魂は四十九日でこの世に戻らないのか?霊感のある人に聞いてみました

このQ&Aのポイント
  • 四十九日とは、亡くなった人がこの世に留まっている期間とされていますが、四十九日を過ぎたらもう傍に来てくれることはないのでしょうか?成仏できていないのか、それは亡くなった人にとって不幸なことなのか、本当に気になります。
  • 亡くなった人が成仏すると、もうこの世には戻ってこないと言われていますが、例えばお盆などの特別な日に心で話しかけることで、届くことはあるのでしょうか?傍に来てくれる可能性はあるのでしょうか?四十九日を過ぎたら何も届かない存在になってしまうのか、不安です。
  • 魂や死後の世界を信じている人にとって、四十九日の間の存在や成仏についてはとても重要な問題です。本当に成仏できているのか、四十九日を過ぎた後はどうなるのか、霊感のある人に聞いてみてください。
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【真剣】霊感がある人に質問

魂の存在を信じています。母が先月肺がんで亡くなり、もうじき四十九日です。一般的に人は亡くなると四十九日の間はこちらの世界にいて傍にいてくれてるといいますが、四十九日を過ぎたらもう傍に来てくれることはないのでしょうか?ずっと傍にいるってことは、成仏できてないってことなんですか?それは本当に亡くなった人にとって不幸なことなんですか? 成仏した後は、もう傍に来れないのか、例えばお盆とかに関係なくどのタイミングでも、心で話しかけたりしたら母に届くのでしょうか?傍に来てくれるのでしょうか? 四十九日を過ぎたら何も届かない存在になってしまうのか気になっています。魂、死後の世界を信じていない方からの返答はご遠慮ください。真剣なんです。冷やかしじゃありません。教えてください。

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回答No.7

沢山の回答者からいかにも死んで生き返って来たような回答が寄せられていますが、これらはすべてお念仏の開祖が考え出した物語に過ぎません。かと言って私も生き返って来た人間ではありませんが、それぞれの仏教宗派の教えから出た回答と思います。貴方のお母様を思う気持ちは充分に伝わり誰でもお母様をいつまでも思いお慕い申し上げる気持ちは分かります。またこれからも折に触れて供養していくという気持ちは大事です。ただ貴方はお母様の死からいつまでも立ち直れないでいる。それは誰でもそうなのですが、「死というものは自然な事で、決して特別な事では無い、死があれば必ず生がある、人が朝起きて夜眠るように死と生は繰り返します。」他の宗派においては「死は一度」「特別な事」と捉え、だから戒名、お葬式に大金が必要なのです。これは間違いです。お母様の供養だけは年忌が過ぎてもきちんと行って行く事が、今生きている者の使命です。

poke11
質問者

お礼

返信ありがとうございます。そうです…確かに私は母の死から立ち直れていません。でもそれは結局、自分が寂しいから…。母のことを第一に考えれば、私がこんなんではダメなんです。今日、四十九日法要でした。百箇日、一周忌、三周忌…その後も私が生きていて出来るうちは供養を続けていきます。 死は当たり前のこと…分かっているのに、見えてた存在が見えなくなった寂しさで、すぐに受け入れて前を向くことができない状態です。精神面はそうだけど、ただ供養は、出来ることはきちんとしようと思っています。心が暖かくなるような返信で、嬉しかったです。

その他の回答 (7)

回答No.8

6番のどす黒い霊能力者だよ。 ぼんのうは108個と仏教でいっているよね。 これは日本だけだ。 外国の仏教では煩悩はより細分化されて1万くらいある説もある。 要するにだ、49日というのも説で、仏教系の霊能力者が、まあ大体だそうだと助言したのが定説になっているんだ。 目安なんだよ。 ところで、成仏できないことは、供養できないことと関連性がある。 故人の旅立ちを、本来供養する立場の人が認めないと、それだけで供養が成立しないで成仏できない。 生きている者が、死者を苦しめることにつながる。 これには因縁のつながりがある、あなたが死者を供養できないと、あなたが死者になったとき供養してもらえないだろう。 そしてあなた自身が苦しむ悪霊となるんだ。 家系というのはこういう側面がある。 因果応報というやつだ。 したがって供養、冥福お祈る気持ちともいう。 このように、死を認めないと君もまともに死ねない。 君が実際に死んで悪霊になったらどうする? そこで登場するのが、悪魔祓い専門の私のような霊能力者だ。 悪霊になった君を浄化するとしよう。 君を悪霊にした、生きている人の穢れが残る。 その穢れは、君という八つ当たりの対象を失い、穢した本人に降りかかる。 結論は破滅だ。 人に頼まれるとするとこうだ、 悪霊で困ってます清めてください。 忠実に私は実行する。 悪魔を失った、その本人は自らが悪となる。 悪魔の浄化がその人の破滅となるのだ。 ある人は、「本物の霊能力者は金をとらない」こういう。 その通りだ。 このような場で気軽に相談しても除霊を実行する。 破滅させておいてお金を請求しても納得しないもんな。 そういうわけでお金を取らないで、魂の浄化を手伝っているんだ。 悪魔祓いは、悪魔狩りじゃない。 人間狩りだ。 確かな浄化で穢れが浮き彫りとなる。 このとんでもない悪人が、よく言う黒魔術師とか悪魔崇拝者で、要するに私だ。 びびりやがれ。

