるということをまだ知らなかった時代の人が、創造で書いたお経です。 無知とはそういうものですが、著作者の無知をあげつらうのは仏教の教えに反するのではないかと思います。 合掌

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。ですが私には無知をあげつらうつもりはありませんでした。 >仏教はせいぜい10万年ぐらいのスパンしか考慮していないです。 10万年に対して56億7千万年という数字を出したのですが、これくらいの遠い将来を考えていたのだと思いますが違いましたでしょうか? 地球の消滅によって確かに人類は消えるかもしれませんが弥勒菩薩がおられるのは天道なので影響を受けない可能性があります。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.10

stmim様、こんばんは。 50億年後を想定すること、が、煩悩と言えるでしょう。 >「そこには苦しみはないです。何もないのだから。」 >「それとも私が仏教を誤解しているのでしょうか? 」 いいえ。多分、理解された上で、思索されていると思います。 >「仏教の考え方は消極的というかネガティブに思えるのです。苦から逃れることばかり考えている。苦も楽も両方あっていいのじゃないですか? 私は仏教に疑問を感じるのです。」 「「苦」が無い状態を「楽」とする」という、「苦」の定義が、仏教なのだと思います。 「両方ある」というのは(笑)

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 両方あるというのは人生という時間の中で苦を感じる時もあれば、楽を感じる時もある。長さのある時間の中で両方あるという意味です。同時には難しいですね。

回答No.9

>それとも私が仏教を誤解しているのでしょうか? はい。仏教を誤解しているのでしょう。 仏教はせいぜい10万年ぐらいのスパンしか考慮していないです。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 それは初期の仏教がそうだったという意味でしょうか? 「弥勒下生成仏経」によると弥勒菩薩が56億7千万年後の未来に現れるとあるそうですが・・・

回答No.8

色即是空=存在は虚像であれは、 存在に由来する悩みからも解脱する という事ではないでしょうか?

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 つまり現実世界の話として考えるのはセンスが悪いということでしょうか? 「存在は虚像」というのは「私たちが存在と思っているものは大概虚像である」という意味でしたら、そうだと思います。 仏教とは私たちが感じる苦から逃れるための考え方ということなのでしょうか? つまりこの世界が本当はどうなっているのか?という話ではないということですね。

  • hayasi456
  • ベストアンサー率40% (2402/5878)
回答No.6

法華経に「四十余年未顕真実」とあります。 過去の教えは方便であり法華経を説く為の言わば初等教育で 人々に理解できる下地ができたのでこれから本当の教えを説くといった意味でしょう。 「輪廻から解脱して悟りを得ること、その目的は苦から逃れること」 仏教がその苦から逃れる教えと考えるなら 苦行して悟りを得る小乗仏教でしょう。 それでは山にこもった修行僧しか救われないですね。 初期の教え初等教育段階の教えでしょう。 一切衆生が日常生活をしつつ 苦難・苦悩を生き生きと克服する人生を説く教えと私はとらえています。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私が考えていなかったことがありまして、それは本来の仏教は何か?という点です。私は素朴に釈迦がはじめたのだから釈迦の考えが仏教そのものであろうと考えています。つまり小乗仏教というか上座部仏教的な考えです。 それから後のことは弟子が考えたことで、釈迦は考えてなかったかもしれないと。 社会が変わりそれにつれて仏教の教えも変化してきているのかもしれませんね。

回答No.5

Stmimさん こんばんは 私は、仏教はかじった程度で、質問とは脱線するかもしれませんが、今後のこの質問の発展を望み、回答します。 下記の、葛飾北斎の富嶽三十景のひとつ「駿州江尻」をご覧ください。 http://www.k-hokusai.com/%E9%A7%BF%E5%B7%9E%E6%B1%9F%E5%B0%BB/ 私が北斎の富嶽三十六景の中で、最も好きな浮世絵です。 人間というものは、自然の前にすると、なんとちっぽけな存在か? 風に紙が、簡単に飛ばされることに、あくせくしています。 しかし、富士山は悠然として、不動の存在です。 仏教の修行とは、人間は紙が風に飛ばされるという、日常の些細な雑事ばかりにとらわれ見失っている、富士山という真理を「こころ」で見えるようになりなさいということかもしれません。 富士山が見えたとき「涅槃」という悟りと言えるかもしれません。 しかし、この浮世絵にあるように、富士山に向かって、長い道のりがあります。 真理に向かう道は「苦」が伴います。 しかし、美しい富士山を見て歩けるなら苦しみも「楽」でしょう。 Stmimさんは、科学的見地でものを考えることが多いようですが、科学の道というのも、このような道を、日々、研究者が「苦楽」で追究しているかもしれません。 北斎はこの絵で、問いをかけています。 移り行くものが真理か?不変のものが真理か? Stmimさんは地殻変動と噴火で富士山も変わる? お礼をお待ちいたしています。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 真理を究めようとすると見えてくるものがあるのでしょうね。 ちょっと私はその境地まで達していませんが・・・(^^; 話の腰を折るようですみませんが、苦楽とは道を究めようしている、いないに関わらず、全ての人に生じるものと思います。

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