時間や期間に対して「濃い」という形容を付ける表現の使用頻度と歴史について

このQ&Aのポイント
  • 「濃い1日」という表現は、一般的にはあまり使われていない表現です。
  • 「濃い」という形容詞は、主にキャラクターなどの特定のものに対して使用されることが一般的です。
  • 時間や期間に対して「濃い」という形容を付ける表現は、比喩的な表現としてはごく最近になって使用されるようになりました。
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「濃い1日」という表現

 先頃、「濃い1日」という表現を目にしました。  私は「灰汁の強いキャラクター」の事を指して「濃いキャラ」などと表現するのは存じておりましたが、時間や期間に対して「濃い」という形容を付けているのは、これまで見聞きした事はありませんでした。  そこで質問なのですが、「濃い1日」などの様に時間や期間に対して「濃い」という形容を付ける事は、どの程度使われている表現なのでしょうか?  「ごく普通に使っているよ」と言うほど当たり前の表現なのでしょうか、 それとも「『あり』と言えばありだけど、普通は別の言い方を使うよなあ」という程度なのでしょうか、 はたまた「そんな使い方には違和感を覚える」というほど「なし」なのでしょうか?  後、もし「あり」だとした場合、時間や期間に対してまで「濃い」という形容を付ける表現は、いつ頃から使われるようになって来たものなのかという事も御教え願います。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#255857
noname#255857
回答No.1

私の感覚では「ごく普通に使っているよ」ですね。 濃密な~と言う言葉で最もよく使われるのが、日とか時間とかの 時を表す言葉なので、濃い一日という表現もすんなり受け止められました。 「長い一日」ほど多い表現ではないですけどね。 使われるようになったのは最近だと思います。

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座います。  実はお礼文の投稿に失敗していたらしく、2016/08/10の17時頃に1度お礼を投稿したつもりなのですが、先ほど確認した際に投稿したと思っていたお例文が消えている事に気づきましたので、再度投稿致します。  「濃密な1日」と言いますと「充実した1日」といった意味合いになるかと思います。  しかしながら、説明するのを忘れていたのですが、質問文で私が目にしたと書いた「濃い1日」という表現は、「濃密な1日」や「充実した1日」という意味ではなく、「大変な1日」或は「酷い目にあった1日」といった意味合いで使われていたものなのです。  ですから、本当に知りたかった事は、単なる >「濃い1日」などの様に時間や期間に対して「濃い」という形容を付ける事 という事ではなく、 「『大変な1日』や『酷い目にあった1日』などの様に、"悪い意味"としての『濃い』という形容を時間や期間に対して付けている事」 に関して、 >どの程度使われている表現なのでしょうか? と尋ねたかったのです。  そうは申しましても、回答者様のこの御回答は、質問の本文の内容に対しては間違いとは言えない御回答であると言えます。  一方、この質問をこのままにしておいた場合、質問文の内容に説明不足な点があるため、例えこのお礼欄で説明を補ったとしましても、それを読まずに同様の内容を回答して来る回答者の方が少なくないと思われます。  そこで、取り敢えずこの質問を一旦締め切った上で、説明不足を解消した内容の質問を新たに投稿する事に致しました。  私の説明不足のせいで回答者様の誤解を招き、余計なお手間を取らせてしまい申し訳御座いませんでした。

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