目的の起源はどこにありますか?

このQ&Aのポイント
  • 宇宙誕生以前には目的は存在しなかったと思います。モノは目的を持ちようがないからです。
  • 細菌や原始生物の場合、運動のメカニズムにより目的のある行動が起きることが知られています。
  • 植物の行動は適応的であると言えますが、目的のある行動かどうかは議論の余地があります。
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目的の起源はどこにありますか?

人間の行動には大概目的がありますよね。人間の作る道具にも目的がある。例えばハサミは紙を切るためにある。では宇宙が誕生した時に宇宙のどこかに目的はあったでしょうか?私はなかったと思います。そしてやがて生物が誕生して、高等な生物が生まれ、人間が生まれた。この歴史の中のどの地点で「目的」が発生したのでしょうか? 「目的」というのは人間がそれを「目的」であると解釈することによって目的となるのか?あるいは人間とは関係なく生物の歴史の中に起源が存在するのでしょうか? 以下に参考用に目的の起源の区分を考えてみましたが、これと関係なくお答えいただいて結構です。 1)宇宙が誕生した時  生物が発生する前には目的は存在しなかったと私は思います。モノは目的を持ちようがないからです。それともモノでも目的があるのでしょうか? 2)細菌など原子生物が発生した時  細菌は栄養成分がある方向に移動し、忌避物質がある方向から逃げようとします。  これは目的による行動でしょうか?運動のメカニズムは解明されていて生化学反応の積み重ねでこの現象が起きることが知られています。 3)多細胞生物が誕生した時  植物は水分を求めて根を地中に伸ばしますがこれは目的のある行動でしょうか?  適応性のある行動だとはいえると思います。 4)動物が誕生した時  脳のある生物でないと目的を持てないでしょうか? 5)人間が誕生した時  他の生き物のいかにも目的のある行動は単に適応的であるだけで、人間がそれを「目的」だと解釈した時にはじめて目的となるのか?つまり人間誕生以前には目的は存在しなかった?

  • stmim
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  • koosaka
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回答No.3

目的の観念は、人間が発明し、それを自然などに持ち込んで、自然に目的があると言ったりしたもの。 自然それ自体には、目的がない。 目的の観念を自然に適用すると、自然に目的があるように見えるというだけ。 いわば錯覚。 目的は時間的には直線でないと困る、循環してグルグル回っているものには、目的があるようには見えない。 17世紀にニュートンが、直線的な時間の概念を発明した。 それ以前は、時間は循環するものと思われていた。 現代の科学は、このニュートンの発明した直線的な時間の概念の上に成り立っている。 直線ならば、始まりがあり、終りがあることになり、目的があることになる。 循環だと、目的があるとは言えなくなる。 では、私たちの歴史で、「目的論」というのを論じた最初の人間は誰かというと、私の知る限り、古代ギリシャのアリストテレスの「目的論」。 アリストテレスはこの私たちの世界の原因として、不動の動者、つまり第一原因があり、それによって世界が始まった、といい、世界はその不動の動者が設計図を引いた、だから当然、世界には目的があると言いました。 目的がなくて、不動の動者が世界を作るわけがない。 それは有機体が、種から芽を伸ばし、茎が伸び、花が咲き、実が実る、という目的があるのと同じである、と。 この目的論に続いたのが、中世のキリスト教の目的論、つまり歴史は最後の審判に向かって直線的に進む、という。 ある意味、直線的な時間の概念を作ったのは、キリスト教かもしれない。 人類を神が創造し、その人類は最後の審判に向かって進んで行くという。 でも、19世紀にカントは「判断力批判」の目的論的判断力の批判で、このアリストテレスとキリスト教の「目的論」を批判し、自然に「合目的性」があることを認めましたが、自然を有機体ではなく、機械と見做し、その目的を否定しました。 また、ショーペンハウワーは主著「意志と表象としての世界」で、世界の目的を否定しました。 彼によれば、盲目的な「生きんとする意志」によって、私たちは操られており、その「生きんとする意志」は、種の保存だけを目的としており、しかもそれはランダムだと考えていました。 一つの目的に向かって進んでいるわけではない、と。 この思想は19世紀半ばのダーウィンの進化論に良く似ていました。 ダーウィンも進化論で、生物は環境の変化に適応するために生きているだけで、別に目的なんかない、と言いましたが、それと似ています。 こうしたことを背景にあなたの質問を考えてみると、 (1)まず、自然界に目的はないので、目的の観念は人間が発明したもので、それを自然に持ち込んで、自然にも目的があるかのように考えるものです。 宇宙は今から138億年前に1個の素粒子のビッグ・バンから始まったとされており、始まったものは終わりがありますが、でも、方向性はあるとしても、目的はないと思います。 (2)生物の場合は本能的行動とか、反射行動で、エサに接近したり、危険を回避しているので、目的があってそうしているのではないと思います。 前述しましたように、目的の観念は人間が発明したもので、自然界にはない。 (3)植物の場合はみずから意志して動くことはできないので、有機体の種から茎へ、そして花が咲き、実が実る、という成長過程をたどっているだけ、目的なんかない。 アリストテレスはそれを目的のように考えたけど、別に植物は実が実ることを目的に種から、茎へと成長しているわけではない。 (4)動物の場合。 これはダーウィンの進化論で考えてみれば分かるように、動物は環境の変化に適応するために、種が変化するので、別に目的があって変化するわけではない。 「進化」という言葉は、19世紀末に英国の社会進化論のスペンサーが言ったもので、社会の進歩発展のこと。 それをダーウィンの進化論に持ち込んだ。 ダーウィン本人はそんなことを言っていない。 「自然淘汰」というのも、スペンサーの言ったことで、ダーウィンは「自然選択」と言っている。 進化は自然にイニシアチヴがあり、人間は受け身。 進化に関しては人間は何もできない。 (5)人間が誕生した時。 前述のように、目的の観念は人間が発明したもの。 それでアリストテレスは、不動の動者、つまり神がいれば、その神が人間を創造したのだから、自然にも、人間にも、目的がなければならない、といった。 しかし、これも前述のようにカントやショーペンハウワー、そしてダーウィンによって否定された。 神がいないと、アリストテレスの目的論は、その支えを失う。 従って、自然には何らかの方向性があるかもしれませんが、目的はないと思います。 今から6500年万年前に、恐竜が隕石の衝突によって絶滅したように、たとえ目的があっても、環境の激変によって、挫折します。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど目的は人間が考えたことなんですね。そして自然界にあるものはいかにも目的があるように見えるだけのものだと。 外見だけでそれが目的による行動なのか、違うのかは判別できないのですね。 ライオンがシマウマを襲うことに目的はない。食べるためとか目的を考えている気もしますが、これもあくまで人間からみるとそのように見えるだけということなんですね。

