時間や期間に対して「濃い」という形容を付ける表現の使用頻度と歴史について
- 「濃い1日」という表現は、一般的にはあまり使われていない表現です。
- 「濃い」という形容詞は、主にキャラクターなどの特定のものに対して使用されることが一般的です。
- 時間や期間に対して「濃い」という形容を付ける表現は、比喩的な表現としてはごく最近になって使用されるようになりました。
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「濃い1日」という表現
先頃、「濃い1日」という表現を目にしました。 私は「灰汁の強いキャラクター」の事を指して「濃いキャラ」などと表現するのは存じておりましたが、時間や期間に対して「濃い」という形容を付けているのは、これまで見聞きした事はありませんでした。 そこで質問なのですが、「濃い1日」などの様に時間や期間に対して「濃い」という形容を付ける事は、どの程度使われている表現なのでしょうか? 「ごく普通に使っているよ」と言うほど当たり前の表現なのでしょうか、 それとも「『あり』と言えばありだけど、普通は別の言い方を使うよなあ」という程度なのでしょうか、 はたまた「そんな使い方には違和感を覚える」というほど「なし」なのでしょうか? 後、もし「あり」だとした場合、時間や期間に対してまで「濃い」という形容を付ける表現は、いつ頃から使われるようになって来たものなのかという事も御教え願います。
- kagakusuki
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私の感覚では「ごく普通に使っているよ」ですね。 濃密な~と言う言葉で最もよく使われるのが、日とか時間とかの 時を表す言葉なので、濃い一日という表現もすんなり受け止められました。 「長い一日」ほど多い表現ではないですけどね。 使われるようになったのは最近だと思います。
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