回答No.6

私は悪魔祓い専門で、私自身悪人じみているが霊能力者だよ。 さて、傍らに連れ添う49日が過ぎても、霊能力者の霊視と同じで、あの世から霊視できる。 すなわち見守ることができる。 くたばっちまったやつのほうが、体の重みを背負った霊能力者より自由度が高いもんな。霊能力者ってのは歩く棺桶だよ。しかし生きている以上中途半端だ。 一方的に見守られるだけでなく、実際に会うのが盆だと考えたまえ。 感謝を故人に告げる日になるだろう。 これで理解してくれるかい? 追加の質問も相談に乗ろう。

poke11
質問者

お礼

返信ありがとうございます。そうなんですね…。四十九日の法要を、実際の四十九日にあたる日より早く行うと、もうその日(法要の日)から傍にいなくなるのですか?それとも実際の四十九日まではいますか? お盆は、納骨しないので家に遺骨があるのですが、迎え火をしなくても帰ってこれますか?お寺さんでお経をあげていただき、家でお線香あげて祈れば帰ってこれますか?

noname#222189
noname#222189
回答No.5

いつの頃からかわかりませんが、あの世を信じてます。 一度あの世を見たことがあって、なんて素晴らしいんだろうと思いました。 今、自分の母親が病院に入っていつ死んでもおかしくない状態なんですが、何かがあったら病院のベッドで寝ている母親からなんらかの連絡があると思っています。 僕は外国に住んでいるんですが何かの気配があるだろうと気は配っています。 以前にも母親の体調不良の時に、この外国の歩道を歩いてくる母親に会ったことがあります。 死んだらもちろんあの世の特等席に行くことを望んでいます。 あなたが気になっているのは四十九日を過ぎると何も届かない状態になってしまうということでしょうか。 何も届かない状態になると思います。 何も届かない状態になるというのは、あの世に行ったということで一番楽な状態になったということですから、僕はやっぱりそれを望みますね。 引き止めてはいけないんですよ。 送り出してやることが供養というもので、供養するものは供養するだけの精神修養が必要なんです。 だから修行を重ねた坊主に頼むんですが、自分でも出来ますよ。 引き止める気持ちを捨てるんです。 そうすると送り出す気持ちになりますから、供養というのは自分を養うということになるのかもしれません。 引き止めるという気持ちは子供っぽい気持ちなんです。

poke11
質問者

お礼

返信ありがとうございます。読んでいて涙が溢れてきました。引き止めてはいけない、何も届かない世界にいくことが母にとっては幸せなのですね。自分の寂しい気持ちが前面に出てしまうけど、一番望むことは母の幸せです。身体と精神が辛かった状態から魂になった母が、一人で悲しい想いをしてないか、苦しんでないか、それが一番心配です。それにはまず私が、悲しい寂しいという想いを捨てることなんですね。私のそういう想いが、引き止めてしまうから… 分かりました。でもなかなか…今すぐには厳しいです…でも努力します。母が死を意識して泣いてた姿が頭から離れなくて、いつも考えてしまうけど、その時のことを思い出して泣くのは、母にとっては辛いことなんでしょうね?母自身もその瞬間に戻ってしまうような…そんな苦しみは与えたくありません…