その他の回答 (3)

回答No.4

我々を形づくる物質に「目的」はありません。 しかし、原理的には無目的であるがゆえに、現象的に二次的に必然的に生じる目的というのもあるのです。 物質としての「無目的」は、現象的には淘汰(エントロピー増大)となり、二次的に存続する能力の増進=進化を導きます。 「いやオレは違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わって種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするように収束するのです。 ビッグバン当時の輻射(光子=超弦)からクォーク>素粒子>原子>分子>細胞>多細胞個体(脳=認識体)までの階層現象化こそ、「単位の相互作用の中から、安定した反応が残り、それが新たな単位として上位階層の単位となる」という一連の進化のプロセスの反映に過ぎません。 そのスタートから、エントロピー増大=淘汰への反力として、物質進化>化学進化>生物進化という共通の志向はあるのです。(認識体において意識されただけで) 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、これも「オレの生きる目的は意志の充足じゃない!」と主張したところで、それも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 その結果として、生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 量子論的世界像において、有限な存在性(=宇宙)は、認識されることによって派生しています。 換言すれば、「自我仮説(心)と時空仮説(物)が、(不確定性原理の相補的不確定性を介して)相補分化している=全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)補完である」という事なのです。 認識する事と存在する事が同根である時、生きる事は存在する事だけではなく、認識を深める事を包含し、生きる目的に於いて物質的繁栄は部分的要素であって、真の生きる目的は「人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)」となります。 まとめると、下記のようになります;        存在すること            ↓ 生きること     +    認識を深めること    ↓              ↓ 組織化(分業=助け合い)の追求:精神的充足量の追及    ↓              ↓ 自律的社会行動(生産)× 社会生命的自覚化(愛) (エントロピー増大の反力としての反エントロピー)

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 最初は目的はなくても何か目的に収れんしていくということでしょうか。 そしてその原理が生存競争であるということなんですね。

回答No.2

目的は恣意的なものです。 宇宙をはじめとした自然界には恣意がありません。 仏教の教えである「諸法無我」の概念をお勉強なさる事をお勧めします。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 目的は後付けでどのようにでもつけられるという意味でしょうか? 目的は人間がつくったものなのですね。 「諸法無我」はすべては変化して我を持たないということでしょうか。 目的の起源との関連性がよくわかりませんでした。

回答No.1

宇宙は自身の姿かたちやその起源を知る目的で生命を生み育て進化させて人類を誕生させたとも解釈できます。 エネルギーや素粒子が空間や時間を押し広げて宇宙を生み出す過程では、その存在自体を認識することは無く、目的も生じないと思われますが、別の次元からその様子を眺めることができるならば、何らかの理由があって宇宙が誕生していると解釈しているかもしれません。 さらに言えば目的を持って宇宙を認識しているのは人類だけなのか、あるいは現在の人類が認識できる範囲までが宇宙なのか、まだまだ人類の知識だけでは計り知れないですね。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。なるほど。ご指摘の通りです。 そのことは想定外でした。 しかしながら、今回の質問では別次元の存在や他の知的生命体のことはないとして考えたいです。別次元の存在はなしで地球だけで考えた場合はどうでしょうか?

stmim
質問者

補足

質問しながら自分自身で質問の内容が不明確でした。「目的」が存在するためには人間が必要なのか?ということが質問の趣旨だったのだと思いなおしました。

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