noname#227171
noname#227171
回答No.4

長くなりますがお付き合いください。 この質問の回答すごく難しいです。 人が死ぬとどうなるのでしょうか? 今地球上にいる人で、その答えを知っている人間は誰一人としていないでしょう。 以下の文を読んでいただきあなたのお悩みのヒントなれば幸いかと思います。 仏教の神仏「十王」について簡単に説明します。 道教や仏教で、地獄において亡者の審判を行う10尊の、いわゆる裁判官的な尊格である。十王の中で特に有名な大王が閻魔大王です。閻魔大王は、インドにおける冥界の王であったものが、仏教と共に中国に伝わり、中国固有の信仰と結びついて、冥界の住人の裁判官である十王を誕生させました。この十王の審判が七日ごとに行われるために、七日ごとの法要があります。この審判の日に遺族が供養することによって、その善行が故人にも及び、故人の魂が少しでも早く極楽に行くことができるという信仰からです。 「地蔵十王経」  それぞれの大王の名前と役割は次のようになっています。 死亡すると、冥途の旅にでます。「死出の山」を歩き続けることから始まる。険しい道を星の光だけを頼りに、ひとりで歩き続け、まず6日間、ひたすら歩かなくてはなりません。426キロの道のりがあると記載した書物もありますがどうだか。 この間は「食香」といい、香の煙しか食べられない。だから仏壇の線香を絶やしてはならないのです。 歩き続けること七日目、ようやく最初の審問をする裁判官に出会います。 ●初七日 泰広王(不動明王) 殺生について取り調べる。 生き物を殺すこと。仏教では最も重い罪の一つとされる。 次の法廷に行くには、三途の川を渡らなければなりません。冥途の旅の最初の難所です。 川を渡りきるには3つのルートがあります。 善人は橋を渡る・軽い罪を犯した者は浅瀬を渡る・重罪を犯した者は急流を渡る  三途の川を渡る3つのルートをご紹介しましたが、それははるか昔の言い伝えで、1000年程前にはルートは1つに変更されました。 この世での善行や悪行とは関係なく、誰もが渡舟を利用して、向こう岸まで行けるようになったのです。 ずいぶん楽ちんになったものです。 しかし、注意が必要。 三途の川の渡し賃は6文です。お棺の中にお金を入れる風習はここからきています。 しかし、「文」という単位の貨幣は昔のものであり、現在の日本では使用されていません。 日本の貨幣は「円」ですから。 そのため、現代では6文銭を印刷した紙を、棺の中に入れることがあります。 渡舟を使うには、お金を払う必要があるので必ず入れてください。「地獄の沙汰も金次第」というのは、ここから来ています。なお、クレジットカードでの支払いはできないとの事ですのでカードは入れないようにしてください。 川があれば当然、河原もあります。 賽の河原(さいのかわら) 三途の川を渡れない者がいる。それは、幼くして冥途へやってきた子供たちである。親より先に冥途の旅に出て親に深い悲しみを負わせることは大きな罪であるため、三途の川を渡ることができないのである。そんな子供たちが、三途の川のほとりにある賽の河原で小石を積み上げて塔を作っている。子供たちは、生きていた時間が短く、仏様の教えを聴くことも、他人にお布施をすることもできなかったために慚愧の念にさいなまれて、賽の河原に塔を作っている。       しかし、塔が出来上がったとたんに冥途の鬼に恐ろしい形相で怒鳴られ、塔を壊されてしまう。                                      それでも子供たちは泣き叫びながらも、何度も繰り返し塔を立て続けるのである。この子供たちを救うのがお地蔵さんであるという。 衣領樹(えりょうじゅ) 三途の川を渡りきると河原に一本の木が立っている。それが「衣領樹」である。        この木の上に爺さんが、木の下に婆さんがいる。爺さんを懸衣翁(けんえおう)、婆さんを奪衣婆(だつえば)という。衣領樹は衣服を枝にかけると、罪の重さによって枝のしなり具合が違ってくる。冥途の旅人の衣服を剥ぎ取るのが奪衣婆の役目で、剥ぎ取った衣服を懸衣翁に渡し、懸衣翁が衣服を枝にかけるのである。この結果が、第二の法廷の証拠になる。 ●二七日 初江王(釈迦如来) 偸盗(盗み)について取り調べる。 ●三七日 宋帝王(文殊菩薩) 邪淫の業について取り調べる。 ●四七日 五官王(普賢菩薩) 妄語(うそ)について取り調べる。 ●五七日 閻魔大王(地蔵菩薩) 六道の行き先を決定する。 ●六七日 変成王(弥勒菩薩) 生まれ変わる場所の条件を決定する。 ●七七日 泰山王(薬師如来) 生まれ変わる条件を決定する。 ●百箇日 平等王(観音菩薩) ●一周年 都市王(勢至菩薩) ●三周年 五道転輪王(阿弥陀如来)  (    )内は、本地仏といいます。この姿が本来の姿で、十王に姿を変えてそれぞれの役目を果たしています。   閻魔大王が十王の中で特に有名な理由は、五七日担当で、前の四王の取り調べと合わせて、亡者(もうじゃ)が「六道」 即ち地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界の何処に生まれ変わるかを決定するという大きな力を持っているからです。 ※現在、四拾九日法要が三ヶ月にまたがる場合に三十五日法要で忌明けとする風習があるが、これは、三十五日で閻魔王の裁きが済んでいるからだという。                    六七日 変成王 生まれ変わる場所の条件を決定する。 七七日 泰山王 ここが最後の裁判であり、生まれ変わる条件を決定する。六道のどの世界へ生まれ変わるかが決まる。 しかし、最終判決を泰山王が言い渡すわけではない。どこの世界に通じているかは全くわからない六つの鳥居があり、どの鳥居に進むかを死者自身が決めるのである。ただ、自分で選んだつもりでも前世の業により結果は決まっている。これも因果応報である。 六道の鳥居をくぐった瞬間に冥途の旅は終わる。 そして生まれ変わり来世が始まるのです。 この49日間は「中陰」といって、死者の魂がまだこの世を彷徨っているといわれます。 四十九日後、それぞれ定められた所に行くわけですが、悪趣(地獄、餓鬼、畜生、修羅)に行くことが定められた亡者も、百箇日、一周忌、三回忌と供養を重ねることにより誰でも極楽に行くことができるようになっているそうです。 あなたのお母さんも何処かで生まれ変わっていますよ。 お母さんのために供養をしてください。年忌法要も三十三回忌までありますので 私事ですが、13年前に父を亡くしました。 でも、たまにですが一緒にいる夢を見ます。その度に墓参りに行きますよ。

poke11
質問者

お礼

詳しいお話、ありがとうございます。人間界や天界に行けなくても、私達が供養をしていけば極楽に行けるようになっているとのお話、そうであるならちゃんとしなきゃですね。母の来世が幸せなものになるように祈り続けます。ありがとうございましたm(__)m

回答No.3

私は霊感体質ではありませんが、身内に霊感体質の人がいて、その人から聞いた話を元に私の分かる範囲でお答えさせて頂きます。 一般的に人は亡くなると四十九日の間はこちらの世界にいて傍にいてくれてるといいますが ➡私もそのように聞きました。何処にいるかと言うと、生前暮らしていた家の屋根の上辺りと聞いたことがあります。 ずっと傍にいるってことは、成仏できてないってことなんですか?それは本当に亡くなった人にとって不幸なことなんですか? ➡成仏できないと言うことは、魂が浄化されずに残ってしまうことになるので、魂にとっては辛いことかも知れません。でも、通夜と告別式を滞り無く終え、四十九日の供養を終えたら、ほとんどの魂は、あの世へ旅立つと聞きました。生前、あなたが母にとてつもない大きな心配をさせていなければ、大丈夫と思います。成仏していると思います。 成仏した後は、もう傍に来れないのか、例えばお盆とかに関係なくどのタイミングでも、心で話しかけたりしたら母に届くのでしょうか?傍に来てくれるのでしょうか? ➡何故、仏壇を作るかを考えて下さい。仏壇は、死んだ人を供養する為だけでなく、生きているものが、亡くなった親族に話しかける窓口も兼ねています。例えば、嬉しいこと、悲しいこと、悩んでいること等、色々なことを話しかけることで、仏壇を通してあなたの亡くなった身内の耳に届くと信じて下さい。そして、見守ってくれていると信じて下さい。また、魂は毎年、盆の時に戻ってくると聞きました。茄子や胡瓜等で馬を作り、仏壇に飾るのは、身内の魂が盆にこちらの世界へ戻るため、そして盆が終わったら、あの世に帰るための乗り物になるからと聞きました。また迎え火は、盆に戻ってくる時に迷わないようにする為に焚くと聞きました。そして、送り火を焚くのは、あの世へ戻る時期を知らせる為とあの世へ旅立つ際に、道筋を照らす灯の意味もあるそうです。 そして、まだあなたには、これから年間法要と言う大役があります。年間法要は、永遠に続けるのが理想であり、そういう願いをもつのは大切なことです。しかし、亡くなって百年も過ぎると、その故人の生前を知る人は皆無で、その故人の存在よりも、その家の先祖という抽象的な存在になるでしょう。一周忌は当然ですが、三回忌も同じようにつとめます。そして七回忌も一周忌、三回忌ほどの規模ではないにしてもかなりの人がつとめているようです。次に十三、十七、二十三、二十七回忌になりますと、つとめない家もあるようです。また、二十三回忌と二十七回忌を合わせて、二十五回忌という例もあるようです。でも三十三回忌になりますと、再び三回忌や七回忌と同じくらいにつとめる家が多くなるようです。さらに、五十回忌、百回忌をつとめるというのは、それだけ家が長く続いているという証となり、かえって盛大なものになるようです。一般的には、お盆やお彼岸の先祖のお墓参りのことも考えて、三十三回忌で年間法要の一応の区切りをつけるか、事情が許せば五十回忌まで営みたいというのが多いようです。 因みに私の場合は、ひい爺さんの五十回忌は、親戚連中を呼んで盛大に行いました。父親の場合は一周忌までは、親戚も呼びましたが、三回忌は家族だけを集めて、寺でお経を上げました。七回忌以降も家族だけでつとめる予定です。

poke11
質問者

お礼

色々教えて下さりありがとうございますm(__)m そうか…成仏できない状態は魂が浄化されてないってことだから良くないんですね…つい自分の寂しさだけで考えてしまって…ダメですね。供養はできるところまでやりたいと思っています。

回答No.2

オレは魂とか,死後の話は苦手です.詳しくないです. 詳しい人はいるので,ネットにもいるので,探して聞いてみてください(無料で教えてくれます). ボンヤリこうかな?程度のことを,アバウトに書きます. >一般的に人は亡くなると四十九日の間はこちらの世界にいて傍にいてくれてるといいますが、四十九日を過ぎたらもう傍に来てくれることはないのでしょうか? それはお書きのように「一般的に」で,個々については異なるでしょう.ちゃんと調べれば,横軸を思い,縦軸を時間にした分布があると思います. >ずっと傍にいるってことは、成仏できてないってことなんですか?それは本当に亡くなった人にとって不幸なことなんですか? そう思うんなら,ぜひ死んだ人の一番の幸せを願ってあげるといいでしょう!!^^ >成仏した後は、もう傍に来れないのか 火葬したらもう母の肉体はないし,自我はないと思います.しかし,真剣に探せばそのときの母を見つけられると思います. >例えばお盆とかに関係なくどのタイミングでも、心で話しかけたりしたら母に届くのでしょうか? Yes!

  • meido2010
  • ベストアンサー率15% (68/448)
回答No.1

霊界とは、例えて言えば駅のようなものだと思います。 一旦、霊界に行ってその先の天界、地獄界などへの行き先を決めてもらう のです。 生前、良い行いをした人は天界に近いところへ行けますし、悪い行いばかり していた人は地獄界へと落とされます。これは自分の意思とは無関係です。 しかし、人間ウソをついたり人を騙したり、奸計で陥れたりすることも あります。それを善行との兼ね合いで行く先を決めるのです。 その行き先は何段階にも分けられていて、中程度の所ならまた人間界へと 戻されます。それが輪廻です。つまり生まれ変わりですね。 死んだ人間の魂はそうやって何回も生まれ変わっては天界へ近づくのですが、 何回も同じ所業をしていると神罰が当たると言われています。 お母さんはお気の毒でしたね。それは死という人間にとってはどうしても 避けられない運命です。ならば冥福を祈ってあげることを考えましょう。 自分のことばかり考えていては、お母さんはあの世へは行けませんよ。

poke11
質問者

補足

四十九日ピッタリの日ではなく、何日か早く四十九日法要をしたら、もうその日からこっちの世界にはいなくなるのですか? でもそれを寂しく思うのは現世に生きる私達だけの気持ちで、当の母の想いは、例えば「四十九日までまだ4日あったのに」と寂しく感じることはないのでしょうか?現世との区切りがきっちり四十九日なら、四十九日より早くお寺さんでお経をあげていただいても、四十九日まではいますか?四十九日が平日なので4日早めた日曜にすることになっていて、急に疑問に思ったのです。自分勝手な気持ちの押しつけで母の魂を縛りたくはないので努力しますが、ただ、四十九日までは、傍にいられる日というのが決まっているなら、せめて1日でも長く傍にいて欲しい…なんて思ってしまうんです。早めたら、その日にいなくなっちゃうのかな…

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